公爵令嬢の戦場

第5話 1

「――シャルお姉様がっ!?」


 夕食時、エレノアは父であるガリオノート侯爵から聞かされた話に、驚きの声をあげた。


 ルキオン派の失踪。


 そこから想定される、彼らの反乱。


 そしてその鎮圧には、聖女達が動員されるという事実。


 宰相であるガリオノート侯爵もまた、聖女管理局の実態を知っている。


 隣国ソリスダート帝国との情勢を鑑みれば、反逆者達の鎮圧に騎士団ではなく聖女達を動員するという第一王子ルシウスの判断は妥当だ。


 だが、筆頭聖女シャルロッテはエレノアが姉と慕う女性だ。


 エレノアも王子妃教育で聖女管理局の実態を認識しているのもあって、話してやらずにはいられなかったのだ。


 テーブルに手をついて身を乗り出すエレノアに、ガリオノート侯爵はやはりとため息をつく。


 侯爵としては、エリオバート王国の武の頂点である聖女シャルロッテが――一部の近衛騎士達が戦力に含まれているとはいえ――、ルキオン派ごとき寄せ集めに負けるとは思えなかったのだが、エレノアが心配する気持ちはわからないでもない。


「……わたし、行きます!」


 だから、娘がそう言い出すことも、ガリオノート侯爵には想定内だった。


 侯爵は諦めたようにため息をつく。


「まあ、ちょっと待ちなさい……」


 今回動員される聖女達は、百三十七名にも及ぶ。


 その中には現在、任務についていない席次聖女達が五人も参加しているのだ。


 対するルキオン派の戦力は、近衛騎士の一部と領軍、そして金で雇った傭兵が主だと思われる。


 ぶっちゃけ過剰戦力だった。


 管理局に属する乙女――席次以下の聖女達でさえ、ひとりで騎士の小隊を相手取る怪物なのだ。


 まして席次聖女となれば、優れた肉体、魔道、あるいは異能を保有し、さらに日々の研鑽を怠ることがない、正真正銘の化け物なのである。


 先のソリスダート帝国の戦においても、その力は遺憾なく発揮された。


 次席と三席がソリスダート軍の前線に投入され、たった一晩で国境の向こうに追い返したほどだ。


 当時から代替わりしているとはいえ、現在の席次は先代から直接教授を受けた乙女達だ。


 先代と比べても遜色のない武を誇っている。


(むしろ……)


 ガリオノート侯爵は心の中で呻く。


(エレノアが同行する事で、被害が抑えられれば……)


 聖女管理局が動員された事で、勝利は確定事項なのだ。


 ガリオノート侯爵が心配しているのは、その後の事。


 聖女達は得てして、強大な武と異能を持つことから、いつもやり過ぎになるきらいがある。


 宰相であるガリオノート侯爵は、いつもその被害に頭を悩ませている一人だったりする。


 エレノアが同行すれば、その護衛に人員を割かざるを得ないだろう。


 要するにガリオノート侯爵は娘を聖女達の枷にしようと考えていた。


 エレノアの安全?


 聖女達が護衛している者に、傷を負わせられるものならやってみせろ――そんな気持ちだ。


 それでもガリオノート侯爵もひとりの父親。


 娘には良い格好したいし、なんなら尊敬の眼差しを向けてもらいたいと常々思っている。


 だから、彼は咳払いひとつ、椅子の後に立てかけていた一本の長剣を取り出す。


「……これを持って行きなさい」


 娘を案じつつも、その意思を尊重する――そんな威厳ある父親の表情を貼り付けながら、ガリオノート侯爵は席を立って、エレノアの前に立つ。


「お父様、これは……」


 侯爵家に伝わる魔剣だ。


 二代目聖女の古代遺跡探索に同行した先祖が遺跡から持ち帰ったものである。


「きっとおまえを守ってくれるだろう」


 そもそも使う機会など訪れるはずもないと思いつつ、ガリオノート侯爵はエレノアに長剣を差し出した。


「――ありがとうございます!」


 両手で長剣を受け取り、エレノアは感極まって、ガリオノート侯爵に抱きついた。


「きっと、きっとお姉様のお役に立って、戻ってまいります!」


(いや、あのの役に立つって、よっぽどだと思うんだけどなぁ……)


 そんな内心を押し殺し、娘の肩を抱くガリオノート侯爵。


 ぶっちゃけ他の貴族達への見せしめという側面さえ考えなければ、今回の件は筆頭聖女であるシャルロッテひとりでも十分に蹂躙できるはずなのだ。


 それほどの武をシャルロッテが持っている事を、ガリオノート侯爵は知っている。


(だって……)


 ――エレノアが心配するからと、シャルロッテに口止めされていて、教えてはいないことだが……


(あの、十五の時にひとりで魔境ひとつを調伏しちゃってるもんなぁ……)


 魔境とは、時折、なんの前触れもなく出現する異界の生物――魔物が蔓延る土地の事をいう。


 人の魔道器官を侵す濃密な瘴気ゆえに、並みの人間なら一時間と無事ではいられない土地だ。


 聖女候補養成校では、魔物調伏の実地研修として、その魔境での活動を訓練過程に取り入れているのだが、十五歳のシャルロッテは――


(行けるとこまで行ってみただけって言ってたよな……)


 ガリオノート侯爵は当時を思い出して、内心でうめく。


 それで魔境の最奥にある異界の侵食地――侵源まで辿り着き、それを調伏してしまったのだから驚くしかない。


 発生から百年近く王国を悩ませていた土地が、たった十五歳の少女によって、わずか半日で浄化されてしまったのだ。


 伝承に残る神器継承者の中でも、シャルロッテは群を抜いて強い力を持っていると判明した事件だった。


 聖女のその実態を知る者の間では、『シンドーラ樹海の閃光』事件として、まるで悪夢のように囁かれている事件だ。


 なにせ樹海の中央から西側にかけて、巨大な渓谷ができてしまい、地図を書き換える必要ができてしまったほどなのだ。


(だからこそ! だからこそ、だ!)


 昨日の学園での決闘騒ぎはガリオノート侯爵の耳にも届いている。


 古代騎をめっこめこに破砕して、その出処を探るのに工廠局が総動員されるほどに破壊の限りを尽くした筆頭聖女には――


(エレノアという枷があるくらいで丁度いいはずだ……)


 軍が相手となれば、シャルロッテは容赦なく帝殻を使う事だろう。


 単独喚起ではなく、すべての並列励起までするかもしれない。


(『シンドーラ樹海の閃光』を再現させない為にも――)


 ガリオノート侯爵はエレノアの肩を握る手に力を込める。


「エレノア……頼んだぞ。本当に――」


 思わず内心が言葉となってこぼれ出る。


 だが、その言葉を、純真なエレノアは自分の身を案じての言葉と理解した。


「ありがとうございます。お父様。

 エレノアは必ず無事に帰ってまります!」


 涙を浮かべながら、そう微笑むエレノア。


 そしてエレノアは、もう一度父と包容を交わし、食堂を足早に後にした。


 父の心配と娘の覚悟は微妙にすれ違っていたが。


 こうして、エレノアは宰相公認で聖女達に同行する事が決まったのだった。

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