第2話 2

「――という事があってね」


 中庭に面したテラスで。


 メイドのマリサが淹れてくれたお茶を傾けながら、シャルロッテはテーブルの向こうで固まっているエレノアに微笑んだ。


 先日の婚約解消――破棄ではなく解消だ。重要である――事件後、エレノアはシャルロッテと共に、キーンバリー領のカントリーハウスを訪れていた。


 形の上では婚約解消という体を取ったものの。


 ルキオンが何度も浮気を繰り返したのは、エレノアにも問題があるのではないか――そんな噂が社交界に流れ出したのだ。


 ほとぼりが冷めるまで、エレノアを社交界から遠ざけ、守って欲しい。


 それがルシアーナから持ちかけられた、シャルロッテの新たなお仕事だった。


 エリオバート王国の南西に位置するキーンバリー領は、温暖な気候で過ごしやすく、傷ついたエレノアの心を癒やすには適した土地といえた。


(――まあ、エレンは私にとって妹のようなものですもの。

 ルシアお姉様に頼まれずとも、世話を焼くつもりではあったのよね……)


 とはいえ、シャルロッテが見た限り、エレノアはそれほど落ち込んでいるようには感じられなかった。


 ……実際のところ。


 エレノアにしてみれば、長年悩みの種だった婚約者から、ようやく解放されたという気持ちの方が強かったりする。


 七つの頃にルキオンの強い希望で婚約者に据えられてから、王子妃教育ばかりの日々で。


 趣味らしい趣味も作らず、ひたすらにルキオンの為――ひいては国と民の為に、ひたすらに自らを磨き上げてきたのだ。


 だというのに、あのバカはあっちの女にフラフラ、こっちの女にフラフラとして。


 エレノアもいい加減愛想が尽きるというもの。


 そこに憧れのお姉様であるシャルロッテから、キーンバリー領への長期逗留が提案されたのだ。


 飛びつかないワケがない。


(――せっかくなれた自由の身! わたし、シャルお姉様のお役に立てるようになりたいわ!)


 などと、シャルロッテの知らないところで、固く決意していたりする。


 そんなワケで、エレノアはシャルロッテが聖女に選ばれた時の出来事を聞かせてもらっていたのだが……


「――シャルお姉様と互角だったなんて、ミリス様はすごいですね……」


 エレノアは知っている。


 神器に選ばれる前のシャルロッテは、確かに病弱で気弱だった。


 けれど両親の影響なのか、そんな貧弱な身体であっても修められる武はあるはずと、非力でも痛打を与えられる方法を求めて、『人体の急所図鑑』を愛読書にしていたのだ。


 エレノアは、シャルロッテの見舞いに訪れた際、ルキオンが実験台にされて泣かされているのを何度も目撃している。


「彼女ほど私に食い下がる者は、他にはいないわね……」


 そう言って頬を綻ばせるシャルロッテに、エレノアはちょっぴり嫉妬心を覚える。


 シャルロッテに認められているミリスが羨ましかったのだ。


 キーンバリー領に来てから、エレノアはシャルロッテに近づきたい一心で、朝晩の鍛錬に付き合ったり、乗馬にチャレンジしてみたりしている。


 家では淑女らしくないと、させてもらえなかった事ばかりだ。


 けれど、ここでは咎める者はいない。


 騎士団長であるシャルロッテの父――領主の影響か、キーンバリー領では武が尊ばれ、女子供であっても武の鍛錬は奨励されているのだ。


 今まで身体を動かす事はダンスくらいだったエレノアにとって、武の鍛錬は辛くはあったが、ひどく目新しく、そして充実したものであった。


 ――なによりシャルロッテが労ってくれる。


 エレノアにとって最高のご褒美だった。


 一方、シャルロッテにしてみれば、可愛い妹分が過去を振り切る為に、新しい事に挑戦しているのだから協力を惜しむワケがない。


 朝晩の鍛錬の際は、手取り足取り熱心に直接指導するほどだ。


 ぶっちゃけてしまうと、シャルロッテとエレノアのふたりはキーンバリー領を訪れてから一週間――鍛錬漬けの毎日を過ごしていたのだ。


(もう二度とクズ男に自由にさせない為にも、鍛えておいて損はないはずよ!)


(お姉様と一緒……うふふふふ……)


 ふたりの思惑は、表向き合致しているようで微妙にズレていた。


 そう!


 エレノア・ガリオノートはシャルロッテが大好きなのである!


 お姉様という呼び方も、年齢からそう呼んでいるのではなく――敬愛と思慕の情を最大限に詰め込んだものなのだ!


 ――見事に咲き誇った、百合の花なのである!!


 バカのルキオンの横暴に耐えてこれたのも、すべてはシャルロッテとの接点を失わない為。


 あのバカの婚約者である限り、シャルロッテはエレノアを従弟いとこの婚約者として目をかけてくれる。


 だからこそ――あのバカがバカな行動をしても耐えられた。


 だからこそ――婚約解消となった時、エレノアは嘆いた。


 シャルロッテとの接点を失ってしまったと。


 けれど、翌日にシャルロッテから送られてきた手紙で、落ち込んだ気分は幸福感に取って代わって一気に天井をブチ抜いた!


 ――一緒にキーンバリー領に行きましょうか?


(……シャルお姉様との接点は失われていなかった……)


 むしろ婚約解消を気遣ってか、シャルロッテはより優しく、そして以前より親密に接してくれているようにすら、エレノアには感じられていた。


 そして、その感想は実際のところ正しかった。


 シャルロッテは――その派手な見た目に反して、ひどく人見知りである。


 病弱たった頃の名残りともいえるのだが、社交界での知人は多く居るが、友人と呼べる者はほとんどいない。


 そんな数少ない友人達の中でも、特に親しい――妹分とさえいえるエレノアを、シャルロッテが放っておくワケがないのだ。


 旅立つ前日など、エレノアが喜びそうな小物や書籍を買い集め、マリサを相手に様々な会話をシミュレーションしまくったほどだ。


(……まさか武術に興味を持つとは思わなかったけどね……)


 完全に想定外で、だからこそ大事なエレノアに怪我などさせないよう、シャルロッテは細心の注意でエレノアに接していたのだ。


 実のところ、シャルロッテとしては、もっと女の子らしい過ごし方を想定していた。


 お茶とか、街歩きとか――活発な事など、してもピクニックくらいだと思っていたのである。


 けれど、エレノアの決意は思いのほか固く。


 初日こそ、走り込みだけで動けなくなっていたものの、一週間経った今では次の段階の型稽古まで行えるようになっている。


(――本気、なのでしょうね)


 それほどまでに、ルキオンが残した傷痕は深いという事だろう――シャルロッテはそう理解していた。


 もはや男に頼らずとも生きていけるよう、己を鍛え抜こうとしているのだろう、と。


(なら私は、とことんあなたに付き合うわ!)


 涼しい風が吹き抜け、鳥のさえずりが響く中、ふたりは微妙に噛み合わない思惑を胸に、互いに微笑みを向けながらお茶を愉しむ。


 内心の独白はともかく、交わす言葉は少なくても――長い付き合いだけに、ふたりの間に居心地の悪さはなかった。


 エレノアにしてみれば、一緒にいられるだけで幸せだ。


 シャルロッテにとっても、口下手な自分を自覚しているだけに、多く話さなくても良いエレノアとの時間は心地よく感じるのである。


「――お嬢様……」


 屋敷の使用人がやってきて、シャルロッテに声をかけたのは、そんな時だった。


「ソレーヌ村の村長が、至急、面会願いたいそうです」


「至急? 珍しいわね」


 村長ともなれば、貴族への対応は熟知していて、きちんと手順を踏むものだ。


 それがないという事は、よほどの事態に違いない。


「それが……村が山賊に襲われたそうでして――」


 それを聞いたシャルロッテは席を立つ。


「――すぐに会うわ!」

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