第21話
「……薬の分量間違えたかな」
結構適当に分けたからなー。
話せないのは残念だけど、仕方ないから魔法の効果が切れるのを待つとするか。
「にゃにゃにゃにゃあーっ!」
なんてことを考えていると、ネコが随分と騒がしい。
一体何事なんだと思って周りを見てみるが特に変わったことはない。俺が先に戻ったことを怒っているのかな、そんなことを思いながらネコを見ると前足を俺の方に向けながら目を瞑っている。
「あ」
俺、今全裸だった。
しっかりネコの方向いてるから何からナニまで全部見られてしまった。いや、でも俺も見ているしこれでようやくトントンということになったのではないだろうか。動揺しているところを見られると変な空気になるので、俺はできる限り澄ました表情を作りながら、涼しい顔でゆっくりと服を着始める。
「にゃにゃ、にゃあにゃにゃにゃにゃあーっ!」
服を着ていると、またしても後ろのネコがうるさかった。
何だよ。もう何も、ナニも見えていないというのに何をそんなに興奮しているんだ。今度こそ怒っているのか? 俺を責められても困る。渡されたときに分量にケチつけてこなかったそっちにも否はあるんだから。
「なんだよ、にゃあにゃあ言ってても分かんねえぞ」
服を着終えたところでネコを振り返ると、ものすごい荒ぶっていた。俺の後ろを指差しているようにも見えるので、俺は後ろを振り返ることにした。
「何だよ、後ろに幽霊でもいるって、の……か」
後ろを振り返って、俺は一瞬だけ固まった。
言葉も失った。
目の前に大型モンスターがいれば、人間やっぱりこうなるよ。
「オオオオオオオオオオオオ!」
その巨大モンスターはまさしくゴリラだ。人間の倍以上もある大きさのゴリラがドラミングをしながらこちらを威嚇している。威嚇したいのはこっちの方だってのに、どうしてあんなに荒ぶっているんだ。
逃げるか?
いや、サクラはネコだ。逃げ切れる保証はない。とりあえず、しびれ薬を使おう。
「喰らえッ!」
俺はバッグからしびれ薬を取り出してゴリラに向かって投げる。これで液体がかかれば相手は麻痺し、一時的に動けなくなる。その隙にサクラを抱えて逃げれば逃げ切れる。
そう思っていた。
しかし、俺の作戦は早々に崩れることとなった。
「オオオオオオオオオ!」
というのも、ゴリラにしびれ薬が効いていない。
考えうる原因は唯一つ、あのしびれ薬が大型モンスターに対して有効でなかったのだ。
これまで使用してきたのは全部小型のモンスターだけだった。こんなことなら大型にも試しておくべきだった。草原で遭遇したモグラとか、絶好の実験相手だったのに。こんなことを今更思っても仕方ないが。
「にゃ、にゃあにゃあ!」
何を言っているかは分からないが、声色からして俺のことを心配してくれている気がする。
俺は彼女の方を振り返る。
「大丈夫だ。何とかしてみせる」
戦うしかない。
勝てなくても、ダメージを負わせて一時的に足を止められさえすればその間に逃げることができる。作戦は変わらない。俺がしびれ薬の代わりを担うだけだ。
俺は腰にある剣を抜く。
こんな巨大なモンスター相手にちっぽけな剣で戦えるとは思えないが、ないよりはマシだろう。剣を構える手が震えていた。
怖い。
これまでの小型モンスターとはわけが違う。死が脳裏にちらつく。何か一つでも間違えれば死に繋がる。ゲームのようなコンティニューはない。負け=死の戦いだ。
「オオオオオオアアアアアア!」
ゴリラが拳を繰り出した。
突然の攻撃に反応が遅れた俺は逃げるチャンスを失う。
こうなったら剣で防御するしかない。
俺は剣を前に構えて防御の体勢を取る。
しかし。
「……ッ!?」
剣もろとも吹っ飛ばされてしまう。スライムエリアの壁に叩きつけられた俺はそのまま地面に落下する。
一瞬、息が止まった。
体中がじんじんと痛む。骨が熱い。自分の体に何が起こっているのか自分でも理解ができない。
起き上がることさえ困難だ。
よく見ると、剣も折れて使い物にならなくなっている。この程度の武器じゃ盾にもならなかったのだ。
くそ。
ここまで来て、死ぬのかよ。
あとちょっとで帰れるってのに。なら、せめてあいつだけでも帰れれば、そう思ったとき俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「ハルト!」
サクラだ。
どうやら人間の姿に戻れたようだ。
霞む視界で彼女を捉えると、何だか随分肌色が多いように見える。
「……お、い、服は、どう、した?」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! 大丈夫なの?」
声色から、彼女が相当焦っているのが分かる。あれだけ裸体を見られることを嫌がっていたのに、そんなことどうでもいいと言っているのだ。
「ああ、問題、ない。でも、あいつから、逃げれそうに、ない、から、俺が、ここで引きつけているうちに、逃げ、ろ。お前、だけで、も」
乱れる呼吸を少しずつ整えていく。
ゆっくりと腕や足を動かす。ちゃんと動くので、どうやら骨折とかには至っていないようだ。しかし、それでも全身の痛みは一向に消えない。
「ばか言わないで! 一緒に帰るのよ! でないと、意味ないじゃない!」
「でも……」
「でもじゃないわよ。一緒に帰って、マックでお疲れ様会するんだから! あんたがここで死ぬって言うなら、私もここで死ぬわよ?」
サクラの声は震えている。
瞳は揺れ、頬には涙が伝っている。
死という現実が目の前に突然現れたのだ。恐怖しないわけがない。死ぬのは怖いに決まっている。俺だって怖い。でも、こいつはその恐怖と向き合って、それでもここに居座ろうとしている。
ダメだ。
こんなところで死んじゃダメだ。
「ダメ、だ」
「なら立って! 一緒に帰るの!」
ぐしゃぐしゃになった顔で彼女は精一杯叫ぶ。
そんな顔されたら、こっちも諦めるわけにはいかないじゃないか。これまで散々ひどい扱いをしてきたっていうのに、最後の最後でそんな態度取られたら男子全員惚れちまうって。
俺は全身に力を込めて立ち上がる。痛みは消えないどころかさらに悪化する。それでも、俺は歯を食いしばって踏みとどまる。
「……」
話したつもりだったが、声が上手く出ていなかった。
「え、なに?」
息を整えて、もう一度同じ言葉を口にする。
「……ツンデレ、最高」
親指を立てながら彼女を振り返ると、サクラは涙を流しながらくしゃりと笑う。
「なにばかなこと言ってんのよ」
何とか立ち上がったが、ピンチであることに変わりはない。
こんな状態では走って逃げることはまず不可能。剣は折れたから使えないし、残されているのはせいぜい魔法くらいだ。
「オオオオオオオオオ!」
ゴリラは俺に考える時間も与えてくれるつもりはないらしい。
バッグの中にあるものを確認する時間はない。手を突っ込み、中にあるものを適当に取り出した。その二つを見て、俺はあることを思い出す。
「これ、あいつに向かって投げてくれ」
俺はサクラに二つあるもののうちの一つを渡す。サクラは戸惑いながらも、意を決したようにゴリラと向き合う。
「外したら全部終わりだから絶対当てろよ」
「投げる直前にそんなプレシャーのかかること言うなっ!」
叫びながらも、サクラは手に持っていたそれをゴリラに向かって投げる。それなりに運動神経はいいようで、投げたそれは見事ゴリラに的中した。
サクラが投げたのは水の魔法具だ。イメージするなら水風船を思い浮かべるのが一番近いだろう。何かに当たれば破裂し中の水が飛び散る。この魔法具はそのシステムと、一つを除いて何も変わらない。
唯一異なる点、それは発生する水の量が水風船の比ではないということだ。
「オオオオオオオオ!」
突然水を浴びせられたことで、ゴリラは動揺したのか動きが止まる。一瞬であっても、動きが止まったのなら十分だ。それだけあれば俺の作戦は遂行される。あとはこれで倒せるかどうかだが、それはもうやってみなければ分からない。
「これが最後の、攻撃だ」
俺は魔法具を構える。
俺が持っているのは雷を起こす魔法具。
形はピストル状のもので、炎の魔法具と同じだ。発射口から射出されるのは電気を纏った弾だ。単体では大した威力は見込めない。せいぜい使えるとすれば麻痺効果くらいのものだろう。
だけど、今ゴリラは盛大に濡れている。
「アニメの世界では常識な話だが、雷の効かない相手にだって水で濡らせば雷が通るんだってさ。理由はよく分かんねえけどなッ!」
水は雷の威力を倍にする。
俺の射出した攻撃はゴリラに直撃し、その瞬間、強い光がこの場を包んだ。まるで目の前で雷でも落ちたのではないかと思えるくらいの光に俺は目を瞑る。
光が収まり、俺はゆっくりと目を開く。
「……スプリンクラーがあれば、もっと楽にいけたんだけどな」
目の前のゴリラは焼け焦げて気絶していた。
とはいえ、時間が経てば正気を取り戻し再び襲いかかってくるかもしれない。今のうちにここから逃げるのが得策だろう。
「なんでスプリンクラー?」
「それは、アニメを観れば分かるよ。黄色いでんきねずみの出てくるやつをな」
自分の中では結構格好いい感じのことを言ったつもりなので親指立てて彼女の方を振り返って言ってやった。
「……」
レスポンスがないなあ。
そりゃあそうかあ。
だって。
彼女は今。
裸、なんだから。
「ビンタ一発で勘弁してあげるわ」
そうだよね。
よくよく考えたら服を着る時間なんてなかったよね。テンション上がってそんなことをすっかり忘れていたよ。
「俺、結構な怪我人なんですけど。さっきの優しい感じアンコールしたいなあ」
「一応聞いてあげる。ビンタとグーパンチ、どっちがいい?」
大事な部分を隠しながら、彼女は笑顔で詰め寄ってくる。どうやら制裁を免れるという選択肢はないらしい。そういうことなら、腹を括るとしますか。
「グーパンチでおなしゃす!」
俺は同じ過ちは繰り返さない。ビンタと言えばグーパンチが飛んできた。つまりこう言えばビンタで済む。
「ならビンタを喰らえッ!」
俺は甘んじてビンタを受け入れた。
バチン! と気持ちのいい音が響いた次の瞬間、俺の頬はじんじんと腫れていた。一瞬の出来事ってほんと痛みとか感じないんだよ。
「ついでにグーパンチも喰らっとけッ!」
そうだ。どっちを選んでも結局両方やられるんだった。
「ゴボ、ハッ……」
息が止まる。
こう喰らい比べるとゴリラの攻撃に負けず劣らずな気がする。気のせいなんだろうけど。
「これで勘弁してあげるわ」
「……お前だって、俺の裸、見た、のに」
俺は小さな声で最後の抵抗をしてみせた。
すると、これがどうやら余計な一言だったようで、
「嫌なこと思い出させるなッ!」
おまけの一発を引き出してしまった。
顔を真っ赤にしたサクラが盛大な回し蹴りを俺の顔に向けて振るってきた。当然、俺にそれを避けるだけの余力は残っていなかった。
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