第16話
「……ん、ん?」
目を覚ましたとき、最初に起こった感情は幸せだった。
顔を覆う柔らかい何か。不思議といいにおいが包み込み、このままもう一度眠りにつきたいという願望が俺の脳を支配する。それに身を任せ、俺は再び目を瞑る。
いや。
あっぶねええええええええ。
ダメだダメだダメだ。
俺の目の前にあるのはサクラの胸で、彼女が抱き寄せるように俺にしがみついている。問題は魔法が解けて俺の体が元に戻っているということ。つまり彼女が起きれば俺は死刑を免れられない。
何とか脱出しなければ。
「んっ、あ」
もぞもぞと彼女の胸の中で脱出を試みるが、やはり厳しい。そんな妙に色っぽい声を出されるとこっちも動いているのが申し訳なく思えてくる。いや、しかしこのままでは俺は確実に殺される。ここは心を鬼にして脱出せねば。
なんとか脱出を試みる。
時折、彼女の体と俺の体が触れる。
「……ん、や、あっ」
その度に色っぽい声を出すのだから恐ろしい。
この声に惑わされてはダメだ。
自分の意志を貫け。このまま止まらずに前へ進むのだ。そうすればきっと道は開かれる。そして幸せな未来への道が見えてくる。そうだろう?
むにゅむにゅふにゅふにゅ。
柔らかい感触に俺の意志が捻じ曲げられそうになるが、それでも必死に足掻いてみせた。
「……ん?」
「……」
突然、腕のホールドが甘くなったことに違和感を覚えた俺は顔を上げる。すると目を覚ましたサクラとばっりち目が合った。寝ぼけているのか、彼女はまだぼーっとした顔をしている。
ギリギリセーフかな?
「なに、してんの?」
いや、アウトですね。
これはもう確実にアウト。
「あ、はは、いや、そのですね」
鉄拳制裁は避けられない。
問題はどちらの方が加減される余地があるか、だ。ここはもう正直に全てを洗いざらい吐くべきか、それとも何とか誤魔化すべきか。
前者の場合は嘘も何もないのでただ殴られて終わり、ただ後者だと誤魔化すための嘘が必要となる。何よりじゃあ何でベッドに潜り込んでんだって話だし、そこツッコまれると普通に詰む。
うん。
ここはもう正直に全てを話そう。
「全てをお話します。ことの始まりは――」
俺は全てを話した。
散歩の帰りにマーケットで変わり種の魔法具を売っている老婆がいたこと。ちょっとしたイタズラ心で変身しる魔法を使ったこと。そしたら想像以上に引くに引けない状況に陥っていったこと。魔法の効果が切れ今に至ること。
サクラは俺の話を黙ってふんふんと聞いてくれていた。
意外と冷静な彼女の対応に、もしかしたら助かるのではという淡い希望が俺の中に沸き起こる。
そうだよな、よくよく考えたら野良モンスターを勝手に家に入れて風呂に入れて一緒に寝たのはあっちだし、俺はちょっとイタズラしようと思っただけなのに、それをとんでもない事態に持っていったのは完全に彼女だ。そう考えると完全に俺だけが悪いとも言い切れないのではないだろうか。
話し終えた俺は恐る恐る彼女の様子を伺う。
「以上?」
すっげえ笑顔だった。
漫画とかで怒った人間が笑顔でうふふと笑っている描写を見たことがある。そんなことあるかよ怒ってるときは終始真顔だろうよと思っていたけど、ほんとにあるんだなこういうことって。
「は、はい。以上でございます」
あまりの迫力に俺は思わず敬語になってしまう。もう自然に敬語が口からこぼれ出た。
「ビンタかグーパンチどっちがいい?」
ノーダメージでは終われないらしい。まあ、いろいろ見ちゃったしな。それくらいなら受け入れるか。
「ちなみにグーパンチっていうのはどこに?」
「顔はさすがに可哀想だからお腹にしてあげる」
お腹も十分可哀想だと思ってほしいところだ。
めちゃくちゃ痛いのが予想できるのでできればグーパンチは避けたいところだな。
「じゃあ、ビンタで」
せめて少しでもダメージが少ない方を選んだ俺。
しかし。
「ならグーパンチを喰らえッ!」
下からえぐるように繰り出されたアッパーカットが俺の腹部に炸裂した。
「ゴ、ボエッ……」
息が止まる。
一瞬、何が起こったのかさえ理解できなかった。
ビンタが飛んでくると思った。だから俺の意識は完全にビンタに対しての防衛にいっていた。だから腹部に痛みを感じたときに通常以上のダメージが俺を襲ってきた。
でも、そうだよね。これくらいされても文句は言えないよね。
そう思ったときだ。
「ついでにビンタも喰らえッ!」
ついでに思いっきり頬にビンタも決められた。
バチン! と気持ちのいい音が部屋の中に響き渡り、俺はその場にしゃがみ込んだ。
「二度とそんなばかなこと考えんじゃないわよ」
俺は腹部を押さえながらその場にまるくなる。そんな俺にサクラはご立腹な様子で言ってきた。イタズラというのは冗談半分でするもんじゃないな。やるなら本気で、これだけの仕返しをされても仕方ないと思うくらいの覚悟を持ってしなければならない。
「い、いえっさー」
異世界生活において、確実にどうでもいいような教訓を自分の中に刻み込みながら、俺はゆっくりと瞳を閉じ、その場に倒れ込んだ。
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