第13話

「何なのよ、あいつ」


 文句を呟いても、何も返ってこない。


 ほんとうの意味で、この世界に来て一人になったのは初めてだった。そう自覚した瞬間、私の中の不安は一気に膨れ上がる。今この瞬間に、この前現れたモグラの化物みたいなやつが現れたらどうしようか。


 逃げ切れる、よね?


 でもこの前は腰を抜かして動けなかったし、今だって突然現れたら動けないかもしれない。そうなったらも終わりだ。私に戦う術はない。ハルトの言うことは最もだ。一応腰に剣は差してあるけど、これでモンスターを倒せるとは思えない。


 いや。


 そもそも。


 たとえ、この剣がすごいものだったとしても、それを使う私に力がない以上、その剣は木の枝と変わらない。結局、私は化物を倒せない。そうなると、襲われてしまうだけだ。


 だから弱い化物で戦い方を学んでおけ、とあいつは言ったんだ。ハルトの言うことは正しかった。何も間違っていなかった。でも、何でか私は反発してしまった。自分のしてきたことが否定されたような気がして、つい気が立ってしまった。


 突然こんな世界に飛ばされて、わけが分からないまま生活を強いられて、少しは慣れてきて楽しむ余裕もできた。

 でも、根底にある恐怖や不安は、微塵も拭えてなんていない。だから、少しでもそのマイナス的な気持ちを忘れたくて、私は買い物に没頭した。

 日本とは違うけれど、この世界にもおしゃれはあって、女の子は可愛くなろうと努力している。そんな人達を見て、おしゃれと向き合っている間だけはそういうことを忘れられた。


 私だって必死なのだ。


 だというのに、そんなこと気にもしないで厳しいことばかり言ってくる。

 あいつは一体何様なんだ。少しは褒めてくれてもいいのに。可愛いとか、そういうこと言ってくれてもいいのに。


 八つ当たりなんだろうな、きっと。


「はあ……」


 分かっている。


 あいつは何も悪くない。


 この世界に突然飛ばされたのはあいつも同じだ。私と何も変わらない。平然としていたけど不安じゃないはずがない。

 そりゃ、私に比べてこういう世界のことに対する知識はあったと思う。でも、それが正しいのかも分からないまま、それでも私がいたからあいつは気丈に振る舞っていたことだろう。


 もしも。


 この世界に飛ばされたのが私一人だったならば、きっとこんな生活は送れていない。

 わけの分からないまま時間だけが過ぎていって、次第にどうしようもなくなって手段も選ばずに生きることに必死になっていたに違いない。


 元の世界に帰る方法すら見つけられずに、夢も希望も全部失って絶望の中で息絶えていたに違いない。


 私はあいつに、感謝をすることはあっても文句を言う筋合いはない。


 頭では分かっているのに、でも感情が追いついてこない。


 大きな風が吹くと、高く生えた木々が揺れる。葉がさざめきを起こして私の恐怖を煽る。

 小さな物音でさえも敏感に反応してしまう。次第に私の足は止まり、小さく震えていた。


 ちらと後ろを確認する。


 もしかしたらこっそりとついてきているかもしれない。

 私が化物に襲われそうになったら助けてくれるかもしれない。そう思ったけれど、あいつの姿はなかった。薄情なやつだ、そう思ったけど間違っていることにすぐに気づく。


 あんなことを言ったんだ。


 普通追いかけてはこない。


 つい一週間ほど前まではただのクラスメイトでしかなくて、あいつに至ってはクラスメイトであることすら知らなかったくらいだ。話したこともなかったから、あいつがどんな奴かも知らなかった。


 思っていたよりもずっと優しい奴だった。


 この世界に来てから、ああだこうだと言いながら結局は私のためにいろいろとしてくれていた。だというのに、私は酷いことを言った。助けてもらえるはずがない。


 その時。


 カサカサ、と。


 茂みが揺れた。


 また風かと思ったけれど、よくよく考えると風は吹いていない。ドキドキするのは恐怖が大きくなっているからだ。大丈夫だと必死に自分に言い聞かせる。けれど、激しく動く心臓は一向に静まらない。


 どころか。


 まだ激しくなる。


「……」


 ごくり、と生唾を飲み込んだその瞬間。


 茂みから何かが飛び出てきた。私は咄嗟のことに反応できずに、思わずその場にしゃがみ込んだ。それが悪手だと気づいたのは、そのすぐ後のことだった。



     □



 あのサル野郎共め。

 見た目よりずっと強かったじゃないか。


 モンスターの撃退に予想以上の時間がかかったせいでサクラを見失ってしまった。この森にはあのサル以外にもいろんなモンスターがいるという話を聞く。当然、あいつの装備じゃ倒せるはずもない。最弱モンスターのスライムでさえ、今のあいつじゃ倒せない。


 つまり、今彼女はとても危険な状況にいるということだ。


 あいつのことだ、何だかんだ言いながら俺がついてきていると思っているかもしれない。だとするならば、ついてきていないことに気づけばそう遠くへは行かないはずだ。変に意地になっているところがあるだろうから、ここは俺から謝ってさっさと仲直りしてしまおう。


 大丈夫な振りをしているけれど、きっと心のどこかでは帰れないことを不安に思っているだろうし、この異世界という存在自体にどこか恐怖しているのだと思う。そんな精神状態の中で、口うるさく言われれば声を荒げてしまうことだってあるだろう。俺だって母さんに怒られると反抗したくなるときはあった。


 だから、ここはあいつの考えを尊重するべきだ。


 慣れない環境でメンタルも不安定になっているだろうからもっと考えてやるべきだった。


「……はぁ、はっ、は」


 走りながら、ふと思う。

 どうして俺はあいつのことをここまで考えているんだ?


 サクラと俺はあくまでもただのクラスメイト。いや、俺はあいつのことを知らなかったのでもはやクラスメイトというべきかも危ういくらいだ。


 そんな奴のために、どうしてこんなにも必死になっているんだろう。気なんか遣ってやる必要ないじゃないか。勝手にさせればいい。俺は俺だけが良ければそれでいい。

 友達なんか作っても結局離れていくだけだ。いつかいなくなるんなら、最初から一人でいればいい。そうすれば、寂しい思いはせずに済む。そう完結させたじゃないか。


 あんな奴放っておいて、一人で異世界ライフを愉しめばいい。そうして、満足した時にアイテムを使って帰ればいい。


 頭では分かっているのに、どうしてか放っておけない。


 その理由は、分からないままだ。


「サクラ!」


 名前を呼ぶ。

 今は理由なんてどうだっていい。


 とにかく、彼女を助けなければ。このまま見捨てて帰ってしまえば後悔する。モヤモヤしたままこの先の人生を送るなんてごめんだ。


 何度も。


 何度も。


 何度も。


 彼女の名前を呼んだ。遠くにいても届くように、喉が枯れようとそんなことはお構いなしに、モンスターに気づかれても関係なく、とにかく俺は叫び続けた。


 その時だ。

 どこか遠くから、微かに何かが聞こえたような気がした。


 確信はないけれど、今のはサクラの声だったのではないだろうか? その後も何度か名前を呼んでみる。微かに聞こえる返事を頼りに俺は彼女の姿を探した。次第に声は聞こえなくなった。


 その瞬間、俺の心臓を不安が支配した。

 きゅっと締め付けられるような感覚に、俺は苦しさを覚える。


「……」


 もしかしたら、モンスターに襲われたのかも。


 返事がないのは、もう返事ができる状態じゃないから? もし大怪我を負っていたらどうする? 

 この世界には魔法というものも存在するけど、ファンタジー作品の中にあるような都合のいいものじゃない。大怪我をすぐに治療できるようなものはない。


 もしあいつが致命傷を負わされていたら助ける手段はない。


 勘を頼りにひたすら走る。


 茂みを抜けたその場所に、彼女はいた。俺は息を切らしながら安否を確認する。名前を呼ぼうとしたが声が出なかった。声も出せないほどに呼吸を乱していたようだ。


「たす、け、ハルト」


 大きなヤシの実みたいな形をしたモンスターが幾つもの蔦のようなものを伸ばしている。それが触手のようにサクラの体に巻き付いていた。幸いだったのは、彼女が大きな傷を負っていないことだ。


 強いて彼女が受けているダメージがあるとすれば服が溶けていることくらいだ。


「待ってろよ、今助けてやる」


 あのモンスターは確か人間をエサとしている食人植物だったはず。ただ衣類が毒なので蔦から出す粘液で服を溶かして真っ裸にしてから頭の大きな口で食べるんだとか。まだサクラの服は少ししか溶かされていない。恐らく襲われて時間が経っていないんだ。


「ただ、あんまり見ないで!」


「それは無茶だろ!」


 俺はズボンに装備していた笛の形をしたアイテムを手にする。これはいわゆる魔法アイテムであり、魔法を使うことができるのだ。念願の魔法、まさかこんなところで披露することになろうとは。


 大きな口の方を相手に向けて構える。


 そして俺は小さな口の方から思いっきり息を吹き込んだ。つまりこれは完全に笛ということですね。何だかあんまり魔法を使っているという感じはしないけれど。


 効果としては平たく言うとめちゃくちゃ大きな音が出る、というだけ。ただその音はモンスターにとっては不快なものらしく、一時的に動きを止めたりすることができる。牽制魔法とでもいったところだろうか。難点があるとすれば、小型にしか効かないことだが、あいつの動きを止めるには十分だったらしい。


 音を聞いたモンスターはぴたりと動きを止めて苦しむように蔦を動かした。その隙にサクラはモンスターから離れる。ここで俺が剣を持って振り回せば倒せるのだろうが、何してくるかわからないし、ここはもう一つ、魔法でも使ってみるか。


「草と言えば、炎だよな」


 比較的安めのものだがピストルのような形をしたアイテム。様々な属性の魔法が使えるもので、値段も安めで初心者におすすめのアイテムらしい。という感じで勧められたので、買ってみたのだがどれほどのものか。


「射出! ファイヤ!」


 なんか格好いい魔法名とか考えておけばよかったけど、特にそういうのないってことはこの世界の魔法はそういう感じじゃないのだろう。なのに大声で叫ぶのも何か恥ずかしいよね。羞恥心って怖い。


 ともあれ。


 射出された炎の玉はモンスターに直撃し、大きなダメージを負わせる。


 どうやらこの世界にも相性というものはあるらしい。慌てて逃げようとしたところを剣でとどめを刺した。捕まると厄介だが、そこまで強いモンスターではなかったようだ。


 モンスターがいなくなると急に静かになる。どうしたものかと思ったが、ここは素直に謝っておくとしよう。


「その、さっきは悪かった。ちょっと言い過ぎたよ」


 微かに溶けた服のまま、地面に座り込んだサクラに俺は頭を下げた。


「ううん、私の方こそ、わがまま言ってた。ごめんなさい」


 顔を上げると、サクラも頭を下げていた。


「無理に戦えとは言わないよ。でもさ、さっきみたいなことだって起こりうるんだ。だから、ちょっとくらいは装備とか整えてもいいんじゃないかなって」


「そう、ね。毎回こんな危ない目に遭うのも嫌だし、さすがに私も考えるわ。帰ったら、付き合ってね」


「ああ」


 サクラはゆっくりと立ち上がる。


 その時、俺はふとサクラの足元にあったそれを見つける。あれは恐らく今回、俺達が探していたクイナダケだ。よく見ると、周りにも生えている。これだけあれば目標の数に余裕で到達する。


「おい、サクラ」


「うん。私も気づいた」


 いろいろあったけれど、何とか無事俺達はクエストを達成することができた。


 これで手に入れた素材は二つ。残すところはあと一つのみだ。全部揃えば、元の世界に帰ることができる。それまであと少し、頑張るとしよう。

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