第10話
この世界に来て、俺と彼女の間で最も大きく変わったことがあるとするならば、それは間違いなく関係性だろう。それも、これに関してはお互いで示し合わせたことだが呼び方を変えることにした。
というのも、これまで『カンバヤシ』と『オオコウチ』という名前で呼び合っていたが、その感じの名前はこの世界に適していないようで、周りに違和感を覚えられることがあった。
変に怪しまれるのもごめんなので、お互いに『サクラ』と『ハルト』で呼ぼうということになった。
そう提案したのは俺なのだが、これまで女子を名前で呼ぶことなんてなかったので相当照れた。
そんな俺とは裏腹に、彼女は微塵も照れる様子を見せずに呼んできたものだから少し悔しかったのはここだけの秘密だ。さすがはクラスカースト上位の存在。男子のことを名前で呼ぶことなど日常茶飯事なのだろう。
なんてことがあった一週間。突然この世界に飛ばされてドタバタと苦労を強いられ、何とか切り抜けてきて、俺達の生活はようやく少しばかり安定してきた。
あれだけ異世界に対して批判を叫んでいたサクラだったが、ギャルは順応性が高いのか最近はツッコミが減ってきている。慣れというのは恐ろしいものだ。
元の世界へ戻るために必要なアイテムを手に入れるために素材を集めているわけだが、一つ目のクエストの際に遭遇した巨大なモグラが相当怖かったのか危険なクエストに向かうことを強く拒んだサクラに従い、現在は街の中で完結する安全なクエストでお金を貯めつつ、素材アイテムの入手方法の情報を探している真っ只中だ。
「あ、この服可愛い」
そんなサクラと街の中を歩く。
最初は制服、その後はみすぼらしい半袖半パン、そんな俺達もようやくこの世界の服装に馴染んだ。いつまでもダサい格好というのも変に怪しまれるからな。お金が揃ったところで俺も多少マシな服を買い直した。
といっても、七分丈のズボンに長袖シャツ、その上からポンチョのようなマントを羽織るだけだ。冒険者にとっておしゃれなど必要なし。大事なのは動きやすさであるのだからして。
「ちょっと見ていい?」
「好きにすれば」
俺達のいた世界とこの世界とでは服装の趣向も異なる。おしゃれ一つ考えてもそのベクトルの向きは違う方向を向いている。
だというのに、異世界というものに全く触れていなかったサクラだったが服に関しては最も素早く順応した。そこはリアルJKとして、いつまでもダサい格好では我慢がならなかったのだろう。
とある服屋に入っていったサクラを見送り、俺は暫し店の外でぼーっと彼女を待つ。
恋人の買い物に付き合う彼氏ってこういう気分なのかな。今まで彼女とかいたことないから分からないけど、そうなのかもしれない。
あいつらは慣れっこかもしれないけど、俺はこういう経験ないから買い物の長さの基準が分からない。
長すぎないか? 人待たせてるのにそんな悠長に服選びます? そんなことを思いながら店の中を覗く。いねえ。
店の中に入って探したいけどここレディースの店っぽいんだよなあ。中にいるのもほぼ女性だし。
となると男である俺が一人で入ったときには悲鳴に次いで罵詈雑言果てはあれやこれやと投げられる未来が目に浮かぶ。どの世界でもそういうところはきっと変わらないだろうし。
こんなことならスタートからついて行っていればよかった。でもそうするとサクラが「は? なんでついてくんの? わけわかんないんだけど」とか真顔で言ってくるに違いない。何だよそれもう詰んでるじゃん。
ともすれば、結局こうして俺は果てしなく続くかもしれないこの待ち時間の中を過ごすしかないのだ。
我慢強さを持て、俺。この経験は必ず今後生きてくる。具体的に言うと、元の世界に戻った後に女子と接するときだ。
これまで会話すらロクにしてこなかった俺だけれど、生まれ変わった俺ならそれが可能。彼女とかできたらこの待ち時間を耐えた経験が役に立つ。
待て。
ハチ公のように。
ただひたすらに。
時の流れに身を任せるんだ。
「……」
そして、一時間が経過した。
「おまたせ」
「まじで待ったわッ! え、ちょっと待って遅すぎない? 連れがいるのに一時間しっかり買い物することある? ちょっと見ていいって言ってたから五分一〇分くらいかな、まあかかっても一五分とかだろと思って送り出したのにまさかこんなに長時間待たされるとは思ってなかったよ!」
悪びれる様子もなく、笑顔で帰ってくるものだから詰まっていたものが全て吐き出てしまった。全て聞き終えたサクラはぽかんとした表情を浮かべていたが、俺が言い終えたことを確認した後にゆっくりとその表情を変える。片目を閉じてぱちりとウインクを決め、にこりと笑った口元からぺろっと舌を出す。
そして一言。
「ごめん」
てへぺろりんと軽い調子でそんなことを言う。
「許せるかッ!」
「いや、普通の女子はもっと長いから。私はこれでも時間巻いたほうだから。ていうか、ほら、どうよ私の新衣装。オタク的にドハマリでしょ?」
くるりと回ってサクラは俺に新衣装をお披露目する。
赤を基調とした服でワンピースタイプだがスカート丈は太もも辺り、腰回りにはベルトのような装飾があり肩は出ているが袖は長袖。その上からポンチョのような布を羽織っている。
「ほら、これとかおそろだよ?」
ポンチョを触りながら俺の様子を伺ってくる。
「悪くないけれども! しれっとそういうことしてくる感じ悪くないけれども! 今はそうじゃない。このタイミングじゃなければもっと喜んでたよ!」
「ほら、あんたの大好きなミニスカート」
ひらひらとスカートを揺らす。いつ俺がミニスカート好きってことになったんだよ。いや好きだけれども。勝手にそう思い込まれても困るよ。性癖言いふらされたらたまったもんじゃない。
「いいよ別に。そもそも何でミニスカートなんか穿くんだよ」
「いや、女子高生がミニスカ穿かなくてどうすんのさ? このきれいな生足、見せなきゃ損っしょ」
「見たら怒るじゃねえか! お前ら女子はいつもそうだ。見られたくないなら露出しなきゃいいのに一丁前に肌だけは出したがる。そのくせ見たら蔑むような視線向けてくるじゃねえか! そりゃ見るって! 目の前にきれいな足のミニスカート女子が現れたら見るよ。見たくなくても本能が眼球動かすんだよ!」
「ちょ、そんな荒ぶらないでよ。別にそんな怒んないって。何ならほら、見てもいいから。私そういうの全然気にしないタイプだから」
俺のことを心配するように、まあまあとでも言いたげにサクラがなだめてくる。これだと完全に俺が悪い感じの絵面になってる。
「話が逸れたから戻すけど、お前は俺を待たせすぎた。お前ら女子は待たせることはあっても待つことはないから待たされる奴の気持ちが理解できないんだ」
「……はあ」
つまんなさそうに俺の言葉を聞くサクラ。
「俺もこれから一時間買い物をする。その店でする。だから、お前は店の前で一時間しっかり待ってろ。どれだけ辛いかを理解したらこれからそんなことしなくなる。これからの為にも、一度経験しておくべきだ」
通りにあった武器屋を指差しながら俺が言うと、サクラは呆れたような表情を浮かべながら「はあ」と無愛想に呟いた。
ということで、俺は彼女を店の前に残し武器屋に入る。武器なんてもんは何個あってもいいですからね、お金もちょっと余裕はあるし、これを機に少し買い足すか。剣はもちろんだが、魔法の使えるアイテムとかも揃えておいてもいいかもしれない。どこかで使うタイミングもあるだろう。
というより、俺が使いたい。魔法というものを。
それなりに楽しんだ後、少しサクラの様子でも見ておくかと一度店の外を見てみる。すると、そこにいるはずの彼女の姿が見えなかった。おかしいと思い俺は店を出た。やはりいない。
サクラがいた場所に残されていたのは一枚の紙切れ。俺はそれを手に取り目を通す。
『飽きたから帰るね。今夜は手料理を振る舞うので機嫌直してください』
と書かれていた。
何だかよく分からない感情が込み上げてきて処理できなかった俺はどうしようもなく、その場で大きく息を吸った。そして、力の限り、天に向かって声を上げる。
「自由かッ!」
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