第5話

「はあ? もっかい言ってみろ!」


 とある部屋の中に、俺の声が響く。


「だから、あんたはソファか床で寝てって言ってるの」


 ここは宿屋。


 部屋の中にはテーブルとイス、ソファ、あとはベッドが一つ。二人で寝るには小さい。シングルの部屋なのでもちろんこのベッドだって一人用だ。


 ギルドに登録し、初仕事としてスライム討伐に向かった俺達だったがスライムに物理攻撃が効かないという想定外の展開にクエストを断念した。その後、地道に街の中のお手伝いを行い、こつこつと報酬を貰い、何とか宿泊するだけのお金を手に入れた。


 しかし。


 二部屋借りるにはお金が足りず、二人用の部屋にも所持金が届かなかった結果、シングルの部屋を一つ借りることにした。


 すると、部屋に入るや否や、神林がワケの分からないことをほざき出したのだ。


「そんな理不尽な提案通るわけ無いだろ! 俺だってベッドで寝たいんだよ!」


「嫌よ! 彼氏でもない男と同じ布団で寝るなんて! 妊娠させられる!」


「させるか! 俺に襲ってほしかったらもうちょっと胸を大きくしてから言いなさい!」


「セクハラだ! 今の発言は完全にセクハラだった!」


 俺はこれでも年上好きとして知られているのだ。どうにも後輩キャラとかは好きになれない。包容力のある大人の色気に満ちたお姉さんキャラが好きだということは友達の中では周知の事実なのだ。


「それはすまん。ちょっとカッとなった」


「悪いと思ってるなら床で寝て」


「それとこれとは別問題だ。いったん冷静になろう。感情的に言い合ったって空気が悪くなるだけで解決はしない」


「……そうね」


 納得していないような顔をしているが、とりあえず言い合うという展開だけは終わらせることができた。


 神林の言いたいことは分からないでもない。


 そもそも俺達は友達ではなく、知り合いと呼ぶのもどうかと思うくらいに接点のない関係だったのだ。なぜか、たまたま一緒にこの世界に飛ばされたから一緒にいるだけ。


 仲がいいわけでもない男と、同じベッドで寝るのはそりゃ嫌だろう。俺にだって性欲はあるが理性だってある。さすがに襲いかかったりはしない。しかし、俺のことを知りもしない神林からすれば心配なのも頷ける。


 でも。


 俺だってベッドで寝たい。


「俺はベッドで寝たい。でもお前は俺と一緒に寝たくない。そうだな?」


「うん」


 俺達が行うべきは話し合いだ。


 お互いの意見がぶつかった時、するべきことはぶつかる意見の妥協点を見つけることだ。どちらの意見も通ることはない。ならば、せめてこれだけはという条件を通し、納得の行くところに着地する。


「ならこうしよう。俺はベッドで寝る。お前はソファか床で寝る。これで二人の条件は満たされる。どうだ?」


「どうだ? じゃないわよ! いいわけあるかっ!」


 やっぱりダメか。

 それっぽいことを言ってみたが、流れで承諾するほど相手も馬鹿ではなかったらしい。


「ならもう無理だ。二人でベッドで寝るしかない」


「なんでそうなるのよ!」


「だって二人ともベッドで寝たいって言ってるんだぞ? 金銭的な問題により他に解決策はないんだからそうするしかないだろ。俺だって本当なら一人で伸び伸び寝たいんだ。お互いに我慢しよう」


「……うう、でもぉ。あんた、どさくさに紛れて触るでしょ?」


 やはりそんなことを心配していたのか。


「触らん。これでも俺は歴とした童貞だ。許可もなく女の子の体に触れるような度胸は残念ながら持ち合わせていない」


「ほんと?」


「ああ。でももしかしたら寝返りとかしたときに当たる可能性はあるかもしれない」


「それ触るやつのセリフ!」


 ともあれ。

 今日のところは二人でベッドを分け合うという形で落ち着いた。この悔しさをバネにして明日は部屋が二つ取れるように頑張ってもらいたいものだ。



     □



 すう、すう、と寝息が聞こえる。

 隣を見やればこちらに背中を向けた神林の後ろ姿が見える。


 俺はごくりと生唾を飲み込んだ。


 昨日と違って今日はちゃんとお風呂にも入ってるから、この距離だと普通にいいにおいが漂ってくる。

 健全な思春期男子からすればこんなの、空腹時にカレーのにおいを嗅がされるようなものだ。


「むう」


 俺はごろんと寝返りを打つ。

 もちろん万が一に備えて目は瞑ったまま。


 その際に、手を彼女の背中辺りに当てる。

 というか触れる。


 背中って硬いはずなんだけどなあ。

 

 もう一度、ちょんとつつく。


 もちろん、目は瞑ったまま。


「……」


 これが女子の体かあ。

 こりゃたまらんなあ。


 けどあまり調子に乗るとバレたときが怖い。

 でもこのままここで終わりなんて、空腹時にカレーを目の前に出されているにも関わらずカレールウを一舐めしただけで止めるようなもの。


 いやいや。

 そりゃあないでしょ。


 というわけで俺は背中を触れていた手をゆっくり下に持っていく。

 目指すは彼女のおしりである。


 ゆっくり。

 ゆっくり。


 相手に気づかれないように慎重に行動する。


 そして、目的地へと到達した俺の手は意を決して彼女のおしりに触れる。


 手の甲で様子を伺い、大丈夫だと確信した俺はくるりと手を回して手のひらでおしりを触る。


「はい、アウト」


 その瞬間だった。

 犯行中の俺の手をガシッと握り、寝ていたはずの神林がこちらを向く。それはまるで痴漢撃退の現場そのものだ。よくよく考えると、まるでというか痴漢そのものだった。


 彼女は寝ていたはずだ。いつのまに起きて?


「あ、いや、これは寝返りの際にたまたま当たって」


「嘘つけ!」


 ビンタされた。

 あと、ペナルティとしてソファで寝かされた。


 けど俺が悪いので何も言えなかった。


 いらんことしなけりゃよかった。



     □

 


 俺達の目的はこの世界から元の世界に戻ることだ。


 思い返すと、元の世界にそこまで未練はないような気もするのでこの世界を精一杯楽しむというのも悪くないと個人的には思うのだが、神林はそれを許してはくれまい。

 まあ、俺も家族や友達ともう会えないというのは寂しいし、帰るという目的自体は持っておいてもいいだろう。

 目的を掲げたとして、すぐに帰れるとは限らない。そもそも帰る手段があるのか本当にあるのかも分からない。


「どこに向かってるの?」


 宿で十分に英気を養った俺達は街の中を歩いていた。


 昨日の情報収集のときに分かったことがもう一つある。元の世界に帰る方法が分かれば苦労はないが、さすがにそこまで上手くもいかない。

 ただ、元の世界に帰る方法を知っているかもしれない人の情報を教えてもらったのだ。


「この街には、どんなことでも知っているといわれている占い師がいるらしい」


「なにそれ」


 眉をへの字に曲げて神林が首を傾げる。まんまの意味なんだけどなあ。


 聞き込みの際、誰彼構わず「異世界に行く方法を知ってますか?」と聞けば怪しまれること間違いなしだ。だから、質問に答えてくれた人の中でも優しそうな人に絞って、それとなく聞いてみた。


 もちろん返ってくる答えは「知らない」だったが、その中で、その占い師の名前が何度か上がったのだ。街の中の人にそれだけ周知されているのならば、実力は確かなのだろう。もしかしたら、というくらいの気持ちでも訪ねてみる価値はある。


「そのままだよ。占い師って言葉を気にするな。つまりは何でも知ってるおばちゃんだ」


「……なにそれ」


 やはり返ってくるリアクションは変わらなかったが、まあいいだろう。行けば分かることだし。何となくは察しているだろう。


 街の中の建物と建物の間の隙間に店を細々と構える占い師のような格好をした人がいた。店とは言ったが、台の上に水晶玉を置いただけだ。奥は暗くてよく見えないが、何かは置いてある。


「あの」


 俺が話しかけると、その占い師はゆっくりと顔をこちらに向ける。


「なんじゃ?」


 細く、高い声。

 イメージ的には魔女だ。ひっひっひ、と笑い出しそうな感じ。よく見ると顔を覆っているフードの中から僅かに鼻が伸びている。鼻が高いんだ。これも魔女だ。


「あなたが何でも知っている占い師さんですか?」


「まあ、少し語弊もあるがその人物は儂のことじゃろうな」


 語弊? と、少し気になったが、尋ねるのは止めておこう。さっさと要件を済ましたい。


「一つ、知りたいことがありまして」


「仕事の依頼ならば一回一万イェンじゃ」


「一万!?」


 た、高い。


 俺の知っている占いといえば一五分三千円みたいな感じだったので、まさか万という単位が出てくるとは思わなかった。しかし、何でも知っているのであれば何にでも答えられる。ともすれば、それくらいの値段を払う価値はあるのかもしれない。


「お金を用意すれば何でも見てやるわい。出直してきな」


 返す言葉もなく、俺は店の前から退散した。

 少し離れたところで暇そうに足をぷらぷらさせていた神林と合流する。


「どうだったの?」


「一万いるって言われた」


「たかっ。ボッタクリなんじゃないの?」


 疑いたい気持ちも分かるが、それならもっと悪評が広がっているはずだ。つまり、あの魔女の力は本物だ。問題は元の世界に帰る方法があるかどうかだが。


「いや、そうは思えない。多分だけど、あの人に聞くのが元の世界に戻る一番の近道になるはずだ」


「……その辺は私には分からないから、信じるけどさあ。でも、一万円集めるって結構しんどくない?」


 そう。問題はそこなのだ。


 一万という金額を集めるだけならそう難しくはない。しかし、そこに宿泊費や食費などが入ってくると一朝一夕では集まらない。地道にこつこつ集めていると、何日かかるか分からない。


 時間がかかるということは、それだけ元の世界に戻るのが遅れるということだ。仮に元の世界に戻れたとして、時間の関係が分からないのであっちの世界では何年も経っていた、という浦島太郎のような展開だってあり得る。


 帰る、という目的を達成するならば少しでも早い方がいい。


「まあな。ちょっと考えるから、昼まで別行動にしよう。昼になったら昨日のバーガー屋に集合な」


「え、ちょ、急にそんなこと言われても」


「昨日の金、ちょっとは余ってるだろ。そのところどころ千切れてる服なんとかしたらどうだ?」


「え、いいの?」


「ああ」


 どうやら俺に遠慮していたようだ。


 昨日のスライムは服を溶かすというエロ漫画的特殊能力は持っていなかったが、ダメージはないまでも服を千切るくらいのことはしてきたようだ。なので、神林の服がホームレスのような悲惨な状態になっていた。


 てっきり制服でも着るのかと思ったが、汚れるのが嫌なのだろうか。


「じゃあ、行ってくるね」


 わーい、と上機嫌に駆け足で消えていく神林を見送ってから、俺はある場所に向かう。一万を手に入れるための計画を実行するに至って、一つだけ確認しておきたいことがあるのだ。

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