第2話

 この世で最も大切なものは何か。


 この質問で相手の人となりは分かる。


 俺はとりあえず、目の前にいる神林にこの質問を投げかけてみた。すると彼女は考える素振りも見せずに答える。


「愛?」


 こてん、と首を傾げながら言う神林に俺は両手で大きくバツを作って見せる。


「違う」


 しかし、神林の言いたいことも分かる。愛とか努力とか友情とか、そういう感情論を上げる奴はただのメルヘン野郎だ。大事じゃないとは言わないが、一番ではない。本来、綺麗事を抜きにすればこの質問の答えは全員が一致するはずなのだ。


 つまり何かというと。


「金だ」


「うっわ、夢のない男」


 何故か引かれてしまった。


 え、俺何か間違ったこと言った?


「金がなければ何もできないんだぞ? 飯だって食えない、遊びにも行けない、お前のそのおめかしは金がなければできないってことを忘れるんじゃない」


「確かに、そうだけど」


 もごもごと口の中で言葉を転がす神林。


「それに何より、金がないと俺達はこの世界で生きていけない」


 飯も食えなければ、宿にだって泊まれない。

 今日一日くらいならば我慢すれば何とかなるが、それが続けば餓死は避けられない。


「……っ」


 俺の言葉に神林はハッとした顔をする。


 ようやく理解したようだ。


「なら、早くお金を集めないと」


「お前、今までどうやってお金貰ってたんだよ?」


「お小遣い」


「他には?」


「パパ活」


「……え、ほんとに?」


 この子、パパ活とかしちゃってたの?

 あれって少しばかりえっちぃ活動だったりするんじゃないんですか? 女子高生がそういうことやっていいのかしらん?


「冗談よ。普通にアルバイト」


「んだよ、冗談かよ」


 ケッと俺が吐き捨てると、神林は唇を尖らせる。

 神林のパパ活話が冗談だということにはショックだけれど、冗談を発することができるくらいには落ち着きを取り戻したということだろう。そういうことだと、ポジティブに捉えておこう。


「まあ、つまりそういうことだ。この世界でだって働かなければお金は手に入らないだろう。しかし、働こうにも情報がなさすぎる」


「なら、情報を……」


「情報を集めるには、時間が遅すぎる」


 夜だった。

 気づけば日は落ち、辺りは暗くなっていた。さっきまで賑わっていた通りも店じまいをして閑散としている。その代わりに屋内タイプの酒屋とかは非常に賑わっている。


 この世界にも朝昼晩という概念はあるようだが、一日の時間の流れが同じとは限らない。さっきまではそこそこ明るかったというのに急に暗くなった。冬とかこんな感じだから一概にどうこうは言えない。


 もしかしたら俺達がこの世界に来た時間が夕方だったのかもしれないし。


「じゃあ、お店の中に入って誰かに聞けば?」


「金がねえ。金がない人間を店側は客として認めないし、客じゃない野郎を店の中に入れる道理はない。つまり俺達は入店させてもらえない」


「じゃあ、どうすれば」


 むうっと神林は難しい顔をする。


 答えなんて分かりきっているというのに。


 金がねえ。


 仕事もねえ。


 周りに知ってる人もいねえ。


「野宿だよ」


「イヤよ!」


「言うと思った」


 どこにでもいる普通の女子高生が野宿を良しとするはずがない。

 今日の朝はいつものようにベッドで目を覚まし、何も変わらない日常を送り、明日もこんな一日を過ごすのだろうと思っていた矢先に異世界に飛ばされた。

 今日の夜も変わらずベッドで寝るつもりだった女の子が野宿を受け入れれるとは思えない。こんな言い方をすると勘違いされるが、別に俺だって野宿を良しとしているわけではない。


「……まあ、そう言うと思って一応考えております」


「何か案あるの?」


「まあな」


 なら早く言いなさいよ、と神林が催促の意味を込めた眼差しを向けてくる。


「俺はどう足掻いても無理だろうけど、お前一人ならどうにかできないこともない」


「そんな方法があるんならさっさと言いなさいよ! あんたは野宿でもしていればいいわ! とにかく私は野宿なんてごめんだから!」


 酷い言いようだが、まあいいだろう。


 クラスメイトとはいえ、お互いのことを全然知らなかった俺達が、互いのことを気遣うというのもおかしな話だ。自分さえ良ければそれでいい。そう思うことは人間として至極当たり前のこと。


「俺達はこの世界の文字は読めない」


「そうね」


 ローマ字っぽいけどローマ字ではない何だか分からない文字はどれだけ眺めても一文字足りとも意味を理解することはできなかった。


「でも何故か、人の言葉は分かる」


「そうね」


 確かに、とでも言わんばかりに声色を変える神林。


 まさか全然気にしてなかったとは。


 不思議な話だが、何故かこの世界の住人の会話は理解できた。思い切って話しかけてみたら言葉も通じた。異世界転移あるあるだが、何故か言葉が通じる。まあ、通じないと話進まないしな。完全なご都合主義ってやつだ。


 あの現象は転生なり転移の際に神様とかがそういう力をくれるというのがだいたいのパターンだが、俺達はそういう機会を貰っていない。にも関わらず、その力が備わっているのは不思議なことだ。おこぼれでも貰ったか、また別の理由か。検討もつかない。検討もつかないことを考えていてもキリはない。


「もったいぶらないで教えてよ」


「パパ活だ」


「え?」


 俺の言葉が理解できなかったのか、神林は聞き返してくる。なので、俺はもう一度、今度はゆっくりはっきりと口にしてやる。


「パパ活だ」


「……え?」


 それでもやっぱり、神林のリアクションは変わらなかった。



     □



「もおー、最悪!」


 神林はぼやく。

 もはやぼやくのレベルをとうに超える声のボリュームでぼやく。あれはもう叫ぶと言った方がいいかもしれない。


「……言っとくけど、俺は別に強制してないからな」


 結局。

 神林は野宿することを甘んじて受け入れた。いや、多分受け入れてはいないが、ともあれパパ活をすることは拒んだ。


「あんたは、得体の知れないおっさん相手に、か弱い女子高生にパパ活しろって言うの?」


「いや、だから強制はしてないって。野宿が嫌ならどこぞのおじさんに頼み込んで家に入れてもらえばいいんじゃないのって提案しただけ」


「そんなことしたら確実にヤラれるわよ!」


「なにを?」


「襲われれる! こんなに可愛い女の子が隣で寝てるのに手を出さない男なんていないわ!」


 自分で言うか。

 まあ、確かに容姿だけで判断するならば可愛いとは思うけど。

 教室でも彼女のことをちらちらと見る男子は多かっただろう。その中に、スカートから伸びる健康的な太ももに性的な視線を向けるエロ野郎はどれほどいたことか。


 俺はおっぱいの大きい清楚系黒髪ロングな女子が好みなので興味なかったが。


「言っとくけど寝てる私を襲ったりしないでよ! 私、初めてが野外なんて絶対に嫌だから! イケメンの彼氏と家でラブラブするって決めてるんだから!」


「え、ギャルなのに処女なの?」


「しょ……うるさいっ! ていうか別にギャルじゃないしっ。なにさその顔! めちゃくちゃムカつくんですけど」


 どういう顔をしているんだ、俺は。


「いや、なに、カースト的距離感を感じてたけど、大して変わらないんだなって」


「あんたみたいなオタク陰キャよりはよっぽどマシよ!」


「いやいや、でも処女だろ。俺と一緒じゃん」


「一緒にすんな! あと処女って言うな!」


 さすがにボルテージが上がってきたのでこの辺でやめておくことにする。

 あとこのままいくと話が逸れ過ぎて何の話をしていたのか分からなく。今でさえ少し考えないと思い出せなかった。


 ということで話を戻すと、神林もむすっとしながらも受け入れてくれた。


「とにかくこの案を実行しないなら、野宿するしかない。幸い、この世界にもダンボールがあった。正確にはダンボールに限りなく似た何かだけど。性質はほぼ一緒だから問題ないだろ」


 ゴミ捨て場らしき場所にあったダンボールのような何か。見た目も触った感じもだいたいダンボールだから多分これはダンボールだろう。


「ダンボールがあるから何なのよ」


「お前、ホームレスが何で決まってダンボール持ってるか知らないのか?」


 俺が言うと、神林は少し考える。記憶の中のホームレスさんの姿でも思い返しているのだろう。


「確かに持ってるけど。知らないわよ」


 少し待つとそんな返事をする神林は何故かムスッとしている。


「理由はよくわからないけど、ダンボールってのは保温性が高いんだよ。寝ると体温下がるだろ? 地面に寝転がると体温持ってかれるし。でもダンボールにくるまってるとそれがマシになるんだよ」


「へえー」


 俺の言ったことに、神林は感心の声を漏らす。

 彼女がこの話に感心したことは漏れた声の感じで分かる。彼女と知り合ってまだ一日も経っていないけれど、何となく人となりは掴めてきた気がする。


「とにかく、今日はもう寝よう。起きててもお腹空くだけだし。もしかしたら、寝て起きたら元の世界に戻ってるかもしれないしな。全部夢でした、みたいな」


「あ、それ最高かも」


 極力風に当たらないよう路地裏の奥の方までやって来た俺達はダンボールに包まって眠りについた。俺もそうだが何より神林も、こんな状況でもすとんと意識が落ちたところ、ワケの分からない状況に相当疲れていたのだろう。


 眠りにつく直前、ふと俺の脳裏に蘇ったのは今朝の星占いだ。

 確か、双子座は最下位だったなあ。



     □



 翌朝。

 目を覚ました俺の視界に最初に入ってきたのは青空だった。


「……」


 昨日のあれこれが全て夢だったならば、あるいは何らかの手違いだと神様が気づいて元の世界に戻してくれていたならば、最初に見えるのは俺の部屋の天井のはず。でも、見えたのはこれでもかというくらいの快晴の空。


 どうやら、異世界転移は夢でも何でもなかったらしい。


「……はあ」


 隣でもぞもぞと動いた神林が小さな溜息を漏らした。

 言いたいことは分かる。気持ちも十分に理解できる。でも、目の前の現実が全てなのだ。受け入れるしかない。


 問題は山積みだ。

 どうすれば元の世界に戻れるのか。


 最終的なゴールはそこにあるが、まず最初に考えなければならないことは他にある。いろんな問題を差し置いて、とりあえず解決したい問題。


 ぎゅるるる、と腹が鳴った。


「腹、減ったな」


 隣からも、同じ音が聞こえた。

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