第54話、ドブゾドンゾの歴史の続き

 

 ええ、と、ま、結局、スブレレ平原は独立しようとして、戦争になって、それで、最終的にはドバエン王国が国を統一してしまうんですね。貿易の自由化と大農家の優遇制度のおかげで、王族や貿易商の力が増大し、王の権威と軍が充実しました。大規模農家ではない小規模農家や小作人の生活は厳しかったようですが、飢えるほどではなく、人口は徐々に増えていきました。この頃になると、戸籍制度や地区ごとの人口調査などがおこなわれ、歴史的にひじょうによい資料がそろってきます。ありがたい話です。

 六代目のドバエン王がハ・クレレン会に入信し、ドバエン王国の国教にしました。それに他の宗教家や学者が反対の声を上げましたが、六代目ドバエン王は強引に事を進めました。ドバエン王はハ・クレレン会の指導者や信者を優遇し、自らの側近に登用しました。

 各地区にハ・クレレン会の宗教的施設、石積みの家が建てられ、ハ・クレレン会の前身テクレレン会の教祖が亡くなった山城を聖地とあがめ、亡くなった教祖の名前を取りペント・カルと名付けました。元々各部族に伝わっていた伝統宗教があったため、ハ・クレレン会の進出は反感を買いました。

 六代目のドバエン王が亡くなり、七代目のドバエン王はさほどの宗教心はなく、ハ・クレレン会に一応の帰依はしたものの、国事や政策に何かと口を出してくるハ・クレレン会を苦々しく思っていた節があります。とはいえ、国教に指定し、教義が国に広がっていたため、切り捨てることもできませんでした。

 その頃、金の余った貿易商による土地の買い占めと農場の買収が盛んに行なわれ、農地から船へ、穀物の直接輸出が可能になり、しだいに国内に穀物が回らなくなっていきました。

 七代目が隠居し、八代目のドバエン王はハ・クレレン会への帰依を拒否し、国教の廃止を行ないました。七代目の元国王の支持もあり、一部重臣の反発を招きましたが、おおむね受け入れられ、その後ドバエン王は伝統部族儀式の復興を奨励しました。

 船の建築や輸出のため、山や森の木が大量に切られた所為で、頻繁に土砂崩れと洪水が起きました。当時一番高かったと言われるデバン山などは、三分の一ほど小さくなったと言われています。災害により不作となった穀物を一部貿易商が買い占め、価格の高騰を招き、それを怒った農民が貿易船を襲いました。国は警察を出動させ押さえ込もうとしまたが、長年鬱積した農民の恨みは容易には消えず、ハ・クレレン会の信者が多数参加していたため、農民一揆は広がりました。

 王は軍を出動させ一揆の鎮圧をはかりました。それを受けハ・クレレン会の信者と農民は聖地ペント・カルに立てこもりました。さらなる反発や混乱を恐れた王は、ハ・クレレン会には、国教の復帰や石積みの家の再建築などの和解案を出し、王室の穀物庫の解放と貿易商の穀物買い占めの制限を約束し、三ヶ月後和解をしました。宗教一揆の勝利です。

 ところが、貿易商が穀物買い占めの制限に反対し、王の重臣もそれに乗り、穀物買い占めの制限の約束はやぶられました。それに怒った農民は、デモ行進を行ないましたが、ハ・クレレン会はそれに参加しなかったため、軍の介入によりすぐ解散しました。

 失墜した王の権威を尻目に、ハ・クレレン会は国教の復帰ともに他の伝統部族宗教の弾圧に乗り出し、国費を使った石積みの家建設、学校の建設、各都市の支部を作りました。それらの建設には民が無償で使われ民はさらに疲弊しました。

 ハ・クレレン会の台頭に脅威を感じた王は、ハ・クレレン会排除に動こうと、各部族に内密に連絡を取りましたが、部族長の中にハ・クレレン会の信者がいたため、そのことがばれ、ハ・クレレン会は先の宗教一揆の責任を問う声を自分たちの息のかかった家臣に言わせ、王を隠居に追い込み、王族の中からハ・クレレン会を厚く信仰している者を王に選びました。

 九代目の宗教王の力をバックに、ハ・クレレン会は力をつけました。ハ・クレレン会に帰依している者が優遇され、代々地位を守ってきた家や部族が没落していきました。

 貿易では、綿や茶などといった加工品を輸出するようになり、逆に穀物などを一部輸入に頼るようになっていきました。

 十代目もまたハ・クレレン会に帰依し、ハ・クレレン会はハ・クレレン系の学校を多数作りました。聖地ペント・カルも整備され、そこに至る道も多数造られました。首都をドバエンからペント・カルに変えようとする動きもありましたが、さすがに重臣に拒まれ頓挫しました。

 十代目ドバエン王の治世に、岩すら割れると言われる日照りが続き、大飢饉が起きました。食料を輸入に頼るしかなく、悪質な業者も多かっため、物の値段が高騰しました。貴金属の流出もすすみ、金貨鋳造が難しくなり、紙幣制度へと移行していくきっかけになりました。

 非難は権力を握っていたハ・クレレン会に集中しました。ハ・クレレン会は国庫に備蓄してあった穀物を、ハ・クレレン系の施設を中心に国民に配布しようとしましたが、それが裏目に出ました。ハ・クレレン会が穀物の買いだめをし、施設に集めていると噂になり、ハ・クレレン会施設への焼き討ちが起こりました。国は軍を使い、住民の鎮圧を行ないました。このことがきっかけで、ハ・クレレン会自体内部分裂をまねき、二、三の宗派が生まれました。その混乱に便乗した不平部族達が、各地で反乱を起こし、結果、十代目ドバエン王は一族を連れ海を渡って他国へ亡命しました。ドバエン王国の滅亡です。

 しばらくは、各部族長が王を名乗り、群雄割拠の時代が続きました。

 もともと、血の気の多いコイワレ平原系の部族では、各地で戦が勃発、小競り合いを繰り返しまとまる気配はありませんでした。

 北の方では、勢力争いから一歩引いた商団系部族が各地の港を結ぶ、周海路条約を締結し貿易網を確保しました。

 勢力は衰えたとはいえ、ハ・クレレン会は、聖地ペント・カルを中心に健在しており、ドバエン王時代に築かれた各地に広がる陸路の道を使い物流の拠点として、生き延びました。

 南東の港地帯を中心に旧ドバエン王国時代の家臣、ソテ・マッテが旧ドバエン王国の非ハ・クレレン会系の家臣を元に勢力を確保し、階級社会を維持しました。

 この頃になると、ようやく、銃が入ってくるようになりましたが、値段も高く、性能もまだ低かったため、普及するには至っていません。

 北部の部族テケロ族が、混乱続くコイワレ平原に攻め入りました。外敵がいるとなぜかまとまるコイワレ平原系部族は一時休戦をし、同盟を組み、テケロ族を追い返し、逆に攻め入りテケロ族の族長を討ちました。戦乱は拡大し、北の商団系部族は旧ドバエン王国の家臣ソテ・マッテと手を組み、北と南東からコイワレ平原を攻めました。ソテ・マッテはじわりじわりと拠点を築きながら攻め入り、北部商団は週海路条約をやぶり、海路からの流通を押さえ、兵糧攻めにしました。ハ・クレレン会は中立を保ったため、コイワレ平原連合にとって陸路からの物資が頼みでした。ソテ・マッテは糧道を断とうとしましたがハ・クレレン会は兵を送りそれを邪魔しました。

 元々、ハ・クレレン会を嫌っていたソテ・マッテはペント・カルに兵を送り征服しようとしましたが、ドバエン王国時代に作ったペント・カルの防壁に歯が立ちませんでした。ハ・クレレン会はコイワレ平原系部族に物資の無償提供を約束しました。物資が充実したコイワレ平原連合は南東のソテ・マッテからの攻撃に対して守りを固め、北部商団連合をまず攻めました。ダレヘク平原のデベレを落とし、そこからツレホリル港までのびる街道を使って、一気にツレホリルの港を押さえました。慌てた北部商団連合は、ツレホリルを取り返そうとしましたが、コイワレ平原連合に背後から襲われ敗走、北部商団連合は北西を切り捨て北東のムンバルに拠点を移しました。コイワレ平原連合は北西まで攻め入ろうとしましたが、戦線の拡大に不安を覚え、北西付近の町の防備を固め砦を作りました。南東のソテ・マッテはコイワレ平原を攻めながらも、いくつかのコイワレ平原部族に接触しました。いくつかの部族が裏切りソテ・マッテに味方しました。ソテ・マッテは分裂したコイワレ平原連合の防備を破り西に進軍しコイワレ平原を納め、残った北西のコイワレ平原連合は北部の商団連合が征服しました。北部商団系連合はソテ・マッテに各部族との共和国制を提案しましたが、それを拒否、北部も支配し、残ったハ・クレレン会のペント・カルを取り囲み兵糧攻めにして落としましました。国を統一したソテ・マッテは将軍と名乗り軍事政権をおこないました。徹底した宗教弾圧を行ない、ハ・クレレン会のみならず、部族宗教や祭りも取り締まりました。聖地ペント・カルは瓦礫一つ残さず壊されたそうです。よっぽど嫌いだったんでしょうね。

 ソテ・マッテは各地に軍を駐留させ、反乱分子を壊滅させました。ソテ・マッテは軍人を頂点とした階級制度をたて、力による民衆の統一と搾取をおこなおうとしましたが、志半ばで病に倒れ、あっけなく死んでしまいました。

 ソテ・マッテの部下の一人が跡を継いで、自ら王と名乗りました。ドジラド王国の誕生です。これは見事に失敗し、十年も持たず側近の裏切りに会い、ドジラド王国は瓦解しました。その後、側近同士の小競り合いが続き、北部商団連合が提案していた共和制に移行し、トレハイキ共和国が設立しました。

 この時代になると綿や茶といった加工品自体の値が下がり、工業製品の材料である鉱物の値が上がってきました。この国でも、さかんに採掘が行なわれ、鉱物を探しましたが、すでに取り尽くされ、ほとんど見つからなかったようです。

 トレハイキ共和国は、国を二十ほどの地域に分け、緩やかな支配とわかりやすい法をもちいながら国をまとめました。小競り合いが多いコイワレ平原では、十もの地域に分けられ、他の地域の部族長からコイワレ平原の票が多くなり不公平だと非難の声が起きましたが、コイワレ平原をまとめる方が難しいと妥協しました。

 地域ごとに独自の法律が定められることになり、国法に矛盾するような地域法を各族長が作ってしまい。法の矛盾が出るようになったため、国法と地域法の及ぼす範囲を明確に分けました。それと同時に裁判制度も、この頃に作られました。法整備が進んだことによって、族長は、税を取り政治を行なうようになり、しだいに領主制へと移行していきました。人口は増え、トレハイキ共和国中期には二千万人を超えたといわれています。

 トレハイキ共和国終期、西の山岳地帯の領主、ブゾ家がベレ川にダムを造りました。その水を使ってその近辺の土地を農業用地に変え、収穫量を増やしました。怒ったのは水が減ってしまった下流に住む人たちです。下流の人たちは、国に訴えました。国もその訴えを聞き、ダムを壊すようブゾ家にいいましたが、それを聞かず無視しました。ブゾ家の分家デ・カレ・ルが下流の農民を率いブゾ家のダムを壊そうとしましたが、ブゾ家の兵に邪魔されできませんでした。

 デ・カレ・ルは下流の領主ガソン家とドンゾ家に支援を求め、両家はそれに答え、兵を出しました。ブゾ家は上流に柵を作り守りを固めました。攻めてきたガソン家とドンゾ家の兵を火縄銃を使って撃退しました。国は戦いの調停をしましたが収まらず、国の権威は落ちました。そのことを知った、海を隔てたずいぶん昔に隣国に亡命していたドバエン王国の王族が、各領主に使者を出し復権に動きました。ほとんどの領主はその使者を無視しましたが、国民の中、領主の重税に不平を募らせていた農民の中で、心を動かされた者達が大勢いました。

 それに危機感を覚えた元首は国の権力を強めようと、元首直属の兵を作ろうとしました。しかし、それは各領主の反発をかい、元首自体が交代させられてしまいました。

 ベレ川の争いで、水源の重要性に気づいた各領主達は、水源の確保に動き出しました。クレヘケ共和国時代からドバエン王国時代初期に作られた灌漑施設はトレハイキ共和国時代にも十分に使えましたが水源を押さえられるとどうしようもありません。各地に小規模なため池が作られ、水源を巡っての争いが続発しました。本来ならトレハイキ共和国の元首や領主議会がそれらの調整に働くべきですが、国家としての支配体制の甘さ、元首の権限のなさと領主達の身勝手さで何一つまとまりませんでした。

 ベレ川では、無駄に争いをするより、妥協をした方がいいと、ブゾ家が調停を持ちかけました。それにドンゾ家がのりました。この二つの家の結びつきが、ドブゾドンゾという王国の血筋になります。ブゾ家の分家デ・カレ・ルとガソン家はこの結果に不満を抱きながらも、しぶしぶ調停案にのり、水を分けてもらえるようになりました。

 水利権でもめている領主達に農民達は不満を覚え、ドバエン王国の復活を望む声をあげました。ところが、亡命したドバエン王国の王族はいっこうに動く気配がないため、その期待は徐々にしぼんでいきました。

 トレハイキ共和国の元首は、国の威信と力を取り戻すため、国軍設立と領主の権限を減らす法案を通そうと努力しましたが、領主達の賛同を得られず、国の枠組みは徐々に形骸化していきました。一方、領主達は婚姻関係を結び、兵を育て、力をつけていきました。

 ベレ川では、一時期平穏な状態が続いていましたが、長雨が続きダムが決壊し、下流の土地が水浸しになり家が流され大勢の人が亡くなりました。ブゾ家は再びダムを造ろうとしましたが、デ・カレ・ルとガソン家は反対をし、ドンゾ家は態度を明らかにしませんでした。強引にダムを造ろうとしたブゾ家の当主をデ・カレ・ルは殺害し、ガソン家に逃げ込みました。跡を継いだブゾ家の長男は、ガソン家にデ・カレ・ル引き渡しを要請しましたが、断られました。ブゾ家はガソン家を攻めました。その際、跡を継いだばかりの長男が負傷し、亡くなりました。その跡を継いだ次男はまだ若かったため、叔父が後見人になりました。ドンゾ家はブゾ家の次男に娘との結婚話を持ちかけました。弱体化したブゾ家は渋々受け入れ、婚姻関係を結ぶと共にドンゾ家と同盟を結びました。ブゾ家とドンゾ家は協力してガソン家を攻め、デ・カレ・ルと共に滅ぼしました。その後、ブゾ家後見人の叔父が死に、次男と娘の結婚が決まり、家を合わせブゾドンゾ家としました。滅んだガソン家の領土と合わせ大領主となりました。

 領主同士の争いや領主同士の婚姻関係を繰り返し、徐々に領土によって兵力や資金に差が付いてきました。形骸化した国家は、領主にとって都合のいい法案を通すための道具になりはてました。領主の重税と国の法案によって苦しめられた農民がたびたび一揆を起こすようになりました。度重なる一揆に領主達は国の力を使い、連座制を作り、一揆を起こした村ごと処罰する法案を通しました。その結果、一揆を起こした場合のリスクを考え、村から逃亡する農民が増えました。

 ガリマロコ家領、トセ川近辺に住む農民が、集団で畑を捨てブゾドンゾ家の領地に逃げ込みました。雨で川が決壊し、田が水に沈み収穫間近の米が腐ってしまい、税が納められなくなったからです。ガリマロコ家の兵が、逃げた農民を捕まえようと、ブゾドンゾ家の領土、クパラリの森まで越えました。ブゾドンゾ家は逃亡した農民を保護し、追ってきた兵を追い返しました。ガリマロコ家は使者を出し農民を帰すよういいました。ブゾドンゾ家はそれを拒否し、逆に越境してきた兵に対する謝罪を要求しました。両者の言い分は平行線をたどりました。トセ川の洪水でその周辺の農地が水浸しになったことから、農民の逃亡が多数おこりました。ガリマロコ家は国に支援を要求し食料を手に入れましたが、農民にはほとんど回さず、貴族や兵に渡しました。いよいよ追い詰められた農民はギバメ村、ドバビ村、ラベム村、三つの村で一揆を起こしました。三人の村長達は三角錐に削った木材の、それぞれの面に名前を書きました。三村一揆の始まりです。

 ガリマロコ家はブゾドンゾ家を警戒しトセ川周辺に兵を配置していたため、一揆に対応できませんでした。役所を襲った三村の村人は、食料と武器を奪い、山に立てこもりました。その噂を聞いた他の民衆も山に集まり、勢力は増え他の領土にも飛び火しました。ガリマロコ家は一揆に手を焼き、国にさらなる支援を要請しました。国家副元首のリコ・デル・ピンコは各領主に一揆討伐のための兵を要求しましたが、国軍設立を警戒する各領主はそれを拒否しました。

 この頃になると先込め式の銃ではなく紙薬莢を使った銃が出回っていました。三村の村人は役所から奪った穀物や財宝を一部、銃に変えました。銃によって、一揆の鎮圧が難しくなっていきました。

 民衆の間では、やや下火になっていた、亡命したドバエン王国の復活論がわき上がっていました。この時代の情勢を政治学者のベン・ペ・ロンがこう言い表しています。「国家の枠は外れ、人々は逃げた王政を夢見、領主は互いにいがみ合う。奪うか欲するか、誰一人として作ろうとするものはいない」ブゾドンゾ家がガリマロコ家の領土に進軍しました。

 北のツレホリル港では軍事特需を狙い武器弾薬といった大量の物資が運ばれていました。北部商団系の領主ダフト・プレンは大量の物資を売りながら武器を集め兵を募りました。

 この手の争いごとに目がないコイワレ平原の人たちは意外なことに事態を静観していました。争いごとは長く続ければ続けるほど損をする、そのことにようやく気づいたのです。皆が疲れ切ったところで、一気に制圧する。それまで力と兵力を温存し、同盟関係を築くことに腐心しました。

 ブゾドンゾ家によるガリマロコ領侵略の報に、山に立てこもっていた村人に動揺が走りました。侵略してきたブゾドンゾ家と戦うべきだと唱えるものとブゾドンゾ家と協力してガリマロコ家と戦うべきだ。この二つの意見が対立し、結果、しばらく様子を見ることになりました。

 南東のバエンに、亡命したドバエン王国の王族が、船を十隻連れ現れました。市民は歓喜の声を上げそれを歓迎しました。船の中には隣国の兵が多数いたため、警戒する声も上がりましたが、市民に押される形で、バエンの領主タ・ポリがドバエン王国の王族を迎え、ドバエン王国が復活しました。ドバエン王国は全領主にドバエン王国の配下になるようにと使者を出しました。いくつか賛同する領主が現れ、トレハイキ共和国の元首は辞任しました。国家副元首のリコ・デル・ピンコは元首となり兵をかき集め、首都ハラルの治安と守りを固め、国を守るための義勇兵を募集しました。その声に答えのが、コイワレ平原の部族連合です。コイワレ平原の部族はトレハイキ共和国の国軍として生まれ変わりました。

 劣勢のガリマロコ家は北のダフト・プレンに支援を要請しました。軍需物質を手に入れたガリマロコ家はブゾドンゾ家の兵を押し返しました。山にこもって様子を見ていた三村一揆の民衆はガリマロコ家の勢いに、このまま何もしなければ、殺されるとブゾドンゾ家に味方することになりました。民衆の協力を得たブゾドンゾ家はガリマロコ家に勝ち、その領土を手に入れました。ガリマロコ家は北のダフト・プレンの元に逃げ込みました。ブゾドンゾ家は三村の村長を英雄と褒め称えましたが、後々、一人ずつ理由をつけて殺しました。

 ダフト・プレンはガリマロコ家の領土奪回を理由に兵を挙げ南下しました。ダベペの湿地帯で両軍はぶつかりました。最新式の銃を多数手にしたダフト・プレンの軍に対してブゾドンゾ家は土嚢を積み上げ守りを固めました。左右に分かれたダフト・プレン軍は銃を撃ちながら徐々にブゾドンゾ家の陣に近づきます。十分に近づいたところで、ブゾドンゾ家は西の湿地帯に伏せておいた兵に弓矢で攻撃させました。横から攻撃されパニックになったダフト・プレン軍に、あっ、しってますよね。有名な話ですからね。ああ、ま、勝ったんですよ。ブゾドンゾ家が、ええ、そのまま北部までブゾドンゾ家は手に入れました。

 南東に一応できたドバエン王国はトレハイキ共和国の国軍となったコイワレ平原連合の部族に攻められ、あっという間に負け、そのまま、海を隔てた隣国に亡命しました。リコ・デル・ピンコはブゾドンゾ家にトレハイキ共和国に恭順するよう使者を出しました。ブゾドンゾ家は返事をずるずる引き延ばしました。そうこうしている間にコイワレ平原内で手柄争いが起こり、内部分裂しました。リコ・デル・ピンコは争いを収めようとしましたが、何者かに暗殺され、トレハイキ共和国は瓦解しました。ブゾドンゾ家は、トレハイキ共和国から独立をし、もっとも尊いものを意味する"ド"をつけ、ドブゾドンゾ王国を設立しました。その後じわじわと領土を広げていき、最終的に国を統一しました。

 統一後、ドブゾドンゾ王は、

「おい、まだ続ける気か」

 ハス・レシ・トレスは、いらだった声を出した。

「ああ、いや、あのおよそは説明終わりましたよ。この後は、中央集権と政治的安定期に権力の分散を行ない、不安定になると中央集権と繰り返します」

「あんたは一体何を言いたいんだ」

 窓を見ると、日が静かに傾いていた。

「ええと、ようするに、この国の抱える問題は、人口の増加による食糧不足でありまして」

「そんな話あったか」

「あっ、ありましたよ。貿易による一時的経済の向上で人口が増え、穀物の輸出で食料不足に陥るんです。この国の離婚率の多さも原因の一つだとおもいますよ。この国は特定の宗教がないので、結婚や離婚というものの重みが全くないんです。徹底的に宗教やっつけちゃったから、結婚や離婚というものは、通常何らかの宗教的儀式が関わっていて、離婚自体をタブー視しされます。この国はそれがありませんから、結婚や離婚を何ら抵抗もなく、行われるんで、子供があちこちで増えてしまうんです。三十代の男女ともに、離婚を一回以上したことのある人が半数近くいるんです。再婚率も高いので、これじゃ、いつまでたっても人口は減りませんよ。食糧問題も解決しません。今現在、この国で自由貿易をしたら、四、五代目辺りのドバエン王国時代のような状況になる可能性があります。長い歴史の中、資源という資源は取り尽くされ、すでに海外に流出してしまっているんです。この国に食料以外売るものなんて無いんですから今より貧困が広がりますよ。むしろ買わなくちゃいけない状況なんです。その金だってない」

「確かにそれは一理ある。なら、この国の安い労働力を使えばいい。この国に外国企業からの工場を誘致して、外貨と技術をためていけばいい。そうやって産業を作っていけば、きっとこの国は豊かになれる」

「それをやろうとしていたのが、亡くなられた王様です」

「し、しかし、王は、様々な規制を作り国民を縛り付け自由を奪ってきた。もっと自由に外国の企業と取引できれば、きっともっと早くこの国はよくなる」

「自由に取引するということは、外国企業と対等に競争するということです。自由にやれば、土地をどんどん買われ、工場だらけになりますよ。労働者は不当に安い賃金で働かされ、外国企業の言いなりになります。食料も奪われ水も取られ、環境はむちゃくちゃになります。役人だって、簡単に外国企業に買収されてしまいますよ。賄賂の桁が違いますからね。それを懸念してたから、王様は様々な規制を作ったんです。別に国民を苦しめようとした訳じゃない。国民を守り、外国企業と役人の間の不正を減らそうと、様々な規制を作ったんです」

「しかし」

「王様は、この国の民のことを本当に考えていらした方でした。だから少しずつ規制を緩和していこうと、この間も、海外の企業の工場を造る計画を進めていました。ああ、でも今思えば、その工場の誘致が原因で今回のクーデターが起こったようなものですから、皮肉なもんですね」

「なんの話だ?」

「メイドの裁判の話ですよ。まさかこんなことになるとはね」

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