第50話、城の中、群衆


 城


 カカ・カと群衆は、嘆きながら怒りながら城の中へ入り込んだ。カカ・カが嘆くと、群衆も嘆いた。カカ・カが怒ると群衆も怒った。群衆の先頭集団に裁判官のフン・ペグルもいた。腹は開いたまま、歩く度にがぽがぽと開いた腹から音が聞こえる。顔は青白く、口の端から血泡がふき、生きている人間には見えなかった。群衆は嘆き怒り、暴れ泣いた。しかし前へ、足だけは動いていた。


 帽子を取った男の頭は、傷だらけだった。右手には突撃棒を持っていた。左肩を回すが、その動きはぎこちなかった。ソ・キ・ハナである。

 廊下、三人の警備兵は銃を構えた。訓練は受けている。狭い通路だ。距離は十メートル、外れるはずはない。ソ・キ・ハナは突撃棒を手にゆっくりと歩き出した。

 こいつ頭おかしいのか。三人の警備兵は、そう思った。引き金を絞る。三発の銃弾が放たれた。ソ・キ・ハナは頭をひょいと傾け銃弾を避けた。

 ありえない! 三人の警備兵は驚いた。ソ・キ・ハナは走り出した。警備兵は引き金を絞る。ソ・キ・ハナ、低い姿勢のままひょいひょいと銃弾を避け近づく。当たらない。

 間合いに入り、突撃棒を打ち込む。銃を持った警備兵の指が飛ぶ、のどをかっ切られ、首を打たれ、腹を突かれた。三人の警備兵は死んだ。

「どいつもこいつも、俺の頭を狙いやがる」

 ソ・キ・ハナはいつもの台詞を言った。


 執事のテケン・ホ・メリ・ホは、静かに廊下を歩いていた。状況はあまり把握していない。暴動が起き、その暴徒が城の中に侵入していることだけはわかっている。不快としか言いようがなかった。右手に拳銃、左手に手斧。すでに血で汚れている。

 執事のテケン・ホ・メリ・ホが持っている手斧は災害時、ドアを破るためのものだ。拳銃の弾の節約のため、それを使っている。ただ叫んでいるだけの暴徒もいたが、中には刃物などで武装しているものもいた。右手に拳銃を持ちながら左手の手斧で、それらを殺した。向かってくる者も、逃げる者も殺した。ゆっくりとだが、正確に、斧の重みを生かし殺した。

 廊下を曲がった右、騒がしい音が聞こえた。気配を消しのぞき込む、パンを焼くオーブンがある部屋だ。

「うめー」

 列が出来ていた。その列の先から声がする。

「だろ、ちゃんと分けて食べろよ。全員分ないかもしれないからな」

 パン職人の親方が言った。暴徒がパンの匂いに引きつけられたのか、オーブンのある部屋に押しかけたようだ。その暴徒に親方は食パンを振る舞っていた。

「うんうんわかった」

 そういいながら、食パンを持った男は、それを手で裂いた。びっくりするぐらい白いパン生地と甘い香りが顔の前でひらいた。それをちぎって、みんなで分けた。ほふほふほ。笑い声が起こった。

 ここは放っておこう。執事のテケン・ホ・メリ・ホは、そう思った。


 サイ・タタラは牛舎付近で戦った。火は牛舎を包み込むように燃えた。


「どいたどいた」

 クーラーボックスを担いだ男が城の中を走っている。プフ・ケケンだ。中には裁判官のフン・ペグルの胃袋が入っている。何人かの暴徒に裁判官の居場所を聞いた。おびえる警備兵を追いかけまわして、東の方にいったそうだ。

 間延びした叫び声が聞こえた。必死の形相で逃げる警備兵とすれ違った。その奥の方から、よろよろと、両手を前に、腹が縦に割れた裁判官のフン・ペグルがいた。プフ・ケケンが駆け寄ると、「ぬぁ~」とフン・ペグルが弱々しい声で答えた。

「やっと見つけた」

 プフ・ケケンはクーラーボックスをおろし、ふたを開け、ビニール袋に包まれたフン・ペグルの胃袋を見せた。

「お、おおおお」

 フン・ペグルは、喜びの笑顔を見せた。なつかしい、いや、あまり見覚えのない、たぶん自分の胃袋。フン・ペグルは膝をつき、クーラーボックスに手を伸ばして止めた。どうやって、つければいいのだ? フン・ペグルはクーラーボックスを持って来たプフ・ケケンを見つめた。

「いや、それはちょっと」

 プフ・ケケンは首を振った。


 ソ・キ・ハナは血にまみれていた。返り血だけではない。頭の傷も増えていた。

 無駄に打ち合ったりはしない。敵の攻撃は避ける。その際に、相手に打撃を加える、突く、もしくは叩く、突く場合は軽く、腹の柔らかい部分を狙う、そこから少し踏み込み腹に収まった細い鉄芯を回す。叩く場合は首筋もしくは、こめかみ、肩の悪いソ・キ・ハナにとっては、敵の頭を上から打ち下ろすのは多少難しいし、天井も低い。だから斜めに小さく振り払い、首を折るか、こめかみから頭蓋骨を破壊する。敵の攻撃を避け、突撃棒にて致命傷を与える。もしくは避ける前に致命傷を与える。単純作業を繰りかえした。


 テケン・ホ・メリ・ホはトイレにいた。洗面所で血のついた手と顔を洗った。手や顔を拭くハンカチは白からピンク色に変色していた。気持ち悪さに、トイレットペーパーで顔を拭こうかと考えたが、あんな尻を拭くもので顔を拭くぐらいなら、血に染まったハンカチの方がまだましだ。そう判断した。斧の刃先は軽くゆすぎ肉片があれば、たわしでこすった。鏡を見ると、白いワイシャツが血で染まっている。上着は斧を使うと決めた時に客間のクローゼットにしまっておいた。ズボンは脱ぐわけにはいかないので同じような惨状だ。最初の頃はハンカチでシミにならないよう水をつけてたたいていたが、暴徒の多さに途中であきらめた。ワイシャツとズボンは捨てるしかない。染み抜きをしてもとれないだろう。

 いや、ライ・ドリーなら、何とかするかもしれない。テケン・ホ・メリ・ホは城の洗濯係の顔を思い出した。ずいぶん前に、酔っぱらった客がテケン・ホ・メリ・ホの服にゲロをはいたことがあった。職業倫理上、怒りを抑え客を介抱したが、上着からワイシャツ、ズボンまで口からの排泄物で耐え難いほど汚れた。テケン・ホ・メリ・ホはビニール袋にそれを押し込み捨てようとしたところ、洗濯係のライ・ドリーが、よこしなと、それを奪った。三日後、戻ってきた制服は新品同然、隅から隅まで調べてみたがシミ一つなかった。そのときの喜びと、ライ・ドリーの誇らしげな顔を思い出し、テケン・ホ・メリ・ホは鏡の前で笑みを浮かべた。

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