第41話、過去、三人の教官


「逃げることは許されない」

 テンフ・ポポイはいつものように笑っていた。笑いながら近づいた。笑いながら、突撃棒を振りおろした。

 ソ・キ・ハナの頭に突撃棒がめり込んだ。そう見えた。違った。テンフ・ポポイが振り下ろした頭への一撃を首をねじ曲げよけた。突撃棒はソ・キ・ハナの肩に当たり、鎖骨と肩の骨を砕いた。

 どいつもこいつも俺の頭を狙いやがって、ソ・キ・ハナはいつもの怒りを感じた。まだ動く右手に突撃棒を持ち替え、突撃棒を突き入れた。テンフ・ポポイは後ろに飛び退いた。

 「あ」

 キョ・イシリの胸に突撃棒が突き刺さっていた。

 いつの間にか近づいていたルト・アタの仕業だ。


 生まれてすぐ捨てられたキョ・イシリには、肉親の記憶はない。編んだワラに包まれ、門柱の前で、静かにしていたらしい。家の主人が散歩に出ようとして見つけた。

 その後蹴った。ただのワラの塊と思って蹴ってしまったらしい。妙な柔らかさと重さに気付き、見てみると赤ん坊がいた。蹴ってしまった罪悪感か、老人はその子を育てることにした。


 ルト・アタの一撃は、キョ・イシリの心臓を正確に貫いていた。引き抜くと傷口から大量の血が漏れた。サイ・タタラが倒れるキョ・イシリを支えた。


 プフ・ケケンが叫び声を上げ、ルト・アタに打ちかかった。ルト・アタは受け流した。プフ・ケケンは地面に転がった。立ち上がり、突撃棒を握りしめ飛び上がって打ち込んだ。


 シン・タリはキョ・イシリとサイ・タタラの前に突撃棒を手にたった。その横には右肩を砕かれた。ソ・キ・ハナがいる。二人の前には笑顔を浮かべたテンフ・ポポイがいた。

 テンフ・ポポイにまともにぶつかってもシン・タリに勝ち目はない。できることと言ったら、相打ちをねらうしかない。シン・タリは背をかがめ、頭を前に突撃棒を引いた。テンフ・ポポイはシン・タリの意図を察したのか少し後ろに下がった。


 老人は、商人だった。この国の権力中枢に入り込み、国民から絞りに絞った税の、流れる米びつに、ほんの少しだけ手を入れかすめ取る。そんな仕事をしていた。王の機嫌一つで立場が変わってしまう世界で、生き残り、この国のレベルからいって、かなりの資産を手に入れた。老後は一人だった。町から離れた山の麓の屋敷に住んでいた。娘が一人いるが、結婚して家には寄りつかない。メイドが三人ほど常時いる。そこでキョ・イシリは育った。

 キョ・イシリの一番幼い記憶は、序列だった。老人とメイドと自分、五人の中で、四番目ぐらいだと認識していた。メイドの中でも序列があった。基本的に年功序列だ。一番年上のメイドは、この家の主人と変わらない年齢に見えた。他の二名のメイドに命令を下し、キョ・イシリの事を完全に無視していた。二番目のメイドは、やせていていつも不安げな顔をしていた。だがときどき、キョ・イシリの耳元で訳のわからない奇声を発した。三番目のメイドはキョ・イシリをとてもかわいがった。時間が空けば、キョ・イシリと遊んでくれた。字の読み書き、簡単な計算は彼女から習った。いつもよく笑っていた。だからキョ・イシリも笑顔を返した。一番序列が低いのがこの家の主人である老人だった。キョ・イシリはメイドよりも自分よりも老人が一番序列の低い人間だと思っていた。老人は日がな一日何もせず、一人で食事をし、ときどき外を歩いて、部屋で本を読んでいた。その様子が、幼いキョ・イシリの目には、もっとも役に立たない人間に見えた。キョ・イシリは誰も見ていないところで、老人にいたずらをした。序列の上の人間に見つからなければ、大丈夫。そう思っていた。

 いたずらと言っても他愛のないものだった。椅子でねむっている老人の眼鏡を逆さにかけ直したり、サンダルの左右を入れ替えたり、その様子をキョ・イシリは、物陰からうれしそうに見つめた。老人は、ほとんど感情を表さなかった。あるとすれば、下唇を少し突き出す仕草をたまにした。その意味はわからない。ひょっとしたら、自分の周りにまとわりついて、一人でこそこそしている幼い子供に、どう対応していいのかわからなかったのかも知れない。困った顔をしていたのかも知れない。

 老人が病で倒れた。

 キョ・イシリは不安に思った。ひょっとしたら、自分のいたずらの所為ではないだろうかと、キョ・イシリは時々ベットで寝ている老人の様子を見に行くことにした。少しずつだが老人は回復して、ベットから起き上がれるようになった。キョ・イシリは少しばかり老人と話をするようになっていた。

 話をしているうちに、この老人がこの屋敷で一番偉いことにキョ・イシリは気がついた。それと同時にこの老人にたいしてなんだかむずがゆい気持ちを抱いていることにも気づいた。

 キョ・イシリは老人のことを旦那様と呼んだ。周りのメイドもそう呼んでいたのでまねをした。少し回復したのか歩けるようになった。キョ・イシリは老人の散歩に時々つきあった。だって、あぶなっかしいんだもん。そういいながら。

 年若いメイドに文字や計算を教わり、老人にはもう少し難しい話を教わった。ある日、老人は再び倒れた。

 心配そうにのぞき込むキョ・イシリに老人は語りかけた。

「気にすることはない。私はずいぶんとたくさんの死をもてあそんだ。それなのに、病で死ねるのだ」

 病床で老人は自らの過去を語った。

 一番売れたのは棺桶だった。この国の葬儀は基本的に自治体が出している。棺桶の費用も自治体が出すため、需要は常にあった。だが、役所と棺桶業者と葬儀社はがっちり手を組んでおり、その中に入る込むのは難しかった。そこで老人は考えた。持ち込みならどうだと。ただで葬儀をできるとはいえ、葬儀をしない人間もいた。めんどくさいというものもいれば、自治体の面倒になりたくないと考えている人間もいた。それを老人は言葉巧みに説得し、葬儀社に棺桶付きで持ち込んだ。もちろん老人が作った棺桶だ。葬儀をおこなえば葬儀社に、金が入ってくる。棺桶を作った老人にもだ。誰も損はしない。そうやって少しずつ、利権に食い込んでいった。

 だが、葬儀社、棺桶業者、共に賄賂や親戚関係で役所に結びついており、その関係に参加することは難しかった。

 ある日、棺桶が軽くなっていることに気がついた。老人は相変わらず、葬儀を出さない人間に葬儀を出すよう説得していた。原因は遺体だ。どれもやせ細っている。そういう遺体が何件も続いた。海に沈めるための棺桶の重しを増やしながら老人は考えた。そういやぁ、死人の家族もやせ細っていたなぁ。これはひょっとすると、何か起きるかも知れない。様々な人間に接し、説得してきたためか、人々の間に流れる空気のようなものを敏感に感じ取っていた。

 暴動が起こった。何千人もの死者が出た。出入り業者の棺桶はすぐになくなった。とうとう、老人の会社に役所から声がかかった。老人は待ってましたとばかりに棺桶を売りまくった。職人に棺桶を大量に作らせておいたのだ。役人に恩を売り、他の棺桶業者の鼻をあかした老人は、利権に潜り込むことに成功した。暴動が起きるたびに老人は富を得た。老人の予想は見事に当たり、外れることはなかった。金は金を生み、その金を権力者に渡し、さらに益を得た。

 月日は流れた。老人は、城に出入りできるよう権力者に取り入っていた。そんな時、暴動が起こった。老人の妻が暴動に巻き込まれ死んだ。すでに葬式を出させ棺桶を売る仕事は部下に任せていたため、老人は暴動を予想することができなかった。老人の妻は元看護婦だった。お金のない人間のために、医者を雇って、無料の治療院を運営していた。当初、老人は反対していたが、老人の妻が熱心に頼んできたため、結局老人の方が折れた。医者を雇う金も出してやった。棺桶を売るために、貧しい人達に感謝されるのも悪くない。そう考えたからだ。実際感謝され、その病院で死んだものの多くは、老人の会社で作られた棺桶を頼んだ。軍は、老人の妻は暴徒に殺されたと言った。確かめようがない。軍の人間が不都合なことを正直に話すことはない。他の目撃者は医者も看護婦も患者も皆死んでいる。噂では、暴徒をかくまおうとした病院関係者を、軍が皆殺しにしたという話もある。真相はわからない。老人の娘は、老人を責めた。老人の妻が運営する治療院を商売の道具として使っていることを知っていたからだ。お金のために母親を危険な場所で働かせた。そうなじった。老人は、否定できなかった。止めようとすれば止めることができた。老人は妻を棺桶に入れる気になれず。シーツでくるみ、海に流した。

 老人は語り終えた。

 老人はそれからしばらく黙っていた。キョ・イシリも黙っていた。とくとくとくと心臓の音が聞こえた。

「もう寝なさい」

 老人が言った。

 キョ・イシリは、うなずき、少し迷ってその場にごろんと寝ころんだ。寝ろと言われたから寝るんだ。老人の部屋は毛の厚い絨毯で覆われている。老人は驚き、かなりの時間ちゅうちょし、自分の毛布を一枚キョ・イシリにかけた。

 数ヶ月後、老人は死んだ。たくさんのことを話した。自分のことを家族のことを、老人はキョ・イシリに話した。いつのまにか、老人は唇を突き出す癖をやめていた。

 

 肋骨の隙間から、正確に心臓を貫かれている。キョ・イシリは今の自分の状態を正確に把握していた。自分を呼ぶ声がする。サイ・タタラだ。

 サイ・タタラには、八人も兄弟がいる。驚きだった。想像もできなかった。

 ここからでることができたら、サイ・タタラのところで暮らせないかな、そんなことを夢想していた。何せ八人も兄弟がいるのだ。一人ぐらい増えたって、良いじゃないか。ずいぶん前に、サイ・タタラに、そんなに牛が好きなら牛の世話係にしてやる。そう言われた時、本当にうれしかった。

「牛の世話……」

「おい、なんだよ。こんなときに牛の話かよ。しっかりしろよ。キョ・イシリ!」

 僕は牛の世話係だから、朝早く起きなくちゃいけない。まだ寝ている幼い兄弟をまたぎながら、外に出る。牛舎に入ると牛がもうと出迎えてくれる。牛の餌をやっていると、寝ぼけまなこの、サイ・タタラがやってきて、文句を言いながら牛舎の掃除をする。牛の乳搾りを終えた頃、小さい弟が、お兄ちゃん達ごはんだよう。小さい弟と手をつなぎながら、家に帰ると、ベーコンの焼けるいいにおいがする。おなかがすいていることを思い出して、急ぎ家の中に入る。お母さんがいて、手を洗ってらっしゃい。お父さんがいて、新聞を読みながらおはよう。家族全員で朝ご飯を食べるんだ。へへ、サイ・タタラは八人も兄弟がいたら大変だぞ。おかずの取り合いだぞ。なんて言っていた。小さい弟たちは、どんな話をするんだろう。ふかしたジャガイモに、バターをたっぷり使ったふかふかのオムレツ、自家製のトマトケチャップをかけて、みんなで一緒に食べるんだ。いただきます。八人も兄弟がいたら、一年に八回も誕生日がある。サイ・タタラは誕生日なんて、めんどくさいなんて言ってるけど、僕は一度もやったことが無い。楽しいだろうなぁ。お父さんやお母さんも入れたら、十回だ。僕も入れたら十一回。へへ。

「たのしいなぁ」

 キョ・イシリは絶命した。

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