第42話、過去、新聞記事
胸に開いた穴を押さえながら、サイ・タタラはキョ・イシリを呼び続けた。
なんだか気取った奴だ。最初の頃、サイ・タタラはキョ・イシリのことをそう思っていた。言葉遣いも柔らかだったし、飯を食うときだって、なんだかきちんとしていた。一応教育受けてました、なんて感じがした。
おかしなことに、キョ・イシリは、やたらと牛の話が好きな奴だった。牛の話をすると、目を輝かせ聞いていた。どれだけ牛の世話が大変か、何度話しても、うれしそうに聞いていた。根負けして、そんなに牛の世話がしたけりゃうちに来い。牛の世話係に任命してやる。そう言ったことがあった。やっぱりうれしそうに笑った。
キョ・イシリは、まじめな奴だ。牛の世話も、きっちりするだろう。そうなったらどんなに楽か、牛の世話がいやで家を飛び出したようなものだ。キョ・イシリがいてくれたら、軍になんか来ることはなかった。うちで牛の世話をしてくれ。頼むよ。目を覚ましてくれ。
プフ・ケケンは雄叫びを上げ、突撃棒を振り下ろした。教官のルト・アタは、ぎりぎりのところで避けた。プフ・ケケンは追いかけ、突撃棒を突き入れた。ルト・アタはそれを弾き、突き返す。ルト・アタの突きを避け、プフ・ケケンは、突撃棒をルト・アタの頭めがけ振り下ろした。ルト・アタは受け流し、体を入れ替え打ち込む。プフ・ケケンは頭を地に下げ足首めがけ、なぎ払った。ルト・アタは飛び、避ける。プフ・ケケンとルト・アタは一見互角の戦いをしていた。だが、徐々にだが、プフ・ケケンの動きが鈍くなっていた。
サイ・タタラはキョ・イシリを揺すりながら泣いている。ソ・キ・ハナは肩を押さえ、片手で突撃棒を構えている。シン・タリは、その三人の前で、突撃棒を構えている。シン・タリの目の前にいるテンフ・ポポイは、ニタニタと笑っている。おそらく、ルト・アタがプフ・ケケンを倒すまで待っているのだろう。
もう何も考えたくない。突撃棒を振るいながらプフ・ケケンはそう思った。息が苦しい。突きが遅くなってきた。飛び上がる足が震えてきた。ルト・アタはプフ・ケケンの体力が尽きるのを避けながら待った。
足がもつれた。そのままこけ、プフ・ケケンは倒れ込んだ。ルト・アタが突撃棒を手にゆっくりと近づいてくる。プフ・ケケンの突撃棒は少し離れた草むらにあった。
ルト・アタは突撃棒を振り上げた。
ジェット・ケヌ教官がゆっくりと近づいてくるのが見えた。
ルト・アタは突撃棒を振り下ろした。
突撃棒は途中で止まった。
ジェット・ケヌが、ルト・アタが振り下ろした突撃棒を自分の突撃棒で止めた。
「なにを、するんですか」
ルト・アタは後ろに飛び、間合いを取った。
「もういい」
ジェット・ケヌは暗闇の中、立っていた。
「もう、うんざりだ」
ジェット・ケヌは突撃棒をしっかりと握った。
新聞記者
新聞記者のヨン・ピキナは彼らの語る物語に引き込まれていた。
「すごかったな」
「ああ、空を飛んでいた」
「見えないんだ。音だけが聞こえるんだ」
「それは、おまえ下向いてたからだろ、キョ・イシリを抱きしめながらさ」
「気持ち悪い言い方するなよ」
「とにかく強かった。ジェット・ケヌ教官は、ルト・アタとテンフ・ポポイ二人相手に、圧倒的な力の差を見せつけた。今の俺だって、あんな戦い方はできない」
「ジェット・ケヌ教官は、二人の教官をあっさり殺しちまった。すげぇよ」
「その後のことは、人づてに聞いた話ですが、ジェット・ケヌ教官は死んだ教官を担ぎ、訓練施設に戻り、訓練生から教官まで殺しまくったそうです。半数ぐらい殺したらしく、それから建物に火をつけて死んだそうです。そのおかげで、俺たちは、死んだことになっています」
「ジェット・ケヌ教官に殺されたと思われたんですね」
ヨン・ピキナは言った。
「何で助けてくれたのか、いまだによくわからないよ」
「どうせ助けてくれるなら、もっと早くそうしてくれればよかったのにな、そうすりゃ、キョ・イシリが死ぬことはなかった」
「優柔不断だったんだろう」
過去
「教官はどうするんですか」
ジェット・ケヌは死んだ二人の教官を肩に背負った。
「やりたいことがあるんだ」
ジェット・ケヌは穏やかな表情で言った。
「直ったんだ」
肩を押さえ、ソ・キ・ハナはぞっとした。ジェット・ケヌは去った。
「なぁ、やっぱりよそうぜ」
「そうだな、いくらなんでも、牛舎の裏はないだろう」
ここはサイ・タタラの実家の牛舎の裏だ。キョ・イシリの遺体を交代で背負い、夜通し、ここまで運んできた。
「いいんだ。キョ・イシリは死ぬ最後まで、牛のことを考えながら死んだんだ。だから、ずっと牛と一緒にいられるようにするんだ」
サイ・タタラがスコップで牛舎裏の地面を掘りながら言った。
「たぶん、それ、何かの勘違いだと思うぞ」
シン・タリが言った。
「そうだよ。あの状況で、牛の事、考えながら死ぬか?」
「いや、間違いない。奴は言った。牛の世話、たのしいなー。そう言いながら死んでいったんだ。奴は死ぬ瞬間まで、牛の世話がしたかったんだ」
サイ・タタラは涙をぬぐいながら言った。シン・タリとプフ・ケケンとソ・キ・ハナは顔を見合わせた。何かすごい誤解があるような気がするのだが、それを否定するだけの材料がない。仕方がないので、シン・タリとプフ・ケケンはサイ・タタラと一緒にスコップで穴を掘ることにした。
人がはいるだけの穴ができた。四人はキョ・イシリの体をそれぞれ持ち上げ、ゆっくりと穴におろした。
「本当に死んじまったんだな」
プフ・ケケンが言った。
「ああ、いい奴だった。常に紳士だった」
シン・タリが言った。
「周りのことをいつも気にかけてた。俺たちをいつも支えてくれた」
ソ・キ・ハナが言った。
「やったことのない牛の世話を、何よりも愛した男だった」
やはり何かが違う。サイ・タタラ以外の三人はそう思った。
四人はキョ・イシリに土をかけた。涙が止まらなくなった。牛がそれを見ていた。
新聞記者
「その後、みなさんはどうしたんですか」
いつの間にか外は暗く、店には明かりが一つ、ついていた。
「この国から逃げようとした」
ケリキ・サリルと名乗っていたサイ・タタラが言った。
「だが、無理だった」
酒場の主人であるソ・キ・ハナはいつもかぶっている毛糸の帽子を取った。傷だらけだった。
「それで、この国を変えようってことになったみたいなんだ」
ホームレスの姿をした、ペーと名乗っていた、プフ・ケケンが言った。
「その後のことは悪いが言えませんね。様々な人と出会って、俺たちはここにいる」
シン・タリは言った。
「それで、あなたたちは、私に何をさせたいんです」
四人の男達は笑った。
「あんたの許可がほしい」
サイ・タタラが言った。
「何の許可ですか」
「あなたの書いた記事です。それをいただけませんか」
「私の書いた記事ですか」
フン・ペグルは鞄を押さえた。本当に書きたかった記事、首になった原因の記事でもある。
「それを使いたいんだ」
「なににですか」
「新聞記事にしたいんです」
「どういうことです」
「お忘れですか、俺はツム・ホレン、印刷所の社員です。あなたがつとめていた国民見当新聞の記事を一部差し替え、あなたの書いた記事を載せて、みんなに配りたいんです」
印刷所の社員と名乗っていたツム・ホレンこと、シン・タリが言った。
「わ、私の記事ですか。そんなことしてなんになるんです」
驚いた。
「真実を伝えたいんです。この国の国民に、この国で何が起こっているのか、本当の事を、真実を伝えたいんです」
「真実」
いい響きだった。自分の書いた記事が、この記事が、新聞に載る。そう考えるとフン・ペグルの胸が熱くなった。
「もちろん、かなり危険なリスクがあります。間違いなく、あなたは一生逃亡者です。捕まれば命の保証はできません。それでもいい、それよりも、真実を載せたいのなら、おねがいします。俺たちに力を貸してくれませんか」
そりゃそうだ。新聞記事を勝手に差し替えるなんてしたら、その記事を書いた人間は無事では済まない。一生隠れて生きなくてはならないだろう。だが、載るのだ。自分の書いた本当の記事が、それを彼らは必要といってくれた。もう、フン・ペグルが新聞記事を書く機会はない。これは最後のチャンスなのだ。
「断ったら、どうなるんですか」
フン・ペグルは四人の男達の顔色をうかがった。
「そんときゃ、仕方ないね。きっぱりあきらめるよ」
「ああ、そうだ。書いた人間が言うなら仕方ない」
「そういう権利があるらしいからな」
「あなたの同意がなければ、あなたの記事を勝手に使うことはできません。その記事は、あなたが書いたものです。じっくり考えて結論を出してください」
シン・タリが言った。
フン・ペグルは答えた。
「使ってください。私の書いた記事を使ってください」
フン・ペグルは頭を下げた。四人の男達は手をたたいて喜んだ。
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