第40話、過去、暴徒

 過去、暴徒


 暑い季節だった。一ヶ月ほど雨が降らず、作物の成長が遅れた。収穫が遅れ、人々は飢えていた。

 乾燥した山で、山火事が起きた。その近くにあった牛舎が焼け、火事の様子を見に来ていた人たちが逃げていく牛を盗んだ。やせた牛に人々が群がり、争いながら、牛は解体された。それを人々は家に持ち帰った。寸胴の鍋に水を入れ、盗んだ牛の肉を放り込む。柔らかくなるまで煮込む、味付けは塩だけ、塩以外の食材は何も残っていなかった。手でつかみ、軟らかくなった肉にむしゃぶりつく、腹に熱いものが流れ込む、背中が熱い、体が熱い。肉の匂い、咀嚼する音、隣人がドアをたたく。素知らぬ顔をして、家族で久しぶりの肉を食らう。骨は、金槌でたたき割り、中の髄をすすった。残ったスープもお椀に入れて飲む。鍋の底の方にはまだ、肉片が少し残っている。ドアをたたく音は、次第に大きくなる。暴動が始まった。


 朝の四時、いつもより一時間ほど早い時間に、たたき起こされ、訓練生が運動場に集められた。うっすらと日の光が見えた。

「君たちに残念な、お知らせがある。ここから北のズンベレで暴動が起きた。我々特殊武装隊はそれらを鎮圧しなければならない。今回、君たちにも参加してもらうことになった」

 教官のジェット・ケヌは額にしわを寄せ、いつもよりずっと憂鬱そうな顔をしていた。

「君たちにも暴徒の鎮圧に参加してもらうことになった。全員、突撃棒を持って五分後再びここに集まってくれ」

 訓練生達は、不安と興奮を抑えながら、突撃棒を取りに行った。

 憎むべき暴徒から、市民を守ることができる。サイ・タタラは、興奮していた。

 シン・タリは装備を入念にチェックした。

 キョ・イシリは不安だった。

 ソ・キ・ハナは手ぬぐいで頭を拭いた。

 プフ・ケケンは、複雑な感情であった。自分の母親のことを思い出したからだ。プフ・ケケンの母親は暴動に巻き込まれ軍に殺された。それに自分も参加するのだ。暴動を抑える側、間違えて母を殺した軍の側として、「踏まれるより、踏む方が良い」父の言葉だ。


 軍のトラックに乗り、シン・タリ達訓練生と教官、それからシン・タリ達が見たことのない特殊武装隊の男達もいた。ズンベレに近づくにつれ、かすかに煙の臭いがした。

 現場では銃を持った軍人がたくさんいた。特殊武装隊の男達は突撃棒を手にその銃を持った軍人の前に並ばされた。

 指揮官の軍人が、指示を出した。ズンベレの西側、半径一キロほどに暴動は広がっていた。それをぐるりと二重に囲む。内側に特殊武装隊、外の輪に銃を持った軍人。

 指揮官の合図とともに輪を縮めるように行進が始まった。


 商店の扉が破られている。サイ・タタラは、額の汗をぬぐった。商店からは、がさがさと無数の物音が聞こえる。暴徒だ。暴徒が市民の財産を侵害している。サイ・タタラは激しい怒りを覚えた。特殊武装隊の隊長が暴徒に呼びかけた。壊れた扉から人が出てきた。女だった。よれよれのぼろを着た女、小脇にはやせ細った少年を抱えている。目はおびえ、口の中にはむしゃむしゃと盛んに何かをかんでいた。商店の扉の中から、人々が出てくる。皆やせ細り、おびえ、何かを口にくわえていた。それが、暴徒の正体だった。


 特殊武装隊が突撃棒を構え前に出る。

 鎮圧の仕方は簡単だ。暴動が起きた地域を陸軍と特殊武装隊がぐるりと二重に取り囲む。内側の輪には、プフ・ケケンが所属する特殊武装隊が突撃棒を持って配置される。外側の輪には、兵学校卒の軍人が銃を持って取り囲む。

 プフ・ケケンら特殊武装隊が突撃棒で、暴徒を殴り殺し、銃を持った軍人が、それを監視すると言うことだ。

 二重の輪が徐々に狭まる。暴徒が恐怖の目を走らせる。逃げる暴徒を追いかけるようなことはしない。ゆっくりと歩き、いくつかの地域にわけ取り囲む。金魚を、大勢の人間が破れない網で追い込むように、建物一軒一軒特殊武装隊が入り、しらみつぶしに調べていく。やがて屋根の上に暴徒が集まる。それを突き落とす。

 暴徒の中には暴徒ではない人間が多数含まれる。その区別の仕方は簡単だ。賄賂である。金を軍に渡した人間は一般市民、渡さなかった人間は暴徒、間違いは多かっただろう。


 キョ・イシリは、突撃棒を両手に握り締め泣いていた。

「なんで、なんで」

 死体が転がっていた。特殊武装隊の制服を着た男達が殺した。キョ・イシリもその制服を着ている。

「シン・タリ、サイ・タタラ、ソ・キ・ハナ、プフ・ケケン、ひっく、ひっく、みんな」

 キョ・イシリは泣きながら、仲間の名前を呼んでいた。

 つまづいた。痛い。違う。足を撃たれた。キョ・イシリの右足に銃弾が撃ち込まれた。

「痛い。なんで、なんでだよ」

 キョ・イシリが振り返ると、銃を構えた軍人がいた。キョ・イシリは突撃棒に捕まりながら立ち上がった。

 人がぶつかってきた。老婆だ。倒れそうになったが、キョ・イシリは踏ん張った。右足に激痛が走る。老婆は地面にへたり込み、恐怖に顔をゆがめた。

「何でそんな目で見るんだよう。僕は、おばあさん大丈夫。何で逃げるの? 僕は、ねぇ、シン・タリ、サイ・タタラ、ソ・キ・ハ」

「キョ・イシリ!」

 シン・タリが突撃棒を手にキョ・イシリの元に駆けつけた。来てくれたんだ。キョ・イシリは笑顔になった。シン・タリはキョ・イシリの右腕を掴み、押し倒した。

「いてて、どうしたの? なんで倒したの?」

 シン・タリに地面に倒され、キョ・イシリはきょとんとした。

「かぁー」

 引き絞るような声がした。老婆が発した。

「へ? 嘘」

 老婆の腹にキョ・イシリの突撃棒が刺さっている。慌ててキョ・イシリは突撃棒を引き抜いた。

「ぁぁあ」

 老婆は腹を押さえた。目には憎しみがこもっている。

「なんで、なんで、こんなことって」

 キョ・イシリは確認するかのように、シン・タリを見つめた。

「殺せ」

 シン・タリは再び、キョ・イシリの右腕を掴んだ。


 ソ・キ・ハナは不思議とおそわれた。包丁を持った男、棒を持った男、スコップ、鉈、様々な人間がソ・キ・ハナに襲いかかってきた。どれも皆、ソ・キ・ハナの頭をねらって攻撃してきた。それをよけ、突撃棒で殺した。「俺の頭を狙うなって!」だが、気づいていた。暴徒は皆痩せほそろえ、弱っていて、追い詰められていた。「くそ!」


 上半身裸の男と、プフ・ケケンの目があった。やせ細れ、汚れていた。男は慌てて路地へ逃げ込んだ。プフ・ケケンは安堵した。だが、すぐに戻ってきた。その路地にも特殊武装隊がいたのであろう。男はプフ・ケケン達をにらみつけ、別の路地に逃げ込んだ。

 暴徒は町の一角に集められた。老人も子供も女も病人も若者も中年もすべていた。やがてすべてが閉じられる。

 新兵は、みな躊躇した。ベテランの兵はだまって突撃棒をふるった。それにつられ何人かの新兵が突撃棒をふるった。動かない新兵は後ろにいる銃を持った兵が、警告を出す。それでも動かないと足を打たれる。それでも動かないと、頭を撃たれ殺された。プフ・ケケンも足を撃たれていた。左の太ももを撃たれた。骨には当たらず貫通していた。痛みもなんだか自分のものか、他人のものか、よくわからなかった。プフ・ケケンは足を引きずりながら敵を探した。飢えた人々がいた。泣き叫ぶ人がいた。命乞いをする人がいた。人が倒れていた。いくら探しても敵はいない。プフ・ケケンは母親の事を思い出した。プフ・ケケンの母親の死体は背が縮んで見えた。両の肩に頭がめり込んでいた。突撃棒で頭を殴られると、まれにこうなる。「踏まれるより踏んだ方が良い」父親の言っていたことが、正しいことなのかどうかわからなくなった。

 子供が一人歩いてきた。痩せ細り大きな瞳をくるくるさせ、手に持った握り飯を幸せそうに食べている。プフ・ケケンは脇にどいて、その子供を通そうとした。

 振り返ると、銃口がプフ・ケケンの額を狙っていた。

 大きな瞳をした子供がいた。


 皆、逃げようとした。暴徒も特殊武装隊も、逃げ場はない。懇願した。自分を、女房だけでも、子供だけでも。武器を持っているものもいた。包丁や棒、武器を持っているものは真っ先に殺された。武器を持っている人間は、殺しやすいからだ。一人の人間に何度も振るった。牛の咀嚼のように棒を振るった。俺は今殺しているんだ。俺は今殺しているんだ。自分から頭を差し出す人間もいた。目をつぶって、盗んだ酒を、垂らしながら飲んでいる人間もいた。彼らを救う者も、彼らが祈る神もこの国にはいない。


 死体は集められ積み上げられた。どこから現れたのか、棺桶業者が大量の棺桶を敷き詰めていた。

 プフ・ケケンは死体の足を掴んで引きずり運んだ。最初はもっと丁寧に運んでいたが、数が多い。教官のテンフ・ポポイは相変わらずニタニタ笑いながら片付けていた。教官のルト・アタは、死体の片付けに飽きたのか、野良猫をにゃーにゃー言いながら追いかけていた。ジェット・ケヌは憔悴しきった顔で震えていた。その様子を銃を持った兵隊が監視している。

 死体の片付けが終わり、プフ・ケケンは突撃棒を手にへたり込んだ。左足の傷は自分で消毒し包帯を巻いて止血した。

 騒動が起こった。特殊武装隊の何人かが、軍の指揮官らしき人間にくってかかった。銃を持った兵が間に入り、指揮官を守った。しばらく、にらみ合いが続き、特殊武装隊が引いた。

 指揮官が、プフ・ケケンの方に歩いてきた。プフ・ケケンは立ち上がって近づいた。護衛の兵は、もみ合いになった特殊武装隊の方を警戒している。

「なぜ、自分たちの銃でやらない」  

 プフ・ケケンは指揮官に問うた。指揮官は驚いた顔をした。護衛の兵もプフ・ケケンに気づく。だが、すでに突撃棒の間合いだ。返答次第で、プフ・ケケンは指揮官を殺すつもりだった。指揮官はプフ・ケケンの目をじっと見つめ答えた。

「銃を持つと、人は万能感に駆られる。銃を持っている人間に暴徒を殺させると、それを助けたくなる人間が必ず出てくる。そうなるとやっかいだ。味方だと思っていた人間に撃たれることになる。だから、殺す側とそれを監視する側にわけた。ずっと、前からな」

「なにも、俺たちを撃たなくても良いじゃないか」

「我々は、選択を迫られる。暴徒を銃で撃つか、暴徒を殺さない特殊武装隊を撃つか、我々は、お前たちを撃つよ。飢えた人たちを殺すより、お前たち特殊武装隊の方が撃ちやすい。お前達は、何人もの弱い人たちを殺すからな。暴徒を殺すより、お前らの方がずっと殺しやすい」

「なぜ、皆殺しにしなくてはならない。捕まえるなりなんなりすればいいじゃないか!」

「皆飢えている。一般の市民もだ。だから暴動が起きるんだ。そんな状況で暴徒の生活の面倒を見る食料はこの国にはない」

「子供まで殺す必要があるのか!」

「お前が面倒を見るのか? 軍に面倒を見てもらっている人間が、それならいくらでも助けてやる。親を殺して子供だけ残すのか。どのみち長生きはできない。悲惨な目にあって死ぬ」

 そう言うと指揮官は、プフ・ケケンの横を通り過ぎた。

「待てよ。まだ終わってない」

 プフ・ケケンは呼び止めようとした。

「もういい」

 プフ・ケケンの背後からぼんやりとした声が聞こえた。

 振り返ろうとしたプフ・ケケンの頭を、誰かが殴った。意識がなくなる瞬間、突撃棒を振るおうとしたが、苦虫をかみつぶしたような顔が見えて、やめた。



 作業は深夜まで続き、朝、訓練所に帰ることができた。その日の訓練はすべて休みだった。

「あいつら変だよ。テンフ・ポポイ教官を見たか、人を殺しながら笑ってるんだぜ。なんで笑ってんだ。なんで楽しそうにできるんだ」

 サイ・タタラは泣きそうな顔で言った。唇の端が赤く、ただれている。何回も吐いたからだ。

 訓練生達は何人か死んだ。死んだ訓練生は全員銃で撃ち殺されていた。生き残った訓練生は血で汚れていた。

「うん、ルト・アタ教官も変だったよ。猫を追いかけてた。いや、違う。いつも通りだったんだ。二人とも、いつも通りだったんだ」

 あんなところで、キョ・イシリは恐怖に震えた。

「皮肉だな、まともな教官は、苦虫だけだったんだな。あいつは、震えていた。突撃棒を振りながら震えていた。何度も突撃棒を落としていた。あいつが最初に言ったこと覚えているか? 君らは悲惨な目に遭う。ここに来たことを後悔する。そう言ってたよな。ほんとにその通りになった。地獄だ」

 シン・タリは頭を抱え込んだ。シン・タリは自分のやったことが恐ろしかった。人を殺したこと、それよりも、仲間に人を殺させたこと、キョ・イシリに殺させなければ、軍に殺されていた。自分がやらなくても、仲間がやらなくても、暴徒は全員殺されていた。仲間が自分のことをどう思っているのか、怖かった。自分は仲間に人を殺すことを強要した。もちろん仲間のためだ。自分が強要しなければ、頭を打ち抜かれていた。近くにいた同じ訓練生も、足を撃たれ、それでも行動を起こさなければ、頭を撃ち抜かれていた。だから殺させた。説明はできる。だが、人の心は理屈で、できていない。何より自分自身、自分がしたことを納得していなかった。仲間の顔が怖くて見れない。その顔にちょっとでも、自分に対する憎しみが浮かべば、それが怖い。

「あいつら、壊れているんだろうな」

 プフ・ケケンがぼんやりした顔で言った。ジェット・ケヌに頭を殴られ、目が覚めてから、ずっとこんな感じだった。現実感がない。ずっとふわふわしている。ずっとこんな感じなら、なんとか生きていけそうだ。プフ・ケケンは、そう思った。

「違う。直し損なったんだ」

 ソ・キ・ハナが言った。

 ソ・キ・ハナが両親の酒屋で働いていた頃、ずっと、ソ・キ・ハナの頭の傷を見ている客がいた。一人でじっと酒を飲みながら、目だけは、つつと、ソ・キ・ハナの頭の傷を見ている。その視線を感じながら、注文を取っていると、いつもチップをくれる客の一人が、こう言った。「気をつけろよ。あいつ資材置き場で怪我してからおかしいんだ。怪我は治ったが、それ以来、ちょっと変でな、体のあちこちに包帯を巻いているんだ。何でそんなことしてるのか、包帯の中どうなってるのか知らないけどな、とにかく、気をつけろよ」その忠告通り、ソ・キ・ハナを見ていた客は、ある日突然、ソ・キ・ハナの頭にかじりついてきた。

「俺の頭の傷も、時間がたてば治った。でも傷跡が残る。縫い方によって傷跡の治り方は違う。あの三人の教官もそういうことだと思う。人間は壊れたままでは生きていけない。だから、無理矢理にでも治すんだ。あの二人は壊れた心を治し損なったんだ」

「俺らもそうなるのか」

 サイ・タタラが力なく言った。


 夜、虫の声すら弱々しかった。訓練所周辺は、干ばつの所為で、辺り一面、茶色く乾燥していた。

「いいんだな」

 シン・タリは金網の前で四人に言った。

「うん、ここにいたくない」

 キョ・イシリは忌々しげに訓練所を見つめた。教官達に教えられた暴徒に対する憎しみが、キョ・イシリの心の中で、今でもくすぶっていた。それがたまらなく嫌だった。

「おれもいやだ」

 プフ・ケケンは、あいかわずぼんやりしていた。だが、そのぼんやりとした思考の中でも、一筋だけ強固な意志の光があった。もうあんなことはしたくない。

「あんな風に、なりたくない」

 ソ・キ・ハナは傷だらけの頭を触った。ここで頭を守るすべは覚えた。だが、人を傷つけることによってできる傷もある。それらを守るすべを、ここにいる人間は誰も知らない。ここにいたら、おかしくなっていくだけだ。

「珍しく全員一致したな」

 シン・タリが言った。

 この国は、島国という地形的檻と王政という制度上の檻で二重に囲まれている。ここから一歩出たところで、状況が好転することはない。逃げ場所なんてどこにもないし、頼るべき人もいない。それでも少年達は逃げることを決めた。

 金網上部の有刺鉄線に毛布をかぶせ、金網を乗り越えた。手にはそれぞれ突撃棒を持っている。他は何もない。この先どうなるのか、いくら考えても何も出てこなかった。

 

 シン・タリ達五人は訓練所を脱走し、三十分ほど移動した。丘を一つ超えたところで、人影が三つ現れた。

「どこに行くのかな」

 テンフ・ポポイ教官がいた。その横ルト・アタ教官がいた。その後ろに、ジェット・ケヌが暗い顔でたっていた。

 五人は凍りついた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る