第29話、城、刑事、パン
城
次の日、コソ・ヒグは城に行ってみることにした。いつもの手順で中に入り、執事が迎えに出てくれた。
「お久しぶりでございますね」
「ええ、お久しぶりです」
執事の目を見たが、そこにはなんの感情も感じられなかった。
「今日はどういったご用件で」
執事が聞いてきた。
コソ・ヒグは一瞬詰まった。もちろん捜査に来たのだ。だがなんの捜査だ。自殺に見せかけ殺された見習いパン職人のフウ・グの事件か、それともメイドのカカ・ミ嬢の自殺か、大きな流れに逆らい、捜査をしている一刑事としては、どちらも口に出すのが、はばかられるような気がした。
「パンを、パンを食べてみたくなりましてね」
コソ・ヒグはそういった。言ってみてから、おかしなことを言ってしまったと少し後悔した。
「パンですか。パンをね。お仕事中に、まあ、評判ですからね」
なぜか、執事の顔色が少し変わったような気がした。
パンの焼ける香ばしく、甘いにおいが、歩くたびに強くなる。パンを食べに、執事のテケン・ホ・メリ・ホにそういったものの、本気で言ったわけではない。言った手前、親方の所に行こうと、歩いているといい匂いがしてきた。オーブンのある部屋の扉を開けると、熱気とともに、伸び上がるような香りがした。
釜はすでに開け放たれ、型に入った食パンが親方の手によって一個ずつ取り出されていた。
「ああ、刑事さん来てたんですね。ちょっと待ってくださいよ」
親方は、使い込まれたミトンを手にはめ、型を取りだし、それをカンと一鳴らし、中の食パンを取り出す。膨らんで収まりきらず腹太鼓のように飛び出した山型の食パンが焼き上がっている。それがどんどん取り出される。
「なんだか、ずいぶんややこしいことになっているそうですね」
親方が作業を終え振り返った。
「ええ、メイドのカカ・ミ嬢の裁判のことを言っているんですね」
「うちの職人の間でも、噂になってますよ。箝口令は一応出てるみたいですけどね」
「どのような噂になっていますか」
「我々にとっては、あまり、良い噂ではありませんな。フウ・グの奴が、メイドを殺して、しかもバラバラにして、兄の元へ届けたとか、それがばれそうになったから首を吊ったとか。そんなことありませんよね」
親方は顔を少し引きつらせながら言った。
「捜査中ですから、何とも言えませんね」
この親方には、自分が知っていることをすべて話したかったが、ここは城の中だ。誰に聞かれているかわからない。
「そうですか」
親方は肩を落とした。
「噂は噂ですよ。あなたは自分の知っていることを大切にすればいい」
「そうですよね。ええ、あいつがそんな悪いことするわけありませんよ。人を殺してバラバラにしたって、そんなことできる奴じゃない。そんなことする奴、うちの職人に、わしの弟子に一人もいない」
親方は拳を握りしめた。ああ、いい匂いがする。
「その、話は少し変わるんですが、あの、そこにある食パンですが、ちょっともらえませんかね」
コソ・ヒグは少し首を伸ばした。
「ええ、もちろん、まだ食べてなかったんですか。早く言ってくれればよかったのに、城にいる人は誰でも勝手に食べても良いですよ」
親方はちょっとお待ちと言い、紙袋を広げ振り、中に空気を入れ膨らまし、その中にさっき焼き上がったばかりの食パンを入れた。
「ありがとうございます。こんなにいただいて」
「いえいえ、いくらでも持って行ってかまいませんよ。さっきも言いましたけど、これは、サービスみたいなもんですからね」
「いや、わかってたんですけど、一応私も仕事中なんで、遠慮してたんです。でも、親方が釜を開けたときの匂いの所為でたまらなくなって頼んでしまったんです」
親方はにやりと笑った。
「でしょ、できたてはうまいですよ。ちょっとちぎって食べてみなさい」
コソ・ヒグは親方のすすめにしたがって、紙袋に手を入れた。まだ熱く堅い皮に少し力を入れると、割れ、それをつまんでひっぱると、湯気と、その湯気の元の白いパン生地があらわれた。
「うまい、皮の部分もおいしいですね。凝縮された感じで、生地の部分はすごい膨らんでて、うまい。生まれて初めてですよ、焼きたてのパンを、しかも手で裂いて食べるなんて」
コソ・ヒグは笑顔を浮かべた。
「そうでしょう。うちの焼きたての食パンは、好評で、焼き上がりを頼む人もいらっしゃるんですよ」
「その気持ちわかりますよ。焼きたての食パンを頼みに、ここまで来るんですか」
そういいながら、コソ・ヒグはパンをちぎってほおばった。うまい。
「いえいえ、さすがにここまでは来ませんよ。注文が来ますから、配膳室の方に持って行って、そこからメイドが、焼きたてをお客さんに持って行きます」
「確か、フウ・グ君がここからいなくなったとき、オーブンが開けっぱなしになっていたんですよね」
「ええ、そうでした。オーブンのふたも開いてましたし、食パンも型ごと一個、中途半端に出てて、ミトンも片付けてませんでした。便所か何かでも行ったのかと思いましたよ」
「食パンが一斤出てたんですか?」
コソ・ヒグは手を止めた。
「ええ、私が見たときはそうでしたよ。そこの、釜を開けた入り口辺りの机に、型に入ったパン一斤とミトンが置いてました」
「それは、不自然ですね」
なぜ一斤だけでていたのだ。
オーブンからパンを出そうとしたときに、なにかがあった。一斤だけパンを出し、客室に行った。違う。呼び出された。フウ・グは、客室に呼び出された。なぜ客室に行ったのだ。パン職人が客室に行く理由なんて。
「パンしかない」
コソ・ヒグはフウ・グが首を吊った客室へ向かった。
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