第26話、酒場
酒場
「またひどいことになるな」
ウヌ・ヘ・プ・グが酒場のカウンターでつぶやいた。
「ひどい事ってなんだ?」
ハス・レシ・トレスがウヌ・ヘ・プ・グの横で言った。ハス・レシ・トレスとウヌ・ヘ・プ・グは共に退役軍人だ。ハス・レシ・トレスは海軍、ウヌ・ヘ・プ・グは陸軍に所属していた。通常、陸軍と海軍は伝統的に仲が悪い。二人が知り会ったのは、退役してからのことだ。五年前、退役軍人友の会で知り合った。
「ひどい事ってなんのことだ」
ハス・レシ・トレスは再び問うた。
「暴動だよ」
「暴動? 暴動なんて起こってないぞ」
「裁判だよ。王を訴えている裁判、あれきっかけでおそらく暴動が起きる」
ウヌ・ヘ・プ・グは唇をかみしめた。
「なぜ、そんなことがわかるんだ」
「わかるんだよ。オレは何度も暴動を鎮圧してきた。いや、虐殺か。民衆の中でぐつぐついっている音が聞こえるんだ」
ウヌ・ヘ・プ・グは頭を抱えこんだ。時々こうなる。頭の中でせめぎ合いが起きるのだ。速やかな対処、圧倒的武力による速やかな対処が、暴動の広がりを抑える一番の薬だ。自分はそれをしてきた。暴動が広がれば犠牲者は増える。それを食い止めるために暴徒を殺した。被害を最小限に抑えるための必要悪だ。そう教わってきたし、そう教えてきた。
それですんなりと納得できるわけがない。陸軍時代、ずっとそのことを考えていた。だが答えは出ない。他の方法を試したことがないからだ。この国はそうやって力で秩序を保ってきた。
退役してやっとその悩みから解放される。そう思っていた。だが退役した今、どちらかというと、ウヌ・ヘ・プ・グは、一般市民側にいる。暴動を起こす側の気持ちが昔よりずっとわかるようになった。暴動を起こす側の正義、暴動を鎮圧する側の正義、どちらの気持ちもわかる。暇な分、ウヌ・ヘ・プ・グの懊悩は退役した後の方がずっと深くなっていた。
「お前が悪いわけではないだろ。命令されてやったことだ」
ハス・レシ・トレスは慰めるようにウヌ・ヘ・プ・グの肩を叩いた。
「ああ、そうだ」
そんなことはわかっている。命令されて殺したからといって、殺した事実に変わりはない。自分がやらなくても、他の人間がやっている。現に今、若い兵が、自分と同じように暴徒を虐殺している。ウヌ・ヘ・プ・グの息子は現在陸軍にいる。ウヌ・ヘ・プ・グは陸軍だけには入るなと息子に忠告した。本人の意志なのか、軍の意向なのかわからないが、陸軍に入隊し、すでに将校になっている。出世をしているということは、それだけ人を殺していると言うことだ。暴徒をいや、そもそも、暴徒などではない。ただ単に、生活に困った市民がまっとうな生活を求めて戦っているだけだ。自分の息子はそれを殺している。
自分が懊悩しているように、息子も頭を抱えているのではないのか? そう思うとたまらない。だが、どんなアドバイスを与えてやればいい? 自分が解決できない問題を息子にアドバイスできるはずもない。強いて言うなら、軍を辞めろ。そう言うしかない。
悩んでも仕方がない。だが、できることは何もない。あるとしたら、やはり悩むことぐらいしかないのだろう。
「私は海軍だったからな。せいぜい逃げる船を沈めるぐらいだ。どちらかというと、私はいつも外を向いていたからお前の悩みは、正直よくわからないよ」
海軍は海域の監視、空軍は空域の監視、そして陸軍は、国民の監視、昔から、そう揶揄されていた。
「ああ、そうだ。海軍の人間に俺たち陸軍の気持ちなんてわかるかよ」
海軍の主な仕事は、密輸だ。国外で軍事協定を結んでいる国で、給油する間、海軍の軍人はその国の港に降りることができる。その際、ドブゾドンゾでは手に入らないようなものを手に入れる。もちろん、密輸は固く禁じられている。だが国外のことまで国が監視することはできない。現実は海軍の裁量に任せられている。
海軍の男は女にもてる。この国では手に入らないものを手に入れることができるからだ。化粧品やアクセサリー、海軍の男はこの国の人間と言うより、少し外の国の人間と見られている。だが陸軍の男は、嫌われる。国民を殺し自由を奪っているからだ。
なぜ俺たちだけが恨まれる。新聞でもそうだ。書かれているのは、住民の暴動と、それを阻止、いや虐殺した陸軍の恐怖、なぜ暴動が起きたか、なぜ虐殺したか、そんなことは一文字として書いていない。
「そうだな、報われないよな。同じように国のために働いたというのに、その結果、恨まれるのは、いつも陸軍、なんでこうなってしまうんだろうな」
ハス・レシ・トレスは言った。
「そんなこと、決まっているだろ」
「決まっている? どういう事だ」
「あいつだよ。すべての元凶は」
ウヌ・ヘ・プ・グの目がすわっている。
「それ以上は言うなよ」
ハス・レシ・トレスは釘を刺した。
「暴動も、陸軍による虐殺も、この国の腰の抜けたマスコミも、その原因は」
「やめろ」
止めつつも、ハス・レシ・トレスの目は少し笑っていた。
「すべて王の所為だ」
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