第25話、証拠、刑事と検事

 証拠


「俺の妹、カカ・ミだ」

 コソ・ヒグは絶句した。カカ・カに連れられ、漁協の冷凍倉庫についていった。その中の一角、冷凍庫の隅、魚が積み込まれているケースの奥に、いた。ビニール袋にくるまれ段ボール箱に詰められた。カカ・カの妹、カカ・ミの遺体が。

「もっていたのか!」

「そうだ」

 コソ・ヒグの先ほどの推理は完全に外れた。遺体の顔はカカ・ミだった。

「しかし、どうやって、葬式をしたんだろ」

「市の葬祭司が妹を棺を閉じた後、取り出した。代わりに重しの石を入れておいた。あんたの変な話も少しは当たっていたわけだ。妹がバラバラにされたことをみんな知っていたから、誰も、棺の中の妹の死体を見ようとはしなかった」

 通常は、最後のわかれに、棺のふたを取って、死者にお別れの挨拶をするものだが、死体に損傷が激しい場合、ふたを開けずに葬儀を進める。

「しかし、そうか、あんた裁判の証拠に取っていたのか」

「そうだ」

 死体からわかることは多い。コソ・ヒグも、刑事として、様々な死体から事件解決の糸口を見つけた。カカ・カの妹の死体を、検死官が調べたとは思えない。だから証拠品として取っておいたというわけか。かといって、検死官に調べてくれと、死体を持っていっても、王が関わった事件だ。事実をねじ曲げられる可能性がある。そう考えたのだろう。

「俺に、こいつを調べろと?」

 コソ・ヒグはカカ・カに問うた。

「そうだ」

「検事は、このことを知っているのか」

「いや、あの男は信頼できない」

 カカ・カはきっぱり言った。

「なぜ、俺に頼む。さっきあったばかりの男だ」

「あんたは、自分からここに来た。あんたはいくつもの疑問を持っていた。あんたは答えを探している。だから俺は、あんたを信用することにした」

 カカ・カはコソ・ヒグの目をじっと見た。

「あんたは、一体何をしたいんだ。俺が来なかったらこの遺体をどうするつもりだったんだ」

「本当は検事に期待していたんだ。妹の死の原因を突き止めてくれるってな、当てが外れた。死んだとしても、俺の妹だ。信頼のできないやつに渡せない。あんたがこなかったら、ひっそりと海に流してやろうと思っていた」

「なぜ、いきなり裁判なんだ。警察になぜ通報しなかった」

「警察は信用できない。それはあんたが一番よく知っているはずだ。無かったことにされるか、偽の犯人を捕まえて、終わり。そんなことになるぐらいなら未解決のまま、記憶に残った方がいい。裁判にも少しは期待していたんだがな」

 確かに警察は信用できない。それはわかる。だが、カカ・カが警察に通報していたら、違った展開があったのではないか? 少なくとも見習い職人のフウ・グが殺されずにすんだのではないか。警察に通報しても結局同じ結果だったかもしれないが。

「俺は、刑事だ。彼女は、預からせてもらう。俺は自分の仕事をする」

 今できることをするしかない。

「それは良い」

 カカ・カは満面の笑みを浮かべた。


 コソ・ヒグは、ビニール袋に入ったカカ・ミ嬢の遺体を、発泡スチロールの箱に入れ、身元不明の遺体として解剖に出した。

 署に帰ると、人が待っていると言われ、階段脇の休憩室に行くと、男が一人座っていた。

「ひょっとして、コソ・ヒグさんですか。私は、検事のニコ・テ・パパコです」

 ニコ・テ・パパコは名刺を出した。

「コソ・ヒグです。お待たせしました。何かご用ですか」

 こいつが、例の検事か、コソ・ヒグは名刺を受け取った。自信ありげに曲がった唇、どこを見ているのかわからない目、遠くを見すぎて足下が見えていない人間のように見える。なんとなくだが、カカ・カが信頼できないと言っていたのがわかる気がする。


 検事


 この男はずいぶん疲れているな。ニコ・テ・パパコが抱いた、フン・ペグルの第一印象だ。

 実際、コソ・ヒグは、ここ最近ろくに寝ていない。

「ずいぶんお疲れのようですね」

 彼は、プレッシャーに押しつぶされ、精神的に疲れ切っているのだ。かわいそうに、私が助け船を出してあげよう。ニコ・テ・パパコはそう思った。

「いつものことです」

 コソ・ヒグは答えた。

「あなたが抱えている自殺者の件ですが、私が現在かけている事件といささか関係があるようなので、お話を聞かせてもらえないかと、ここに来たわけでして」

「そうですか」

 どうやら、この検事はフウ・グの事件を自殺だと思っているようだ。

「その自殺したパン職人、彼の部屋から、血のついた包丁が見つかったと聞きましたが、事実でしょうか」

「フウ・グです」

「はぁ?」

「見習いパン職人のフウ・グです」

「ああ、そうそう、そういうお名前でしたね。その彼の部屋から、包丁が、血のついた包丁が、発見されたというのは、事実ですか」

 ニコ・テ・パパコは噛んで含むようにしゃべった。

「ええ事実です」

「そうですか、さぞお悩みでしょう。自殺したパン職人、ええと、フウ・グ氏でしたかな、彼の部屋から血のついた包丁、さぞお悩みでしょう」

「ええ、まあ、そうですね」

 もちろんだとも、悩みに悩み抜いた。今も悩んでいる。

「そうでしょう、大変だったでしょう。一見不可解な事件ですが、私は、すべての謎を解いたつもりです」

「ほう、そうですか」

「ご存じかも知れませんか、巷を賑わせている裁判、メイドの死亡給付金裁判、私は、その裁判の担当者なのです。メイドを殺し、五体バラバラにしたのは、自殺したパン職人ではないかと私は考えているんです」

 ニコ・テ・パパコは笑みを浮かべた。

「えっ、そうなんですか」

 コソ・ヒグは驚いて見せた。

 パン職人のフウ・グがメイドのカカ・ミを殺しバラした。この説はコソ・ヒグが真っ先に除外した説だ。人を解体した肉切り包丁を、部屋の中に置いておくのは不自然だ。しかも、血も洗っていない。そんなものを部屋の中に数日間置いておけるものではない。それから肉切り包丁の持ち手に、フウ・グの指紋がしっかり付いていた。まるで判で押したかのようにだ。長時間包丁を使っていたら、その柄にはたくさんの、こすれ消えかかった指紋が残るはずだ。それがない。フウ・グの死後、何者かが包丁に指紋をつけたと見て間違いないだろう。

「ええ、そうでしょう、驚きでしょう。ですがね、私の考えたところ、メイドに振られた、パン職人がかっとなり殺してしまった。死体の処理に困った犯人は城の外に運ぶため死体をバラバラにし、実家に送り届けた。その際、鶏肉を落として殺された。と、荒唐無稽の嘘をついて、その責任を王様になすりつけようとしたのです。ところがです。私の依頼人、カカ・カ氏が死亡給付金請求の裁判を起こしたため、追い詰められたパン職人は、首をつって、自ら命を絶ったのです」

 ニコ・テ・パパコはどうですかと、強くうなずいた。

「ほう、そのようなことがあったのですか。思いもよらないところでつながっていたんですね。おかげで助かりましたよ。これで事件が一つ解決しました。あなたのおかげです」

 コソ・ヒグは握手を求めた。ニコ・テ・パパコは、いやいや、私は何も、と言いながら、まんざらでもない顔をし、しっかりと握りかえしてきた。

「実は今日うかがったのは、次の裁判に出ていただきたいからなんです。パン職人の自殺の件について、証人として裁判に出たいただきたいんです」

「裁判ですか。そうですか。そういうことならわかりました。喜んで出させていただきます」

「ありがとうございます。これで、私の裁判も解決です。あなたの事件も」

 ニコ・テ・パパコは満面の笑みを浮かべた。それから裁判の日取りを知らせ、コソ・ヒグをねぎらう言葉をかけ、軽やかに去っていった。

「裁判か」

 裁判まであまり時間がない。それまでに、この事件の真相を掴まなくてはならない。コソ・ヒグは覚悟を決めた。

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