第17話、裁判官、刑事

  裁判官


「いったい私はどうなるんだ」

 裁判官のフン・ペグルは、頭を抱えながら一人行きつけの飲み屋で飲んでいた。客はフン・ペグルも含めて数人しかいない。フン・ペグルは一人カウンターの端っこで飲んでいた。ずいぶん客と客の間が広い店だな、初めてこの店に入ったときフン・ペグルはそう思った。テーブル席は四人がけが四脚、普通に置けば、四人がけのテーブルが六脚はおけるはずだ。初めて入ったとき、客はフン・ペグル一人だったため、カウンター席の端っこに座った。それ以来、そこがフン・ペグルの定位置になっていた。

 酒を飲みながら、料理をつまむ。ふかした芋をつぶし、中に魚のすり身を入れた団子が塩スープに浮かんでいる。この国ではよくある家庭料理だ。フン・ペグルはいつもこれを注文した。味はまぁまぁだ。べつに好物というわけでもない。いくつか食べてみてこの店で一番うまい食べ物がこれだったからだ。この店の売りは食べ物ではない。

「マスター、珍しいのちょうだい」

 フン・ペグルはコップを指さしながら言った。毛糸の帽子をかぶったこの店の主人が、わかりましたと、店の奥に引っ込んだ。この店ではちょくちょく、この国の物ではない、珍しい酒が入る。どういうルートがあるのか、主人は、外国製の酒を取り扱っていた。ほとんどの外国製品は法律で取引を禁じられている。それを裁判官である自分が飲むのはいかがなものかと思ったが、一度飲んでしまえばもう、この国の酒とは違う、香りや味、ひりひりとする喉ごしに、はまってしまった。飲んでしまえばわかるまい、証拠隠滅と、あっさりその誘惑に負け、今ではそれが、週末の楽しみになってしまっている。

 コップの中に少し黄色がかった透明な液体が注がれる。口に近づけるとかすかに果物の匂いがする。だが、果実酒というわけではなさそうだ。一口含むと、酸味と甘みがくる、鼻を通った香りは、米の香りがした。 

「いいねぇ」

 自然と笑みがこぼれた。考えてみると、ほっとするのは、ここにいるときぐらいだ。

「お疲れのようですね」

 店の主人が言った。

「ああ、大変なんだよ」

 フン・ペグルはぽつぽつと、愚痴をこぼした。これもいつもの光景だ。

 この店の主人は、いつも帽子をかぶっている。一度、フン・ペグルは、何をそんなに隠してるんだ、ハゲてるんだろう。気にするな、取れ取れと、酔った勢いで、主人に絡んだ。主人は苦笑いし、それだったらいいんですけどねと、帽子を取った。店の主人の頭は無数の古傷に覆われていた。あの日のことは、酔って忘れてしまったことにしている。



 刑事


 小さな町の一角にフウ・グの父親の仕事兼住居があった。フウ・グの父親は工務店を営んでいる。おせじにもきれいとは言えない建物に、整然と様々の道具が置かれている。どの道具も手の跡がしみこんでいた。

「すいません。誰かおられますか」

 コソ・ヒグはフウ・グの両親に会いに来ていた。ガラス戸を開ける。すこし間が空いて返答が帰ってきた。

「どなたですか」

 疲れた顔をした中年の男が出てきた。

「警察の者です。少しお話を伺いたいのですが、亡くなられたフウ・グ君の御家族の方ですか」

 男は、一瞬顔をしかめ、指をズボンで拭いた。

「フウ・グの父親です。どうぞ中に」

 案内されるまま、コソ・ヒグは中に入った。応接室に案内され、ソファーに座った。

「お茶をお出し、したいところなんですが、少し立て込んでまして、すいません」

 人の気配が感じられない。従業員はいないのだろうか。休みを取っているのかも知れない。

「失礼ですが奥様は」

「家内は、体調を崩していまして、実家の方に帰っています。それで、お茶の場所もよくわからなくて、申し訳ありません」

「いえ、お気遣いなく。私はコソ・ヒグといいます。フウ・グ君の件の、担当をさせてもらっているものです」

「それは、わざわざどうも」

「フウ・グ君の事をお聞きしたく、よろしいでしょうか」

「そうですか」

 フウ・グの父親は向かいのソファではなく、斜めに置いてあった古いパイプ椅子に座った。

「フウ・グ君は、どういう経緯で、城のパン職人の見習いになったのでしょうか」

「いろいろありましてね。息子はうちで働いてたんですよ。うちは工事屋でしてね。仕事があれば何でもしますよ。家を建てろと言われれば建てますし、道路をしけと言われればやります。何でもできると言えば聞こえはいいが、どれも、中途半端なもんです。何一つ誇れる仕事をしてこなかった。それが原因でしょうかね。息子がパン屋になるって言い出したんです」

「しかし、なぜ城のパン屋に、他にもパン屋はあったのではないですか?」

「もちろんそうで、でも、会っちまったんで、一年に一度、城近くの町で、お祭りがあるのはご存じですか」

「ええ、知っています」

 コソ・ヒグは何度か祭りの警備をしたこともある。

「そこで毎年、城の方から、いろいろと振る舞われるんで、たまたま、そこらで、道路工事の仕事があって、私らは、いっていたわけです。もちろん、フウ・グもいました。仕事させておったんです。仕事が一段落ついて、暇ができたんで、祭りに行こうと言うことになって、行ったんです。楽しかった。この国で一番の祭りですからね。当然でしょうけどね。あの子もうれしそうで、それでね、城のパン屋が作ったパンが、無料で振る舞われていたんです。食ったんですよ。ところが、フウ・グの野郎が、感動って言うのかな。えらく感動しちまって、パン屋になるって言い出したんです。そいで、そのまま、親方のところに駆けていって、弟子にしてくれって、止める間もありませんでしたわ。口ん中パンでもぐもぐ、って、何言ってんだがわからねぇけど、言っていたんですわ。それで、弟子にしてくれ、弟子にしてくれって、親方がうんうん頷いて、馴れていたんですかね。飛び込みの弟子入り。とりあえず、祭りが終わってから話そうって話になったんです。確かにうまいパンでしたよ。一流って言うんですか。やっぱり、いい仕事してるんですね。私らとは違う。それに惚れたんでしょうかね。息子は。それで、まぁ、一応あきらめるよう説得したんですよ。小さいですけど、うちの跡継ぎのつもりでしたんで、でも、だめで、結局、親方と会って話をってことになったんです。祭りが終わって、みんな後片付けしてました。椅子が出してあって、それに座って、三人で話しました。一時間ぐらい話しましたかね。いい人です。あの親方は、私も最後は、いつのまにか、親方を説得する側に回ってましてね。息子を頼みます、パン屋にしてくれってね。うんと言ってくれましたよ。あれが、どうなんでしょうね」

 フウ・グの父親は、うなだれた。話をするうちに目がどんどん小さくなっていくように見えた。

「失礼を承知で聞きますが、息子さんが自殺するような原因、何か思い当たることはありませんか」

「自殺ですか。城のかたが、自殺って言うんなら、自殺なんでしょうね」

 目をそらした。

「思い当たらないということですか」

 フウ・グの父親はコソ・ヒグをにらみつけた。

「思い当たるも何も、関係ないでしょうが! 城の人間が、自殺だって言うなら、自殺でしょうが、私らどうしろって、無理でしょが! 違うっていったって意味ないでしょうが!」

 城の人間が自殺だと言えば、この国に住む人間には、覆すことのできない事実になってしまう。そう思いこんでいる。いや、思いこみばかりとは言えないのか。

 その後、殺されたメイドの事も聞いたが、フウ・グの父親は何も知らなかった。コソ・ヒグは、かける言葉をろくに思いつかないまま、フウ・グの父親の家を後にした。

 城に何のつてもない少年が、城のパン屋になる。親にまで頭を下げさせ彼はパン職人の見習いになった。そうまでしてなったのに、自ら死を選び、その道をはずれるだろうか。あの親方の元だ。きちんと勤めれば、ちゃんとした職人になれたはずだ。それをフウ・グもわかっていたはずだ。


 署に帰るとフウ・グの死因究明書が届いていた。死因は頸椎圧迫による血流の途絶と窒息による死亡、首筋に傷はなく、首に巻いたロープを取り外そうとした形跡もなかった。指先の爪に繊維が残っていた。衣服の繊維ではない。犯人と争ったときについたものではなさそうだ。フウ・グの服の繊維でもない。ふとんや枕に使われる綿、おそらく、パンを取り出すときに使うミトンだろう。ほかに外傷はもなく、争った形跡も特に見られなかった。死亡推定時刻は、昼、フウ・グが一人でパンの焼き上がりを待っていた前後一時間。自殺である可能性が高いとかかれていた。

 もう一つ、鑑識からの報告があった。フウ・グの部屋から発見された肉切り包丁には人間の血痕と肉片が残っていたそうだ。包丁の柄にはフウ・グの指紋がくっきり残されていた。

 包丁の柄は、一度洗って乾燥させたような跡もあったそうだ。血のついた刃の部分は洗わず、柄の部分だけ洗うようなことをするだろうか。そもそも、凶器の包丁を部屋のクローゼットに置いておくだろうか。普通はどこか外に捨てる。カカ・カの元へ死体を運んだ人間がフウ・グだとしたら、どこでも捨てられたはずだ。

 フウ・グは自殺ではない。無惨にも何者かに、殺されたのだ。ただうまいパンを作りたい。そう願って、努力して、毎日がんばって、希望を持って、日々生きてきた人間を、自殺に見せかけ殺したのだ。おそらくメイドのカカ・ミを殺害した犯人に仕立て上げるためだろう。コソ・ヒグの心に沸々と怒りがこみ上げてきた。

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