第12話、裁判
裁判官
「もうすぐ、あの裁判か」
裁判所内の食堂で、フン・ペグルは魚の煮付けをつつきながら、ため息をついた。食欲はない。周りの目も、気のせいかもしれないが、ずいぶん変わってしまったような気がする。哀れみともかすかな恐怖とも、とにかく、見えない溝のようなものが感じられた。
裁判官は裁判案件を選ぶことが出来ない。その裁判所内の裁判局長が仕事を割り振る。言い換えれば裁判局長は裁判を選ぶことが出来ると言うことだ。もっと上の方にあった案件が下に下に押しつけていった結果、自分が貧乏くじを引き当てたと言うことなのかもしれない。
一般的には知られていないが、王に対する告訴のたぐいは昔からいくつかあった。ただ告訴しても結審に至る案件は少ない。圧力でもかかっているのか、途中で取り下げる事が多い。結審された判例を調べてみたが、裁判所の判例室にもなく、中央の証拠品書庫からの取り寄せとなった。無数の手続きを取らされた上、取り寄せたものが、不思議なことに、資料の一部紛失やコピーの際の汚れで、まともに読めるものは一つもなかった。何の参考にもならず、自分がくだした判決もこうなってしまうのかと、フン・ペグルは憂うつになった。
裁判
首都ゾドン市にあるゾドン東地区裁判所は十八世紀初頭に建てられたゴシック調の建築物である。海外から建築家を招き十年の歳月をかけ完成させたそうだ。古い建物であるため、至る所に補修の跡があった。法廷はすり鉢状になっている。その真ん中に証人席がある。その向かいに三人の判事が並んで座っている。フン・ペグルは真ん中の主任判事席に座っていた。右の副判事は、判事歴六十年の大ベテラン、コトト・ピ・キョ。左は、まだ若く経験も浅いヌコタ・リ。落ち着きが無く体を時々揺すっている。
この国の裁判には、弁護士はいない。弁護士がいないため、判決は早い。検事が起訴状を読み上げ、被告を連れてきて罪状認否、証人尋問と、速やかに判決が下される。基本的に訴えた方がなにかと有利である。
ドブゾドンゾの裁判は、三人の裁判官の多数決により判決がくだされる。結果が公表されるため、二対一で有罪ということもある。再審制が無いため、有罪判決を受けた被告は微妙な気持ちで判決を受け止めなければならない。
告訴人席にはカカ・カが座っていた。その横に検事のニコ・テ・パパコ。その向かいには被告人、ここに王が座る予定なのだが、そこには誰もいなかった。傍聴席には記者が数人、後は話を聞きつけた命知らずの傍聴マニアが数名いた。
検事のニコ・テ・パパコは、目をつぶり思考していた。あれから王に関する判例を読みあさったがまともに読めるものはなかった。もちろん王が敗訴したなどという記録はない。ただわかったことがある。裁判に関わった人間のその後の歩みだ。一番わかりやすいのは、裁判官だ。途中、告訴を取り下げられた裁判の裁判官は、その後、順調に出世している。結審にまで至った裁判官は、二通りある。そのままの地位にとどまったものと、飛びに飛ばされ消えてしまった者、記録に残っている限り、出世した者はいない。検事に関しては、まちまちだ。大幅に出世した者もいれば、飛ばされた者、微罪で逮捕されている者、行方がわからなくなった者もいる。うまくすればいい結果を生み、下手をすれば転げ落ちる。ということだろう。
肝心のカカ・ミ嬢殺害の調査はあまり進んでいなかった。調べる時間が足りないということもあるが、証拠があまりにも少ない。カカ・カの話では、妹がズタ袋に入れられ、城の使いが持ってきたことと、死亡給付金は出ないという話だけだ。カカ・カの父親はうなされているし、カカ・カの妻は実家に帰っている。妹の死体も埋葬されたようだし、証拠が何もない。城に入る許可を申請しているが、まだ返事がない。有力な証言が取れるとも思わないので、仮に城に入れても、まともに話が聞けるか怪しい。かなり分が悪いといってもいい。
だが、希望がないわけではない。今回、ニコ・テ・パパコが狙っているのは、勝訴ではない。敗訴だ。もちろんただ負けるだけでは、なんの意味もない。それではただの無能だ。適当に王を追い込んで、示談に持ちこむ。もちろん表向きは告訴断念という形を取る。それから、カカ・カに金を渡し、王に貸しを作り、自分は出世する。三方丸く収まることになる。とりあえず都市部の特別検事あたりを狙いたいものだと、ニコ・テ・パパコは勝手にそう考えていた。
傍聴席にいる記者のヨン・ピキナは、メモをとっていた。他紙の記者も何人か来ており情報を交換してみたが、やはり記事にするかどうか微妙なようだ。当たり前のことだが王は来ていない。メモを取りながら記事の内容を少し考えてみた。
『自らの不利益にもかかわらず、我らの王は来なかった。告訴人は憎々しげにその空いた席をにらみつけていた。悲しむべきは人の死であろうが、一人のメイドの死が、王の責任であるなどという、妄言的告訴が果たして通るのであろうか? 我が身をかえりみず、日々我らの国の指揮をおとりになっている、敬愛すべき我らの王に対して、この無責任かつ、不敬きわまりない男は、メイドの死に荷担していると本当に思っているのだろうか? 椅子に座り卑しき瞳で辺りをにらみつける男の要求は、自分の妹の死亡給付金である。なんと、死亡給付金である。金である。悲しむべき妹の死を、この男は金に換えようとしているのである。』
記事にするとしたら、こんな感じだろうか。
こんなでたらめが、すらすら出てくる自分に、ヨン・ピキナは嫌気がさした。
「では、検事、訴状の読み上げをお願いします」
裁判官のフン・ペグルが言った。ニコ・テ・パパコが立ち上がり、訴状を読み上げようとした。
「ちょっと待て」
カカ・カが突然声をだした。
「どうかしましたか?」
裁判長のフン・ペグルが声をかけた。
「なぜ王はいない」
カカ・カが言った。法廷が静まりかえる。誰もが避けていた話題である。
「書面で通達したのですが、来ていないようですね」
検事のニコ・テ・パパコは内心の動揺を隠し、不可思議そうな顔を作り言った。事前に城の方には、訴状と、裁判証書と予定日時が送られている。もちろん、返事を期待したわけではない。規則として送っただけだ。案の定黙殺された。
「裁判に被告人がいないのはおかしい。連れてきてくれ」
カカ・カは憮然とした表情で言った。
「いや、しかし、王ですよ」
裁判官のフン・ペグルは目を見開いた。連れて来いって、迷子じゃあるまいし、おいそれ連れてこれるものでもないだろう。
「だからなんだ。裁判だぞ。来るのが当たり前だろ」
「しかし、王ですよ。来れるわけが」
「なぜだ」
「なぜって……」
フン・ペグルは、言葉に詰まった。誰であれ、裁判になればどのような事情であれ、来るのが当たり前だ。こないときもあるにはあるが、せめて代理を立てる。この国の裁判には弁護士はいない。自分を弁護できるのは自分だけだ。よって訴えられた人間は自分を弁護するため自ずと来るようになる。いろいろ問題のある裁判制度である。被告人が来なかった場合でも、裁判は滞りなく行なうことはできる。弁護士がいないため、いないならいないで、検事と裁判官が、証人と証拠で裁判を行うことが十分可能だからだ。だから来なくても問題はないと言えなくもない。
検事のニコ・テ・パパコはこの状況にとまどっていた。裁判初日は、告訴状の読み上げで終わる予定だった。王が来るとも思っていなかったし、来てもらっても困る。王に近づきたいとはいえ、あまり近づきすぎて恨まれるのも困る。骨があって有能な奴だ。などと王の側近に思われる程度の近づき方をしたいのだ。だが、カカ・カの言い分も一理ある。
「裁判長、告訴人の言うとおり、被告人が来ないのはおかしい。円滑な裁判を進める上で、いささか問題がありますね」
ニコ・テ・パパコは言った。
「しかし君」
「裁判長、ここは、今一度、召喚状を出すと言うことでいかがでしょうか」
とりあえずの時間稼ぎだ。その間に、このやっかいな告訴人を説得しようと検事のニコ・テ・パパコは考えていた。
「そうですね。それいいですね。そうしましょう」
裁判長のフン・ペグルは検事の案にのった。
「強制召喚状を出せ」
カカ・カが言った。
フン・ペグルは驚いた。慌てて、左右の副判事を見る。右の副判事コトト・ピ・キョは、頭を傾け耳たぶをもみ、耳が遠くてよく聞こえなかったふりをした。左副判事のヌコタ・リは、首を振り、僕じゃないですよと、意味不明のことを言った。
検事のニコ・テ・パパコも驚いた。強制召喚状とは、裁判所の判断によって、裁判をいやがる関係者を強制的に裁判所に連行することができる方法だ。あまり出されない。別に被告人がいなくても裁判は進められるからだ。よって、どうしても聞きたいことがあるか、逃走した被告人ぐらいにしか出されない。なぜ漁師が、強制召喚状の事を知っているのだ。ニコ・テ・パパコは疑問に思った。カカ・カは一冊の本を取り出した。『これであなたも起こせる。裁判!』ニコ・テ・パパコが出した本だ。第四章、被告人が裁判に来ないときはこうしろ! そこに強制召喚状の件について詳しくかかれている。これの所為か。帯には『これ一冊で裁判に勝てる!』と、でかでかと書かれていた。そんなわけ無いだろう。正直にそう思った。
「強制……」
この国の絶対権力者を無理矢理連れてこいと言うのか、いったい誰がそんなことができる。ひょっとして私がやるのか? 裁判長であるフン・ペグルは頭を抱えた。
「裁判長、一時休廷と言うことでよろしいのでは?」
老齢の副判事コトト・ピキョが言った。フン・ペグルはその提案に飛びついた。
「そうですね。休廷します。検事と告訴人、調整室に来てください」
裁判長、副判事、検事、告訴人は法廷から退出した。
これはえらいことになる。記者のヨン・ピキナは確信した。休廷中に他紙の記者と情報交換した。どの記者も興奮気味だった。裁判所はどう動くのだろうか? 強制召喚状を裁判所が出すと言うことは、王を頂点にした権力機構の崩壊を意味する。何者をもってしても動かない動かせない、それが絶対権力者と言うものだ。これは書かざるを、いや、書かなければいけない問題だ。だが、どう書く。この国では誰も真実を書かない。事実をえり好みされ、歪曲された王のための記事になる。ヨン・ピキナ自身、そんな記事ばかり書いてきた。例えばこうだ。
『裁判は始めから躓いた。まるでつばを吐かんばかりに、告訴人はわめき叫んだ。「王が何でいないんだ!」隣にいた検事が冷静に告訴人をたしなめたが、告訴人の暴挙は収まらない。「強制的に連れてこい!」なんと驚いたことに、この男は我らが王、この国の最高責任者である敬愛すべき我らの王を、国務を無視して力ずくで連れてこいと、大声で叫んだのだ。あまりの告訴人の態度の悪さに、裁判官は眉をしかめ、傍聴席からも非難の声が漏れた。裁判は結局休廷となった。』
という感じになる。
この裁判で何が明らかにされるのだろう。真実か、それともねじ曲げられた事実か? 休廷中、何が起こっているのだろうか?
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