第8話、刑事コソ・ヒグ
刑事になって五年、コソ・ヒグは見えないものがあまりにも多いことに気がついていた。仕事柄、見たくないものをたくさん見せられる。その多くは貧困から来るものだ。問題は見えないもの、その象徴が城だ。
朝、徹夜明け、深夜の大捕物、十人あまりの窃盗団を捕まえた。どれもやせこけていた。夜の中、懐中電灯の光を浴び、幽鬼のように逃げまどう彼らを追いかけることに、コソ・ヒグは強い罪悪感を感じた。
捕り物も終わり、さて、ソファーで仮眠をとろうかと、思っていると、電話が鳴った。コソ・ヒグ以外誰もいない。くそ。
「強殺班、ただいま休憩中だ」
コソ・ヒグの所属する強盗及び殺人犯係は、主に凶悪事件を扱う、コソ・ヒグの受け持つ管轄は、犯罪多発地帯と言ってもいい。とてもじゃないが、すべての事件に対応できない。よって、休憩中などと言ったのは、単なる冗談だ。
「事件だ。自殺らしい。行ってくれ」
電話の相手は、コソ・ヒグの冗談を無視して、用件だけを手短に伝えた。
「部長、朝まで走りまわったのに、なんで自殺なんて、わざわざ俺が行かなきゃならんのです。二級刑事でも行かせりゃいいでしょ」
「相手が悪い。自殺したのは、城の人間だ。へたな人間に、行かせるわけにはいかない」
それで俺か、コソ・ヒグは内心舌打ちした。かなり端っことはいえ、コソ・ヒグは一応、王の遠い親族である。王の親族は、この国では何かと優遇される。問題が起きたときもだ。城の中に入って何らかの捜査をするには、王の遠い親族という肩書きが、役に立つ、部長はそう考えたのだろう。
「わかりました。すぐ行きます」
「頼む」
必要な情報を聞きだし、電話を切り、眠い頭をかきむしり外に出た。署から出ると、太陽の光が目を差した。
車に乗って、曲がりくねった丘の道を慎重に急いだ。道の外には地雷が埋まっているという噂を聞いたことがある。あくまでも噂だが、それを確かめようとは思わない。鑑識はすでに城に着いているそうだ。あとは、適当に事情聴取をすませて、車の中で昼寝をする。コソ・ヒグは希望的予定を立てていた。
城の衛兵に言われるまま、車は門の近くの駐車場に止めた。銃を持った衛兵に、身分証を提示し、身体検査を受け、城の門をくぐった。
真っ直ぐのびた石畳、左右に植木、中央に噴水、そして、白い城。
「城っぽい城だな」
コソ・ヒグはつぶやいた。
「城ですからね」
「おっ」
いつのまにか、コソ・ヒグの横に男が一人立っていた。
「私は、この城の執事をやっております。テケン・ホ・メリ・ホです」
「どうも、強殺班のコソ・ヒグです」
コソ・ヒグは身分証明書を出した。執事はちらりと見た。
「事情はうかがっております。城の案内をさせていただきます」
「助かります。でも、どうせならメイドさんの方がよかったかな」
「こちらへどうぞ」
コソ・ヒグの軽口を無視して、執事は歩いた。二人は城の入り口の扉を開け、城の中に入った。
城の中は、空調がよく効いているらしく、乾いた空気と適度な温度が保たれていた。玄関から入ってすぐ、広間になっている。少し行くと二本の階段が左右にあり、二階に続いている。床の色は緑、雨の日に滑りそうだった。大理石の床の上に赤い絨毯を敷いているとコソ・ヒグは勝手にそう思っていたが、こっちの方が、絨毯より掃除が楽かも知れないともおもった。
「三階の客間です」
執事は、左の階段をさし、再び案内した。
「見取り図とか無いんですか?」
階段を登りながらコソ・ヒグは問いかけた。
「あります。ただし四階までしかありません。それでよければ後でお渡しします」
四階より上に王族がいるということか。ということは四階より上には、上がってはいけないということになる。コソ・ヒグの好奇心が軽くうずいた。
「奥の306号室です」
執事に案内され、三階に上がり、306号室に入ると、鑑識の人間が床をはいつくばっていた。軽く挨拶を交わし、鑑識の人間に状況説明を求めた。死因は縊死、カーテンレールにロープを吊って、その輪っかの中で外の風景を見ながら、死んでいたそうだ。死体はすでに無く、カーテンレールにぶら下がったロープがあった。
この国の鑑識能力は、指紋が採れ、その判別はできる。血液型はわかるがDNA鑑定はできない。一部コンピューター化が進んでいるものの、かなり古い物を使っていて、土の分析や弾丸の鑑定などはできない。
「自殺か?」
コソ・ヒグは問うた。
「検死をしないとわかりません」
「だいたいわかるだろう」
「遺書はありません。ですが、遺体の首筋にひっかき傷はありませんでした」
首を絞められ殺された人間は、絞められているものをはずそうと、首をかきむしり爪で傷跡を残す。
「ふうん、何者だ?」
「パンの見習い職人です。名前はフウ・グ、部屋の掃除をしにきた掃除婦が発見したそうです。身元もパン職人が確認しました」
この国では、鑑識係が現場の初動捜査もついでにおこなうこともある。人手が足りないのだ。
「なんで自殺したんだ?」
「そこまで、私に聞かれても、それを調べるのは、あなたの仕事じゃないですか?」
「違いない。パン屋でいじめられたかな。調べてくるよ」
コソ・ヒグは背筋を伸ばし、せっかくだから、事情を聞くついでに城の観光でもしようかと扉の方を向いた。部屋の外にいる執事と目があった。執事はすぐ目をそらした。目の奥になにか鈍い光のようなものをコソ・ヒグは感じた。何かいやな感じがして、コソ・ヒグは改めて部屋を見渡した。豪華な部屋だ。こんな部屋に泊まる機会は自分にはないだろう。もちろん、パンの見習い職人にもだ。なぜこの部屋で死んだ。別に他の場所でもよかったんじゃないか。城は広い、自殺する部屋ならいくらでもあるだろう。人目につかないからか? いや、それならガラス戸に向かって首は吊らない。見つかりたかった。なら、もっと目立つところでもいいだろう。なぜ、カーテンレールで首をつった。頑丈にできているとはいえ、一般的にはあまり丈夫ではない。折れるかもしれないと思わなかったのか? 高さも中途半端だ。背の高い人間なら足がつきそうだ。ドアノブのような低い位置で首をつった人間がいるにはいるが、通常は、もっと高いところを選ぶのではないだろうか。天井にぶら下がるシャンデリアなんかどうだ。目立つし、椅子にのってひもをかければちょうどいい、おそらく頑丈だろう。なぜ外を向いて首をつった。外の風景を見なければいけない理由でもあったのだろうか。
「ガラス戸は開いていたのか?」
コソ・ヒグは鑑識に聞いた。
「いえ、閉まっていました」
コソ・ヒグは顔をしかめ考えた。寝不足でなかなか頭が回らない。
「椅子に乗り、椅子を蹴って首を吊ったんだな」
コソ・ヒグは、床に転がっている四つ足の木製の椅子を見た。
「ええ、そうです」
「椅子のあった場所はわかるか?」
「はい、ここに」
鑑識が指し示した先に、絨毯にプラスチックの矢印が、四カ所置いてあった。
「ここに、椅子を置いて、カーテンレールにロープを結び、首にロープをかけ、椅子を後ろに蹴り首を吊ったわけだな」
実際に椅子を置いてみた。どうもやりにくい。微妙に位置が悪い気がする。
「はい、そうです」
「少し遠くないか?」
「そうですね。でも、椅子の位置から、ロープに首がとどきますし、おかしな点はないと思いますが」
カーテンレールの高さは、およそ二メートル、そこにロープを結びつけ、輪を作ってある。輪は力が加わると、しまる結び方をしている。この結び方はこの国では割と広く知られている結び方だ。別におかしなことはない。フウ・グの身長は百六十センチ、ロープの長さから見て、フウ・グは十センチほど宙に浮くことになる。少し短い気がする。椅子の上に立ち、中腰でひょいと首を伸ばし輪の中に首を入れ、椅子を蹴ってぶら下がる。やはりやりにくい。だが、できないわけではない。
コソ・ヒグは目を細め、ガラス戸に顔を近づけた。ガラス戸に傷はなかった。
「ガラス戸は閉まっていたんだろ。椅子を蹴って首を吊った反動で、振り子のように、ガラス戸に、彼の膝なり足なりがぶつからないか?」
鑑識の男は、つり下げられた輪を見上げ、頭の中で計算した。
「ぶつかるかもしれません。ですが、そっと降りればガラス戸にぶつからず、首を吊ることができるでしょう。また、ぶつかっても、ガラス戸に傷が付かない程度の衝撃しかなかったのかもしれません」
「そっと降りたら、椅子は倒れない。椅子を後ろに蹴っているんだ。首を吊るとき、ガラス戸に足がぶつかると考えなかったのか? もっと近づいて吊ればいい。なぜ、窓の方を向いて首を吊った。なぜ、カーテンレールなのだ。高さも微妙だ。吊ろうと思えば、他にもやりやすい物はある。なぜだ」
「わかりません。自殺する人間は平静の状態ではありません。やりやすい方法をとる必要性もないでしょうし、ただ単にそこまで考えていなかっただけなのでは?」
「本当に自殺だったのか?」
コソ・ヒグは思案げにつぶやいた。
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