最終章 ~end of act~

「――ルン――ノルン……」

 いつから気を失っていたのか。再び目を覚ました時、、光を遮る彼が自分を見下ろしていた。

「しょう、い……私、最後まで……見ましたよ」

「ええ。助かりましたよ」

 満身創痍の体で、変わり果てたノルンの髪を撫でる。

「……一体どこから見えていたんだ?」

 声がして、二人はその方を見る。

 ボートが〈ラプラス〉を取り外し二人と同じ高さまで下りてきていた。

「最初に少尉に向かって手榴弾が投げられた時から、一つの終着点として見えていたと思います」

「……なるほど。爆発で外れた床板で手榴弾を挟んで発射台の代わりに――その手榴弾はどこから?」

「あいつの懐に滑り込んだ時に掠め取っていたようです」

 その時の少尉にはほとんど意識がなかったが、その無意識が功を奏した。

「少し先の未来で勝とうとするのは難しいです。最後の最後に少尉が生き残る未来は、これしかありませんでした」

 その為にはより深く未来に潜り込む必要があった。時間を稼ぐ為に少尉が接近戦をする必要があった。

「それでも、かなりギリギリのところでしたが」

「……それで? どうやってこれを壊すつもりだ? とてもじゃないが、君たちの装備で破壊できるとは思わないが」

「それは……」

 ノルンは不安そうに少尉の横顔を見た。最深部に到達する必要があるというのは聞いていたが、具体的にどうやって〈セリブラム・ラプラス〉を破壊するのかは聞いていない。

 床にへたり込み子機にもたれ掛かった少尉は、腕時計を見ると少し微笑んだ。

「よかった……間に合ったみたいですね」

「なにを――」

 言いかけて、突如として地面が大きく揺らぐ。その衝撃で立っていたボートがよろめく。

 部屋に響く、くぐもった爆音。

「まさか――」

「俺の役目は囮。世界を救うのはいつだって彼女の役目だ」

 言い終わると、二度目の爆発が起こる。

「侵入したのは俺たちだけじゃない。侵入と同時にマイクロドローンを使用不可にしたのも、派手な戦闘を繰り返しながらここまで来たのも――彼女の存在を悟られないためだ」

「そ、そうだったんですか⁉」

 量子ステルスを使ってゴムボートに隠れ、少尉たちが囮をしている間に要塞内で彼女が動く。

「だが、それだけでこの要塞を落とすのは不可能なはずだ。まして〈ラプラス〉を破壊するなど――」

「この要塞が建造物で、人が暮らす設備がある以上。内部には必ず設計上の脆弱性がある。そこを突けば要塞はバランスを崩す。あとは自重によって崩壊する」

 最小の爆薬で最大限の効果を狙い、爆破のタイミングをずらせば要塞の自重を利用できる。

 爆薬の量や建物の弱点を計算したのはムム。それから作戦補助のあの若い男。

「あとはタイミングよくムムが隔壁を開放すれば、流れ込んだ海水がここまで届く。この海の深さなら、水圧でそれの装甲が歪むのはムムが計算済みだ」

「そうか……そうなのか……」

 ふらふらと黒い立方体にもたれ、ずるずると座りこんだボートは「あるべきでない技術は自然摂理によって淘汰される……確定した運命、か」と呟いた。

「どうして、こんなことをしようと思ったんですか」

「ノルン――っぐ!」

「大丈夫です。少尉」

 立ち上がったノルンがボートに歩み寄る。

 それを防ごうと少尉が前に出ようとしたが、爆発の衝撃を受けた足がどうやら骨折してしまっているらしい。

 そんな彼に優しく微笑みかけ、さらにボートに近づく。

「――死ぬこともできずに腐っていく祖国を、この手で殺してやりたかった」

「何を――」

「あの国の政治家は嫌いだったが、あの国は好きだった。山も森も湖も、そこで暮らす人々も……」

「…………」

 懺悔のように独り言つボートを、二人は黙って見ていた。

「だが、もうあの国は終わってしまった。愚かな人間達によって腐ってしまった。そして死ぬこともできない。ならせめて私の手で――」

「ならどうして世界を巻き込んだ?」

「皮肉なことに、あの国は大きくなりすぎてしまった。あの国を殺すには世界を巻き込む必要があった」

 少しでもノルンに近づこうと体を引きずり、邪魔な装備を外した少尉を見て「君にならわかるだろう?」とボートは笑った。

「俺には祖国を愛する気持ちがわからないので」

「フフ、そうか――」

 空っぽの笑い声をあげたボートが、次いでノルンを見た。

 あの頃見た子供のような弱々しい、仮初の意思は感じない。

「時代にそぐわない、行き過ぎた技術はやがて自然淘汰される、だったか?」

「それは――ソフィアの言葉です」

「そうか、ソフィア君だったか」

「覚えていましたか」

「ああ。最後まで君の研究に反対していたのは彼女だけだったからな」

「――――っ」

「それで、今の君には何が見えている?」

「行き過ぎた技術は、自然淘汰される……」

「そうか……」

 俯くボートを見たノルンが、少尉に向かってゆっくりと振りかえる。

「ありがとうございました。少尉――」

「待て、ノルン――」

「私を、ここまで連れてきてくれて」

「ノルン――」

 ぶるぶると震える腕で何とか体を持ち上げて、激痛に耐えながら立ち上がろうとする少尉に穏やかに微笑みかけるノルン。視界の奥で二十二口径を握るボートを捉えた。

「待っ――」

 軽い破裂音が、その場にいた者の耳に届いた。


「……え?」

 その時が来たら、目を閉じずに受け入れようと心に決めていた。

 だが、やっぱりその音が怖くて反射的に目を閉じてしまっていた。

 だから、体全体に重みが加わる衝撃に「銃で撃たれるのってこんな感じなのかな?」と少し拍子抜けしてしまっていた。

「どう、して……」

 目を開けた時、自分に覆い被さる灰色頭の男に激しく困惑した。

「――さすが君でも、彼の〈祖父殺し〉を見抜けなかったか――っ!」

 ボートも驚いていたが、次いで二発の銃声が鳴り響きその体が崩れ落ちた。

「――少尉‼」

「しょうさ――少尉がっ――」

 屋外連絡橋から現れた少佐が、足を引きながら階段を降り少尉に駆け寄る。

「少尉しっかりしろ‼」

「少尉っ! そんなっ――いやっ――」

 痛みは感じない。全身を包む心地いい熱を感じながら、涙を浮かべるノルンと汗で髪の張り付いた少佐を見上げる。

「よかった――君を助けることができて」

「しょうい……」

「君は、生きて……この世界を知って――もっと生きる喜びを――」

「喋るな少尉、応急手当をする」

 制止する少佐の声は少尉には届かない。三度目の爆発が、今までにないほど部屋を大きく揺らす。

「この世界に、俺やボートのような世界を壊しかねない人間は必要ない――」

「――しょういっ‼」

「そんな――悲しそうな顔をしないでください――」

 初めて――生まれて初めて心の底から笑えたような気がした。



「――ここは?」

 目が覚めた時、少尉は細くまっすぐと伸びる光の道を歩いていた。

「やっと、きづいてくれた」

「に、ナ――」

「おにいちゃん」

 道の前を歩く、白いワンピースが眩しい、黒い髪の少女。

「は、ははっ――そうか、ずっとそこにいたのか――」

「うん。ずっとみてたよ」

 前を歩くニナを追いかける。頬を止めどない涙が濡らす。

「すまないっ――ごめんっ、ニナ――」

「おにいちゃんったら、ずっときづかないんだもの」

 可愛らしく頬を膨らませながらこちらを振り返る純粋な姿。

 涙を流す顔が痙攣して、少し痛い。

「すまない、許してくれるなんて思わない――」

「だいじょうぶ。わたしはおにいちゃんをうらんだりしてないよ」

「そう、なのか」

 ゆっくりと歩調を合わせて隣に並んだニナが、こてんと頭を少尉の腰にあてる。

「ずっとみてきたもの」

「で、でも俺は――」

「ひとりも、みすてなかったでしょ」

「だ、だが俺は――人殺しを楽しむ異常者だ――」

 隣を歩くニナの顔を見れない。

本当はもっと見ていたい。抱きしめたい。その心に、許しに飛び込んで甘んじたい。

だが、その権利は自分にはない。

「おにいちゃんさ――ちいさいころ、なにになりたいっていってたか、おぼえてる?」

「え――」

 唐突な問いに思考がかき消された。

 言葉を失った少尉の右手を、小さら両手でぎゅっと掴む。

「どんなにつらくても、どんなにたおれそうでも、そんなこんなんをわらいながら、ひとをたすける――そんなひーろーに」

「――――」

「なれたんじゃない?」

 再び正面に立ったニナは少尉の顔を覗き込む。両手を繋ぎゆっくりと持ち上げて引っ張ると背中向きのまま歩き出した。

「――――いいのか? こんな俺で」

「いいんだよ。これからも、わらってひとをたすけるひーろーで」

「……ヒーローは少し自信がないな」

「あっ、おにいちゃんわらった!」

 にっこりと眩しい笑顔を向けたニナが、両手を入れ替えて背中を向け、少尉を引いて進む。白い道を

「……てっきり、地獄への道は緑色なのかと」

「もう、おにいちゃんってば、あいかわらずじょうだんがつまんない」

「そうかな」

「ええ。そうよ」

 道の先が眩しく光る。

「ほら、みんながまってるわ」

「……また、会えるかな」

「しんぱいしなくても、わたしはいつもそばにいるよ」

 道の向こうで、誰かが呼ぶ声がする。



「――少尉!」

 少し低くて、凛とした声が現実に引き戻した。

「……しょう、さ」

「走れ少尉! 時間が無い!」

 言葉の末尾が爆発音でかき消される。

 朦朧とした意識で見渡せば、誰かに肩を貸してもらい引きずられながら連絡橋を進んでいた。

 辺りには火柱が上がり黒い煙が漂い、時折爆炎が何某かのコンテナが空中に舞い上げていた。

「――少尉! 頑張って!」

 前をふらふらと走る少佐とその向こうに、やはりふらふらと走るノルン。

 では、自分の両肩を支えているのは――

「お前もっと急げ!」「馬鹿、世界を救った英雄殿を殺す気か⁉」「俺たちも死ぬぞ!」

 第一隔壁前で戦った傭兵。その隊長と人質に取った男が自分に肩を貸していた。

 隔壁を閉じる前の交渉が功を奏したらしい。生き残りたければここで待て。そして爆発と同時に隔壁が開くから合流しろと。

 連絡橋は三つに分岐して、その先のヘリポートではヘリが浮遊しながら待機していた。

 どうやら彼らの仲間はうち二つにすでに乗り込んでいるようだ。

『――指令に掛ケ合っテ何トかヘリを二つ手配デキた。彼等を騙サズに済んで何よリだ』

 随分久しぶりにムムの声を聴いたような気がする。

 そんなことをぼんやりと思っているうちにヘリに担ぎ込まれる。

「いいぞジョナサン! 出せ!」

 固い床に倒れこみ、開け放たれた扉から燃え盛る要塞と海の上に浮かぶ太陽を見る。

「少尉――」

「あ、ああ――ノルン――」

 首を傾けると全身が痛む。涙目の少女と疲労しきった顔で微笑む女性が、自分を見ていた。

「思い出したんです」

「思い出した? 何をだい?」

「昔の――小さい頃の夢を――」

「ゆめ、ですか?」

「はい。僕は――ヒーローになりたかったんだと、思います」

 それを聞いた少女は目を見開いたが、何も言わずに微笑み少尉の手を握る。つい一時間前と比べて白髪が大量に交じり、灰色になった髪が風で揺れる。

 そんな様子を見ていた女性は、眠りの落ちていく意識の中で独り言を零す。

「――まるで、兄妹のようだね――」

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