最終章 ~Point of Departure~
扉が大げさな音を立てて開く。
ノルンはその前に鳴った鍵が開く音だけで、体を飛び上がらせて、扉からさっと離れる。
そのつもりだったが、一度座ってしまった足は鉛のように重たく、足をもつれ転んでしまった。
「大丈夫ですか?」
「しょ、少尉――」
ボロボロで、それでも両足でしっかりと立って、敵から奪った銃を肩に担いだ少尉を見て、思わず目が熱くなる。
「――少しは、休めましたか」
それに気づかないふりをしながら、彼は後ろ髪を撫でて彼なりの冗談を言った。
「えっと、もう足が棒みたいです……ふふふ」
「え、何か変なこと言いましたか?」
「いえ、そうじゃなくて――ふふっ――すみません」
その不器用な仕草に、初めて真の姿を見た気がした。
おかしくないはずなのに笑ってしまった。
「――行きましょう、少尉」
「はい。あと少しです」
差し出された手を取って立ち上がる。重たかった足が、少しだけ軽く感じる。
「やっぱり人影がありませんね」
『――そレガ、隣の第三隔壁にモ反応がナい』
「えっ、それって――」
「何らかの方法で隠れている?」
「そう、なんでしょうか……?」
「わかりません。今なら何が来ても納得できる気がします」
「そう、ですね……」
会話をしながら第二隔壁沿いを歩き、扉の前に迫る。
第三隔壁前より狭くなった床面積により一つ一つの壁が短く、間に立つ柱の本数も少ない。
少尉は鼻から大きく吸い、ゆっくりと口から息を吐く。
「ムム、開けてくれ」
『――わかった』
レシーバーを取り付け、ムムが操作する間の静寂が訪れる。
『――こっチノ扉も同じヨうニスるか』
「お願いします」
数秒後、扉が開く。
「「…………」」
扉が開いた瞬間から、二人の体を撫でる冷たい空気。
正面二十メートルにも満たない位置に、第二隔壁とほぼ同じ大きさの第三隔壁。
壁と壁の間には柱が等間隔で立っている為、やはり床面積に対して感覚的に狭く感じる。
そしてその天井は果てが見えず闇に呑まれているが、闇からは不思議と日光が差し込み、舞う埃をキラキラと照らしていた。
少尉は無言で一歩を踏み出して、少し遅れてノルンが続く。
しっかりと両手に保持した敵の小銃を油断なく構える。自分の小銃はスリングで体の前から腰にかけて固定して、いつでも持ち替えられるようにしてある。
柱の裏や、壁の角を念入りに索敵しながら、扉に迫る。もちろんノルンがいるので必要性は不明だが、少しでも危険と負担を減らすためには油断はしない。
「――少尉……」
「ここか」
そして、壁の周りを一周した二人は、扉の前に立つ。
これまで見てきたものとは少し違う見た目。壁より少し窪んだ位置に設置されていて、窪んだ部分の壁に例の掌紋認証と虹彩認証、それに加えてカードキー認証が設置されている。
無言で少尉はムムに任せた。
『――――これは』
「どうかしましたか?」
不安そうにノルンが扉を見つめた。
『――いやまさか――クッソ‼』
「ムム――」
『――ここダケ暗号化方式がスり替えラレてやガるっ!』
「じゃ、じゃあ解除は――?」
『――コノ形は……自動生成ガ作り出ス形ダ……』
「――っ⁉」「そんな――」
『やはり、念には念を入れよとは正しいね』
二人を包む肌触りの悪い声に、全身の毛が逆立つ。
「ボート……」
『やあ少尉。どうだい? 私のもとに来る気にはなったかな』
「ここを開けてくれたら、考えなくもないですよ」
『はっはっは――君がジョークを言うようになるとはね。どういう心境の変化だい?』
「ムム――解除できるか?」
ボートの質問を無視して、少尉はムムに問う。
『――自動生成シスてムが無いトハ言え、これモ比較的新しク作らレタものだ……』
しかし、返って来る声は自信なさげで弱々しい。
『――解除できるかと言われると……』
「ムム。これは貴方が作ったものです」
『――正確ニは私ノ分身ダ……』
「私たちにはどうすることもできません」
『――私だって……』
「貴方にしかできないんです。ムムではなくては駄目なんです」
『――ッ』
少しの間。沈黙があった。
しかし、少尉は食い下がるわけにはいかなかった。何としてでもここを突破しなくては。
時間が無い。そう思った時だった。
『――少し時間ヲくレ』
はっきりとムムがいうのが分かった。同時に、キーボードを叩く音がはっきりと聞こえた。
『嘘だろ? 介入し始めたぞ』
「――さて、後は待つだけですね」
焦りを見せたボートを少尉は追い詰める。
『…………』
「少尉――」
「どうかしましたか?」
黙り込んだスピーカーの代わりにノルンが少尉の腕を引いた。
見れば、彼女の瞳が鈍色と薄鈍色を入れ替えて揺れている。
「――まさか」
『念には念を入れる。やはり私は正しかった』
スピーカーの向こうで、その男が笑うのがはっきりと分かった。
「少尉っ!」
ノルンがばっと背後を振り返った。
同時に、天井から何本かのワイヤーと幾つかの手榴弾が地面に落ち音を立てる。
少尉が振り返った時には、それらの安全レバーが散らばっていくのが見えた。
『さよなら少尉。君ならどうするか、私にはハッキリと見えている――未來視など無くともね』
時が途切れた。そう表現するのが正しいのだろう。
小さな少女を抱えて、手榴弾に背を向け手近な柱に飛び込んだ瞬間から、今この時に意識が飛んだ。そういう感覚があった。
しかし、まるで別の人間の体に乗り移ったような気分だ。
体は溶けた鉛のように重たく熱い。意識は朦朧として視界は不明瞭。そもそもここがどこかもはっきりとしない。
「少尉……しょう、い……?」
徐々に色が戻る視界に、自分を見下ろす少女が映る。唖然として、判然としない顔で、呆然と自分を見下ろしていた。
(……ああ、よかった……ニナが無事で)
肩まで伸びた美しいその黒髪に手を伸ばそうとした時、視界から少女が引きずられて消える。
「――しょ、少尉っ!」『――起きろ少尉!』
(……ニナ? どこへ行くんだ?)
「いやっ! 少尉! 嫌あ!」『――少尉! 頼む早く起きてくれ!』
(――ニナ! 待ってくれッ!)
首を必死に捻ってその少女を追う。激痛が、視界に歪みを与える。
「こいつ、どうします?」
「ボートさんはもし生きていたら連れてこいと言っていた」
「了解」
「――やだっ! 放して! 少尉‼ っ少尉‼」『――少尉‼』
「もう死んでる。暴れるな」
「――痛っ! 痛ぃ……少尉――助けて――」『――クソッ!』
黒い完全装備で身を包んだ男たちが、少女を無理矢理掴んで引きずっていく様子が見える。
(――――)
「少尉ぃッ! 死んじゃやだぁ――」
泣いている。痛そうだ。
「おい! 暴れんなっ!」
「いっ――痛い――止めて――」
(――――ニナ――――)
――瞬間、獣の咆哮が、その場にいた者の耳を貫いた。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
「な、生きてる――」
「 ‼」
獣は何某かを叫びながら飛び上がり。飛びついた。
「は、放せ! や、やめろ!」
「おい、暴れるな! 撃てない――」
「ギャアアアアアアアア痛い痛い痛い! や、あ、やめ――」
「野郎ッ!」「やめろ!」
背中から切りかかったナイフが、獣の背中を捉えることはなく味方の喉笛を貫く。その男の〈ラプラス〉は上にずらされ、眼球があるべき位置には血が溜まっていた。
「そ、そんな――」
「――――ッ‼」
味方を殺した男に、手榴弾の衝撃で破損した小銃で殴り掛かる。
一撃目で〈ラプラス〉が飛び、二撃目で顎が砕け、血が飛ぶ。馬乗りになって殴る。何度も何度も、執拗に。
「な、何をやっている! 撃て! 今だ!」「そ、そこをどけ!」
小銃がベタベタの血で塗られバラバラになった時、正面の敵が額を狙って引き金を引いた。
「 ッ!」
「な、この――」
銃弾を避けられたことに驚くよりも先に、男はナイフで脳天まで貫かれる。
「クソッ!」
「撃て!」
「だが――」
「もう助からん!」
「がああああああああ! やめろ! ――放せ! た、隊長! 助け――」
「もたもたするな!」「接近戦だ! ナイフを使え!」
「この、何て馬鹿力だ――う、腕が――」「痛っ――グ――が、は――」「ば、化物――」「何でだ! 何でっ当たらねえんだ!」
「助け――」「聞いてないぞ! こんなの――」「ああアああアアああぁ! 痛いイイイいぃ!」「馬鹿や――」
「やめろおおぉぉお――」
「死にたくない……死にたくないよ――」
「頼む――助け――」
――最後には、敵と自分の血で全身が赤黒く染まった獣が立っていた――
獣は、初めての二足歩行のようにフラフラ覚束ない足取りで腰を抜かした少女に歩み寄る。
「――ひっ」
その瞳には涙が溜まっていた。だがそれは、この獣に助けを求めた時とは別の味がする涙だ。
「――――」「少尉……?」
その獣を示す名詞で呼びかける。しかし、それがその男だという自信はなかった。
「よ った――今 は助 られ 」
男の表情は見えなかったが、その口元が優し気な微笑を作る。
次の瞬間には、その男は電池が切れたように床に伏していた。
酷く長い、もう覚めることのない悪夢を見たような気がした。
目を覚ました時、自分の頭には暖かくて柔らかい感覚。頬には熱い液体が、乾いた血液を溶かしながら流れていく感覚があった。
ニナが視界に映ることはもうなく、代わりに自分の頭を優しく両手で包む存在がいた。
「――――ノルン」
その名前を呼ぶと、長い黒髪が顔に垂れかかった。
「少尉――少尉っ――」
我慢していた分が決壊したように、止めどなく溢れ出した涙が自分の顔を濡らす雨となる。
「――すみません。自分がついていながら――」
「違います――違うんです――」
「…………怖がらせてしまいましたか?」
記憶はないが、自分の視界が映していた景色は頭の片隅にあった。およそ軍人や傭兵とは言えない野蛮で血生臭い闘いだ。その感触がまだ手に残っている。
「違います――どうして――」
「――――?」
「どうしてそこまでボロボロになるまでっ――貴方は――」
溢れる涙に言葉が遮られ、ノルンの言葉は最後まで続かない。
「………………ムム」
『――なンダ』
呼びかけた名前の主も、心なしか声が上ずったような、少し素っ気ない反応をされる。
「時間は――」
『――解除にハモう少シカかる』
「そうですか」
それを聞いた少尉は、動かすだけで痛みの走る左腕を持ち上げてノルンの髪を撫でた。
「――少し。昔話をしましょうか」
私には妹がいたんです。いつも私の後をついてくる、小さくて可愛らしい子が。
それから、両親と祖父母がいて。当時ではそれなりに裕福な家庭だったと思います。
幸せ、だったと思います。
両親は敬虔なカトリック信者で、ともに医者として働きながら非営利の人道支援団体としても活動していました。私達兄妹はその背を見て育ちました。
多分、幼年学校の長期休暇の時だったと思います。家族旅行に行きました。
そこは観光地ではあったんですが、つい数年前まで激しい内戦状態にあった場所で、観光地としての側面と、激しい戦闘の爪痕と、その復興が行われている国でした。
両親は啓発のつもりもあったんでしょうね。実際、私と妹――ニナは二人の背中に敬意を抱き、二人の手伝いを熱心に行っていた記憶があります。
この曖昧な記憶は、大きな爆発で一度途切れます。
気が付いた時には、私は地面と冷たくなった父親の体の間に挟まれていました。
反乱軍か何かの勢力に雇われた傭兵の攻撃が町中で始まったんです。
鍛えていた父の体は、脱力するととても重たく、非力な私ではピクリともしませんでした。
その体と地面との隙間から血を流して事切れた母も見えました。そして――
銃を持った男によって辱められる妹の姿が向こうに見えたんです。
「いたい、たすけて」と声を枯らして叫びながらこちらに手を伸ばすニナに、私は手を伸ばすことも、声を上げることもしませんでした。
そう出来なかったのか、そうしなかったのかは今となっては思い出せません。それどころか、妹の声も両親の顔も、今では朧気です。
妹のその最期まで目に焼き付けた時、遂に私も傭兵たちに見つかりました。
その男たちの隊長は、両親が殺され妹が辱められる光景を最後まで見ながらも声を上げなかった私を評価したのか、自分の拳銃を私の手に握らせました。
私は――家族と死を共にすることも、復讐を誓うこともありませんでした。
「僕を、あなたたちの仲間にしてください」
この言葉は、今でもはっきりと覚えています。
それが、一生をかけて魂を奉げる事になる、最初で最後の死神との契約。以来私は、首に鎌をかけながらずっと生きているんです。
「いつだって、つらい選択から逃げれ――楽な方を選んで生きてきた。その先には、もっとつらい現実があると、わかっていたはずなのに」
溜め込んでいたはずの膿を吐き出したはずなのに、首にかかった鎌の重さは変わらない。
横になって休んでいた体は幾らか回復し、プレート越しに負った手榴弾の痛みの感覚も戻ってきた。
体を起こしてノルンの隣に腰かけて隔壁に体を預ける。
悲哀、衝撃、そして呆然と表情を変えた彼女は、遂に耐え切れなくなったのか床に手をついて激しく嘔吐し始めた。内容物を伴わない胃酸が口を伝う。
その背中に申し訳ないという気持ちは感じない。むしろ、死んだ妹の罪滅ぼしに利用されていると知って失望してくれた方が気分がよいとさえ考えた。
「――逃げてなんか、いませんよ」
しかし意外にも、背中を向けた少女が発した声に軽蔑の意図はなかった。
「……自分も何度かそう考えようとしたことはありました。しかし、あの瞬間から今まで、私が変わったことなどありません」
やがて国連兵に救われて、祖母の許で暮らすことになっても、まともな生活は叶わなかった。
大学まで人間の振りをして生きていても、その背後にはいつだって彼女の存在があり。命を懸けなければ生きていることもできなかった。
「違いますっ――! 違うんですっ!」
声に嗚咽が重なり、肩が震えていた。
「あなたは全てを背負って生きてきた! 誰のせいにもせず――自分は悪くないと信じたいその心すら殺してっ――そんなの――あまりにもっ――」
少尉は黙ってその様子を見守る。否定する気力は起きなかったし、首を振って否定を繰り返すノルンに、騙してしまって申し訳ないという感情だけが湧いていた。
「私がこの眼を自覚したのは、両親が追い出した私を預かってくれた祖母の死を見た時です」
振り返ったノルンは、目元が赤くはれていて、顔はぐしゃぐしゃだった。
「無知な私は本人にそれを告げ、それまで与えられていた全ての愛を自分から捨てたんです。でも、当時の私は両親を恨み、祖母に猜疑心を抱きました」
「それは――貴方は望まない力に振り回されているだけです。貴方には何の非もない」
「いいえ。同じです。きっと」
「…………」
あの時の、子供らしからぬ強い瞳が少尉をまっすぐと見据えていた。
「今でも、私はソフィアが助からなかったのを心のどこかであなたのせいにしています。そうしたいと望んでいる。もっと早くあなたが助けに来てくれればって……」
「あれは――」
「普通はそうなんです。そのはずなんです。皆あなたのように強くないんです。自分一人で全ての人間の命を背負うなんて、簡単にできる事じゃないんです」
「私は――」
心が揺れたような気がした。でもその風に従えば、これまでの自分を――夢の中でずっと寄り添っていたニナを否定してしまう気がした。
「そんな――人間じゃないですよ」
「――――っ!」
瞳が悲しそうに揺れるのを、耐え切れず目を逸らす。また裏切ったその痛みが、心臓にじわりと広がる。それでも彼女は、気丈に笑みを浮かべた。
「これだけは、覚えておいてください」
胸に両手を当てて思い出す。あの日、フランスで初めて少尉に助けられた時のことを。
「助けられた人は、あなたの事を悪い人だとは思いません。その人たちにとっては、あなただけが、一度きりのヒーローなんです」
全力で、命懸けで自分を助けてくれた時。自分の中に閉じ込めたはずの幼い少女が、その男をヒーローと見ていたのを思い出して。
『――――開いタぞ』
それまで黙って聞いていたムムが、頃合いを見計らったかのように声を出した。
その喉の奥で、どす黒い感情が渦巻くのをそっと隠しながら。
「行きましょう」
「はい」
二人は支えあって立ち上がる。
肉体は限界に近く。足の感覚が不明瞭だ。気力だけで動いていると言っても過言ではない。
「あ……」
ふと、少尉が柄にもない抜けた声を出した。
「どうかしましたか?」
「小銃が――」
「あっ、私も〈複眼〉が――」
ノルンは、少尉が腰に固定していた自分の小銃が破損しているのを確認し、少尉もノルンの頭に取り付けられた残骸を確認した。
「えっと、他の人のは――」
辺りを見渡すと、血に塗れてボロボロに半壊した小銃が当たりに散らばっている。
一つとして、少尉が本来の使い方をした形跡は見られなかった。
「……行きましょうか」
「は、はい……」
幸いにも、転がっている死体の持つ拳銃用予備弾倉は少尉の使用するものと一致した。
派手な音を立てて扉が開く。わずかに下るくらい通路が短く続き、目と鼻の先にはもう一つ、自動式の鉄扉があった。
迷わず、一歩前へ。
扉には何のロックもなく、近づけば勝手に開く。同時に体を突き抜ける凍てつく空気。
「まさか本当にたどり着くとはな」
そんな言葉と共に二人は要塞の最奥に迎えられた。
咄嗟に、少尉は構えた拳銃を声のする方向に向けた。
その広々とした空間の、立体的な壁に取り付けられた通路の上に、ボートは立っていた。
手すりに左手を置き、二人を見下ろしていた。
「とは言え第三者として〈祖父殺し〉を観測するのは、中々貴重な体験だったよ。少尉」
ボートの立つ通路には地面から延びた二つの階段が経由しており、階段は折り返して天井付近の扉に向かって集合している。
「そこの扉は屋外連絡橋に通じている。その先がヘリポートだ。脱出路はあそこしかない」
扉から視線を外したボートが、眼下に広がる無機質で立体的な卵たちを見下ろす。
中心の黒く四角い母体は、呼吸をするようにフレームの縁を淡く光らせ、駆動音を響かせる。
「だが、脱出したければここを突破しなければならない。どうする、世界を救う英雄たちよ」
「お前を殺してここを出る。私がするのはそれだけです」
「くくっ、簡単に言ってくれるな」
言って、ボートは〈ラプラス〉を装備した。
「何を――?」
同時に〈セリブラム・ラプラス〉の裏から大きな人影が現れた。
「さあ、私の同志、最後の生き残りだ。彼とノルンを使って、私が操作する未来と君が作用させる未来。どちらが正しいかはっきりさせようじゃないか」
楽しそうにボートが言うと、その男の口元が笑う。
「パワードスーツを装備させた人間で、満身創痍の人間を殺すのはフェアじゃないと思うんですが」
「君ならわかってくれるだろう。格下の相手を嬲り殺すほど楽しいことはないということを」
「…………」
「おや、まだ認められないかな」
ボートは心底意外そうな顔をしたが、次の瞬間少尉が笑ったのを見て、確信した。
「ああ、あなたの言うことにも一理ある」
「だろう?」
「だが……ゲームは難しければ難しいほど面白いんですよ」
一歩、強く踏み込んで敵の巣に入る。
後に続くノルンを見て、頷く。
「無理はしないでください」
「ここでそれを言うのは、野暮ってもんですよ」
ノルンはいたずらっ子のように笑うと、さっと身近な正十二面体の子機に身を隠す。
その様子を見届けた少尉は向こう側に立つ敵をしっかりと見据える。
笑顔を浮かべていた男は、手に持った小銃を手の中で曲げると、放棄した。
「何を――」
「俺は、ボートさんと違ってできるだけフェアにやりたんでな」
言って拳銃を抜いた。
「それじゃあ、その厳ついパワードスーツも脱いでくれませんか」
「悪いがそれはできない。俺も死ぬわけにはいかないんでな」
ぐっと両の足で立って相手の出方を見極める。
「ここにある物は全てミサイルにも耐えられる仕様だから気にせず戦うといい」
ボートが言い終わるより先に、二人は走り出した。
互いに右回りに走りながら、片手で拳銃を乱射する。
『――そのまま走って! 二番目に隠れて! それから――』
すぐに遠ざかるノルンの声が通信機越しに聞こえる。
ボートも通信機越しに指示を出しているらしい。すぐに戦いは相手の動きを読み合い、誰もいない空間に向かって銃を撃つ、傍から見れば間抜けなものに変わっていた。
「――決め手に欠けるな」
指示にコンマ数秒で対応し、近くの子機に滑り込んだ少尉の周囲を銃弾が飛び交う。
「ノルン。防御は度外視でいいです。何とか奴の懐に潜り込めませんか」
『――ッ! や、やってみます――』
とは言ったものの〈複眼〉無しで、二人の〈祖父殺し〉を掻い潜るノルンはすでに限界に近い声を出している。
早期決着の為には、固いパワードスーツの装甲の隙間。つまり関節部などを狙わないといけない。
『――三秒後に左に一歩。一瞬後反転してそれから――うっ――かはっ――』
「ノルン!」
『――今ですっ――』
もはや一刻の猶予もない。言われた通りに飛び出すと、足にブレーキをかけて体を反転。
『――おぇ――ま、違う!』
背中で拳銃弾が着弾する音を聞きながら、目の前に迫った敵の姿を認識した。
その瞬間には、体が上空に持ち上がるのを感じた。
遅れて、腹部に衝撃が伝わったことを知覚する。
『――避けてっ!』
ノルンはそう叫ぶが、少尉の体は上空にある。圧縮された時間の中で、自分を殴った手が拳銃を構え直すのを認めた。
「――ッぐア」
声にならない呻き声を上げながら体を捻って、肉体が飛ぶ軌道をずらすと、先程まで自分の顔があった位置を銃弾が通り過ぎていく。
「――――っ‼」
しかしその影響で少尉は受け身を取ることができず地面に叩きつけられる。
上半身に鋭い痛みが走り、呼吸が一瞬止まる。
『――ハぁ――おぉぇ――少尉っ――今すぐそこから――』
途切れそうな意識を何とか繋ぎとめて、激痛の体を振り回して床を転がる。
『――そこっ――はぁはあ――隠れて――』
指定されてポイントに体を隠すと自分の状態を確認する。
(……治りかけの肋骨、それから鎖骨も折れたな……)
それに加えて体を捻った時に体内に響いた奇妙な音。どこそこの筋も痛めているに違いない。
それでも何とか戦えているのは、過剰に分泌された脳内麻薬が痛みを鈍らせてくれているからであり、逆にこれに頼りすぎればここぞという時の駆け引きで死ぬ。
『――違う――違うっ――うっ――はぁハあは――早く早く――っ! 上‼』
はっと上空を見上げると、空中で二つに分離する手榴弾。
「 」
ノルンの声を聞くまでもなく、体が反射的に取った行動は回避ではなかった。
「――っ‼」
咄嗟に銃口を上に向けてた。
引き金を引く瞬間、自分の中で何かがカチリとハマる感覚があった。
普段なら弾倉を一つ消費してやっと当てられるだろう距離を二発で仕留めると、延びた滞空時間を利用して遮蔽から飛び出す。
『――左――』
敵に向かって一直線に走り、酷く遠くに聞こえる声に従い、わずかに体をずらす。頬を銃弾が掠める。
『――右上――左に着地――』
正面に敵を見据えたまま、左足で子機を蹴って鋭く右に飛ぶ。間髪開けずに右足を素早く開脚し、その遠心力のまま空中で軌道を変えて、今しがた蹴った子機に着地すると、両足で強く蹴って一直線に突進する。
その間敵が放った弾丸は全てプレートに着弾し肉体に鈍い衝撃をもたらすが、少尉には伝わらなかった。
「――しま」
敵の言葉を聞き終わるより先に、その体の真横に着地・スライディングしながら、装甲の無い脇部分を狙って引き金を引く。
「クッ――」
咄嗟に足を入れ替えてそれを避けながら、弾倉を入れ替えた敵も反撃するが、一足先に弾倉交換を終えた少尉が撃った弾が腕に命中し軌道が逸れる。
「「――――」」
再び相対した二人は、それぞれが得意な構え方をして銃を向けた。
その一瞬、静寂が訪れる。
『――ハァ――は、う――お――しょ、う――』
苦しそうに嘔吐くノルンの声が遠くで木霊して聞こえる。
「――――終わりだ」
敵が引き金を引いた。
一発。体を逸らして避ける。
二発。転進し掠らせる。
三発。少し体を屈めて。
四発。右足を下げて。
「馬鹿な。その体で何故――」
少尉は瞬きせずに敵の動きを見続けた。その狙いが、引き金を引くタイミングが、体の筋肉のわずかな動きまで手に取る様に――否、脳を経由せずにそれを感じ取り、体が動いていた。
過集中――今の少尉には音も色も、痛みも疲労もなかった。
「――――クソッ!」
そして敵の銃弾の最期の一発まで避けきり、反撃しようと狙いを澄ました時。
がくん、と限界を迎えた膝の力が抜けた。
『――――しょうい 』
おぼろげな声が聞こえると共に体が蹴り上げられた。十数メートル離れた子機に背中から叩きつけられ、正気に戻る。
「っが――はっ――」
麻痺した横隔膜の感覚のまま首を何とか持ち上げ敵を見る。
再装填を終えた拳銃がゆっくりと持ち上げられ、こちらに向けられていた。
「 ―― っ――」
転がってそれを避けようとしたが、ボートの指示によって地面に着地したふくらはぎに着弾する。続けて背中のプレートに三発。その衝撃で地面に倒れこむ。嬲る様に両腕に一発ずつ。
「アッ――ガッ――」
呻き声を上げながらのたうち回り、何とか子機の近くに体を隠す。
敵がゆっくりと油断なく歩み寄る音が聞こえた。
「ノルン――ノルンっ――」
『――うい――わ、わた――し――』
何とかノルンの無事を確認できたが、茫然自失と言った様子だ。
予備弾倉はない。拳銃の残弾は二発。それから――
『――しょうい……ゆか……』
「――ッ‼」
何か使える物はないかと辺りを見回していた時、魂の抜けた声で呼びかけられる。
その真意はわからなかったが、頭に思いついた「まさか」がそれの予感を強く呼び寄せる。
彼女がボロボロになりながら掴んだ最後の未来。それが自分選択した未来に合致するのか。
(……大博打だな)
急いで準備を済ませ、じっと敵が現れるのを待つ。痛みを感じるほど強く拳銃を握った。
「ハァ……ハァ……これで……終わりだッ‼」
そして、子機の向こうから敵が現れ、同時に引き金を引いた。
だがそれを予見していた少尉の方がわずかに早く動いていた。
もちろんそれだけならボートによって阻止されていただろう。だから何よりもまず速く動く必要があった。
「な――」
男の銃弾は虚空を切る。離れた位置にいた少尉が、ロケットエンジンでも積んだかのように加速したのだ。
爆発音を伴っておよそ人体では不可能な加速に乗り、敵の胸部にタックルをした少尉は倒れた体に馬乗りになる。
「――賭けは俺の勝ちだな」
装甲の無い顎下に拳銃を押し当てると、その引き金を引いた。
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