最終章 ~Breaking In~

 目を開けると、ヘリは岬に到着していた。ゆっくりとそのプロペラが止まる。

 朝日が差す海の向こうに、ぼんやりと浮かぶ立体系。波は穏やかだ。

 少尉はヘリからゴムボートを取り出すと、台車に乗ったそれを波が打ち寄せる海辺まで寄せる。

「他の人たちは、いないんですね」

 後ろからついてきたノルンが、少し寂しそうに言う。

「五つの足の隙間から内部の停泊所に繋がっています。それぞれが各方向から侵入を試みます」

「でも、他の人たちは……」

「…………」

 この海岸が、要塞まで一番近い。

 彼らはもう出発している。少尉は腕時計を確認した。

「少尉殿」

 そして、砂浜が芝生に変わる、ちょうど境目に立ったジョナサンが後ろから声をかけた。

「ミスター・ジョナサン――」

 ジョナサンは、いつも通りの微笑だ。そのはずだ。

「私は、長らくお嬢様にお仕えしていました。ですが、その真意を掴めたことはありません」

 突然、笑顔が消えた。真剣な眼差しだ。ここ最近よく見る何かを決意した顔だ。

「どうして突然軍人になるとおっしゃられたのかも、どうして突然傭兵になったのかも、どうして突然行方を眩ましたのかも。言葉の上では理解していても、その奥深くにある真意は、ついぞ掴むことはありませんでした」

「ジョナサンさん……」

 熱のこもった口調に、思わず体が揺れたジョナサンに、ノルンも釘付けになっていた。

「しかし、お嬢様は――貴方こそが、世界を救う鍵になると、常に仰っていました」

 体をぴしりと伸ばし、それでも腰からすっと曲がり前のめりに少尉の眼を覗き込む。

 少尉は、そんな老人に優しく微笑みかけた。

「――私の役目は、いつだって囮です。世界の救うのは、彼女の仕事です」

 彼の背中から上り続ける朝日が差す。眩しくて、彼がどんな表情をしたのか分からなかった。

 それでも、ジョナサンは微笑んだ。そして、一切無駄のない敬礼をした。

「貴方をお送りできたこと、光栄に思います。少尉」

 それは紛れもなく、海軍の敬礼だ。少尉は笑みを消すと姿勢を正す。そして、敬礼を返した。

「――時間だ。行きましょう、ノルン」

「は、はい」

 ゴムボートに乗ってエンジンをかけるとゆっくりと浜を離れる。

 ノルンは見ていた。見えなくなるまで敬礼の姿勢を崩さなかったジョナサンを。

『飽和攻撃開始まで、三――二――』

 二人の耳にも、たった一人の作戦オペレーターの若い男の声が届いた。

 そして、間もなく当たりの陸上と海上から激しい音を伴って一〇〇〇発の巡航ミサイルが飛翔する。それらは二人の背中を追い越して「先に行くぞ」と言わんばかりに、悠々と要塞へ向かっていった。

『三――二――弾着、今!』

 そして要塞の上空へ訪れた巡航ミサイルは次々と爆散した。

『敵迎撃体制へ移行! 第二次攻撃発射準備』

『――すゴイな』

 ムムが漏らした感嘆は、聞き慣れないオペレーターのハキハキとした声にではない。

『――1000発のトマほークによル飽和攻撃を三回。こレガあのオっさんンの人生全てヲ懸ケタお膳立テだとしタら、とんデモなイぜ』

 言っているうちにどんどんと黒いプラントが大きくなる。自然と操舵桿を握る手に力が籠る。

 上部に設置された対空砲や迎撃ミサイルの音が激しく空に唸り上げていた。

 そして、その足元に取り付けられた幾つものバルカン砲がこちらに首を向けた。

「もうすぐ射程圏内です」

『――段取りハ覚えてイルな? まさか忘れたリナんかシテなイダろうな』

「大丈夫です! 私が持ってます」

『――なライい』

 ヴィィィィィィィと、バルカン砲が激しく回転する音が波に乗って耳に届く。

 やがてそれは激しいドラムロールを伴って巨大な鉛弾を吐き出し始めた。

「来るぞ!」

 少尉が叫び、ムムが複眼を装備した。



「はぁ、はぁ、は――おえっ――」

 激しい蛇行を繰り返しながら、つかず離れずを繰り返し、何とか柱の間を潜り抜けたゴムボートは、その先にあるコンクリート造りの停泊所に停まった。

「顔は出さないでさい」

 少尉は小銃を伏せた姿勢で構えて、ゴムボートの縁から銃口と頭だけを出して様子を伺う。

 その後ろで、ノルンは激しく嘔吐していた。

「大丈夫ですか?」

「頭は痛くありません……さすがムムさんで――うっ――」

「……酷なことを言いますが、時間がありません」

「は、はあ、はぁ――わかってます。急ぎま、伏せて!」

 咄嗟にノルンを抱えゴムボートの床に伏せる。ワンテンポ遅れて足場がビシビシと弾けた。

「――やはり優秀だ。注意しろ」

 奥にある階段から完全装備の敵が次々と降り、常に射撃をしながらゆっくりと近づいてくる。

「ノルン! アレを!」

「は、はい!」

 ノルンを抱えながら銃声に負けじと叫ぶ。彼女は狭い環境ながらも器用に体を曲げて懐から銀色の筒を取り出した。それを精一杯引っ張る。

 その瞬間、けたたましくブザー音が鳴り響いた。

「な、何だ」

「馬鹿! 射撃を止めるな!」

 その一瞬で、少尉はスモークグレネードを足場に投げ込む。

 同時に、天井から鬱陶しいコバエ共が次々と落ちる。

『――音はおマケで付けタ機能だッタんダが、まサカ本当に効果があルとは』

 これで要塞の大多数の『目』は使えなくなる。それでも対等に戦えるかは怪しい。

 少尉はノルンを抱えたままゴムボートを蹴って空中へ離脱。背中から足場に着地すると、転がって再びノルンをお腹に隠しながら小銃を構えた。

 視界には真っ白な煙が充満している。しかし、構わず引き金を引く。

「ぐっ」「っが」

「撃ってきたぞ!」

 この場に遮蔽が無いのは把握済み。最後に撃っていた敵位置は着弾の位置から割り出せる。

 敵の指揮官は一瞬、迷った。

「――ッ!」

 隙を与えず、煙に飛び込む。

『えっと、二秒後に右、一瞬後に左に反転です!』

「そのまま伏せていてください」

 言いながら右に飛ぶ。

『はい!』

 聞きながら、目の前に現れた敵を死体に変え、それを蹴って反転。煙から飛び出すと、もう既に敵中に飛び込んでいた。

「こ、こいつ――」

「遅い」

 咄嗟に銃を構えた正面の敵。その小銃を肩に担ぐように懐に飛び込む。

 プレートの隙間に銃口を差し込むと構わず引き金を引いた。

「う、撃て!」

「零距離戦はルーキーか?」

 そのままバレルを支点にして敵を引っ張ると位置を入れ替えた。まだ死んでいなかった男が味方によって命を絶たれる。

「撃つな! 味方に当たる!」

「そう、それでいい」

 一瞬の躊躇いを利用してさらに三人。腰に構えた小銃で撃ち殺す。

「う、うわあああ」

「――ッ!」

 正気を失っても、しっかりと急所を狙ってくる。だから避けられる。

 零距離で無理をして銃を構えてバランスを崩した男を突き飛ばして二人を海に突き落とすとその額に一発ずつ銃弾をプレゼント。

「弾を避けやガッ――」「次!」「怯むな!」「次!」「駄目だっ、間に合わない!」「次!」

 弱い。弱すぎる。

 格下の相手を蹂躙するのがここまで気分がいいとは。思わず口から笑みが零れる。

「最後!」

『避けて少尉!』

「――ッつ!」

 その言葉に愉悦の沼から引きずり出された。咄嗟に倒れかけていた敵を盾にすると、腕に鈍い衝撃が伝わる。向かい側にある階段から降りてきた敵の攻撃だ。

「こっち!」

「ノルン!」

 同時に、その視界を白い煙が遮り小さな力で腕を引かれた。

「――離れないでください」

「はいっ」

 ノルンを庇いながら、盾を構え短く牽制射撃を繰り返し、慎重にコンクリートの階段を上る。

「敵はいません」

 ノルンが先を見て頷く。念のため索敵をしながら飛び込むように通路に侵入。

「入って下さい」

「わ、わかりました」

 ノルンが通路に入ったのを確認し防水扉を閉める。開閉用の取っ手に連れてきた死体を絡めると、二人してほっと息を吐いた。

「すみません。先を急ぐべきなのに」

「い、いえ大丈夫です。むしろ少尉が注意を引いてくれたおかげで私は近づけましたし……」

「――ありがとうございます。行きましょう」

「はいっ」

 弾倉を入れ替えながら、少尉は周囲を見渡す。

 左右に塗装が剥げ、錆の目立つ壁が迫る狭い通路。前も後ろも最奥に防水扉が見える。

「ムム」

『――位置ヲ確認しタ。中央作戦指令室まデのルーとを案内スる』

「頼む」

『――まズハ正面の扉、と言いたイトころナンだガ。そノ向こうカラ敵が近づイてきテいる』

 少尉の信号発信機は一定距離にあるラプラスの反応を拾ってくれる。

「あの扉の向こうはどうなってますか」

『――こコと同ジ構造で緩やカな上リ坂』

「完全装備なら二人並ぶことはできない。ノルン、敵はどう来る?」

「ええと――少尉が開けるのを待ってます」

「開けなかったら?」

 その質問に答えたのはノルンではなかった。

 二人の横にある防水扉の取っ手に取り付けた死体メキメキと音を立て始めた。

 

 敵が脚部に侵入したという通信が入り、すぐに男の部隊は借り出された。

 先行して停泊部に突入した部隊は半分が既に死に、たった二人の敵には何故か逃げられ、そして自分の部隊と分厚い鉄扉を挟んで向こう側にいる。

 その男の視界には、扉が開くと同時に飛び込んでくる男の姿が見えていた。

 だから扉から離れて突入隊形は取らずに、通路に仲間と並んで銃を構えていた。男は間違いなくハチの巣になる。

「射撃用意――」

 あと一秒だ。

 その瞬間、見えていた映像に急激にノイズが混じる。未来の扉が開いたり閉じたりをくりかえしはじめた。

「――っ?」「な、何だ?」

「落ち着け」

 味方にも動揺が走るが、男は端からこの兵器を信用などしていなかった。

 訓練で使った時。それはもう感動したが、だが兵器である以上必ず対抗策はあると考えていたのだ。

「――開いたぞ」

 誰かが、不信感たっぷりにそうこぼした。

 ギイ、という錆びついた音を伴ってゆっくりと開く防水扉。しかし男は現れない。

「ど、どうなってんだ――?」

「装備を外せ。お前、手榴弾を投げろ。突入隊形――」

 手早く指示を出し扉ギリギリに並んで、いつでも飛び込めるように覚悟を決める。

 先頭に立つ二番手が手榴弾を投げ入れる。その瞬間だった。

 コン、と小気味いい音がして通路の向こうからそれが返却されたのだ。

「――ッ! 総員伏せ――」

 自分の声が爆音でかき消され、後には耳鳴りだけが残った。正面から爆発を食らった二番手が吹き飛ぶのを見ながら、自分も圧縮された爆圧を受けて体がふわりと浮く。

 スローモーションになる視界に、飛び込んでくる男。

(――笑っている――だと?)

 それがその男の最期になった。


「…………」

 自分はそれなりに、そこらの少女に比較すれば遥かに死体を見慣れていると思っていた。

 だがそれが、何の強がりにもならないことを、ここにきて強く実感する。

「……大丈夫ですか」

「もう後戻りはできません」

 それでも、あくまで気丈に振る舞う。

「……そう、ですね」

 防水扉に挟まった腕を通路の中に足で入れると、少尉はその持ち主をどけて扉を閉めた。

 腕時計を見て時間を確認。

「いろいろとぶっつけ本番ですから、体力の温存は慎重になるくらいで大丈夫です」

「意識してみます。ちょっとよくわかりませんけど」

 頑張って笑顔を作ろうとしたけど、うまく笑えなかった。少尉は何かを言おうとして、それを止めて前に小銃を構えた。

 それから歩き始めたのだが、数歩歩いて止まった。

「どうか、しましたか」

「…………」

 振り向いた少尉の表情が複雑に歪んでいる。様々な感情が入り混じっているのが何となくわかる。

「……あなたが無理をするのはそういうところじゃありません」

「――え」

 そして、後ろ髪を撫でていた手をそっと、慎重に頭に乗せた。

「自分ができること。自分にしかできないことに無理をしてください」

「え、えっと」

「何でもやろうとすると、すぐに持たなくなります」

 何かを言おうとすると、彼は有無を言わせまいとさっと正面に向き直った。

「しょう――」

「ムム、この先は」

『――そコノ通路を出ルとエレべーターほールだ。第三隔壁直通は三階』

「敵は?」

『――今ノトこロそコにはイナい』

「三階で待ち伏せですかね。階段は?」

『――厳しイな』

「……二階まで移動して階段で移動するのは」

『――悪くナい策ダが』

「それで行きましょう」

 扉の前に着いた時、決断したのはノルンだった。

『――行けルノか』

「やります」

 ノルンは両手の拳を力強く握りしっかりと少尉を見た。

「わかりました」

『――ソっちノ判断はそッチに任セル』

 頷いた少尉は扉に手をかけた。

「――待って」

 その手をぱっとノルンが掴む。

「…………」

 彼女の薄鈍色と鈍色に入れ替わる瞳の光を見ながら少尉も、その存在を感じ取った。

 扉の向こうでゴウンゴウンとエレベーターが稼働する音がしていた。

『――きタな。数ハ十二』

「――扉を開けると同時に後ろに飛んでください」

 頷いて、扉を引く。

 がこっと扉が開くと同時に、ノルンがサッと身を躱し、少尉はバックステップ。

 同時に、サプレッサー付きの銃声が鳴り響き、鉄扉とその周辺が激しく叩かれる。

「走って! 今です!」

「――ッ!」

 銃弾の衝撃で開ききった扉に向かって前傾で飛び込む。そこには埃被ったコンテナやドラム缶が無造作に放置されていた。

 扉の影に隠れたノルンから次を聞き、スライディングしながら右に向かって引き金を引く。

 カカカカ、と最初はコンテナが被弾していたが、それが途切れるとそこにいた敵が横薙ぎに銃弾を食らった。

『そのコンテナに隠れてください。正面から二人』

 少尉の視界には敵はいないが、正面に向かって引き金を引く。

 すると飛び出してきた二人の敵の眉間に穴が開いた。

『後ろに二人!』

 急制動をかけ反転。すぐ後ろには今にも引き金を引こうとする敵が二人。

 しゃがみながら二発ずつで仕留め、右左とコンテナを蹴って右のコンテナに背中から上る。

『一瞬そこで待機――うっ――』

「ノルン? ――ノルン!」

 イヤホンから聞こえる苦しそうな呻きに無意識に体が動いた。コンテナから転がり、反対側に着地する。

「しまっ――」

 そこに立っていたのは銃を構えた姿勢の敵。ひっ迫する思考とは別に、眼球は冷静にその男を観察した。視線の動き、狙いを僅かに修正する体、連動する人差し指。

(――間に合え!)

 着地した足のバランスをあえて崩し、関節の負荷を度外視して地面を蹴る。

「ッグ――」

 膝が悲鳴を上げ、敵の放った銃弾が右肩を掠る。

 それでも何とか地面に倒れまいと踏ん張り、五発も消費して敵を倒す。

「ハッ――ハァ――」

 浅い呼吸を繰り返しながら、息をつく暇もなく再び走る。

『――だめ、止まって――』

 弱々しく聞こえたその声を振り切る様にカメラを切る。

 コンテナの角で一度止まって射撃をやり過ごすと、飛び出すと共に反撃。

 両肩と両膝を破壊した敵に急接近すると銃を奪ってストックで顔面を殴打。追撃で頭蓋に一発。

「貴様!」

「――ッ!」

「なっ――」

 敵のすぐ後ろにいたもう一人の射撃を半身になり躱す。

 眼球と肉体が連動し、そこに脳は介在しない。反射神経のまま、敵の顔面にぶっ放す。

「こっちだ!」

 ノルンのいる扉まであと少しの距離なのに、前も後ろも敵に阻まれる。

「チッ――邪魔だ!」

 無意識に振り回されるまま、敵の集団に飛び込んだ。

 懐に飛び込んで生み出した隙に付け込んで三人を倒す。弾が切れを起こした銃を投げて、左手で拳銃を抜くと距離を離そうとする敵に密着しインファイトを繰り返す。

 拳銃が弾切れを起こすと、弾倉は入れ替えずに素早く右手に小銃を持って戦闘を継続。

 実際の時間より、その戦闘を長く体感していた

 気づけば、周りに集まっていた敵は一人残らず地に伏していた。

「――はァ――はァ――っ――」

 肩で息をしながら周囲を索敵。ひとまずの安全を確認すると、どっと体に重みがかかる。

 頭を殴って何とか意識を保とうとするが、視界がぐらつき、全身に熱ぼったい痛みがある。

「――の、ノルン……」

 小銃を杖にして、千鳥足で扉に向かうと、そこには膝をついて肩で息をする少女がいた。

「だ、大丈夫ですか」

「……少尉?」

 持ち上げた顔が青い。額には大粒の汗が浮かび、髪が張り付いている。目はどこか虚ろだ。

「少尉……っ、わ、私っ――なんてことを――」

 明瞭になった意識で再び視界に捉えた少尉は、体中に生傷を作り、顔面は蒼白だった。

「す、すみません――」

「いえ、大丈夫――とは言えませんけど、それはお互い様ですね」

「ごめんなさい」

 涙を浮かべて、それを隠そうと顔を伏せる少女に手を差し出す。

「仕方ありません。お互い、これが実質のぶっつけ本番ですから」

「でも、次こんなことがあったら」

「同じです。互いがカバーし合えばいい。元々そういう作戦でしょう?」

 手を握って立ち上がる少女はまだ不安そうに肩を震わせていた。だから、強く手を握る。

「――っ」

「頑張りましょう」

「は、はい……」

 不器用に笑顔を浮かべたのがまずかったのか、ノルンは顔を逸らしてしまった。

『――悪イが時間がガ無い。急イデくれ』

「ええ……ああ、そうだ」

 道中で原型を留めていた敵の〈ラプラス〉を拾うと外部通信用のUSBを繋ぐ

「ムム、解析してくれ」

 エレベーターで上に上がるまで少し時間がある。

『――こレは――やっパ生体認証カ。暗号化方式は……案ノ定アレと繋ガレていルな……』

「つまり、どういうことなんですか?」

「そっちで座ってていいですよ」

「あ、ありがとうございます……」

 ノルンは少尉に言われたとおりに操作盤に隠れるようにちょこんとしゃがむ。

 少尉は向かい合って反対側の影に片足の膝をついてしゃがむ。

『――アイつが生ミ出シた全てノ〈ラプラス〉ヲあイつの意思一つでロックでキるってコとだ』

 ムムのその解説に、少尉は独り言つ。

「まさに戦場の支配、か」

『――ソウいうコったな――っと、もウスぐ到着すルぞ――敵は……一人モいナイな』

「――敵がいない?」

『――アア、人ッ子一人モ』

「……ノルン、こっちへ」

「はい」

 ごうん、とエレベーターがゆったりとブレーキをかけ、鉄の扉がぐらぐらと開く。

 道は左右と正面に伸びており、天井に埋められた蛍光灯がところどころ弱々しく光っていた。

 ノルンを後ろに控え、油断なく小銃を構える。視界に敵はいない。後ろに視線を送ると困惑した表情でゆっくりと頷かれた。パイを切る様に死角を索敵するが、やはり誰もいない。

 天井のカメラを見て、それから床に散らばったマイクロドローンの残骸を足で散らす。

「……三階に全戦力を投入しているとは思えないが」

『――人手、足りテなイノかね』

「どこまで見えてます?」

「それが、何も見えないんです」

 おずおずと後をついてくるノルンは、不安そうに様子を伺っていた。

「しばらくは、何も起きないと思うんですけど……」

「なるほど……ムム、階段は?」

『――正面右奥ダ』

「ノルン、走れますか?」

「だ、大丈夫です」

 二人は小走りで通路を進む。角が近づくと、歩調を緩めて左の壁に体を預けながら慎重に右の通路を索敵。さっと右の壁に移動すると左の通路を索敵。

 少し後ろに控えたノルンに確認を取り、さっと右の通路に飛び込むと、再び小走りで突き進む。

 正面に見える鉄の扉。塗装が剥げところどころに錆が見えるが、2Fと書かれていた。

 扉の横に取り付けられた掌紋認証のプレート。

「解析できますか?」

『――お前ニ渡シたレシーバーを横にクッツけてクれ――そウソうソんな感ジ』

 少し待つと、がちゃんと鍵が開く音がした。

 扉に張り付いた少尉はドアノブを回して扉をゆるめ、体で少し押して中の様子を確認した。

 一面コンクリート製の階段。やはり人気はなく、各踊り場の光源も弱々しいため酷く薄暗い。

「…………大丈夫、ですか」

「――行きましょう」

 ギリギリの戦闘を何とか生き延びた先に、ここまでの静寂を用意されると逆に不安になる。

 だがのんびりしている時間はない。踊り場を抜け、慎重かつ大胆な索敵で上る。

 十何段か上ると左に曲がり、踊り場。もう十何段か上りまた直角に曲がる。

 それを繰り返しながら四角形に配置された階段を何十段か上った。しかし――

「はあ……はあ……」

「…………大丈夫ですか?」

「いえ……ぜんぜん……らいじょうぶです……」

 元軍人で特殊部隊経験があり現傭兵の少尉と、ごく普通の少女では体力差があった。

「――しかたない」

「え、しょ――わっ――少尉っ、何を――」

「すみません。少しだけ我慢してください」

「は、はぃ……っ」

 有無を言わせずその体をひょいと持ち上げると首に背負う。小柄なのでこの背負い方なら難なく銃を構えられる。その上、完全装備の重みに比べれば羽のように軽い。

「……少尉、ちょっと待ってください」

「すみません。時間が無いので」

「いえ、そうではなくて――とにかく止まってください!」

「――――?」

『――少尉敵ダ!』

「――っ!」

 ムムの通信に、金属同士がぶつかる音が階段に反響した。

 こん、こつ――こん、と不定感覚で頭上から何かが近づいてくる。

 少尉は咄嗟にコンクリートの手すりに小銃を預けて上を覗いた。

「だめ――下がって!」

 直上の階に迫った二つの黒い塊が、手すりで跳ね返り、眼前に飛び込んでくる。

「――――ッ‼」

 その詳細を視認するより先に、少尉は咄嗟にノルンを抱えると手すりに足をかけた。

そして眼下の踊り場に向かって飛ぶ。直後に、背中を爆風が後押しした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る