第五章 第三節
「ムム、あのプラントの設計図とか建設計画とか、ともかくなんでもいいから情報をください」
ラウンジに戻った少尉は開口一番そう告げる。
『こンなコトもあろウカと思ってもウ既に集めテある』
「まさか少尉、あれに挑むつもりか――」
指令が言葉を失うと同時に、若い男が操作していたプロジェクターの映像がさっと消える。
そして、太平洋上プラント要塞の情報が一気に表示された。
「…………」
スクリーンの前に立った少尉はタッチパネルの要領で雑多な情報をどけて、要塞の3Dマップデータを中央に表示する。
それをくるくると回転させ、別方向から覗き込みながら無言で考える。
「少尉、正気か?」
「正気ではやってられませんよ」
「本気であれと戦うつもりなのか? 死ぬぞ」
「戦わなくてもいずれ死ぬ。ならば戦って死ぬまでです」
「少尉!」
「…………なんですか」
「――どうするつもりだ」
ふう、と息を吐いた少尉は指令に向きを変える。
「――っ、君は……」
その顔には、笑みが浮かんでいた。
「ムム。例のコンピューターはどこにあるか予想できますか」
『ボートが配信しタ映像ト国防省の古いデーたべースにアッた建設施工図かラ割り出しテアる』
言うと同時に青い施工図がスクリーンの中央にしゅっと登場し、そこから立体マップが構成される。
『おそラクコの要塞の最深部にシて中央に位置スル作戦管制室を丸々改装しタンだロう』
五角形の部屋が表示され、先程映像で見た〈セリブラム・ラプラス〉が3Dモデルで表示された。
「そこに行くには?」
『三つノ隔壁にあル扉を通る必要がアる。そレゾれの位置はこコだ』
「やっかいですね」
強調表示された扉を見ながらぼやくと『イや』とムムが3Dモデルの扉を開けて表示する。
『こノ隔壁自体はソコまで厄介ジャない。外部接続用のレしーバーで私ガ突破でキる』
「そうなですか? 例のアルゴリズムは?」
『奴がカロープカを盗んデかラそコまデ時間が経っテイない。〈ラプラス〉のシすテムに転用すルコとがでキたトシても、要塞そノモのに流用すル時間はなイト断言してイい』
「なるほど――核の方は」
「この要塞を放棄するときに放置したものが何十発と放置されている。発射台は三つ」
答えた声は、少尉の後ろから聞こえた。
「指令……」
「この任務は……いや任務とも言えない大博打だ。第一どうやって侵入――それ以前に接近するつもりだ」
「私が、手伝います」
ラウンジの入り口で、一際張り切った声がした。
見れば目を腫らした少女が右手を上げていた。その後ろではジョナサンが微笑を浮かべている。
「ノルン? いや、それこそ侵入するより先に脳が焼ききれるぞ」
「組織の支援がないから、ですか」
「ああそうだ少尉、たった二人でアレに接近するなんて自殺行為だ」
「…………」
少尉は顎に手を当てて考える。もちろん、作戦を諦めるかどうか考えている訳ではなかった。
「…………お膳立てが、要りますね」
「何を――」
「タイムリミットは?」
「……四日後だ」
「思ったより時間がありませんね。ミスター・ジョナサン、少佐の容体は?」
「難しいでしょう」
「やはりそうですよね」
少尉は指令の眼をまっすぐ見つめる。
「明後日までに、支援体制を整えてほしい」
男が纏った、今までの何よりも違う迫力に、指令はじりりと半歩下がった。
「支援、だと」
「ええ、内部には私と彼女が侵入します。でもそれは、やはり降りかかる火の粉を何とか出来ればの話です」
淡々と告げる少尉に、指令は額に手を当てて俯いた。
そして、大きな溜息が聞こえた。
「――――いいだろう」
「指令!」
強く瞬きをした指令に、それまで黙っていた若い男がさすがに声を出した。
「どうせこの男が死ねば全て終わる。派手にやろうじゃないか。君も手伝いたまえ」
「指令――」
若い男はがっくりと肩を落とした。堅実な彼が積み上げてきたキャリアも世界の為に支払われることになったのだった。
「となると、問題はどうやってこの子を壊すかですね」
言って、ノルンはスクリーンに表示された仮想の妹に歩み寄る。
「……工作部隊は編成できそうですか」
「難しだろうな。できる限り手は尽くすが」
哀愁の眼差しでそれを見つめるノルンとは対照的に、少尉はそれを睨みながら思考を巡らせる。
「――ムム、施工図もう一度出せますか」
『アア』
表示された青い設計図を眺めながら、やがて一つの案を固めた。
「……一つ考えがあります。ですが、やっぱり三つの隔壁を突破するしかなさそうですね」
「やっぱり、戦うことになりますか」
「ええ」
「ネックは、その子の脳にいかに負担を掛けないかだな」
「ご、ごめんなさい」
指令の言葉に、先程までラウンジで見せていた子供らしからぬ迫力が喪失して一転。子供らしくしゅんとする。
「いや、少尉を最深部まで送るためには君は必須だ。そして、その為には君を最深部まで――いや脳の与えられるダメージを最小限にしなくてはならない」
指令の修正に、少尉は心の中で頷いた。
彼女にとって、これは最期ではなく最初ではなくてはならない。
「急に弱気になりますね、あなたは」
「ちょ、ちょっといいですか?」
「――?」
袖を引かれて少尉が屈むと、ノルンは耳打ちした。
「あ、あんまり慣れていないというか、実は、得意じゃないんです……ああいうの」
「てっきり、ああいうものなのかと」
「あれは心の中で何度も練習しているうちにできるようになるというか……」
『ノルンにツイてダが、ちょっト私に考えがアる』
小声で会話していた少尉たちはすっと立ち上がってムムの方を見る。
『根本的な話ダが、そもソモ未来予知の弱点トシて、発生カら結果マデが近ケれバ近イホど無意味にナる傾向があルだろ』
「えっと、つまり、どういうことですか?」
ノルンはきょとんとしたが、すぐに組織の二人は納得したようだった。
「一秒先の未来を一秒かけて計算する、みたいな話ですね」
「そもそも一秒先の未来にどれだけの重要性があるのか、ということか」
「なるほど、それでそれが私の脳の負担とどんな関係があるですか?」
「――超接近戦に持ち込めば、未来を読んで行動する余裕はない」
『そうイうコトだ』
少尉の呟きに、ムムは満足そうに頷いた。少なくとも少尉はそれに気づいた。
「つまり、ノルンに見える結果の量をコントロールさせよう、そう言いたいのかね」
「そ、そんな、私やったことありませんよ、そんなこと――」
『まアソんな気ハシていタ。こレヲ見てクれ』
その言葉と同時にぱっとスクリーンに画像が表示さる。
「これは……単眼鏡型の暗視装置ですか」
『さスが少尉。こイツを明後日まデニ劣化版〈ラプラス〉にスる』
「そ、そんなこと可能なんですか⁉」
『何言っテンだ優等生、お前モ手伝うンダよ』
「えぇ! お、俺もですか⁉」
『アア、実際の組み立てはそコニいるバとラーにやっテモらうから心配すルな』
「そういう問題じゃ――」
「手伝ってやれ」
「指令ぃ……」
若い男を黙らせた指令は腕を組んだ。
「それで、この劣化版に何の意味がある」
『要は、見えル未来ノ量ヲ減らスタめにコイつヲ使ってモらう。そこノ少尉と一緒に行動すルことにヨッテ発生すル無数の結果ノ内、到達すル可能性が極端ニ低い結果ヲ〈ラプラス〉側で切リ飛ばシチまえバ、ソの子は必要最低限の観測だケデ済むって寸法サ』
スクリーンの画像が切り替わりシルエットのライフルとピクトグラムが表示される。
アニメーションでライフルから延びる矢印がピクトグラムに到達すると、そこに10~20Mと文字が現れた。
『屋内戦だカら交戦距離は限定さレる。ノルンが少尉をサポートすル距離は敵に接近すルマでの大体十メーとルかラ十五メーとルだけデヨくて、その範囲モ劣化版で負担ヲ減らス。幸イソこのはCQBよりモサらに近い超接近戦のスペしゃリストで弾モ避けらレルカら後のこトハそこノ男に任せレバいい』
「ちょっと待ってくださいぃ! え? 弾を避ける? 今すごいことさらっと言いませんでしたか!」
それまで肩を落としていた若い男が淡々と説明していたムムを遮る。彼女は『ナンダヨ煩いナ』と不服そうだったが
『そウイやお前ら見たことナイんダっけか』
と言って、天井に取り付けられたカメラが少尉の顔にフォーカスする。
『できタヨな?』
「いえ、あれは別に弾を避けているってわけじゃ――仕組みさえわかれば誰にでもできますよ」
『イヤイヤイヤ無理だから。オ前と少佐が特殊ナだけダカら』
「そういえば! 避けてました! ホテルで、一度だけでしたけど」
ノルンが興奮気味に合流して、少尉はめんどくさそうに後ろ髪を撫でた。
「あれは……正直やる意味はないんです」
「一応、説明を願おうか」
指令は若い男と同じくまだ信じていないようで眉間に皴が寄っていた。
「銃と銃の戦いは、当たり前ですけど距離がある戦闘ですし、銃はそもそも遠距離武器です。密着状態や二メートルでの撃ち合いならむしろ銃は弱いと言っていいですし、一対一ならナイフを使うのが賢い闘い方です」
「まあ、そうだな」
「私や少佐があえてその距離に飛び込んで戦うときは、それを踏まえてこちらに利点がある場合です。つまり、一人で複数を相手にする時――この場合はナイフより銃の方が確実に殺すのに疲労が蓄積しにくいからですね。そして、相手と自分が同じ不利条件なら僅かにこちらが勝っていると確信した時です」
「それと弾避けの技術に何の関係があるんですか?」
若い男は結論を求めるタイプの人間。少し不貞腐れたように尋ねた。
「あれは弾を避けているわけではありません。相手の動向が詳細に見える距離まで接近し、目線、反射による不覚筋動や、指先まで連動する腕の動きを見て、相手が狙い、撃つより一瞬早く射線から体を逸らしているだけです。引き金を引くという命令を出した脳は急にストップをかけられない。だから、結果的に弾を避けているように見えるだけです」
「……それって誰にでもできるですか?」
ノルンは誰もが心に思った疑問を素直に言う。
「必要なのは戦闘中の興奮状態でも冷静でいること。咄嗟の状況判断とそれに追随できる反射神経と身体能力、そして何よりも――集中力です」
それを聞いた指令が皴の酔った眉間をぽりぽりと掻いた。
「話を聞いている限りでは、そう何度も連発できるものではないと感じるが」
「ええ、指令の言う通り、集中力が切れたら死にます。だからあえてやる理由はないんです。そんなことをするくらいなら離れて撃ち合えばいい」
『だガ――今回はヤる理由がでキタな』
少尉にはわかった。この声色はスピーカーの向こうでムムがニヤリと笑う声だ。
ぱん、と指令が手を叩いた。
「さて、各々やることは決まったな。準備期間は一日もある。最善を尽くそう」
それからというものの、一日はあっという間に過ぎた。
少尉は指令が集めたゴムボート突入部隊の人間を相手に、キルハウス内で何度も超接近戦の演習を繰り返した。
彼らは誰もが指令に恩のある組織の人間で、自分が決死隊であるにも関わらず、その日の終わりまで真剣に訓練に付き合い、そして笑顔で握手を求めてきた。
「むちゃくちゃ強いっすね」「結局一発も入れられなかった」
何があろうと彼らが生きて帰ることは、万に一つも叶わない。それでも彼らは笑顔で肩を抱き合った。
ムムはというと、やはり機体で若い男を『優等生』と呼んで檄を飛ばしていた。急ピッチで劣化版〈ラプラス〉の設計を急ぎ、完成した段階からジョナサンが組み立てる。その傍らで少尉に頼まれていたもう一つの準備を済ませる。
指令は朝から晩まで駆けずりまわり、ありとあらゆる人間に連絡を取り、一国の軍隊を相手に交渉を挑むこともやってのけていた。彼が機体に帰る頃にはプラス五歳ほど老け込んでいた。
そして、ムムは――
「ここにたんですね」
その日の暮れ、もう人のいないキルハウスに彼女はいた。
狭い一室の中央に立ち、後ろから飛んできたスーパーボールをキャッチすると振り返った。
「私にも、できることがないかって思いまして」
「それで、何を?」
「ちょうどよかったです。ちょっとそこに立っててください」
「――? わかりました」
そして、ノルンは適当な位置の壁に向かってスーパーボールを投げた。
強く跳ね返ったスーパーボールがランダムに壁を行き交い、やがてノルンのもとに返って来る。
彼女はそれをキャッチした。
「――っ」
がくっと頭を抱えてふらつく彼女を、少尉は咄嗟に抱きかかえる。
「ッ! 大丈夫ですか?」
「す、すみません。やっぱり一日じゃあまり意味がありませんでしたね。見える未来の量をコントロールする訓練」
少し汗ばんだ顔で、彼女は強がるように笑顔を浮かべる。
「大きな戦いの前は、何かをしないと落ち着きませんよね」
「わかっちゃいますか?」
「ええ」
心のどこかが、ちくりと痛むのを誤魔化すように、少尉は話を続ける。
「――機内に戻りましょう。ムムが呼んでます」
「少尉……まるで私のお兄さんみたいですね」
「――――っ!」
「あ、いえ、私は一人っ子だったんですけど……少尉? どうかしましたか?」
ああ、彼女に背を向けて先を歩いていてよかった。少尉は心の底からこの未来を選択した過去の自分に安堵した。
「……いえ。行きましょう」
「は、はい」
そして、広い格納庫を出ると、目の前の滑走路に止まっていたダビー・マイヨルに向かった。
『なんトカ、完成しタぞ』
ラウンジに戻ると、ムムのその声と共にジョナサンから劣化版〈ラプラス〉が手渡される。
小さな顔に合わせた単眼鏡の暗視装置を、小さな箱が幾つか取り付けられたベルトで頭に固定する。
そして、ジョナサンから説明を聞いたノルンはそれを起動した。
「ど、どうですか」
「…………」
心配そうに聞く『優等生』を余所に、ノルンはおもむろにポケットから取り出したスーパーボールを投げた。
壁に跳ね返り、しかしどこにも被害を出さずにノルンのもとに返ってきたそれをしっかりとキャッチして一言。
「――すごい」
その一言で、その場にいた誰もが安堵の声を漏らす。
「手は尽くした。後は戦うだけだ。日の入りから出発だ」
そしてダビー・マイヨルは太平洋沿岸の国まで移動し、少尉たちはそこからヘリで出撃開始地点まで移動することになる。
皆がそれそれに休息をとる夜の空の中で、少尉は救護室にいた。少尉にとって、機内で過ごす最後の夜になる。
その一時を、穏やかな寝息を立てる少佐を眺める時間に費やしていた。
きれいな顔だと思った。美しい髪の毛だと思った。その声が、人生で聞いた誰の声よりも心に残っていた――毒に冒されたその心臓が、何よりも高潔だと思った。
そんな人が、自分を拾ってくれたことが、自分の罪を清算する今に繋がっている。
「ありがとう。きれいな人」
救護室を出て、機内で一番外側の通路まで移動する。
ここは、大きな窓から月明かりが楽しめる。少尉の一番好きな場所だった。
自分の罪の景色に、月の明かりはなかった。だから、月の光だけは純粋な気持ちで浴びることができると思っていた。
『寝てイなイノか?』
「そちらこそ」
『カフぇイんの取りスぎで寝レん』
「そうですか」
それから通路をゆっくり歩きながら自室に向かう。
欠けた月は、それでも明るい。
「ムム?」
『まだイルぞ』
「少し、聞いてもいいですか」
『…………質問内容にヨッては解答を拒否さセていタダく』
ふと足を止めて、窓に向かう。正面に、欠けた月が見える。
「どうして、この作戦に協力してくれたのですか。怖いとか、逃げようとか、考えはしなかったんですか」
『…………』
静かに、月が通り過ぎていく。
「いえ、忘れてください」
『死にタクなかッタから、じゃダメか』
「…………」
『アのコんピューたーの開発に関ワッテしまっタって負イ目ガ無いワけジゃナい。だガそれ以上に、ココで逃げ隠れテシまえば、後悔すル気がシタんだ』
「そう、なんですか」
『寿命とカナら、自分じャドうシヨうもないカら、あーマぁ仕方なイかナって思えるル。デも、これハ、もしかしタラって余地が生マれてしマウ。そこデ私には力がアッタのにッテ思イたくナい。私ハ死ぬのガ怖い。それダけだよ』
「――ありがとうございます」
『お前は――』
静かに自室へ向かおうとした少尉を、ムムは呼び止めた。
『お前は――どうナンだ。少佐デもノルンでモナく、お前自身の……私ハまだ、あノ話の続きヲ聞けテイない。アノ子も――』
歩みを止めた少尉は振り返らずに首だけでカメラを見た。
「――惚れた女の為に命を懸ける。それだけですよ」
『お前……お前ノ作り笑いナんて初メテ見たぞ』
「――おやすみなさい」
再び歩き始めた彼を呼び止めることはできなかった。
マイクボタンに触れた指に、力が入らなかった。
「こんな時まで、誤魔化すなよ――ばか――」
戦えば戦う程、誰かを助ければ助ける程にボロボロになる男に、自分では何もしてやれないというもどかしさを、ずっと誤魔化してきた。
だから、せめて生き続けてくれと願い続けていた。
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