第五章 第一節

「何を……」

 一瞬、その言葉の意味を理解できなかった。

「そのままの意味だ。私と共に、世界の果てを見に行こう。君たちにはその素質がある」

 ボートはあっけらかんとして言う。

「どの道私の目的は達成されている。だから無駄な足掻きは止せ。己の欲望に従うのが正しい――そうだろ?」

「世界はもう……人類の運命は決しているというのか」

 少佐は、弱々しく言う。それはボートに向けてというよりは、絶望の独り言のように。

「私はきっかけを作る。そのあとは人類が勝手に殺しあう。それこそ自浄作用のように」

「自浄作用だと……?」

「そうだ。人類という毒は自らの毒で消滅する。その子と一緒にいたのに、知らなかったのか?」

 ボートがノルンに視線を落とすと、少女の肩が一層強く震える。

「……ッフ。所詮は子供。大人には逆らえんか」

「――だとしても、俺がお前と共に行動する理由はない」

「本当にそう思っているのか?」

「……?」

 ボートはしゃがみ込むと少尉の青い目を覗き込む。

「君はむしろ、私の作る世界の方が生きやすいと思うんだが」

「何を――」

「少尉、君は――」

 少尉の言葉を遮り肩に手を置く。口の端を持ち上げる。どこかで見覚えのある微笑だ。

「人を殺すのが楽しいんだろう?」

「――――」

 何も言わずに、引き抜いた拳銃をその額に突きつけた。

「はっはっは、そんなに怒ることか?」

「違う」

 構わず、指令は肩に置いた手をぽんぽんと叩く。

「人差し指が震えているぞ? ほら引けよ、結果は変わらないがね」

 引き金を引けないのは、ボートの私兵に銃を向けられているからではなかった。

「俺はそんな人間じゃない」

 頭から顔を流れる汗が異常なまでに冷たい。

「そんなことはない。君を東南アジアで見た時から、確かに感じたぞ。私と同じ世界の人間だ」

「ふざけるな! 貴様のような狂人と一緒にするな⁉」

 精一杯威圧するように、ぐっと銃口を押し付ける。

「そうか? あぁわかったぞ。お前、戦闘そのものを楽しんでいるんだろ?」

「馬鹿なことを――!」

 必死に人差し指に力を籠める。それでも、関節に針金が入っているように指は動かない。

 今ここでこの男を殺せば、自分が暴力でそれを否定して彼の言葉を肯定してしまう。

 ボートは、恐らくそれをわかっていたから挑発的な言動を取れたのだ。

「俺は――俺は……」

 頭に血が上っているはずなのに、体は冬の寒空にいるようにガタガタと震える。

 さすがにと言った様子で私兵が止めに入るが、ボートが無言で制した。


「――――」


 やがて、ゆっくりと銃をおろした。

「少尉……」

 顔色の悪い少佐が、少尉の顔を見上げる。

「わかりました……」

 その言葉に、ノルンが息を呑むのがはっきりとわかった。

「それはよかった。少佐、君はどうする?」

「…………」

 少佐は、視線を向けるボートから顔を逃す。

「ふ、まあいい。そのうち慣れるさ」

 それだけ言うと、ボートは手を差し出す。

「ひとまずは、私達の要塞へ案内しよう」

 少尉はその手を取らず、少佐を支えながらゆっくりと立ち上がった。

「ま、待って」

 歩き出そうとした二人を、消え入りそうな声で引き留めた。ボートは首だけで振り返る。

「ノルン……君はどうする」

「わ、私は――」

「私としてはもう君は必要ないからね。どっちでもいいんだが……自分で決めるんだ」

「そ、それは――」

 震える瞳で、一瞬少尉を見て。

「い、行きます」

「そうか……そうか。まあいい」

 ボートはその視線に何かを言う訳でもなく視線を外すと、扉の外にいる部下に声をかけた。

「おーい、これから出るぞ。撃つなよ」

「了解。こっちで倒れているのはどうしますか?」

「どうせもうすぐ死ぬんだろう? 無駄弾を使うな」

「了解」

 通路を出て、ソファの横に血を流して倒れたザムザを見た。寒そうに震えている。

 一団はボートを先頭に、ソファを避けて窓際に寄りながら破壊された階段を目指す。

 少尉は左肩を少佐に貸し、右手側の後ろにはとぼとぼとノルンがついてきていた。

 周りは私兵が油断なく固めている。

 少尉はふと、窓の外を見た。

 穏やかに揺れる波に、月明かりが柔らかく輝いている。その月の隣に小さな光が見える。


「――――――ありがとうムム」


「何か言ったか?」

 ボートが振り返った、その目にふらりと倒れる少尉が見えた。

 力が抜けるように倒れた少尉を咄嗟に後ろにいた私兵が支える。

 明瞭な、二発の銃声が鳴った。

「グッ!」

「貴様!」

 銃で殴りかかる別の敵を避けノルンを突き飛ばすと肩で体当たりして密着する。小銃を封じられた敵の腰骨に拳銃を押し付けると二回引き金を引く。

 他の敵も襲い掛かって来るが、味方が密集しているため発砲はできない。

 少佐も力の入らない体をうまく利用して敵の拘束をするりと抜けるとノルンを突き飛ばす。

「何をしている! 〈ラプラス〉を使え!」

 隊長らしき人物が声を荒げる。その横でボートが「まったく君は」と笑う。

「それが、まったく動かないんです!」

「何?」

 その間にも敵の包囲網を突破した少尉は、敵に突き飛ばされて転びそうなノルンを抱え、左足でソファを蹴って近づいてきた敵を転倒させる。

「伏せて!」

 ノルンが叫ぶ。同時に、少尉がいた空間に銃弾が飛びガラスが微塵に砕ける。

「少尉!」

 足を引きずりながら近づく少佐。

 その後ろに迫る敵の顔面に拳銃を投げつけると少佐の体を抱える。

「また会おう少尉」

 ボートがにこやかに、少尉の背中に語り掛けた。何も応えず、奈落の底へと飛び降りた。






 地上十数メートルから常闇に飛び込む。

 右腕で、少女が叫ぶ。

 左腕で女性が息を呑む。

 途切れそうな意識は、しかしどこか遠くにあった。

 両腕で二人の人間を庇いながら、固い、とても固い海に飛び込んだ。

 そこで、空にあった意識がふっとどこかへ行ってしまった。






「まったく、むちゃばっかりするんだから」

 どこか遠くで、聞き覚えのある声がする。

「そうやっていつも」

 ああ、どうして忘れていたんだろう。この声を。

「いっつも、だれかをたすけようとして、ぼろぼろになっちゃって」

 声が遠くへ離れていく。

「むかしから、ぜんぜんかわらないんだから」

 待ってくれ。君に、俺はまだ

「ほら、そっちはうみのそこだよ」

 待ってくれ

「こっちこっち」

 時間が欲しい

「このふたりも、わすれちゃだめだよ」

 俺は、君に

「こっちだよ――――」






「――少尉さん‼」

「――カハッ‼ ゲホッ! ――オエッ!」

 聞き慣れた少女の声で、意識が戻った。

 体に溜まった海水を勢いよく吐き出し、口内に異常なまでの塩を感じ視界が明瞭になる。

「こ、ここは……?」

「あの後私達を担いだまま、ここまで泳いできて、意識を失っていたんです」

 体中に付着した砂が、じゃりじゃりと音を立てる。

「そうだ! 少佐! 少佐‼」

 砂浜に転がる、少佐の体に飛びつくと、その口元に耳を寄せる。

「――‼」

 熱した頭がサァっと冷めるのが分かった。震える両手をその胸元に合わせた時。

「けほっ――けほっ――――」

 少佐が水を吹き出した。両手にこもっていた力がゆっくりと抜け、長い溜息が漏れる。

「あぁ、よかった――」

 そして、背後からその声が聞こえた瞬間、反射的にその少女を突き飛ばした。

「きゃあ!」

「おい、答えろ」

 両肩を掴み、冷たい砂浜に押し付ける。

「――――あ、ぐ」

「あれは、あいつら一体何だ! 答えろ!」

「い、た――痛い……」

「――――――」

 自分の両手で押し倒した少女が、無意識に力のこもった両手に悶える。

 その姿が、脳裏の何かを思い起こさせた。思わず飛び下がると海に身を投げ出す。

「う、ぐ――オエッ! っが――ぉ――ハァ――」

 口の中の辛味が酸味に塗り替えられていく。

「    」

 ノルンが何かを言っているようだが、頭の中が混乱していて何も聞き取れない。

 まるでフードプロセッサーで脳みそをぐちゃぐちゃにされているようだ。ぐわんぐわんと視界が歪む。泡を立てる波が渦巻く。

「少尉……」

 再び明瞭になにかを聞き取れた時、その声は随分懐かしく感じた。

「指令、か」

 振り返れば、若い男を伴って憔悴した顔の中年の男が三人の前に立っていた。

「申し訳ない。すべての責任は私にある」

「何でもいいですよ。もう――」

 言葉の末尾が大きな音で途切れる。それだけではない、打ち付けるような激しい風が巻き起こり周囲の砂を巻き上げ、闇に紛れる流線型な物体がサーチライトで皆を照らしだした。

『――少尉殿!』

「これは……」

「皆乗ってください。今回は、少佐も許すでしょう」

 黒いヘリからジョナサンの声がした。

 少尉はふらふらと立ち上がると、少佐の体を起こして抱きかかえる。

「状況は、ダビー・マイヨルに戻ってから聞きます」



 ≫〈ダビー・マイヨル〉ラウンジ 13:12:43


「――――」

「……やめろ」

「――――――」

「やめてくれ」

「――!」

「頼む……」

「――――‼」


「やめろぉぉぉぉ‼」


「だめええええええ!」

『やめろ少尉‼』

 一発の銃声と共に目が覚めた。

 その銃声が、自分の左耳で反響する。

「ハあ――はぁ――はァ――」

 汗だくの体で、息を切らして周囲を見渡す。ダビー・マイヨルのラウンジだ。

「……少尉っ……っつ……」

 ふと、左腕に強く、柔らかい力を感じてそちらを見るとノルンが両手で掴んでいた。

 自分の左手には、使い慣れた四十五口径の拳銃が握られている。

 その銃口からは仄かに熱が上がっていた。

『すマナい少尉。私トシたコとが――』

 天井のスピーカーから聞こえるムムの声に、自分が何をしたのかはっきりと理解した。

 天井の隅に、小さく穴が開いている。

「…………ありがとうございます」

 それだけ言って、立ち上がろうとした。しかし、握られたままの小さな手がそれを阻んだ。

「あの」

「待って、ください」

「……」

「説明、してください」

「…………それは」

「私も、ちゃんと話しますから。どうして、そこまでボロボロになるまで――」

 掴まれた左腕に、ぽろぽろと熱い雫が落ちた。

「……」

 少尉は無言のまま天井のカメラを見上げる。

『こッチを見らレテも困る。私も詳しクハ知らナいカラな』

 そういわれて、空いた右手で後ろ髪を撫でる。フランスにいた時より柔らかな感触が伝わる。

「――わかりました」

「じゃあ――」

「その前に、シャワー浴びてきてもいいですか?」


 ボロボロの少尉たちがダビー・マイヨルに帰還して、すでに一日と十五時間が経過していた。

 丁度、三十九時間前。

 ボートは太平洋上の埃被った洋上プラントにて、全世界に向けて声明を発表した。

 その内容は、世界へ向けた宣伝と宣戦布告。

 ホテルでボートの私兵が警備隊を蹴散らす映像は、リアルタイムで世界に配信されていた。

 誰の眼にも、その戦闘が異常だということが明らかだった。

「私は世界の未来を手中に収めた。これから世界に向けた復讐を行う。まずはモスクワだ」

 ボートは穏やかな笑みでそう言って、声明は幕を閉じた。

 少尉の自室に集合したノルンと少尉、それからムム(※スピーカー越し)の三人。

 微妙な緊張感が漂う中、頭からタオルを被った少尉が立ち上がって部屋の隅に向かって歩く。

 その少しの動作にすら、ノルンは小さく跳ねる。

「何か飲みますか?」

「あ、えっと、大丈夫です」

「そうですか」

 それまでのやり取りが嘘のように、ノルンが纏う空気はぎこちない。

 コーヒーを淹れた少尉が自分のベッドに座ると、向かいに座るノルンを見る。

 少佐のぶかぶかのジャージを借り、借りてきた猫のように小さくなっていた。

 その黒い髪は、わずかにシャンプーが香った。

「――ボートが言っていたこと。あれは、ある種の真実です」

「――‼」

『…………』

 音がしそうなほどの勢いでノルンは顔を上げた。スピーカーの奥でも口を噤む気配があった。

 ボートが少尉たちに話を持ち掛けていた時には、ムムはある程度の通信状態を確保していた。

 一連のやり取りも知っている。そして少尉がボートに向けた銃を下げた時、通信が快復した。

 だから即座にジョナサンのヘリが向かっていると伝え、三人が脱出する隙を作った。

『――やった――やっと繋がったよ――』

 その時聞こえた日本語は初めて聴く、少し上ずった少女の声だった。

「私は、物心ついた時から少年兵でした」

 コーヒーで喉を潤して、その湯気に向かって語りだす。

「そう、だったんですか」

「ええ。子供が大人になるまでに覚えるあらゆる感情は、戦場で覚えました」

『なルホど、そうイウこトか』

 スピーカーの声が、低く震えた。

「嬉しいという感情も楽しいという感情も、私は戦場でしか感じることができません」

 少尉は俯いて、マグカップをぎゅっと握る。痛みに近いその熱が、少し心地よかった。

「困難な任務であればあるほど、生死を懸けた戦いであればあるほど生きていると実感できます。紙一重で戦場を生き延び任務を成功させると、褒美を貰いとても褒められる。いつからか私は戦場自体に喜びを覚えるようになり、その頃から困難な任務を渇望するようになりました」

「そ、そんな――」

 言葉を失う。想定を遥かに超える彼の話に、思考が追いつかない。

「そんな感情に俺は気づきませんでした……いや、見て見ぬふりをしていたと言う方が正しいですね。適当な理由をつけて」

『――そノ理由ガ』

「そう。戦場で優先的に少年兵や、女の子や子供を助ける理由です」

 ノルンの瞳が揺れた。言葉を呑み込むように両手を口に当てる。

「俺は善人ではない。弱い人間を利用して、戦場を楽しむ異常者です。ボートはそれを見抜いていました。俺と同じ――命を懸けていなければ生きることすらできない死人だから」

「そんなこと! ……ありません……」

 勢いよく立ち上がった。立ち上がって、やっと少尉と同じ頭の位置になる。

 それでも、少尉とは目が合わない。

「勘違いさせてすみません。二度もあなたを助けたのは、全て自分の為です」

 言いながら、自分に言葉を託したソフィアという女性を思い浮かべた。

 やはり、彼女には申し訳ないことをしたなと。

「違います! そんなの嘘です!」

 声を荒げ、拳をぴんと張り体を震わせる。体に椅子がぶつかり、不愉快な音を立ててずれる。

『私モ、納得いカナいこトガあル』

 スピーカーからも、静謐な声が響いた。

『子供ヲ出シニしテ戦場を楽しム異常者なラ、わザワざ私にバイタルデータを測らせテ、電気ショックを流しテマで生キヨうとはシない』

「そう、なんですか……?」

『あア、こコニいル時は拳銃カら銃弾を抜いテイるガ……地上にイる時ハソうもイカないカらな。私がバイタルを確認シて、拳銃を抜クヨり先に起こシテいた』

「だから――」

『今回は、イろいロアって、つイウっかりシてイタが……』

 ムムの言葉は徐々に小さく消え入る。

「……やっぱり、おかしいですよ。少尉さんの言っていること」

 ノルンはスピーカーに向けていた視線を少尉に戻す。

「ボートと同じなら、あんなに苦しそうにっ! ……辛そうな顔なんかしません――」

「それは……」

 両手が、激しく震えている。

 鼻から大きく息を吸ってゆっくりと息を吐く。肺がコーヒーの香りで満たされるのを感じた。

「そんなこと、ありませんよ」

 ピタリと、震えが止まった。

「…………」

『……悪いガ、呼び出シダ。指令がラウンジで呼んデいる』

「わかりました。行きましょう」

 一息にコップの中身を飲み干しすと立ち上がり、今まで通りの雰囲気で出口に向かう。

 ノルンは俯いたまま、動かなかった。握った両手が震えてる。

「……きっと私と、これからの話です」

 少女は顔を見せないまま、足早に少尉の横をすり抜けていった。

「…………」

 置いて行かれた少尉は、その場から動けなかった。その部屋には、ムムの気配もない。

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