第四章 第三節

 飛び込んでくるワイヤー吊るされた黒い塊を見るなり、二人は壇上に飛び込む。

 少佐が飛びつくようにしてボートの身体を確保して、少尉はヴェクターを構える。

「待て! 撃つな!」

 しかし、ボートが叫んだ。

 飛び込んできた完全装備の兵士たちは、三人に見向きもせず他の護衛達と戦闘を始めたのだ。

「これは――」

「なにが、起きているんだ……」

 ヴェクターの照準器から目を外した少尉は、目の前に広がる阿鼻叫喚の光景に声が漏れる。

「いやぁ、君たちも驚かせたかったからね。言わなかったんだ」

「何ですか、これは」

 少佐がいつも以上に低い声で尋ねた。

「どうやらここを襲撃しようとしていたテロリストがいたらしくてね」

 わざとらしく、おどけたように、楽しそうに話始める。

「せっかくだからその役を利用させてもらおうと思ったんだ」

「――そのテロリストは」

「始末したよ。大層な思想と装備の割に、実力はなんでもなかったからね」

 平然と答えるボートに、少尉は奥歯を強く噛んで動揺を隠す。

「君たちは昨日彼等とあっただろう? あ、いや会ってない連中のほうが遥かに多いか」

 二人は机を倒して応戦する護衛達を見て、それを流れるように射殺していく武装集団を見た。


 その頭には、六つ目の暗視装置が装備されていた――


 次の行動は目を合わせるまでもなく、一瞬で行われた。

 少佐は両手でボートの体を支えるふりをする。

「ん? ――がっ! き、貴様――」

 その体に激しい電流が流れ、激痛と共にボートの意識が途切れる。

 両手中指にはめた袖を固定する指輪。少佐のそれはスタンガンの役割を持っていた。

 少尉は少佐の行動に合わせるようにアタッシュケースを振る。

 ぼとぼとと音を立て床に散らばる三つの円筒。それらがバシュウ! と暴れて煙を吹き出した。

 二人はそれを合図に壇上から飛び降りる。

「クッソ! 嵌められたぞ」

 そんな声と共に降り注ぐ攻撃を振り切って、手近な柱に隠れると、少佐が言った。

「煙、薄くないかな」

「落とした瞬間に二つ撃たれました」

「どうして我々を撃ってこなかったんだろう?」

「あながソレを盾にしてたからですよ」

「フフフ」

 軽口を叩きあう二人だったが、隠れている柱にはビシバシと銃弾が撃ち込まれていた。

「脱出しましょう」

「ああ」

 少尉は近くに倒れていた丸いテーブルを引き寄せる。

 まだ隠れてもいないのに攻撃された分厚い木製の机。簡単に破壊されることはないだろう。

 少尉はそれの足を持ち上げると手の中でくるくると回して車輪のようにテーブルを転がす。

 二人はそれに隠れてゆっくりと移動を始めた。ボートの身柄は少佐が首に担ぐ。

 銃撃は相変わらず続いていたが、その衝撃は少し減り、他の場所での銃撃戦が激しくなる。

 少尉たちに攻撃の目が向けられた結果、他の護衛達が反撃するチャンスができたのだ。

 しかし――

「拳銃と小銃じゃ分が悪いね」

 少佐が言う通り、屋内で制圧力の高い小銃と、あくまで護身用であって攻撃用ではない拳銃では戦闘にならなかった。

「私がカバーするよ」

 P90を取り出した少佐は盾を装備して反撃を開始する。二人がボートを確保していることもあり、敵の攻撃は慎重だ。

「――抑えろ!」

 敵の少し焦りを孕んだ声が聞こえる。

「おい! 何か変だぞ!」

 出口まで残り三十メートル。自分の腕にかかる振動が激しくなる。

「とにかく撃て――」

 残り二十メートル。頭上に降りかかる木屑が増える。

「――壊れたのか⁉」

「いや――よく見ろ」

 残り十メートル。あと少し踏み込めば会場から脱出できる。その時だった――

「――ソフィア‼」

 背後で、聞き慣れない少女の叫び声がした。その声が、思考回路を焼き切る。

「駄目だ。少尉」

 足が止まった。

「少尉、よく考えてくれ」

 少佐の震えを隠す声が、まるでトンネルの向こう側から聞こえるように小さく木霊する。

 真っ暗なトンネルに立った少尉の腕を、闇の中から小さな手が掴んだ。

「もう、逃げられないね」

「ま、待ってくれ……」

「きっとこの選択を、一生後悔する」

 誰の声とも取れない声が、闇の中で木霊する。

「――少尉‼ ――応えろっ少尉‼」

 トンネルの向こうで声がする。

「ゲームは、難しいほど面白い。でしょ?」

 トンネルの中から声がする。

「違――」

 バンッ!

 派手な音がして意識が現実に引き戻される。その音は銃声より小さかったが少尉たちには明瞭に聞こえた。

「オルニット‼ レグルス‼」

 目の前に迫った扉からパンサーの声がした。開け放たれた扉に姿はない。その代わり投げ込まれたフラッシュバン。

「伏せろっ!」

 その声に、少尉は背中を向けて走り出す。

「少尉‼ 待てっ!」

 背中に迸る爆音、激しい発光。その数瞬だけ激しい銃撃が止んだ。

「――――パンサー頼むッ!」

「――オルニット‼」

 あらゆる制止を振り切り、とにかく走る。走りながら、銃口を向けてきた敵に向かって引き金を引く。

 敵はサッと身を隠して銃弾を避ける。

「止まって!」

「――っ!」

 少女の声がはっきりと聞こえ、咄嗟に伏せる。

 その瞬間、自分の進行方向に銃弾が過ぎ去って行った。思わず、息を呑む。

「な、なんだと」

 敵の誰かが、そう言うのが聞こえたきがする、しかしそれに構わず机に隠れて、少女の方を見た。

「ハぁ、はッ――」

 柱の影、涙ぐみ息を切らす眼鏡の少女。傍らには柱にもたれ掛かる母親らしき女性。彼女は腹部から血を流していた。

「クッ――!」

「――――」

 走り出そうとすると、少女が激しく首を横に振った。瞬間、再び進行方向を銃弾が切り裂く。

「なっ――」「おい、どうなってるんだ⁉」

 思わず漏れた声と、敵兵の声が重なる。

「オルニット! 早くしろ! ック――」

「パンサー、もう行くぞ!」

「だが――」

「――――――」

 別の敵と銃撃戦をしていたパンサーが叫び、ザムザとのやり取りが聞こえた。

 少尉は盾のつけた左手を前に出して少女の眼を見る。

 鈍色と薄鈍色が交互に入れ替わる様に怪しく光る瞳が、揺れる。

「……」

 その子が、はっきりと頷いた。

「ッッ‼」

 爆発するように遮蔽物から飛び出して走る。

「撃てッ! 左だッ!」

 迫りくる死の気配。命を刈り取る音。そしてそれより大きく聞こえる自分の鼓動。

「――ッ」

 条件反射で頬が持ち上がるのを、少尉は気づいていない。

「――ッハ‼」

 ギリギリで、柱の陰に滑り込んで銃弾を回避する。

 襲い掛かる小銃の攻撃が、ビシビシビシッ! と柱の一部を粉砕した。

「ハァハァハァ――走れますか?」

「――嘘でしょう――――まさか本当に――――?」

「……大丈夫ですか」

「――ッ‼」

 俯いて小さく震える少女の肩に手を置くと、ビクッと振り返った。

「あ、あの、え、えっと――その……」

「走れますか」

「え、ええ、でも……」

 少女は首をもたげる。

「わ、私は大丈夫……だから、行って――」

 その視線の先に、弱々しく震える女性。顔色はよくない。

(――これは)

 言葉にするまでもなく、彼女の命はもう永くはない。

「――でも! ソフィア……!」

「貴方には……ぐっ――見えていたのでしょう?」

「そんなことっ――」

 それが最後のやり取りになることを、少女も感じ取っているようだ。

「言った……でしょう?」

「ダメッ……そんなの嫌よっ」

 少女が激しく首を振る。それを静かになだめるように女性が頬に手を置いた。

 手の熱以上に熱を持った血が、柔らかな頬に塗られる。

「最後に、あなたを――守ることができてよかったわ」

「ソフィア……」

 少女は頬の暖かさを失わないように、零れ落ちそうな手を両手で抑える。

 ソフィアは愛おしそうにそれを眺めていたが、その視線を少尉に移す。

 何かを言おうとして、一度むせる。そして、口元から血を流しながらはっきりと告げる。

「この子を、未来を――お願いします」

「そ――」

 そんなつもりはと言いかけて、口を綴んだ。

 グラリ、と自分の中の脆い部分を一突きで崩されたような感覚があった。

 人助けなどしたことがない。人助けなどするつもりがない。だが、それを答えにすることは状況によって憚られた。

 そんな少尉をよそに、時間は進む。

「さあ――行きなさい――」

「で、でもっ!」

 少女は少尉を見上げた。懇願の瞳が涙で揺れている。それでも、少尉は首を動かせなかった。

「さあ、選んで」

 その瞬間、それを嘲笑うように脳裏にまた、少女の声が木霊した。

 弾かれるように顔を上げて辺りを見回す。

 絶望の表情を浮かべる傭兵。血を流して倒れる参加者。それらが視界に映っても脳は認識しない。

 いつものように、時間が引き延ばされる感覚だけが体を支配していく。

「――ハァッ――はぁッ――はっ――」

 動悸が激しくなり、視界が狭くなる。少女の肩に置いた手が激しく震える。

「今ならまだ間に合うかもよ?」

 机やらの残骸の向こうで、白い少女が微笑む。

「な、なにを――」

「この子を見捨てれば、世界を救う英雄に――」

 どこからともなく飛来した銃弾が、白い少女の顔面を抉った。

「――っ⁉」

「キャハッ――キャハハハハ」

 床に倒れた左目のないソレが机の隙間を縫ってこっちを見ている。壊れたような笑い声だけが耳に近い。

「さあ! さあさあさあ!」

「お、俺は――」

「世界を救う英雄になる必要なんかないわ」

「――っ!」

 声がした。苦悶の表情に脂汗を浮かべたソフィアが、こちらを見ていた。

「あ、あなたは――」

「理由なんて後で考えればいい。自己満足の為でもいい。今この状況で、あなたの体が動いたこと――この子の命がここで絶えないことに意味があるのよ」

 苦しそうに、それでもはっきりと、最後の力を振り絞って、意思を言語化していた。

「そ、そんな――俺は――」

「いいから……あなたの無意識を信じて。誰の為でもなく……あなた自身の為に……」

 気づけば、時間感覚はとっくに現実に引き戻されていた。

「ソフィアっ――」

「行きなさい‼」

「――!」

 ソフィアの絶叫に考えるより先に体が動いた。

 最後の発煙手榴弾を足元で起動すると、少女の手を掴む。

「待っ――」

 少女は、言葉をぐっと堪えた。その体を抱きかかえると煙の中に飛び込んだ。

「はあ、はあ――ごめんなさいっ――ごめんなさいっ――」

 腕の中で少女は息を切らしながら小さく謝罪し続けた。煙によって攻撃の手が僅かに緩んだため、それはよく聞こえた。

 その背中を、ぼんやりと視界でソフィアは見送る。

 初めて、真正面からその男の顔を見た。

 銃を持ち、それを使う人間というものに身勝手な忌避意識を持っていた。

 だがその男の顔は、まるでノルンと過ごしていた時の自分のようだった。

 自分の為に選んだ選択に常に後悔をし続け、その罪滅ぼしすら自己満足だと自覚し、それを否定する自己矛盾の人生。体が引き千切られるような苦痛の中で過ごした顔は、その傷跡が苦悶の皴として刻まれる。

 あの瞳は、まだ少年のまま濁っていた。

 だが、とことん考え抜いて選んだ選択とは、結局のところ己の無意識下にある――それこそ根底の信念に従っているだけなのだ。

 あの青年が飛び込んできたとき、ノルンが賢い子だったということを再認識させられた。

 そして、あの子の為に命を懸けた今だからこそ分かったのだ。

 自分の無意識の意思が何を訴えていたのか。

 重要なのは選択ではなく、選んだ道の先でどう生きるか。その生きざまだと。

「――ありがとう、ノルン――」

 思えば謝ってばかりだったなと、ソフィアの意識は落ちて行った。


 少しずつ煙が薄くなり、歩調を弱め気配を探る。

「姿勢を低く」

 薄ぼんやりとした視界に浮かび上がる倒れた机を確認した少尉は小さく言いながら、少女の頭に手を置いて一緒にしゃがむ。

「待って」

「もう引き返せま――」

「――違うの」

 違和感を感じてそちらを見ると、彼女の瞳が痙攣していた。先程と同じように瞳孔が鈍色と薄鈍色に光りながら、拡大と縮小を繰り返し虚空を行ったり来たりと見返している。

「ど、どうしました? 大丈夫ですか」

「違う、違う――違う、これじゃない……!」

 少女は小さく呟きながら、少尉の手をぎゅっと握る。

 徐々に煙が晴れ始める。とにかく急いで会場の出口に向かい、少佐たちと合流しなくては。

 その焦燥感よりも、強く握られた手が何か強烈な力で少尉をそこに圧し留めていた。

「も、っと――早く、はやくはやくはやく――うっ!」

 こみ上げる衝動を抑え込むように放した手で口元を抑えると、少女は震える指で薄くなった煙向こうのシャンデリアを指さした。

「……大丈夫ですか?」

「――って」

「……?」

「撃って……やく」

「あの、辛いでしょうけど、急いで……」

「いいから……早く! 撃ってぇ!」

「――‼」

 その叫びと同時に、言い知れない不気味な気配を感じて虚空に向かって銃を構えた。

「――ッ!」「クッソ‼」

 ワンテンポ遅れて煙から飛び出した六つ目が悪態をつきながらナイフを振りかぶる。

 それをヴェクターで払いのけ、バランスを崩した脇腹に45スーパーの弾丸を叩き込む。

「――左!」

 少女の声が叫び、脊髄反射で体を左に。

「ッぐ!」

 バシバシッ! と左腕の盾に衝撃を受けながら、引き金を引く。その方向で血飛沫が上がる。

(――後ろ!)

「駄目っ! 飛んで――‼」

 後ろに構え直そうとした体に急制動をかけ、叫んだ少女の体を突き飛ばしながら床に飛び込む。

「きゃあ!」

「クソッ! ――ッグ、ハ、ア――」

 悪態をつく敵を仕留めると、少女の体を抱えて床をゴロゴロと転がる。

 会場出口まで三十メートルほどの所にある机まで転がると、膝立ちで体を起こす。

「ハァッ――君は――」

 起き上がった少女の顔を見て、言葉が止まる。

「ごめんなさい。後で、必ず説明します」

 眼鏡の外れたその顔。髪留めが取れてふわりと広がる黒髪。

 それは間違いなく、数週間前にフランスで助けた少女の面影だった。

 おそらくは眼鏡に光学欺瞞装置が仕込まれていたのだろう。

「――わかりました。合流を急ぎましょう。私から離れないでください」

「……はい」

 少尉は銃声の止んだ会場内に意識を張り巡らせる。

「スゥゥゥゥウ――フゥゥゥゥゥゥ」

 大きく息を吐いて、立て続けの戦闘で尖った精神を研ぎ澄まし、思考を落ち着かせる。

 少佐たちはもう会場から脱出しているが、このホテルから脱出しているかは怪しい。

 実際、ホテルのあちこちで銃声が聞こえる。

 しかし、合流地点ではなく会場内にパンサーたちが飛び込んできたということは、ホテルだけでないその外も予想外の出来事が起きたということになる。

 ここまで全てボートの策略だとして、この少女は――

(――いや、今はとにかく脱出を考えなくては――合流地点を目指そう)

 テーブルや柱の合間を、敵が動く気配を感じる。急いだほうがいい。

「…………」

「――ック、ハァハァハァ――だ、大丈夫です」

 少女は頭痛を抑えるように頭を押さえ、憔悴した表情をしていた。

(――この子を助けたという事実が――)

「――行くぞ」

「はい!」

 少女と、それから自分に言い聞かせた。

「右っ!」「止まって!」「――反対!」「伏せて――!」

 敵の攻撃は、まるで自分の思考を――それこそ脊髄反射の行動まで読んでいるような攻撃。

 しかし、少女の苦しそうな叫びはそれをギリギリで回避する。

 指示に対応するには、限界ギリギリの反応速度と肉体の反射が連続で要求される。

 感覚を研ぎ澄まし、千切れそうな生命線を何とか繋ぎとめる。

「きゃっ――!」

 しかし、出口まであと少しというところで、少女が机の脚につまずいて転んだ。

「――ック」

「待って!」

 走っていた体を急反転させる。

 目に映ったのは、小銃を構える二人の六つ目。

 倒れた少女の助けを乞うような瞳に、記憶に残る彼女の姿が重なった。

「だ、駄目――」

 声を振り切り、力を振り絞りありったけの瞬発力を発揮する。そこに思考は介在しない。何も考えずに体が動いていた。

「――――ッ‼」

 肉体限界の動きに、骨と筋肉が軋み、それに耐える奥歯がギリギリと音を立てる。

 低い姿勢で一直線に突き進む。

「――ふ、伏せて‼」

 足を前に突き出すように姿勢を崩すと、頭上を弾丸が切り裂いていく。

 速度の乗ったスライディングそのままヴェクターを乱射。

 一人目が驚愕の表情を浮かべながら死んでいくのを確認すると、柱の裏に滑り込む。

 すぐに二人目が小刻みに連射しながら近づいてくる。

 撃たれている方向と逆に飛び出そうとすると、即座にそこが狙われる。

 再び方向転換をしても、まるで柱の裏の動きが見えているように対応してくる。

「――――」

「――駄目っ――見えすぎる――」

 少女は悔しそうに声を漏らした。

「死ねぇ‼」

 柱の裏に飛び出すと共に残弾を振り絞る敵。

 少尉を認識し、引き金を引きながら狙いを額に修正する。間違いなく即死を捉えていた。

「なっ――馬鹿なっ――」

 死ぬはずだった少尉は、ほんの僅かに体の位置をずらした。

 見開いた眼で敵を捉えながら、銃弾の通り道からギリギリで体を逸らしたのだ。

 そして、腰で構えたヴェクターの引き金を引く。恐怖を浮かべた表情がハチの巣になった。

「フゥゥゥウゥゥ――ハァァァアァァアア――」

 大きく呼吸をして熱し切った頭を覚ます。

 徐々に視界が開け、腕や足にできた銃弾のかすり傷に熱を感じる。

「――嘘、そんな――どうやって」

 両手で体を起こした少女は、その一部始終が現実だと理解できなかった。

「……大丈夫ですか?」

「ええ……」

「行きましょう」

「……」

 少尉は少女に手を貸して立ち上がらせる。二人はすっかり静かになった会場を後にした。


 一方、会場を後にした少佐たちは一階に向かっていた。

 しかし――

「駄目だ駄目だ! 下がれ下がれ!」

 先陣を切っていたザムザが叫び、後に続く面々が反転する。

「――後方から敵集団! ぐあ――」

 殿を務めていた別の部隊が、通路向こうから現れた敵部隊に襲撃される。

「こっちだ‼」

 ボートを首に乗せたパンサーが叫び、両部隊から挟まれない方向に進む。

 反撃を試みた者は成す術無く撃ち殺され、そんな彼等の背中側を通って通路に飛び込む。

「あぁマズい――」

「入れ!」

 飛び込んだ通路の先にも、また別部隊が現れる。

 即座にパンサーの後ろから飛び出した少佐がP90で攻撃するが、敵はサッと角に隠れてそれを避けた。

 だが、その隙に生き残った面々はそこにあった部屋に飛び込む。

「扉を閉めろ!」

 最後に少佐が飛び込むとザムザが叫ぶ。

 咄嗟に二人の隊員がガラス状の扉を閉めて、手近にあったテーブルでバリケードを張る。

 パンサーは手榴弾のピンを抜いて、バリケードの隙間に挟み込んだ。

 それが済むと、皆そこから離れてそれぞれ身を隠す。

「――クソッ! どうなってんだッ!」

「どうしてこんなに先回りされるんだ――」

 ザムザとパンサーはそろって言葉を漏らす。

「見られてる」

「何が」

 小さく呟いた少佐に、皆が振り向いた。

「防犯カメラが乗っ取られたのか?」

「いや、これだ――」

 少佐は親指と人差し指でつまんだソレを見せる。

「机の裏から出てきた。小さくて見えにくかっただろうけど」

「コバエか?」

「いやドローンだ」

「マイクロドローンか? 初めて見たな……」

「恐らくはもっとたくさんあるだろうね。通信障害の原因も――」

 そこまで言うと少佐はプチっとそれを潰した。

「とにかく。このホテルから脱出する方法を探そう」

 少佐は辺りを見渡した。ここは三階の大型カフェラウンジ。

 見渡す限りガラス張りのその部屋には、先程まで人が居たであろう名残と散乱するガラステーブルと椅子。窓際の一段低い位置に並べられたソファースペースがあった。

「一階はもう制圧されているんだろう? この感じでは恐らく二階も……」

 扉を見張っていた隊員が言う。

「何があった?」

 少佐は聞く。

「警備隊に車が突っ込んできた。中にいたあいつらと戦闘になったんだが――」

 パンサーの言葉をザムザが繋ぐ。

「手も足も出なかった」

「ああ、数はそんなに多くない。だが――頭の中覗いてるみたいな戦い方をしやがって」

「どういうことだい?」

 口調はいつもの調子だが、少佐の眼は鋭い。さすがのパンサーもたじろぐ。

「走って行く方向にたまたま銃弾が飛んで来て死ぬ。そんな偶然が何度も起きた」

「こっちの攻撃は、狙った瞬間にはその場所から消えている」

「喧嘩にならねぇよ。あんなの――」

 警備隊長が死に、原因不明の通信途絶は解消されず。

 パンサーの部隊は独断で、少佐たちを迎えに行くことにした。

 だがホテルに入るまでに二人が死んだ。内部で合流した別隊員も三分の一しか残ってない。

「どうすれば――」

 そうつぶやいたザムザがピタリと黙る。

 ピンと、そこにいた誰もが気配を張り詰めた。扉の外に気配を感じる。

 少佐たちを追い込んだ部隊が合流したのだろう。ガラスの外に黒い人影が並んでいる。

 こちらと同じように、彼等も少佐たちを探っているのだろう。

(――俺が引き付けます。その間に脱出を)

(――駄目だ! 時間稼ぎにもなれねぇぞ!)

 生き残った隊員が即座にパンサーに否定される。

(――ボートを人質にするのは)

(――リスクがありすぎる)

 人数差も、あの六つ目の暗視装置の性能も今では未知数だった。

 実際に、少佐は警護に一発も当てずに護衛対象を倒す場面や、その逆の現象を幾度か見た。

 あれだけの激しい戦闘で、偶然にしては射撃が正確すぎる。

(――こうしよう)

 少佐は決断を下す。時間稼ぎとも言える作戦だったが、そこにいた誰もが頷いた。

 そして――

 派手にガラスが砕け散る音が鳴り、次いでくぐもった爆発音が反響する。

「今だっ!」

 まずザムザと少佐、それから一人の隊員が飛び出して銃を撃つ。

 狙いは一点。解放された入り口に向かって。

 撃ち続ければ中には入れない。その間にパンサーと二人の隊員が素早く位置を変える。

「リロード!」「カバー!」

 先に弾を撃ち尽くしたザムザに代わって、制圧射撃にもう一人の隊員が加わる。

「こっちだ!」

「代わります! 移動して!」

 六人は交互に制圧射撃を加える。その間に遮蔽間を移動しある場所を目指す。

 入り口横にある料理の並べられていたカウンター、その奥のキッチン。

 徐々にそこへ近づきながらも、敵は少佐の読み通り入り口から顔を出す事ができずにいた。

「こっちだ! 急げ!」

 最初にカウンターに滑り込んだパンサーと一人の隊員が残りのメンバーを援護する。少佐やザムザも続き、それをサポートするように二人の隊員が射撃を始める。

「――ッつ!」

 だが唐突に、小さな破裂音が途切れる射撃音に尾を引いてその場に木霊した。

 最後尾で射撃していた隊員の、小銃の薬室が弾けたのだ。その小爆発が、彼の顔面を襲う。

(――コックオフ⁉)

 そこにいた誰もが、それが暴発だと気づいた。

 同時に、その銃の持ち主が入り口から反撃を受けて地に伏した。

「――――‼」

 その男とバディを組んでいた隊員が名前を叫んだ。

「戻れ!」

 乱射しながら相棒の遺体の許に走る仲間、それを引き留め居ようと叫ぶザムザ。

 敵は入り口から流れ込み、即座に味方を救出しようとした隊員を仕留める。

「――このっ!」

「もう無理だ! 早く!」

「グレネードッ‼」

 ザムザを突き飛ばした隊員が、彼の前の前でボロボロになって崩れる。

 少佐はパンサーとボートを引きずってキッチンの奥に逃げ込んだ。

 唇から血を流したザムザも後から合流し、できるだけ奥へ奥へと進もうとする。

 しかし、激しい反撃が始まった。

 辺りに積まれたクッキングペーパーが紙吹雪となって舞い、吊り下げられた調理器具に当たった銃弾が小気味いい音を立てて跳弾する。

 厨房の奥にある――すぐそこにあるはずの従業員用の出入り口が、遠い。阻まれることなくそこへ辿り着いた銃弾が木製の扉に穴を開けていた。

 自分たちの作戦がそっくりそのまま返されている。少しでも身動きを取れば死ぬ。しかし、同時にその死は足音を立てて近づいてきている。

「ここまでか……」

「まだ諦めるな‼ とにかく撃て! 撃ちながら考えるんだ!」

 力なく弾倉を入れ替えるザムザを、二人が聞いたことないような大きな声で叱咤する少佐。

 彼女は隠れた調理台からP90を頭上に掲げて、敵がいるだろう場所に向かって引き金を引いていた。だが、頼みの得物も撃ち壊されてしまう。

「クッ! 拳銃あるか!」

「お、おい――」

「君も反撃するんだ! 我々が死んだら終わりだぞ!」

 パンサーの肩を掴む少佐は、いつもの調子だ。そのはずだ。

「――ッ! どいて!」

 パンサーを突き飛ばすと流れるようにスリ取った拳銃を乱射し、従業員用出入り口を撃った。穴だらけになった扉の向こうで、黒い人影がビクビクと揺れる。

「クッソ! 挟まれた――」

『――ザッ――ザザッ――少佐――俺です!」

「しょ、少尉? そんな――まさか――」

 短距離通信を介して聞こえたその声は、もう聴くことのないと考えていた男の声。

 扉から現れたボートの私兵――の血を流した死体が喋った。

「時間を稼ぎます。その間にここから脱出してください」

「待てっ! 無茶だっ!」

 少佐が困惑し、パンサーが引き留めるより早く、少尉は死体を盾にしたままキッチンに滑り込む。

 部屋面積の割に、料理代や業務用の冷蔵庫によって可動域の狭いキッチン。内部の敵は三人。

 少尉は一番近くの敵に死体を押し付けるようにして投げ捨てる。しかし、敵は冷静に一歩下がってその死体をやり過ごした。

 そして、暗視装置に従い少尉が現れるであろう死体の又の間に向かって引き金を引いた。

「なに――?」

 しかし、銃弾は何もない空間を突っ切って地面にめり込む。

 次の瞬間、地面に倒れかけていた死体が再び持ち上がると、覆いかぶさるように襲い掛かってきた。

「しまっ」「まず一人」

 銃を構え直す暇を与えず、持ち直した肉盾の脇下からヴェクターを撃ち一人目を仕留める。

「――――!」

 間髪容れずに、地を蹴って調理台の影に仰向けに倒れこむ。寸分違わぬタイミングで少尉のいた空間の壁に穴が開く。

「どうなってんだ⁉」

 そう叫んだ敵は、台の隙間から足を撃たれその場に倒れると、体を銃弾で一薙ぎされる。それでも続々とキッチンに流れ込んでくるボートの私兵。

 それを確認するなり倒れたまま壁を蹴って、従業員用の出入り口近くまで背中で滑ると、転がる様にして起き上がり、朽ち果てた扉まで走った。

 その背中を、調理場に駆け込んだ敵が撃つが間に合わない。

「……二人殺されたぞ」

「いや、それだけじゃない。会場に突入した奴らもやられている」

「なら早く追わないと」

「――いや待て。今従業員用通路入り口を固めたそうだ。どの道奴らは逃げられない。ボートさんを殺す事もできまい……各員、損害報告」

 部隊長の一声に皆が呼応する。損害は軽微なものだった。

 しかしそれは、彼等にとっては予想外の損害でもあった。


 扉を破壊しながら通路に戻った少尉は、銃を構えて辺りをクリアリングしながらすぐに道を折れ細い分かれ道に飛び込んだ。

 通路脇に放置されていた荷車を来た道に押し込むと、次いで口からごみが溢れ出た業務用ダストボックスで道の入口を塞ぐ。

 敵がすぐには追ってはこないこと、反撃もしばらくはないこと――それらを知っていても落ち着かない気持ちのまま先を急いだ。

「こっちです!」

 そして、通路が少し下った暗がりで手を振る少女と生き残った仲間たちがすぐに見えた。少女には自分の通信機の予備をローカルで繋いで渡していたのだ。二十メートルも離れれば繋がらなくなってしまうが、先の突入と離脱には充分だった。

「少尉……どうして……」

「わかりません」

「その子は誰だ?」

「わかりません。何も話してくれないので。ただ――」

「この子のおかげで生き残ることができました」

「どういうことだそりゃ……」

 少尉は弾倉を変えながら先頭に立ち、通路を走りながら投げかけられる質問に淡々と答える。ノルンの表情が一瞬曇り、ザムザとパンサーがそろって首を傾げたが、それは後回しだ。

「とにかく――とにかく生きて脱出しましょう」

 その言葉に対する皆の反応は、何とも歯切れが悪い。

 少佐もザムザもパンサーも、まさかあの状況で少尉が生き残るとは考えられなかった。助けに飛び込んだ少女を連れ立って救助に来るのは、さらに非現実的だ。

「とにかく。この子はこの状況について何かを知っているはずです」

「――そして、恐らくは指令が口止めしているんだろうね」

「少佐……」

 焦燥が一転して、僅かに希望の糸を掴んだ少佐は余裕を取り戻したようだ。

「すまなかった少尉。君の選択は間違っていなかった」

「いえ、独断専行をしたのは私です。皆さんの選択こそあの場では最良でした」

「そうか――パンサー。それは私が預かろう」

「ああ、任せる」

 言って、少佐はパンサーからボートの身柄を受け取ると、再び首に担ぎなおして拳銃を保持する。その間にザムザと少尉は肩を並べて進み、パンサーと少佐は少し離れて後ろから。

 ノルンは自然と中央に位置を取る形となっていた。

 彼女は四人の一連のやり取りを見て、深く思い悩む。指令に口止めされているというのは、間違いなくその通りだ。

 ただ、事ここに至っては、その一切を話してしまった方がいいのではないか。

 そういう主張も自分の中に形成されていた。

(――でも、ここで皆に話してもし危険視されてしまったら?)

 ことの始まりから今までの全てを話す余裕はない。掻い摘んで説明して、信用を得られる自信もない。

(――でも、彼なら)

 前を走る少尉を見た。状況を体験した彼なら自分を信用してくれるだろうか。

 そんな期待に縋りそうになり、ふと脳裏をよぎる。

(――結局。私はいつまで経っても大人離れできない。自分の考えに胸を張って行動できない)

 そして、もう一度、彼女の名を呼んで謝罪した。もう二度と会うことは無いであろうその人の名を。

「――見ろ。出口だぞ!」

 ザムザのその声に、ノルンの思考が現実に戻される。その視界が、ぐにゃりと歪む。捉えた、たった一つの結果。

「ま、待って」

「ん? おいどうした?」

 急に立ち止まったノルンに追いついたパンサーが声をかける。

「そ、そこを出ては駄目」

「…………」

 無言で、パンサーは少尉を見た。解説してくれと言った眼差した。

「待ち伏せ、ですか?」

「わ、わからないけど、撃たれる」

「待ち伏せの可能性は、あるだろうね」

「だが急がないと挟まれるぞ」

「いや、妙だ――」

 少佐の一声に、足を止めた一同は振り返る。

 足音も気配も、まるで追いかけてきているという存在を感じない。

「どうするよ、これ」

「追いかけなくてもいい――そう判断したのでしょうか」

「分からない。別の通路に進んだ可能性もある」

「けど、引き返すのは危険だぜ」

「そう、ですね……」

 決断に時間は割かない。彼等はそういう生き方をしてきていた。やり取りを終えて、ゆっくりと少尉とザムザが両開きの扉に近づく。

「あ――」

 思わず、ノルンは手を伸ばしそうになった。だが、先にいる少尉と目が合う。

 彼はゆっくりと頷くと、少しだけ扉を開けた。

 ザムザは小さな鏡を懐から取り出して扉の外の様子を見る。

 光のないガラス張りの休憩室に、月明かりが差し込んでいる。辺りにはソファとセットで小さなテーブル、合間を縫って観葉植物が配置されていて、その奥、五段ほどの低い階段の先にホテルのインフォメーションカウンターが見える。

 場所としては二階と三階の真ん中に位置する場所だ。

 少尉たちの使った通路は、この場所から二階と三階にある施設にアクセス可能な従業員用の通路だったらしい。

(――敵影は見えない)

(――隠れているのか?)

(――その可能性はある)

 二人をすぐにカバーできる位置についた少佐が伝える。

(――カウンターの向かいに階段がある。下りればその先が出口だね)

(――あの辺は車やらが多い。組織が回収準備を整えている可能性はある)

 パンサーが伝え、フラッシュバンを取り出す。最後の一つだ。

(――これで向こうまで駆け抜けるぞ)

 鏡を閉まったザムザに手渡すと、その手を握りしっかりと目を見て頷いた。その様子を見ていたノルンが、思わずパンサーの防弾装備を引っ張った。

 振り返った彼に向かって、激しく首を振る。

(――悪いな嬢ちゃん。成功するように祈っていてくれ)

 その意図を察することはなく、パンサーはノルンの肩を叩いた。皆の中でただ一人、少尉だけがその行動の裏を感じ取った。

 慌ててザムザに視線を戻した時には、彼は安全ピンを抜いて扉の向こうに向かって投げ入れている。

(――そんな簡単にうまく行くはずがない……だがこれ以上の選択はあるのか⁉)

 耳を劈く高音と、激し光。

 それが止むより先に、先陣を切って扉から飛び出すザムザ。

「待て――ザムっ――」

 その扉の向こうで、ザムザが足から血を吹き出して倒れた。

 同時に聞こえたはずの銃声が、やけに遅れて頭の中で反響する。

「ザムザッ‼」

「止せぇ!」

 叫びながら、反撃しようとしたパンサーを引っ張って地面に投げる。

「…………」

 銃声はそれきり聞こえなくなった。代わりに、ぞろぞろと人が動く音が聞こえて、扉の周りに集まってくるのが分かった。

「安心しろ。殺しちゃいない。だから、その人を渡せば君たちを無傷で外に出すと約束しよう」

 扉の向こうで、誰かが言った。

 ロシア訛りの酷い英語だったが、辛うじてその内容を理解することができた。

「――悪いね、その提案は――」

「待ってくれ!」「少佐!」

 荒々しく扉に向かって拳銃を構えた少佐、それを防ぐように扉に立つパンサー。

「そこをどいてもらおうかパンサー」

「頼む、待ってくれ。本当にその選択は正しいのか?」

「わかっているだろう? 身柄を渡せば、全てが終わりなんだよ」

「本当にそうなのか?」

「何を――」

「指令はそう言ってたが、俺にはわからない。こんなにヤバい状況になっても、俺たちはまだ生きているんだぞ? なんかおかしくないか」

「早くしないと、君たちのお仲間が出血死するぞ」

「ちょっと待ってくれ‼」

 扉の外から入る茶々に両手を上げて、何とか冷静さを保つように声を荒げる。

 相対する少佐は、抱えたボートの体を持ち直すと、その頭蓋に銃口を当てた。

「おいおい、落ち着けよ……あんた正気か?」

「君こそ正気になるべきだ」

「何が真実かあんたにはわかっているのか? ここではみんなが生き残るのが最適解じゃないのか⁉」

 対抗するように、パンサーは小銃を少佐に向けた。

 それに呼応するように、少尉もパンサーに銃を向ける。反射的な反応だった。

「頼む。そいつを俺に渡してくれ」

「少尉――撃て」

「無茶です。あなたも死にます」

「私がどうなろうと構わないよ」

「少佐」

「いいから――」

「――――」

 ノルンが、声にもならない声で何かを訴えた。

 その声に重なる様に、聞き慣れない破裂音が混じった。とても軽い、クラッカーのような銃声だ。

「――ッグ」

「レグルス!」

「待て! 撃つな!」

 太腿から迸る血を抑えながら、少佐は叫んだ。

 少尉が咄嗟に銃口を向けた先に、ひらひらと両手を上げたボートが立ち上がる。

「時間切れだ少尉」

 心底楽しそうに笑う中年の男の右手に握られているのは、とても小さな二十二口径拳銃。袖から取り出しだであろうことが分かった。

「貴様――‼」

「待て! 撃つな少尉!」

「しかし――」

「その通り」

 引き金を躊躇う少尉に、ボートはおどけたようにゆったりと近づく。

「私を殺したところで何も変わらんよ」

「何を――」

「この今日のパーティーが始まった時から、私の計画は完成していたし。何ならこのプレゼンテーションはおまけみたいなものなんだよ」

「おい、意味わかんねぇこと言ってんじゃねえよ」

 震える声で、パンサーもボートに銃を向ける。

「どうせ君たちは知っているんだろう? 私の目的を」

「――まさか」

 額に脂汗を浮かべた少佐が、目を見開いた。

「さすがレグルス。賢いね。そう――」


「もうとっくに世界は終わっている」


 にっこりと、穏やかな笑みをその顔に湛え、息をするように引き金を引いた。

「――?」

  銃声と呼ぶにはあまりにも聞き慣れない音を向けられたパンサーが、まるで膝下が消失したように崩れ落ちた。

「パンサー!」

「な……どうした……?」

 本人は何が起きたのか気づいていない。否、その場にいた誰もがその射撃に気づけなかった。

 話題で気を逸らし、呼吸のような自然な動きで銃を撃ったのだ

「ボートさん」

「ああ、お疲れ」

 追いついたボートの私兵が、その光景を目にする。

「……どうします。全員殺しますか?」

「無駄弾を使うな。どうせすぐ死ぬ――ほら、もう銃を下して、その人の応急処置でもしたらどうだ? 少尉? 君の大事な人が死んでしまうぞ?」

「何を……」

 困惑しきった少尉は、それでも太腿を抑えて震える少佐を見て、飛びつくように応急処置に掛かる。ボートは嬉しそうに眺めていた。

「そうだ、それでいい」

「何のつもりだ?」

「怖い目で睨むなよ。殺さなかったのは私と対等に交渉してもらうためだ」

「対等だと?」

「そうだ。君たち二人とも無傷では、私は渡り合えないからな」

 言いながらボートは残りの弾薬を全て、身動きの取れなくなったパンサーに叩きこんだ。

 血しぶきを上げて崩れていくその姿に、小さく悲鳴を上げるノルン。

「ノルン。久しぶりだな」

 その声に、ボートは嬉しそうに近づいた。しかしノルンは恐怖に歯を鳴らし、躓いて転ぶ。

「おおっと……随分嫌われたな。まあ仕方がないか」

 ボートは頭をぽりぽり掻きながら、少佐を支えて立ち上がった少尉に向き直る。

「えぇっとそれで何だっけ……ああそうだ交渉だよ交渉」

「交渉?」

「そうだ。君たち――君と、君――二人とも私のもとに来ないか?」

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