第三章 第一節

≫ホテル 06:12:23


 少尉は布団の中で目を覚ました。以前のように飛び起きることはない。


 それでも、鍛えぬかれた肉体は緊張し、全身はぐっしょりと汗ばんでいる。


 慎重に、自分の肉体が自分のものであると確認するように寝返りをうって天井を見上げた。


 昨晩見た夢――内容はあまり覚えていない。


 ただ、最後の光景だけが網膜にこべり着いているような、そんな気分だった。


 自分が撃った銃弾で少女の肉が爆ぜ、助けを乞い、痛みの中で死んでいく光景。


「…………ムム」


『――もウスぐ六時十五分ダ』


「……遅刻」


『――まダ間に合ウぞ』


 枕元に置いた端末から特徴的な訛りの、少女の声と会話を交わす。


 右手首から外したブレスレットを端末の上に置くと「ありがとうございました」と言い、その横にある自分の拳銃を持つ。


 黒く重たいそれを手にシャワールームへと向かった。


『――そウいえバ、この間回収シタ少年兵タち、適当ニ人権団体ノ事務所前にコンテナで送リツけてオイたぞ』


「そうですか」


『――興味なさソうダナ』


「そんなことは……そんなことは、ありませんよ……」


 悪夢は、大きな仕事の前はよくある現象だった。


 それがここ最近は、毎日のように見る。


 栓をひねり、溢れ出す柔らかなお湯の雨をぼんやりと眺める。


 ブレスレットがついていた左手首は、まだじんわりと痺れていた。


 柔らかい雨を頭から浴びながら、徐々に覚醒していく頭でぼんやりとここ数日のことを思い返す。


 そして、明後日に思いを馳せる。作戦当日に。



≫ポーランド上空一万フィート 10:22:44


「今回の作戦は、二方面からアプローチをかける」


 指令はメンバーが乗っているプライベートジェットで作戦を説明していた。


 身長がそれなりにある指令が立つには、やや頭が狭そうだ。


 行先はフランス・パリ。「せっかくのニースなんだから旅行を楽しまないと!」と少佐(※ムム)が手配したのだ。現地で一度解散し、タイミングをずらして目的地に向かう手筈だ。


「奴が確実に現れるのはここだ」


 指令が手元のリモコンを操作すると、各々の座席に設置してあるモニターに映った地図が動く。


「……こりゃまた」


 パンサーがそうぼやいたが、彼でなくたって同じ感想を抱いたであろう。


 示された場所は、地中海を望む南フランスで最も有名なホテルだ。


「奴は来週このホテルで開催される大規模なパーティーに参加する。表向きは人道支援金を募るものだが、その実態は各軍事企業の最新兵器の情報交換会――いわば国際展示会前の駆け引きの場だろう」


 リモコンを操作すると、参加者のグロテスクなプロフィールが顔写真付きでモニターに羅列され、その中に紛れ込んだボートがピックアップされる。


 そのメンツの豪華さにシャンパンを呷りまくっていたザムザの手が止まった。


 良くも悪くもスターな人間が雁首揃えて一堂に会している。誰でなくとも嫌な予感がするであろう。


「ボートはここで世界を変える何か決定的な発表を行うはずだ──」


 指令は言葉を切って、白々しく続けた。


「だが何処かの不親切な誰かが、このパーティーの情報を特定の自称革命家団体や自称世界の救世主団体にリークした、全く面倒なことに、彼等はホテルへの攻撃を企ててくれている」


 不親切な誰かが話を続ける。


「誰かは知らないがそいつは、それらの組織に南フランス行きの旅券と偽造パスポートを発行してニースでの下準備から何から何まで支援してくれたらしい」


「立派なお膳立てですこと」


 ザムザの皮肉を余所に、不親切な誰かの一員は話を続けた。


「これにより、パーティーでのテロリストの襲撃は確実なものとなった。攻撃は苛烈なものになるだろう」


 苦い顔をする古馴染、笑いを堪える少佐。


 そして、やはり無表情の少尉が腕を組む。


「続けるぞ──今回も二チームに分ける。片方は当日会場の警備に当たる地元軍警察のメンバーに混ざってもらう。こちらには組織からの応援も紛れ込む手筈だ」


「規模は?」


「きっちり百人。警備隊全体の十分の一程度だな。少ないがこれが組織の限界だ」


「    」


 過剰戦力では、とは誰も言わなかった。


 質問したザムザは「今のは少なくて心配したのではに」という言葉を堪える。


 と、少尉が手を挙げた。


「ここまで大規模な戦闘を、各国の著名な軍事会社のトップを巻き込んで行えば、それこそ世界に影響が出てしまうのでは」


「その心配はない。再三のシミュレーションの結果だ」


 そう言い切られると少佐が「組織もなり振り構っていられないんだろうね」と耳打ちした。


「さて、もう一チームだが――こちらはボートと直接接触して、当日の身辺警護についてもらう」


 聞いて、即座に少尉は眉を上げた。


「それは難しいのでは? 彼には私兵がいたはずです」


「私兵はいる。だが基本的にボートは私兵を警護に付けないんだ。それどころか私兵を繰り出すこともめったにない。表向きはフリーランスだからな。雇うとしても、嫌々地元の者をつけている」


「それを利用するってこったな。ま、こっちの仕事は俺とオルニットには無理だな。アレを通して見られている可能性がある」


「いや、この仕事はレグルスとオルニットにやってもらう」


 示された二人の反応は別々だ。少佐は口の端をにゅっと持ち上げたが、少尉は上げた眉を下さないだけだった。


「リスクがありすぎるのでは? いくら暗視装置がないとは言え、映像解析でバレないとは言いきれません」


「ボートがあの装置からのみ映像を得ている可能性も少ないけどね」


 少佐に言われ、少尉は黙った。とどのつまりあの戦場にいたすべての人間がボートに把握されている可能性があるのだ。


「ならいっそ、組織の他の人間に――」


 ザムザがそう言うと指令は即座に「いや」と否定した。


「実を言うと、今回の作戦――ひいてはボートに対して組織はかなり消極的になりつつある。人員を百人も持ち出せたこと自体が最大の妥協と言ってもいい」


「意外だな。あんたがここまで躍起になってるんだから、上はもっと焦ってるかと思ったぜ」


「パンサー君の言うことは間違っていない。当初は組織も力を貸してくれていたが、時間が経つにつれて現実味がないと切り捨て始めた。現実はもっと深刻なのに」


 指令の握った拳が震えていた。


「まあ、我々ですら何が危険で何が世界を滅ぼすのかわかってませんからね。あなたの世迷言と言えばそれまででしょう」


 そう言った少佐は「でも」と続ける。


「ここまで来ても情報が明かされないのは、我々が所詮傭兵だからでしょう。組織が公式に持つ武力ではなく、あくまであなた個人が持つ子飼いの私兵――あなたが命を懸けているのは、世界の存亡ではなく、己のキャリアかもしれませんね」


 その言葉がカマかけなのを、その場では少尉だけが知っていた。


 ムムが伝えたこと。それは自分たちがもう引き返せないところまで踏み込んでしまったことを意味している。


 核兵器が初めて開発された時も、こうだったのだろうか──皆が黙り込む機内で少尉はぼんやりと考えていた。


「私の──」


 と、黙っていた指令が声を出した。


「私のことをどう思うと、どう扱おうと構わない。だがその前に仕事をしろ。こちらは報酬を払うだけだ」


 それから


「頼む。力を貸してくれ」


 と頭を下げた。


「…………」


 パンサーが思わず立ち上がった時だった。


「嘘ですよ。あなたが本気なのは皆知っています」


 と少佐がいつも通りの微笑を浮かべた



 ≫モナコ公国 ラルボット 07:12:52


「あの時の二人の顔――あれは怖かったね」


「それはあなたが悪人だからですよ」


 シャワーから出た少尉を待っていたのは、隣の寝室から出てきた少佐だった。


「デートは集合場所で会うのが鉄則! じゃ、エントランスホールで待ってるよ~」


 いつも以上に乗り気な彼女はそれだけ言い残してホテルの部屋を出て行った。


 そうして今、二人は海岸沿いの道を歩いている。


 少尉はタートルネックにジャケット、ジーンズというまだ少し肌寒い気候に合わせた装いをしていた。


 傍らにゆっくりと歩く少佐も珍しく季節に合わせ、淡い青色のロングシャツワンピースの腰にベルトを締め、紺色のロングジャケットを羽織っている。


 着ている人間の容姿が容姿なので、如何にもモナコのセレブと言った見た目だ。


「せっかくなら、夏の眩しい日差しを浴びに来たかったね」


 少佐は小さく言いながら、海風にふわりと広がる銀髪を長い指で梳く。


 その仕草から目を逸らすと、その視線の先に自分たちが宿泊しているホテルを見つける。


「それで、こんなことしている暇はあるんですか」


「大丈夫。ボートの位置は一週間前からムムに捕捉してもらっている。今日はホテル地下階のバーに現れる日だ。今夜はそこで商談だね」


「……本当に大丈夫なんですか」


「私の商談成功率は百パーセントだよ」


 まだそう高くない日差しを浴びながら、彼女はVサインを見せる。


 どういうカラクリか本当にそうなので、それ以上は追及できない。


 少尉は自身の後頭部を撫でると、話題を変える。


「それに、一週間前ということは、やはり何かしら準備をしているということです。こちらも何かしら準備をするべきなのでは」


「珍しいね。君が焦りを見せるなんて」


 淡い黒の瞳が正面から自分を射抜いていることに気づき、少尉は言葉に詰まる。


「…………焦らない方がおかしいんですよ。この状況」


「かもね。でも何が起こるかわからない。きっと初めて体験するような出来事がたくさん起きるよ。だったら、どうせならワクワクしていた方がいいと私は思う」


「私たちが行くのはアミューズメントパークではありません」


「厳しいなぁ君は──それに、準備していないかと言われれば、していなという訳でもないしね」


「それは……そうですが……」


 準備と言ってもムムとジョナサンに要望を出して準備をさせていると言った方が正しい。


「私たちが意識すべきは、ボートから信用を得ること。それから、襲撃を回避して、うまく警備隊の中のパンサー君たちと合流すること、後はボートの身柄を確保してのんびり脱出だ」


「そんなにうまくいくと思いますか?」


「いかないだろうね。彼の私兵の存在もある。もし最新兵器とやらが導入されていたら、いよいよ私たちはお終いかもしれない――いざとなったら海にでも飛ぶかな」


「あの高さ。着地に失敗すれば骨の一、二本では済みませんし、対象が着水訓練をしているとは思えません」


 ホテルは切り立った崖の上。たとえ一階の窓から海に飛び込んでも無事では済まないだろう。


「そうなれば失敗かな? ボートが死んだら世界は救われるのかな……それとも――」


「少佐……」


「少尉、どうやら私にも迷いや葛藤というものがあるらしい」


 そう言って砂浜の遠くを見た。後ろに立っている少尉では、その表情を見ることはできない。 しかしその視線の先に、早朝で人の少ない砂浜を歩く家族連れや老人などがまばらに見える。


「私は、人類というものが好きだし、愚かさも含めて愛している。人間が築く物も歴史も好きだし、だからこそ、それに対する破壊行為は好きではない。でも破壊するのも人間だ。破壊という歴史を築くのも、また人間なんだよ」


「…………」


「いつもふと思うんだ。人類の人類に対する自傷行為も、また愛すべき人間の一側面なのではないかなって」


「――では、人類が、自ら作り出した物で破滅するのも、何かを築いたことになると? 滅亡はあなたにとっては最悪の結末ではないと?」


 少尉が問うと、彼女はまたいたずらっ子のように笑って砂浜に降りた。


「そう言われると、否定したくなる。結局私は人間が好きらしいね。せっかくならもっと長く文明を続けてほしいと思っている」


「それが聞けて安心しました」


 少女のように足を蹴り上げて砂を舞わせる。


「でも、私の両手ではすべての人間は救えないからね。私が見捨てた者は少尉に任せようかな」


「………………」


 やはり、少佐は知らないのだろうか。


 それとも、知っていて――。


「さあ、もしかしたら最後のデートになるかもしれない。精一杯楽しもう」


 考えている間に少佐はすでに砂浜から歩道に上り、少尉の肩を叩いて先を歩いていた。



 ≫エントランスホール 10:19:39


 それから二人は旧市街を巡った。


 下町的な土産物屋を眺め、カフェでトルタ・デ・ブレアとコーヒーに舌鼓を打ち、スナック屋台でソッカを買って食べながら帰った。


「お荷物が届いておりますが、お部屋までお持ちいたしましょうか?」


 ホテルに帰り受付で鍵を受け取ろうとすると、スタッフにそう伝えられる。


「いや、ここで受け取っていくよ」


 少佐はそう伝え、少尉もそれに倣った。


 彼女はそうでもないだろうが、少尉は今すぐにでもここから離れたかった。


「観光ですか?」


「え?」


「ああ、すいません。つい」


 荷物を受け取る時、少し年配なホテルマンがそう尋ねてきた。


「長らくここでこうして働いてきたのですが、お二人のような人がこうして宿泊なされるのが、なんだかひどく久しぶりに感じまして」


 その言葉に少佐の瞳がきらりと光る。好奇心の眼だ。


「ほう、と言いますと」


「ええ、何時からかと言えばあまり覚えてはいませんが、ここには少し怖い人がご宿泊なさることが増えたので」


「わかるのですか?」


 思わず、少尉は聞いてしまった。


「いえ別に詳しくはわかりませんが、何と言いますか――この美しい地中海に来ているのに、心の底から楽しもうとしている方がずいぶん減ったなと」


「なるほど」


 彼でなくとも、そう感じている人間は何人かいるだろう。もう既に、ここは地中海を望む美しい観光地としての側面より、効率的に戦争を行う――その話し合いが行われるビジネスの場としての側面が強いと。


 そして、少佐たち二人にはその血生臭い匂いをより敏感に感じ取ることができる。だから少尉は一刻も早くここを離れたかった。


「私たちは、そうではないと」


「ええ、この年老いたホテルマンの眼には、お二人がとても楽しそうに見えました。もちろん私はただのホテルマンです。お客様の事情に深く関わることはありません」


 ホテルマンはそこで言葉を切ると、二人を交互に見た。


「ですが、せっかくこの美しい観光地に来ていただいて、このホテルに宿泊なされたなら、帰るときは晴れやかな気持ちで帰っていただきたいのです。そういう顔を見るのが、私がここで働き続ける理由なのです」


「…………」


「では、私達のような人間はホテルマン冥利に尽きますか」


「ええ、お二人とも――そういえば、もうお一方、お二人のような方がいましたね」


「もう一人……」


「おっと、すみません。つい長話を、いやはや歳は取りたくないものですな」


「いえ、貴重なお話。感謝します」


 そう言うと、少佐は荷物を手渡すその手にチップを手渡した。


「行きましょう、レグルス」


「そうだね。では」


「良い旅を」


 そうして、二人はエントランスホールを後にした。


**************************************


 エレベーターに乗ると、最初は何人かいた乗客も上階に向かうと共に一人、また一人と減っていく。


 そして少佐と少尉二人きりになった時


「ムム、ここのカメラは音声を拾っているかい?」


『二人だけニナった段階で切ってルぞ。警備員たチカラしたラ黙っていルヨうにしカ見えナいだロウな』


「ありがとう」


 少佐は通信機のスイッチを入れた。


「頼んでおいたモノも届いたよ。こっちもありがとう」


『ああ』


「それで、ボートの様子はどうだい?」


『一時間前に部屋ヲ出て、カフェテリアで朝食を取ッタ後ホテルを出てイる。ソの後旧市街に向カイ、エぐりース通りノ建物に入ッた後かラは追えテイナいが、まダ出てきテハイない』


「旧市街にいたなら会いに行けばよかったですね」


「それじゃあ観光にならないだろう。私たちの仕事は夜からだよ」


「…………」


 少尉はもう何も言うまいと無表情を貫いた。先ほどのホテルマンが言っていたことは、あながち間違っていないのかもしれない。


「……少佐は、どう思いました?」


「ん。何についての質問かな。それは」


「さっきのホテルマン。あの老人は私たち二人が楽しそうだと言いました」


「否定はしないね」


「貴方はそうかもしれません。ですが、私は――」


「私とのデートは楽しくなかったのかい?」


「茶化さないでください」


 少佐はいつものように笑うと、開いた扉からスキップをするようにエレベーターから出た。


 まるで言及を避ける様だ。


「私もあの老人のように長生きはしていないからね。発言の真意は読み取れないよ」


 まるで六百年は生きているような笑みで少佐は続ける。


「でもね、ひょっとしたら、楽しそうなんじゃなくて、楽しみにしているような顔だったんじゃないかな」


「期待している、ということですか?」


 後を追い、柔らかな太陽の日差しを取り込む廊下に足を踏み入れる。


「そう、私はこの仕事が好きだからね。仕事の直前はいつもワクワクしてしまう」


「それは、なぜ?」


「わからない。仕事そのものに対する興奮か、人類文明に影響を与えているという優越感か、それとも――」


「――私が単純に、人を殺す事が好きな異常者なのか」


「――ッ‼」


 言葉が出なかった。


 自分たちの取った部屋の前で、扉に手をかけて背を向けたその女性に、激しく怯えた。


 今、彼女はどんな表情をしているのか。それを知れば自分が音を立てて崩れてしまうような気がしたのだ。


「さあ」


「っ⁉」


「――装備の点検をしようか、オルニット」


 振り返る彼女に、肩が一瞬揺れた。


 きっと気づかれただろう。わずかに驚く表情、そして優しく微笑む表情。それから彼女は部屋に入っていった。


 自分の背後に伸びる陰に迫る、暗い濁流を認めるつもりはない。


 でも、仮にもしそうだとしたら、と考えてしまう。


 彼女はその正体を知っているのだろうか。自分がそうだと分かった時、今のようにやさしく微笑みかけてくれるだろうか。


「もしそうだとしても」


 今は仕事に集中だ。


 少尉は考えを外に閉め出すように、部屋の扉をくぐった。


「うん。いい! すごくいいよこれ!」


 部屋に入ると、少佐はリビングで声を上げていた。


 見れば、カーテンを閉め切って作り出した簡易なスクリーンにダビー・マイヨルのラウンジとジョナサンが映っている。


『気に入っていただけたようで何よりでございます』


 ジョナサンはにこにこと、少佐の反応を見ていた。


「どうだい少尉。このドレス」


「――そのドレス、任務の時のではないですよね」


 振り返る視線を避けるように、少尉はその肩に合わせられた黒い衣服を見た。


「今日の商談用にジョナサンに送ってもらったんだ。早速着てみるよ」


 そう言うと、少佐は自室へと消えた。


「装備の点検よりこっちがメインだったのでは……?」


 少尉が呟くとカーテンに映ったジョナサンが笑った。


「まったく」


 少尉は少尉で、自分で受け取った黒いアタッシュケースを机の上に置くとそれを開けた。


 中に入っていたのは、警備専門の傭兵企業の中でも、極稀に愛用している企業がある短機関銃。高威力な拳銃弾を比較的低反動で扱えるように設計された独特な形状をしていた。


『要望通り、KRISS VECTOR(クリス・ヴェクター)を用意いたしました。FMJ45スーパー(※四五口径弾薬の強化弾薬・被覆鋼弾)をご使用するとのことでしたので、いくつかのパーツも換装済みでございます』


「ありがとうございます」


 少尉は黒い樹脂製の銃を取り出すと、折り畳み式ストックを伸ばしてサプレッサーを取り付ける。


 待機状態から構える動作を繰り返してダットサイトの位置を確認、それからセイフティやコッキングレバー、セレクターやマガジンキャッチ、最後にボルトリリースレバーの動作を確認すると


「完璧です。さすがですね」


 と伝えた。


『恐縮でございます。今回の任務ですが、一応は護衛任務とお聞きしたので、アタッシュケースにある仕掛けを施しておきました』


「仕掛け? アタッシュケースには予備弾倉しか入っていませんが」


『ええ。中身ではなくアタッシュケースそのものに仕掛けがございます』


 少尉は言われたとおりにアタッシュケースを操作した。


「これは」


『ええ、簡易的ですがライオットシールドになります』


「……お守り、ですね」


『まあ、あまり期待はできませんね』


 中央より左側に溝ができるように設計されたアタッシュケースは、そこに左腕を埋めることでちょっとした防弾盾になった。銃を構えるとちょうど首と胸部が隠れるくらいの大きさだ。


 開閉部が肘関節に対応しており、盾も腕で固定しているから手腕の動作に干渉しない設計になっている。


「再装填動作は――右手で行った方が早そうですね」


 少尉は銃を構えた状態から、弾倉をリリースして右手で予備弾倉を盾から取り出すと再装填・ボルトを戻しながら構え直すという動作を数瞬でやってのけた。


『おみごと』


「本当はもう少し練習したいところですが、まあ充分でしょう」


 そう言いながら、少尉は先の動作を何往復かしていた。


 すると、少佐が部屋から戻ってきた。


「私の方はもっと厄介だね」


 姿を現した少佐は、ドレスを身に纏いバイオリンケースを手に持っていた。


 光沢のある黒いパーティードレスが少佐の銀髪をもって存在感が増している。首から肩、そして胸元から上腕を覆う袖はレース素材となっており、ウエストできゅっと締まったスカートはひざ下まですとんと落ちている。


 そして手に持った黒いバイオリンケース。


 少尉は装いから目を逸らすと、その存在について尋ねた。


「なんですか? それ」


「これかい? そりゃあP90を持つならこれに入れる決まりがあるからね」


「P90を持つのは知っていましたが、ケースについては初耳です」


 イタリアの老舗バイオリンメーカーのロゴが書かれたバイオリンケースから取り出される幾何学的陳腐な形をした小型の銃。俗にPDWと呼ばれる、現代では短機関銃にとって代わる存在。


 長方形の黒い箱を削りだして作ったような銃だが、装弾数は五十発という他に類を見ない継戦能力と、その特殊な弾頭からPDWに不足しがちな能力をカバーしている。


「わかってないな少尉。このコンビはチーズとトマト並みの王道コンビなんだよ」


「そのケースもシールドになるんですか」


「ああ。ほら」


 少佐は開いたバイオリンケースを腕に取り付けた。少尉と比べて随分心もとないサイズに見えるが、その大きな存在感に比べると細い体格の少佐には、五百歩ほど譲って何とか合っていると言えた。


 なお元ネタを知っていたムムはバイオリンケースを防盾にするという考え方自体に言いたいことがあったが、それはそれである。P90自体が『ヴァイオリン』というあだ名で呼ばれることがあるというのもある訳だし。


「何はともあれ素晴らしい設計だよムム、ジョナサン」


『そらヨカった』


『勿体ないお言葉でございます。加工に苦労した甲斐があります』


「つまりこれって偽物なんですよね?」


『ええ。精巧なレプリカということになりますね』


「いいんですか、そこは」


「いいんだよ、細かいことは」

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