第二章 第二節
≫政府軍前線キャンプ 01:13:26
「何だか妙にあわただしいな」
ザムザは口でそう言い表したが、状況は慌ただしいなどという表現が可愛く思えるほど緊迫していた。
緊張した面持ちで走り回る兵士たちは物資を運ぶ者もいれば、分隊単位で指示を聞く者、装備を点検し急いでどこかへ向かう者など様々だ。
理由は聞くまでもない。否、耳からよく聞こえてくる情報が物語っていた。
決して遠くない密林の闇から、銃声や爆発音がこだまし、光が絶え間なく明滅しているのだ。
四人は基地から離れた陰にトラックを停めて様子を眺めていた。
「まさか情報が」
「それはねぇ」
「ああ、パンサー君の言うとおりだ。この慌ただしさ、恐らくは仕掛けたのは向こうだろう」
「奇襲を仕掛けようとしたら奇襲を仕掛けられたってこったな」
うたた寝をしていたザムザがのそのそと起き上がって言った。
「となれば、漏れた情報は政府軍の大規模攻勢。目的は出鼻を挫くことだろうな」
「それはそうだろうね」
「どっちにしろ、俺達には不利な用にも有利な用にもなるな」
三人の会話とは別に、少尉には気がかりな点があった。
「さてと、とりあえずは戦闘が起きている場所を避けて進もうか」
「装備はどうする?」
「好きなのにすればいいんじゃない? ちぐはぐにしてれば鹵獲感出るだろうし」
それを聞いたパンサーは少尉に小声で話しかけた。
「いつもこんな適当なのか? あいつ」
「……まあ、何とかなるものですよ」
言いながら、自分も少佐に毒されているなと薄っすらと感じた少尉は、降車する少佐に続く。
残る二人もそれに続き、順番に通信機を起動する。
『通信チェック』『問題なし』『ブラックパンサー良好』『ザムザ同じく』
なお指令との通信は傍受を避けるため、真に緊急性が迫った時を除き禁止されており、指令は四人の通信を常にモニターしている状態だ。
仮に第三者が少佐たちの通信の向かう先を辿っても指令達に辿り着くことはない。
実はムムによってメンバー間での通信は高度に暗号化されているため一国が総力を挙げて半年ほど予算と時間を浪費しない限り傍受されることはないが、それは少佐と少尉だけが知っている。
『――戦闘時にはオープン回線を使用する。私とザムザをA班――オルニットとパンサーはB班だ』
『――了解』
少尉が即応等したのに対し、パンサーは少しだけためらいがちに応えた。
互いが信用できないのなら、互いに監視しあえばいい。そういう意図が少佐にあったかは不明だが、三人はそう受け取った。
『A班が先行する――B班は二十メートル開けて追尾してくれ』
『『『了解』』』
本格的に密林に繰り出すと、パンサーとザムザは想定より早く作戦が推移することに驚く。わかりきっていたことではあるが、いざ実戦で肩を並べると二人の練度の高さを肌で感じた。最低でも元特殊部隊といったレベルだ。
四人は順調に進み、戦闘を的確に回避する。
しかし、選んだ獣道がやがて緩やかに上り始め、密林の奥で聞こえる戦闘音が徐々に足元で聞こえるようになった時、先頭を歩く少佐が散開のハンドサインを掲げた。
全員はそれに声を上げることなく、ゆっくりと左右に散開する。
音を立てずに、煙が空気に馴染むようにゆっくりと――足先の小枝にも細心の注意を払って周囲の草むらや幹の陰に四人は移動した。
(――あれは)
鬱蒼とした闇の中から現れた影が、闇に慣れた視界に徐々に形を成す。
それは、小さな影の群衆だった。
『少年兵』
口の中で漏らした小さな呟きが、奥歯の通信機を通して少佐の耳に届いた。
先頭を歩く一番大きな子供ですら少尉の胸に届かないくらいの身長。体格はやせ細り、銃をしっかりと保持する余力もないのか小銃をだらりと下げて歩いている。
その他も同様、一番小さい子供など小銃のスリングが意味を成していない。
しかし、疲労感のある行進に対して彼らの気配はギラギラと毛羽立っていた。
見開いた眼は常に左右に動き、時折後ろを振り向いてはびくりと肩を揺らして銃を構える。
『迷ったのかな?』
『――どうする? 言い訳が通じそうな雰囲気じゃねえぞ』
少佐は気楽に言うが、状況はパンサーの言う通り簡単なものではない。
大人が使うには向かない細い獣道を通り、四人にじわじわと距離を詰めてきてる。
道の片側には急な下り斜面と、もう片側は腰丈の草木に樹木が高密度で乱立し、それに隠れてごつごつとした岩が点々と生えている。
残された道は正面突破か道が分かれるまで後退するか。
少佐たちはじりじりと後退しながら通信を交わす。
『――時間が惜しい――さっさと制圧して人が来る前に立ち去るべきだ』
『――馬鹿言うな――どっちの連中も奇襲部隊が来たと思ってこっちに来るぞ』
『あの様子からして何かから逃げているようにも見えるね』
言って、少佐は秘密裏に少尉に話しかける。
『少尉、少尉?』
応えようとして、違和感に気付く。
喉が張り付いたように声帯が音を拒んだのだ。同時に自分が言おうとした言葉も滑落する。
気づけば手が震え、呼吸が浅くなるのを感じていた。
(――恐れるな、いつものことだ――)
「また、にげてしまうの?」
誰でもない声がした。密林の奥。普通なら視認できない闇の中に。白い少女が立っていた。顔は陰っていて見えない。でも、その声は聞き覚えのある、まだ声変わりをしていない声だ。
「さあ、えらんで」
「……わかってる」
聞こえているだろうか。
でも、きっとこの信念は正解じゃない。
『――い――少尉‼』
「……そんなこと、わかっているさ」
『少尉?』
少佐の声を聴きながら、辺りを見渡す。
どうやら意識が現実になくても体はしっかりと後退してくれていたらしい。我ながら軍人らしい条件反射だと少尉は感じた。
それでも、後退速度に対して少年兵の進む速度の方が早い。もうすぐ気配を捉えられる距離だ。
目を閉じて、ゆっくりと深く、少しずつ息を吐く。
「……俺が、囮をします。指令」
目を開けて、答えを出した。
その言葉に、少佐を除くメンバーが思い思いに呼吸を乱したのを感じた。
『――いいのかね』
「囮をするのは、私の役目です。世界を救うのは少佐にお願いします」
『――わかった。方策は君に任せよう。ただし、B班を囮として使う』
その言葉でパンサーの銃を握る手にぐっと力が入る。
相手は少年兵。それは銃を持って訓練された大人より厄介な存在だ。
だからこそ、余程の人格破綻者でなければ、少年兵との戦闘は避けたがる。
だからこそ、少年兵は戦場での価値があった。
『――少尉、パンサー頼んだぞ』
『了解』
「…………了解」
少尉は四人に目配せをした。
そしてたった今、真に命を預けることになった相棒にハンドサインで意思を送る。
(――岩の方に抜けて引き付ける。まあそうなるな……ていうかアイツ――)
(――笑っていなかったか? 一瞬)
闇に慣れた目で見る少尉の表情は、無表情のままだ。
彼は少年兵がA班の二人に気付かずに通り過ぎるのをじっと待った。
じりじりと距離を詰める少年兵たちが、そうとは知らずに少尉の隠れる草の群れに近づいた時、彼は唐突に立ち上がる。
それは立ち上がるというよりは、体当たりである。先頭を歩く体格の大きい少年兵に肩でぶつかり尻餅をつかせると、群衆に見向きすることなく路面の荒れた密林に飛び込んだ。
小さな戦士たちはそれまで張っていた緊張の糸が弾けたように奇声を上げた。
銃を暴れ馬のように乱射したかと思うと、すぐに少尉の後を追う。
緊張状態にあった彼らの精神を一瞬にしてパニック状態に落とし、行動をコントロールしていた。少尉は追われているのではなく、追わせているのだ。
嵐のような一群がその場を去ったその後ろを、パンサーは気配を消して追いかける。少年たちが銃を乱射しているおかげで見失うことはない、しかし油断をすれば距離を離されるくらい彼らは飄々と荒れた地を駆けていた。
その先頭を行く少尉は、そんな土地に慣れた彼等との距離を付かず離れずの距離を保ちながら走っている。
後ろに食らいつく狂乱の一団が放つ銃弾が彼を捉えることはない。
走りながら銃を撃ったところで当たる確率などほとんどない。とは言え、当たるときは当たるのだ。そのプレッシャーを背負っているはずなのに、彼は砂浜を走る馬のようだ。
真横の幹が弾けようとも、葉が高い音を立てて揺れようとも、まるで視界には映らない。
『――クッ‼』
「撃つな!」
痺れを切らしたような、しかし躊躇うような相棒の反応に、少尉は釘を打った。
と同時に、急ブレーキをかけるように足を止め、すぐそばの茂みに飛び込む。
その背中を追っていた者たちは、彼が転んだようにもふっと闇に消えたようにも見えた。
そして再び現れた時、先頭で走っていた少年の体が軽々とすくい上げられる。
一瞬の困惑を利用して、足元から現れると小銃のストックでその細い体を殴り上げたのだ。
すぐ後ろにいた別の子供は恐怖の雄叫びを上げると引き金を引き絞るが、すぐに弾が切れる。
自分の銃に一瞬目線を移し、ハッと視線を戻すとそこに少尉はいない。
そして、視野外から強烈な一撃をこめかみに受け、その子供も昏倒した。
パニック状態による視野狭窄を利用し、茂みや木の幹を利用して――まるで消えたように勘違いさせ――正面から制圧する。
そうして彼は、足の速さの違いや疲労の度合いによって隊列の乱れた少年兵の空間に滑り込むと一人、また一人と気絶させていく。何もかもが、彼の掌の上。想定以上の策のハマり具合に、少尉も思わず笑みが零れた。
そして、最後の一人を視界にとらえた瞬間。
「…………」
少尉は何事もなかったかのように無表情で銃を振り下した。
『――後ろだ‼』
「ッ‼」
ガサッと音がした方向に、咄嗟に銃を構えた。
「――――」
無表情の少年兵と目が合った。
「――⁉ ――‼」
その瞬間、体が自生する木のように硬直した。引き金が岩のように固くなった。
振り向いた時には、銃口はその子の頭を捉えていた。そのまま引き金を引けば運命は決した。
しかし、頭に付着したイメージがそれを許してはくれない。
相対する少年兵が、小銃を構えこちらを狙い、引き金を引く一瞬の映像が何十秒にも引き延ばされてゆっくりと流れていく。
「さあ、えらんで」
「――クッ⁉」
白い少女が、少年兵の肩に手を添えて立っている。
「えらんで」
「――ハア、ハッ、ック――はっ、かァ――」
幻覚の中で、心臓が爆発する。体全体が大きく揺れ、酸素で満ちた肺が現実を渇望して喘ぐ。
「あのときのように」
「――やめろ――」
「答えは決まっている」
「――やめてくれ――」
「ずっと前から」
「――やめ――」
「オルニット‼」
「――――ッ‼」
銃声が二度、重なって木霊した。
「ぐあああああああああああっ⁉」
「――カァ――かはっ! お、げッヘッ――はぁっ! オッ‼ カハッカハッおえええ――」
足から血を吹き出した少年兵がその場で倒れ、ふらつくように木にもたれ掛かったオルニットがその場で空咳と嘔吐きを繰り返す。
「ああ⁉ クソッ、何だってんだ?」
オルニットの背後に追いついたパンサーが、悪態をつきながら咄嗟に少年兵に駆け寄ると、自分の治療キットを取り出して応急処置を始める。
「おいオルニット! 聞け! こいつは死んでねえッ! まだ助かる!」
「はぁっはあ、ハア、ハァッ――つ、そうか――」
「大丈夫かっ」
「はッ――はぁ……ああ、問題ありません」
言いながら口元を拭うと、頬に微かに痛みを感じた。
触れると、わずかに温かく濡れている。
あと数センチずれていたら、この傷は穴になっていただろう。
「……処置を続けてください」
「あ、ああ」
ふらふらと辺りを歩いて、気絶した子供たちを集めると、最後に処置が終わった子供共々ロープで一括りにする。
「なあ」
「何ですか」
その手際の良さは、先程までの弱った様子が嘘のようだった。
「その結び方――」
「ええ。これなら一つでも足りるでしょう」
次いで取り出したのは、両手よりも少し大きめなポーチのようなもの。
それをロープの終点、縛られた子供たちの中心に据えると、出ている引っ張った。
「おい、お前まさか」
『ムム、頼む』
『オッけ』
奥歯に仕込んだ骨伝導受信機からムムの返答を聞くと、少尉は浮かべた気球をゆっくりと上空へ上げた。
「……俺のバックパックにはそんな装備入ってねぇが」
「私の持っていない装備が入っているのかもしれませんね」
もちろん嘘である。パンサーもそれに気づいた。
しかし、だとしたら〈コンコルディア〉の眼を盗んでトラックに私物を仕込むなど不可能に近いはずなのだ。
実際は、トラックを見張っている人間などおらず、話を聞いた時点で少尉も少佐もムムにそれを見つけさせ、ジョナサンに手配させたのだが、パンサーはもちろんそんなことは知らない。
だからこそ不気味に思い、聞けなかった。だがそれ以上に――
「なあ、お前――」
「…………」
何故そこまでして。どうしてそんなになるまで。何がそこまで駆り立てるのか。
彼の見せた笑みも含めて、疑問が心の底から溢れてくる。
でも、それを出会って間もないこの男に聞いてもいいものか。
金か、スリルか、墓標か――オルニットには傭兵が持ち合わせるそのどれもが感じられなかった。
だが、一つだけ覚えがある。こういった人間に。
「いや、なんでもねぇ」
「そう、ですか」
それを聞くのは、きっと無意味なことだ。
「行こう。合流しに」
「ええ、急ぎまし──」
少尉は言葉を区切りさっと伏せる。それはパンサーも同時だった。
二人は無言でソレを見た。
(――あれは何だ?)
(――政府軍……いや、装備がちぐはぐすぎます)
二人は声を出さずにやり取りをしながら、油断せずに目線では追いかけ続ける。
先ほど見た少年兵のシルエットより二回りほど大きい、大人の集団。
手に持つ小銃はAK47で統一されているが、身にまとう衣服はばらばらで、共通しているのは長袖・長ズボンとその上に装備した規格の違う防弾装備、そして──
(頭が異様にデケェ)
首から上のシルエットが歪に歪んでいた。
それらは可視性の低い赤い光を四方にまき散らし、一群のシルエットだけ見れば赤い目を複数備えた不気味な怪物に見える。
(――少しずつ後退しましょう)
少尉はひとまず様子をみることを選択し、パンサーもそれに同意した。
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