第二章 第一節

≫??? 08:03:23


「よかったね! これでまた、たくさんころせるよ!」


 少女は言う。ボロボロになった衣服をまとって。


「そうだな。また沢山助けられる」


 少尉は、よく見知ったその顔を見た。


「もう。ぜんぜんたのしそうじゃないんだから!」


「そうかな?」


「そうよ! ほら! もっとわらって!」


 そう言うと、少女は楽しそうにくるくるとその場で回る。


 ちらりと視界に映る少女の後頭部。ああいう弾け方は、口に銃口を突っ込まないとできない。


「そうだ! せっかくだからもっと楽しいコトをしましょう?」


「楽しいこと?」


「ええ!」


 ぱん、と小さな手を叩いた。


「さあ、選んで?」


 見れば、自分の左手に拳銃が握られていた。ゴテゴテとした装飾が施された悪趣味な観賞用の四五口径だ。


「さあ、選んで」


 否定したのか、懇願したのか、自分の声は聞こえなかった。


「どうしたの? さあ、あのときのように」


「――――お、俺は」


「どうして! あの時はちゃんときめられたじゃない!」


「――違う」


 何が、違うと言うのだろう。否定した自分の言葉が、別の誰かの声で発せられたように感じる。


「さあ、選んで」


 少女は、あの時のままの笑顔で選択を迫る。


 わかっている。逃げなければいい。立ち向かえばいい。この問いの解は、とおの昔に決着がついている。


 ゆっくりと、銃口をこめかみに当てる。人差し指に、少しずつ力を加える。


 これで――




 かちん。


 乾いた金属の音で目を覚ました。



「…………」


 正確には、意識が覚醒した時点で引き金をギリギリまで引けずに力のこもった人差し指の感覚があった。


 わかりきっていたから、引き金を引いた。


「おはようございます。少尉」


「ミスター・ジョナサン」


「お仕事の前は、なるべく寝室でお休みになった方がいいのでは」


「どこで休んでも休める体なので――ここは?」


『東しナ海上空ダ』


「ムム……」


 乾いた眼であたりを見回す。どうやら自分は自室に戻らなかったらしい。


 机に置かれた空のグラス。散らばった四十五口径の弾丸と無造作に添えられた弾倉。その本体は自分の左手にある。


 夢で見たような悪趣味な品ではない。黒いポリマーフレームの先端にコンペンセイター(※反動抑制機)が取り付けられている。


「出立時間までまだお時間がございますが」


「ええ、シャワー、浴びてきます」


 机を挟んで向こう側に立つジョナサンにそう言うと、視界の隅で淡く立つそれを見る。


「――わかってる。わかっているさ」


『ン、なンカ言っタか』


 ムムのその問いには答えず、少尉はラウンジから出た。


『……大丈夫カ?』


「心配ですか?」


『ソりゃア、な』


「お優しいのですね」


『そウいウのじャナいよ』


「さようでございますか」


**************************************


 頭から、焼けるように熱いお湯を浴びる。


 思考にかかった霞が徐々に解けていき、明瞭になる視界。


 シャワールームのすりガラスの向こうに立つ小さな人影は、それでも消えない。


「…………どうして」


「ああ」


「どうして、えらべないの? あの時は――」


「違う」


「ちがくない」


「違うよ」


「何もかも同じよ」


「だから」


「また――逃げるの?」


「違うと言っているだろう‼」


 拳を壁に叩きつけた。その痛みが感じられないほど心臓は激しく脈打ち、呼吸は浅く、胃の中はぐるぐると渦巻いていた。


 すりガラスの向こうに人はいない。


「……わかっているさ、自分が逃げていることくらい」


 その先にあるのは、いつだって今以上に過酷な現実だ。


「それくらい、わかっているはずなんだ」


**************************************


≫マーケット 11:23:51


 照りつける日差し。まとわりつく湿気。周辺に漂う排気と砂塵。


 道路には我先にと原付バイクが押しかけ、その濁流を切り分けて自動車がすすむ。


 そんな混濁から広場に逃げれば、そこに人の営みの面影はなく原付がぎっしりと並べられている。


 そしてそのさらに奥。猥雑とした細い路地に所狭しと並ぶ天秤棒の籠。それらに山積みされた果物や野菜。露店に並ぶ川魚。吊り下げられた名前も知らない食べ物。


「すみません。これを二つ」


 スポンジの剥がれかけた椅子を並べて寝転ぶ店主に声をかける男がいた。


「あいよ」


「ありがとうございます。……えっと、これは?」


「おまけ。今日中にこの山を消さないといけないからね」


 焼けた肌からにかっと白い歯を見せた中年女性(男性の可能性もある)から紙袋を受け取る。


 男の伸びかけのツンツンとした短い髪は多量の白髪が交じり、遠目には灰色に見える。そして青い瞳。バランスの良い体格を包む水色のポロシャツとジーンズ。


 男はポケットから小さな使い捨て携帯電話を取り出すと耳に当てた。


「今どこにいますか? ――ああ──ええ、はい。今から向かいます」


 そして、男は歩き出した。


 広場を抜けてクラクションの喧しい歩道に出ると、原付バイクの川を見極めながら歩く。そして歩道に面した店の軒先で髪を洗う人を避けた時、誰かにぶつかった。


 子供だ。大人用の服を着た子供。


 彼は男にぶつかって、そのまま走り抜けようとしたが足が動かなかった。


 正確には彼の体にぶつけた手が。


「…………」


 見上げると青い瞳と視線が合う。少年はぺたりとその場に尻餅をついた。


 はたから見れば、男にぶつかって尻餅をついたように見えるだろう。


 その二人が無言のやり取りをしたことを知る者はいない。


「――すみません。怪我はありませんか?」


 男はしゃがむと子供の手を掴んで立ち上がらせる。


「…………」


 戸惑ったような子供の瞳を覗き込むと、男は無表情のまま原付の濁流へと消えた。


「坊主、次はもっとうまくやんなよ」


 髪を流し、絞りながら一部始終を見ていた店の人間が言う。


 子供は何も言えなかった。手には男に握らされた紙幣が一枚。


 子供が男から盗もうとしたものだ。


 だが、ぶつかったとき手に握ったものは財布でも紙幣でもなかった。


 固く。金属的で、無機質な物。


 この国で生きていれば誰もが目にするものだ。


 男の眼は語っていた。


「やめておけ」


 その子供は声が出せなくなっていた。


 それが恐怖からくる本能的な働きだと知るのは、彼がもう少し大きくなってからの話。


**************************************


「まったく君は……優しいね」


 男が原付バイクの川を渡河すると、開店したばかりの外食屋の軒先に座っている美女が声をかけた。満月型の小さなサングラスと幅広のカンカン帽の隙間から、夜凪のような瞳を覗かせている。


「そんなつもりは──」


「そうかい? 不親切にしようと思えば、素直に財布を渡していたはずさ。そしてあの子は二度目で死ぬ。でなくとも、少年兵に雇われるとかかな?」


 男は反論せず、代わりに椅子に座る。


「筋はいいです。次はもっとうまくやりますよ」


「伊達に少年兵専門の悪徳業者を潰して回ってないね。オルニット」


「いつの話ですか……レグルス」


 そうやって、二人は互いの名前を確認する。


 少尉が渋い顔をしているのは、きっと出されたお茶のせいではないだろう。


「貴方に出会うより前のことは、あまり覚えていません」


「ふふ、そうかい?」


 ただでさえ目立つ容姿だ。サングラスと帽子で風貌をごまかそうとも、彼女が微笑めば周りの目を引く。


 少尉は目を逸らしぼんやりと思い出す。霞の向こうの過去の記憶を。


 国を出て、行く当てもなく何となく傭兵になって、タダ同然で少年兵を使い潰す企業を潰して回っていた少尉を拾った時と変わらぬ笑顔だった。


「どことなく、あの国に似ていないかい」


「あそこまで酷くないにしても、こういう国は結構あります」


「それもそうだ、もしかしたらもしかするかもね?」


「……………………」


「ふふふ」


 ここよりさらに西。灼熱の日差しが照り付ける国。


 そこでは国が発行する通貨よりも、街に蔓延る犯罪組織の独自通貨が価値を持っていた。


 街で暮らす人たちは貧困に喘ぎ、子供たちは売りに出されるか、自ら家族を養うために働きに出る。


 そうした彼等・彼女らは日が一番高くなる頃、町の北にある大きな壁の前に立つ。


 灼熱の太陽が照り付ける中ただひたすらそれに耐える。


 そうしていると、やがて周りの日陰から大人たちが現れ一人、また一人と子供たちを連れて行くのだ。


 女の子は早々に。男の子は拾う者の判断に委ねられる。


 初めから使い潰すつもりの奴は、使う前から壊れると困るから早々に一人か二人。


 長く使えて価値のある商品を生み出したい奴は、周りの子供が倒れても最後まで立っていた子を一人連れて行き、そして水と食料を与える。


「勇気ある戦士よ。君のおかげで家族は救われる」


 大人たちはそう嘯いていた。


 それは、今よりも少し前の話。


「この辺の会社も、その手のビジネスに手を染めているのがいくつかあるらしいね」


「今回の任務に関わって来るかは不明です」


「そうとも言えない」


 少尉が朝食を食べる手を止める。


「東南アジアで一番ホットな戦場――隣国の東国境線では今でも戦闘が続いてる。片方は数年前に隣国をクーデターで支配した現政府軍。もう片方はクーデター時に隣国に避難し亡命政権を樹立した革命勢力の部隊」


 少佐は皿の上の焼きそばを二つに分けてそう説明する。


「だが、その本質は例によって例の如く、企業が主役の戦場だ。そしてその背後にあるのは企業と専属契約を結ぶ巨大な資本――俗に『強い国』だ」


「……ボートがどちらについているかは?」


「それはわからなかった。まあじきにわかることさ」


 一口、口に運んだ少佐は「だが」と続けた。


「現状、財政的に厳しいのは隣国の方だ」


「序盤の勢いはよかったみたいですが」


「そのまま吹き飛ばせればよかったんだろうけどね」


「粘られたまま泥沼化」


「国のあらゆる予算を軍事費につぎ込んで圧し潰そうとするも失敗。国はやせ細り、安価な人材派遣会社に頼らざる負えない状況になっている」


「安価な人材派遣会社……」


 ふと、少尉は顔を上げて辺りを見渡した。子供が少ない。


 別におかしなことではないはずなのに、妙に心臓の鼓動に違和感を覚える。


 人一人を立派な戦力にして部隊を編成するまでには、兵器一つかそれ以上に金がかかる。だから、一人一人にかける費用を少なく、大量投入で採算を取ろうとする人間もいる。


 そういった連中はやがて元を取れなくなり、場所を移す。そうやって寄生先を転々とする様子から業界では『バッタ』と呼んだりする。口に出すのも憚られる少年兵ビジネス。


「眉間の皴が増えているよ」


「すいません」


 そっと、冷たい指先が少尉の眉間に触れ意識が戻される。


 店の人の険しい顔が、より警戒を示している。無意識に殺気を放っていたのかもしれない。


「明後日の仕事。君が優先すべきと感じたなら、その信念を実行するんだ。私も使命を優先する」


「――別に」


 信念なんて大それたことじゃない――否定の言葉は憚られた。


 それを言ってしまえば、夢で否定した彼女を認めることになるからだった。


 黙り込んだ少尉と、それを見つめる少佐――その二人に声をかける者がいた。


 この店の人間ではない。小心者そうな若い女性。二人を呼ぶ者がいるらしい。見ればその手には一枚の紙幣。


「行こうオルニット。仕事の時間だ」


「……はい」


**************************************


 その建物には窓がなく、壊れかけのブラインドが傾いて取り付けられていた。


「よし、集まったな。諸君」


 と、指令が一声。


 集まった皆がその顔を見た。以前より髭が伸び、それは無精髭と言った様子だ。


「予定通り作戦を実行する。対象ビールクト・ボート――以下をα。対象ゲームチェンジャー兵器――以下をβと呼称する。αは一週間前にフィリピンに入国。南シナ海を経由して昨日、革命勢力に合流。積み荷も確認された。おそらくはβと思われる」


「その偵察任務はイゴールが?」


 そう聞いたのはブラックパンサーことパンサー(この呼び方に本人は納得していない)。


 確かに集合したメンバーにアジア系の彼はいない。


「そうだ。彼には君たちより早く潜入してもらっていた。そして――」


「明朝の定時報告が途切れた」


 その一言で、室内の空気が一変する。例えるなら、張り詰めた糸のような細い氷。少しでも力を加えれば折れてしまいそうな緊張感だ。


「繰り返すが、作戦に変更はない。政府軍は明日夜明け前から大規模な攻勢に出る。そうなればβが戦場に持ち出されることになり、αがデータを得る機会を作ってしまう。君たちの任務は、0200より革命勢力の前線基地に潜入し、βの破壊およびαを確保することだ。α確保の際、多少傷物にしても構わない。最悪口とそれを動かす脳さえあればいい」


 指令は淡々と告げる。


「質問は」


「はい」


「パンサー君」


「イゴールを見つけた際には?」


「任務続行が可能な状態であれば、合流し作戦通りに。そうでなければ破棄」


「そのイゴール君から情報が洩れている可能性は?」


「そんな人間を我々は採用しない。皆、情報を洩らすぐらいなら死を選ぶだろう?」


 平然と告げる指令を否定する者はいない。


 少佐と少尉に限っては、むしろ捕まったのなら脱出ついでに追加の情報を得るぐらいのことをする。


「他には」


「…………」


「オルニット君」


「未だそのβとやらが具体的に何かは分かっていないのですか?」


「すまないが不明だ。ただ――『観測器』だということはわかっている」


「観測器……」


 もうとっくに朽ち消えた写真に写っていた二つのコンテナから推測するに、レーダー系の小型対空設備だろうか。


 しかし、当該戦域は密林だ、上空からの視界は劣悪。仮に見通しの効く道路に攻撃をするとしても、大概は兵站補給路――つまり『巨大な資本』の地域になる。いくら血気盛んな政府軍のリーダーとて、あれを敵に回したくはないだろう。


 そして地上戦はもっぱら泥臭い歩兵戦だ。仮に政府軍が最新鋭のドローンを導入していても、それに対抗する兵器と言えば対空兵器ではなく、高出力マイクロ波照射装置などのはず――とここまで考えて、少尉にはゲームチェンジャー兵器なる存在が欠片も浮かんでこなかった。まして世界を終わらせるほどの兵器など想像もできない。


「さて、武器装備に関してだが――」


 質問が止み、頃合いを見計らった指令は再び切り出す。


「ここから北に行くと一台のトラックが止まっている。それに政府軍の装備一式とIDがあるのでそれを使ってまずは政府軍の前線基地まで潜入してくれ。その後、トラックの床下にある革命勢力の主力装備に変更、警戒戦域まで浸透。革命勢力の前線基地に侵入。任務に当たれ」


 区切って。


「では諸君、健闘を祈る。始めてくれ」


 ばらばらに部屋を出て、個々のルートを使ってトラックへと向かう。


 その後、計画は順調に推移した。


 前線に到達するまでは。

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