第一章

≫イヴリーヌ 07:28:21


「組織に決まった名前は無い。稀に『コンコルディア』と呼ぶ者もいる」


「――古ラテン語か……」


『Concordiaは古ラテン語で『調和』とイう意味だナ』


 少佐の呟きに即座に補足する少女がいたが、その声を聴ける者は少ない。


「我々は世界中に存在しているが、決まった組織体系はない。どこの国にも所属せず、我々はどの国にも存在している」


「誰も創設者や指示を出している人間を知らないのですか?」


「ああ。すべては口頭と紙で伝えられ、それらが記録に残ることはない」


『なルほドな……どおりで尻尾スら掴めなイわケダ』


 現実の世界の何十倍も広いデータの世界がある現在、極秘のやり取りを現実世界で行う風潮があるのは少尉とて知ってはいた。


 だがデータの世界に頭の天辺まで浸かった少女が「見つけられない」と言うのは、つまり存在していないのと同義である。そんな組織が世界中に網を張っているというのが真実であれば――


(そんな組織が仕事を持ちかけてきたのか……)


 少尉は背筋に冷たいものを感じていた。


「我々の目的は、世界の調和を保つこと。戦場の均衡を保ち、強い国が強くなり過ぎず、虐げられる国が潰されることのない状態を目指すこと」


 一つの国が強すぎれば、そのバックにいる企業の株が上がる。弱い軍が急に強くなれば、誰もがその後ろ盾を欲しがる。そうして単一の企業による世界のコントロールが可能になれば、それに反発する別の勢力によって企業をプロデュースする戦場が発生するだろう。


 そこから先は有限のリソースを食い潰しあう持続可能な戦争があるだけだ。


 そこには国家やイデオロギーは存在しないのかもしれない。


「ですが、それはあくまで仮説の話では?」


「仮説にするために、組織が創設されたとしたら?」


「話の規模が大きすぎます」


 即答だな――と指令は笑った。


「まったくだ。私でさえ未だに実感を得ない」


「でしたら、そろそろ現実味を帯びてきた頃ですか?」


 少佐が冗談めかした言葉に指令は再び真顔に戻った。


「ああ、君たちもこの仕事をしているのなら『ゲームチェンジャー兵器』というものを聞いたことがあるだろう」


 ゲームチェンジャー兵器――本来は物事の状況や流れを一変させることに対する用語を兵器に用いたもの。


 その名の通り、それ一つで戦いを変えてしまうほど強力で、それを出したら最後。相対する勢力は成す術も無く攻略されてしまう。


 という理想の元、過去の国家間紛争では日夜研究され、開発が急がれ、対抗兵器が作られては淘汰されてきた。


「結局のところ、それらの兵器は一時的に戦場の流れを変えることができるだけに過ぎなかった。まして世界を変えてしまうような力は――。しかし昨今、各企業勢力は発達した技術力でそれらの開発に躍起になっている」


 指令はここで言葉を区切ると「来るべき企業間戦争に向けてな」と忌々しそうに吐き捨てた。


「これまで戦場にしか利用されていないのに、世界に影響を与えうるとは想像しにくいですね」


「もう骨組みは出来上がっている、と我々は考えている」

 少佐にそう告げると、懐からビニール製の密閉袋を取り出す。


「この男を知っているか?」


 中には一枚の写真が入っていた。


 誰かと談笑している一瞬をとらえたそれは、間違いなく盗撮だろう。一等なスーツに身を包み、高級腕時計を手首にはめ、ワイシャツの腹部が少しだけ膨らんでいるその中年男性は見る者に富豪の印象を与えるが、曇った瞳が表の世界の人間でないことを示していた。


「――ビールクト・ボート」


 少佐が呟くと、即座にムムが情報を伝える


『ビールクト・ボート……崩壊前のロシア連合デ専属の武器商人をしテイた人間ダな。兵器開発にモ携わっていタようダが、崩壊前かラ記録が途絶えテいル。近年、各地デ兵器売買ビジネスをしテイるヨうダ』


「知っていたのですか? 少佐」


「界隈じゃ有名な人間だったからね」


「知っているなら話は早い」


「今回の仕事はその男の抹消ですか?」


「最終的にそうなるかもしれんが、少し違う」


 少尉にそう答えると、袋の口を開ける。写真はじわりと黒く変色し、塵となり空に舞った。


「我々はこの男と、この男が持ち去った技術を追いかけている。それはまだ完成していないようだが、各地で兵器という形になったそれを売ってデータを集めているというのが我々の見立てだ。そしてそれはもうすぐ完成する」


「もし完成してしまったら?」


「生まれるべきではないオーパーツが誕生するだろう。それは世界の形を歪に歪め、やがて破滅を招く」


 指令が全員を見渡した。


「二週間後、東南アジアで一番ホットな戦場にこいつは現れる。そこでこいつと兵器の現物を抑える――少佐、質問はなんだ?」


 全員がその方向を見ると、無表情な少佐が手を上げていた。


「仮にその男を捕まえて、兵器を確保したとして、それで終わるとは思えない」


 少佐の言うところはまったく確かである。


 世界を変えるほどのものを作っている男が単独で動いているとは考えづらく、仮に確保したところで情報を吐くかは微妙だ。兵器の方も兵器である以上量産されていると考えるのが妥当だろう。


「その心配はない。兵器は男がいなくては完成しない。そして、完成しなければ今までのゲームチェンジャー兵器と同じように淘汰される」


「どこにそんな確証が……」


「すまないが、それはまだ言えない」

 少尉の質問はきっぱりと返された。


「で、その『兵器』ってのは結局なんなんだ? ミサイルか? それとも超音波兵器とか」


 と、ここで久しぶりに黒人の方が口を開く。


「それは――」


「それは?」


「不明だ」


「…………」


 指令はもったいつけたのではなく、口籠っていただけだったようだ。


「貴方たちにも秘匿されているのですね」


「ふふふ……」


「おい。笑うな」


「失礼、ふふ――行けばわかるということかな?」


「そのはずだ」


「先ほどから曖昧ですね」


 そんなやり取りを切り替えるように、指令は別の話を切り出す。


「奴は母国が崩壊する直前、古巣の研究所を私兵と共に襲撃した。我々は事前にその動きを察知していたが、一歩遅れ、我々が踏み込んだ頃には死体以外は何も残っていなかった」


「なるほど。持ち去った技術というのは元々彼の祖国で使われる予定のモノだったわけですね」


「幸か不幸か、その後あの国は細かく分裂したが、前兆を見越していたのだろう」


「それで、二週間後までに何か準備が?」


「必要ない。各自自由にしておいてくれ。もちろん目立つような真似はしないよう——」



「――お前ら何者だッ‼」




 言葉を遮り飛び上がる人影。


 言うまでもなく、今の今まで気絶していた白人の男だ。


 拳銃を抜いて飛び上がり、隙を見せずに構える姿はプロのそれだが、誰も目を合わせない。


「潮時だな……」


「ですね」


「…………」


「飯食い行こうぜ」


「そうするか」


「え、おい、どういう状況なんだ?」


 各自椅子から立ち上がりぞろぞろと部屋から出ていく。


「お前らはどうする?」


「我々は早めに出国した方がいいでしょう。それこそ、残ると目立つ」


 少佐がそう言うと、二人の奥歯から『迎エの準備はでキテるルぞ』と声がする。


「私も出国する」


「あんたはいつ誘ったって来ないだろ」


「目立つわけにはいかないのでな」


「はあ……ま、ともかくしばらくの間よろしくな。俺はブラックパンサーだ」


「パンサー?」


 右手を差し出した黒人に少尉は首を傾げた?


「マジかよ知らないのかぁ? 超有名なヒーローだぞ?」


「すみません。コミックはあんまり」


「読んだ方がいいぜ。で、あっちがイゴールであの寝坊助がザムザだ」


 イゴールはザムザに状況を説明していた。


 無論彼らの名前は偽名だろう。本名でこの世界にいる人間は存在しないに等しい。もしいたとしても、もうその名前に意味も価値もない場合がほとんどだ。

「せっかくだ、二人もなにか新しいコードネームを考えたらどうだ?」


 指令が珍しく茶化すように言う。


「そうですね。では……私はレグルスとでも。少尉、君は?」


「…………オルニットで」


「そうだね。覚えていたらそう呼ぼう。先に降りているよ」


 そう言って、少佐は部屋から出ていった。


 提案をした当の指令はすでに部屋にはいない。


「――あんたの相棒は異常だな。お前には人間味があるが、どうも違う生物に思えて仕方ねえ」


 そして、少尉は間合いを詰められる。反応する余地さえなかった。


「――ッ!」


「そんな奴と一緒にいるお前を信用できるわけがない。俺は勘がいい。間違いを起こすなよ


「……失礼します」


「そうか。じゃ二週間後」


 肩を叩こうとした大きな掌をひらりと避けて、少尉は部屋を出た。


「危なかったな。お前」


 ブラックパンサーの背中にイゴールが声をかける。


「何が?」


「机見てみろ」


 促されるまま、自分の左手が触れていた、埃被った机を見た。


 そこには弾倉を抜かれ、スライドが取り外された自分の拳銃が置いてあった。


「………………」


「お前の勘、案外いいのかもな。そんな対抗心を見せつけてくるんだ。おもしろいやつだな」


「…………ああ、まったくだ」


「何者だよあいつ」


 ザムザは状況をまだ掴めていなかった。


**************************************


「もう友達ができたのかい?」



「むしろ警戒されました。誰かさんのせいで」


「誰のことだい?」


 格納庫を出た二人は抜けるような青空の元、広々とした滑走路に立っていた。


 これがまだ運営されている飛行場だったならば、即座に引きずり出されるような行為だ。


「少佐。やはり私はこの仕事を信用できません」


「そうだね」


「なら——」


「でも、人類文明に危機が迫っているなら、私が手を引く理由はない。君が危険を感じるなら、君だけ下がってくれても構わないよ」


「……ずるい人だ。あなたは」


「そんなことはないさ」


 言っているうちに二人の目の前に黒いヘリが現れ、頭上には巨大な銀の塊が姿を現した。


**************************************


「あれは輸送機……なのでしょうか……」


「……試作機が開発されたとは聞いていたが、彼女が持っていたのか――なるほどそれで――」


 二人が空に回収される様子を、指令は外の駐車場で見ていた。隣には二人の女性が立っている。


 一人は眼鏡をかけたやせ型の女性。ごく普通の会社員といった風貌でとても私兵の一員には見えない。


 そして、彼女と手をつなぐ小さな少女。


 黒いモコモコとしたロシア帽に、同じく黒くモコモコとしたケープ付きのコート。


 十人が見れば十人が「美少女」と評するだろう可愛らしい顔つきが、それに見合わぬ鋭い目つきで輸送機が消えた空を見ていた。


「どうだ? 何か見えたか?」


 大人びたその横顔に指令は聞いた。


「はっきりとは……ただ——」


「ただ?」


「あの二人と出会ってから、増えました」


「それは、彼と会った時のようにか?」


「はい。なので……」


「可能性はある、ということか」


 そのやり取りを心配そうに見つめる眼鏡の女性。


「あの……指令、やはりこの子は——」


「大丈夫よソフィア」


 遮る少女の声は、柔らかい声色だったが有無を言わせぬ気配があった。


「でも、やっぱり危険だと思うの。特にあの二人が来てから、あの時みたいになっているって事でしょう? 危険よ」


「人間はもとよりそういう生き物よ、ソフィア」


 二人の一歩も引かない譲り合いに指令は声をかける。


「安全な場所から見届けることもできるんだぞ」


「いいえ。申し訳ありませんが、それはお断りさせていただきます」


「……そうか」


 彼女がそうだと言うのならば、指令はそれ以上強く提案はできない。


 困ったような大人二人の表情を見て、少女は優しく微笑んだ。


 それは、とても女の子らしい微笑みではなかった。老婆のような、優しい微笑み。


「ごめんなさい指令。それと、ソフィア」


「いいえ、私こそごめんなさい——でも無理はしないでね」


 その問いには肯定も否定もせず、黒い少女は真っ黒な髪を風に揺らした。


 その髪の毛が生み出すスクリーンの向こうの表情を、誰も読み取ることはできない。


**************************************


 少佐と少尉の二人を回収したヘリは、低空を飛行しながらゆっくりと高度を上げて、やがて空を切り取ったような黒い穴に吸い込まれていった。


 立体的で近未来的な機体は、全面を流体液晶と電波吸収材で覆っており、まさに肉眼でもレーダーでも捉えることのできない技術の粋の結晶である。


 そんな輸送機は世界で一機しか存在しない。


 名を『ダビー・マイヨル』――現存する輸送機の中で世界最大の機体である。


 そのコンセプトは『空中基地』。分類としては大型輸送機ではあるが、機能としては早期警戒管制機の延長線上にある。


 何よりも特徴的なのは、その巨大な機体に詰め込まれた人が生活するための機能。


 空中基地のコンセプト通り、高高度から作戦を展開する為の拠点になることを目指して設計されており、ステルス性は現代でもトップクラス。


 管制室はもちろん居住スペースや医療スペースが設けられているだけでなく、食堂スペースやトレーニングルーム、シャワールームも設計されている。


――というのは試作機段階での話である――


 元々軍用機として開発されていた以上、いざ一台を完成させた時点で予算を使い果たしてしまい計画はご破算。


 その後試作機は空中基地というコンセプトの名前のまま、機密保持の関係でどこかの倉庫で埃をかぶっていたのだが、少佐が譲り受けるという形で強奪し、魔改造。その後、三ツ星ホテルにも劣らない居住スペースとラウンジを確保し生まれ変わる。


「この子に名前を付けてほしい」


 そして少尉がこの拠点に初めて訪れた時、名前が与えられた。


 現在はこの拠点のあらゆる機能をムムが管理・統制しており、二人が仕事をするときのバックアップをしている。


 そしてもう一人。


「おかえりなさいませ。お嬢様、少尉殿」


 二人をヘリで回収した身なりの正しい老紳士が、改めて二人を迎えた。


「お嬢様はやめてくれと言っているだろう。ジョナサン」


「では、レグルス様はいかがですか?」


「ややこしいから遠慮しておくよ」


 微笑みながら少佐はジャケットを渡す。


「少尉殿も」


「私に敬称はいりませんよ。ミスター・ジョナサン」


「ではオルニット様と?」


「遠慮しておきます」


 少尉も少佐に倣う。


『おカえり二人トも』


「ただいまムム。飛行場の方はどうだい?」


『全テの通信機器とカメラを元の埃被ッテ使えナい前時代のマまに戻してオイたぞ』


「そうか。助かるよ」


『古い型式ニ無理やり繋いデイたかラ手間取っタが、痕跡は残っていナい』


「さすがだね」


 少佐はソファに座り天所のスピーカーと話す。


 手にはブランデーとグラスが三つ。


『そレデ、次の仕事まデ時間ガアるが……』


「そうだね……とりあえず東南アジアの方へ向かおう。しばらくは上空から情報を集めて──それから周辺国の新聞とニュースを集められるだけ集めておいてくれ。ああそれと、各国の観光パンフレットも頼むよ」


「新聞……ニュースだけでいいのではないですか」


「仕事に絡んでくるだろう各勢力を確認しておきたくてね」


「なるほど」


 感心する少尉にジョナサンが耳打ちした。


「……本命は観光ですよ……」


「……だと思いました」


 そんな二人に少佐はブランデーの注がれたグラスを渡した。


「とりあえず。今回の仕事の成功を祝すとしよう」


「あれは成功と言っていいのでしょうか?」


「いいのだよ。何であれ世界は救われた」


 イマイチ要領を得ない少尉をよそに、少佐は天井にあるカメラにグラスを掲げる。


「乾杯‼」


「乾杯……」


「おめでとうございます」


『カんパい』


 ムムは三人とは別のモニターと配線だらけの部屋で梅酒を傾けていた。

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