第11話

 二匹となった龍は四阿の周りをぐるぐる回り始めた。これにはさすがの蓮子も怖くなった。とくに二匹目の龍から強い敵意を感じた。

 早く家に戻らなければ、やがて自分は、この二匹の龍に魂を奪われるだろう。蓮子は強くそう感じた。

 しかし、ぐるぐる回る龍に、やがて蓮子は眩暈を起こし、ついに気を失った。


 どれほどの時間が経ったか。

「上沢の娘さんよ!」と、蓮子の肩を揺する者がいて、蓮子は目を覚ました。

 言うまでもなく、遇蓮寺の和尚である。和尚は、昨日の蓮子の話を聞いて、心配して見に来たのだ。

 和尚はあの後、思うところがあって、寺の書庫にしまってある檀家の鬼籍簿を調べてみた。するとおかしなことに、岡野村家は、ここ百年間誰も死んでいないことが分かった。常識的にそれはありえないことだ。

 横たわっていた蓮子は、和尚の顔を見てほっとした。しかし、なぜ和尚がここにいるのか理解できなかった。

 蓮子は起き上がり、言葉を発する前に、辺りを見回したが、龍の姿はどこにもなかった。

「龍がいない。和尚さん、二匹の龍を見ませんでしたか?」

「龍は消えたよ。わしが呪文で霊界に戻るように諭したのじゃ」

「そうですか、私の考えではあの二匹の龍は、岡野村家の兄妹ではないかと思うのですが──」

「わしもそう思う。あの二人は、もはや人間ではない」

「では妖怪ですか?」

「はっはっは! 妖怪と言えば妖怪だが、厳密に言えば龍と人間との間に生まれたあいのこじゃ。わしは昨日、昔の和尚が書き残した日記のようなものを見つけて読んだのじゃが、それで分かったのは、岡野村家は龍神に祟られた家系だということじゃ。──江戸時代、干ばつの雨乞いの儀式で岡野村家の娘が龍神に奉納された。これによって、龍神はこの家と接点を持ち、以来、この家に生まれた子供はすべて龍神の血を引くことになったのじゃ。──龍神と人間のあいのこ、だから死ぬことがない。いや、人間の血が半分入っているから、死ぬことは死ぬが、それは何百年も先のことじゃ。その間、霊界と現世を行き来して過ごす。この現世では人間の姿だが、霊界では龍の姿となっている。そして、これはわしの想像だが、彼らはこの地上で自分たちの子孫を増やそうとしている。それで若い女性を手に入れようしているのじゃ。あなたもこうして狙われたわけじゃが、見ると、昨日わしが授けた霊験あらたかな数珠を手首に巻いておる。この数珠のお陰で、龍たちが近づけなかったのじゃ。しかし、わしがここに来ずにあなたが朝方まで眠っておった場合は、どうなったか分からんよ」

「ありがとうございました」蓮子は和尚に礼を言った。「で、あの二人は、今は霊界にいるのですか?」

「そう。霊界にいる。じゃが、戻ろうと思えばいつでも戻れる。あなたの義母たちも」

「嫌です」蓮子はきっぱりと言った。「もうあの二人には会いたくありません」

 和尚はうなずいて、「あなたがあの二人を嫌うのは十分に分かる。たぶん、義母はもうここには戻って来ないだろう。あなたに正体がバレたから。それで、これはわしの忠告じゃが、この四阿は昼間のうちに解体しなされ。四阿がここにある以上、龍神たちは常にやって来る。彼らも来るおそれがある」

「せっかく建てた四阿ですが、和尚さんの言うとおりにします」

 見るとテーブルの上にあるランタンは、正常な灯りを放っていた。乙女たちの姿も消えていた。

 上空の月はさらに光度を増して、蓮田を照らしていた。

「こうしてお月さんを眺めるのも、たしかにいいものじゃわい」

 と和尚は笑って、帰っていった。

 蓮子は一人その場にいて、ほんの少し月見を楽しんだ後、ランタンを持って家に戻った。


 今後、蓮子は食事を自分で作らなければならなくなったが、それは苦にならない。むしろ自分の好きなものだけを食べる利点がある。

 蓮田の四阿は、バールを使って、二日かけて蓮子が一人で解体した。建てるより断然簡単である。

 解体は、お盆まで待てば良かったかもしれないが、お盆だと先祖の霊が戻って来るわけだから、継母たちもやってくるおそれがあった。兄に見せたかったのだが、仕方ない。

 そうして兄はお盆に帰った。案の定、真っ先に裏の蓮田を見て、がっかりして言った。

「やはり蓮子一人で建てるのは、無理だったようだね」

 そこで蓮子は一部始終を説明した。

「へえーそんなことがあったのか。たしかにあの人には変な雰囲気があったが、龍とのあいのこだったとは。まあ、蓮子に何もなくて良かったよ」 

 今年のお盆は蓮子が料理を作り、兄に振舞った。

一緒に食事をしているとき、

「ところで蓮子は怖くないかい?」と兄は、言った。

「怖いって、あの人がまたここに舞い戻って来るということ?」

「そう。あの人もだけど、ワンダーサークルの男だよ。龍となって、蓮子に近づこうとしたわけだ。まるで道成寺の蛇みたいじゃないか」

 道成寺の蛇──蓮子はその意味が分からなかったが、たしかに蛇のような陰険な目をした男である。

「正直言って、この家に一人で住むのは怖いわよ。でも大丈夫、私には遇蓮寺の和尚さんから貰った数珠があるの。それをいつも手首に巻いているわ。これよ」と蓮子は言って、左手を兄に差し向けた。

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