第10話

 すると男は、「あっはっはっはっは!」と高らかに笑って、「君も遇蓮寺にはよく行くようだね。私はあそこの檀家だよ。代々の墓があって、あの天井絵に描かれている少女の墓もあるよ」

「えっ!」蓮子は驚いて聞いた。「あの方は人身御供として、火あぶりにされたのじゃないのですか?」

「ああ、されたよ。伝説通りに。しかし、何の罪もない少女が殺されたのだ。慰霊碑ぐらいあってもいいだろう。寺の裏山にひっそりとあるから、知らない人の方が多い」

「人身御供になった少女の慰霊碑ですか」

「そう。君のご先祖が、悪代官に取り入って、あることないこと、いや、全部でたらめを言って、私のご先祖を生贄にしたのだ。しかし、娘は生きている。永遠に」

「永遠に? それはどういう意味ですか?」

「龍の嫁になったのさ。霊魂だがね。一般の霊魂は、期限がくれば自然と消えていく。しかし、龍神と一体となった霊魂は消えることはない。永遠に、そして、いつでも龍神とともに呼び出せるのだ。この道場も、その呼び出す場所さ」

「私の家のすぐ裏の蓮田にも、ペアで現れましたが」

「知っているよ。妹から聞いた。四阿を建てたそうだね。その四阿が霊界との出入口になっている」

「私を憎んで出てきたのでしょうか?」

「いや違う。憎しみはもうない。人身御供にされた場所に、四阿が建ったからだ。──君は和尚から聞いたかどうか知らないが、干ばつのとき、どこで儀式を執り行うか早急に場所を決める必要があった。他の土地の所有者はみんな拒否した。そりゃあそうだろう。──で、言い出した本人の土地で、執り行った。あの頃は、みんな無学で迷信というものに支配されていた時代だったからな」

 蓮子は男の言葉に、少しだけ安心を得た。男がやけに冷静に答えたから。

 しかし油断はできない。この男が父を崖から突き落としたのなら、蓮子はその敵を討たなければならないのだ。

 蓮子は言った。

「今夜、私はその蓮田でお月見をするのよ。いいでしょう」

「ほう。それはなかなか度胸のある娘さんだね」

 またしても男は、ギロリとした目で蓮子を見た。

 それにしても、この道場はいつ来ても人がいない。岡野村家は、各地に土地を所有し、建築物件も多いが、この道場もそのひとつなのだろう。

 期待はしていなかったが、やはり蓮子は、父の死が岡野村家の兄妹の犯行であるという証拠をつかむことができなかった。やはり第三者の目撃証言がないかぎり、転落死は転落死として永遠に闇の中なのだろう。多額保険金疑惑があるとしても。

 しかしそれも、今夜分かることだ。深夜の蓮田で、彼らが何かをすれば。

 それは、文字通り命をかけた蓮子の賭けである。


 夜は快晴。月は中天に差し掛かっていた。蓮子はランタンを手に颯爽と四阿に向かった。

 辺り一面に咲いている蓮の花から、えも言われぬ香気が漂っていたが、本来、蓮の花は、夜になると花びらを閉じる。満月の光によって半開きとなっていた。

 蓮子は四阿のテーブルにランタンを置くと、欄干に手をそえ、そして月を見上げた。

 雲など一片もないはずなのだが、なぜか月が陰っていた。

 すぐにその理由が分かった。

 龍の蛇のような体が、月を囲むように空中にたたずんでいたからだ。その恐ろしい顔が蓮子の目の前にあり、赤黒い眼光で、じっと蓮子を捉えていた。

 龍の前足、三本の鉤爪が伸ばせば蓮子に届きそうな距離である。

 龍がいれば乙女がいるはず、と蓮子は乙女を探した。

 乙女は、テーブルの上のランタンに龍とともに張りついていた。

 では、目の前の月を囲んでいる龍はいったい何者なのだ。龍が二匹いるということか。

 深夜であるが、家の中から継母がこちらを注視していた。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            

 蓮子はふと、遇蓮寺の天井に描かれている龍が、この蓮田に来ているような錯覚にとらわれたが、それはあの絵の龍と今いる龍の顔が似ているからだ。その顔が、蓮子の方に近づいた。

 周辺の蓮が、風もないのに一斉にざわついたのは、蓮子に危険を知らせたのだろう。

 龍は、蓮子に何かを語り掛けたかった様子だった。が、蓮子は四阿の隅に逃げた。家に逃げ帰っても良かったのだが、そうしなかったのは、ここですべてをはっきりさせるつもりでいたからだ。

 このとき蓮子は、継母の兄がこの龍ではないのか、と龍の目を見てそう思った。ギロッとした目が似ている。あの男なら怖くはない。

 とはいえ、窮状であることに間違いはない。。

 にもかかわらず、ランタンに張り付いている龍は、乙女を背中に乗せて、回り灯篭みたいにぐるぐる回転しだした。まるではしゃいでいるかのようだった。

 宙に浮いている龍は、四阿の中に入ろうとしたが、見えない壁があるようで、何度も跳ね返された。しかし龍はあきらめず、長い髭を伸ばし、蓮子の体に触れようとするのだが、これもほんのわずかなところでピタッととまった。髭の長さの限界か、それとも蓮子が手首にしている数珠のお陰なのか。

 いずれにしても月見を楽しむ余裕は蓮子にはない。

 しばらくして、もう一匹龍が現れたが、それは、家の方からやって来たのだ。

 窓のそばにいた継母の姿が消えていた。ということは、この龍は継母なのか。とすれば、岡野村家は全員が龍の化身で、妹が、兄の助太刀に来たというわけか。

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