第7話

 昼間の蓮田は、のどかであるが、夜の蓮田は不気味である。その不気味な夜に、蓮子は一人四阿に佇んだ。

 蓮子は、男の話を聞いて、ちょっと陰鬱な気分になっていた。それは言うまでもなく人身御供が人形ではなく本物の乙女であったことだ。

 いったいどの辺りでその儀式が行われたのか蓮子は気になった。というのも、その犠牲になったと思われる乙女が、すぐそばの蓮の葉っぱの影から、こちらを見つめていたからだ。もちろん蓮子は犠牲になった乙女の顔を知るよしもない。しかし、そのはかなげな表情は、成仏しきれずに地上にとどまっている地縛霊に違いないのだ。

 蓮子は身震いをした。それは乙女の霊に対してではなく、最前から蓮田の中を蠢いている蛇のような生き物? に対してであった。ニシキヘビよりもずっと巨大なものだ。にもかかわらず蓮の花も葉っぱも茎も痛むことがない。つまり霊的なもので、蓮子はそれが龍であることを悟るのに、そう時間はかからなかった。

 鹿のような角、赤黒い目、月明りに蓮の上に現れた姿は、紛れもない龍である。

 夜の蓮田は、やはり気味が悪い。蓮子は、すぐに家に戻った。


 次の日、蓮子は学校からの帰り道、遇蓮寺に立ち寄ったが、それは雨乞いの儀式がどの場所で行われたのかを和尚に聞くためだ。しかし蓮子は、人身御供が人形ではなく生身の人間であったことは、あえて言わないことにした。

 和尚は、ちょっと怪訝な表情をした。今までそんな質問をした者がいないからだ。

「急にそう聞かれても、このわしもその時代の人間ではないから、正確には答えられんがな。だが、なんでもあなたの家の裏あたりではないかと思う。というのは、上沢家の人が率先して、その儀式を執り行ったそうだから、よその土地ではないと思う」

「そうですか……」

 蓮子は意気消沈して家路についた。人身御供という呪わしい儀式など誰も自分の田畑でしたくないものだ。上沢家の先祖が率先者なら、自分の田畑でするしかない。岡野村家は、上沢家に対してそれ相当の恨みを抱いている。そのことは、古文書に書き残しているという事実でも分かる。そして、その恨みが今も続いているとするならば、蓮子の父は報復にあった可能性が高い。というか、最初は偶然だったのが、たまたま父が上沢家の子孫と分かり、そこから良からぬ計画を継母たちがたてた、と見ることもできる。

 蓮子が裏の蓮田に四阿を建てる気になったのは、ひょっとすると犠牲になった乙女の霊が、蓮子にそうさせたのかもしれない。何のために、と問われれば返答ができないが。


 継母は、ついに蓮子の行動を怪しみ始めた。おそらくあの男から話を聞いたのだろう。ジーンズ姿でおかっぱ頭の女学生と聞いて、継母がすぐに想像するのは蓮子である。

 いつもは自分の部屋に閉じ籠っている継母が、頻繁に姿を見せるようになった。その結果、驚くべきことがおこった。


 龍を見たあの夜から、蓮子は夜間での四阿滞在を避けていたのだが、なんと継母が、真夜中、あの四阿に立っていた。

 午前一時を過ぎていた。蓮子は寝苦しくて目を覚まし、ふと窓の外を見た。四阿の方がぼんやり明るくなっていたが、それはランタンの灯りで、目を凝らすと、継母がそこで乙女の亡霊と話をしていた。

 すぐそばに鎌首を持ち上げた龍の姿があり、乙女と龍は一対なのかと蓮子は思った。

 蓮子は、継母が乙女に何を話しているのか気になったが、おそらく良からぬ話に違いない。なぜなら、憎き上沢家の子孫が、まるで岡野村家を馬鹿にしたように蓮田に四阿を建てたのだ。岡野村家の末裔である継母が、人身御供にされた先祖の霊に向かって上沢家の娘に復讐をするように唆したとしても、何ら不思議はないだろう。

 継母が先祖の歴史を知っていれば、乙女と龍が何を意味するのかすぐに分かり、だからこそ夜中に一人で四阿に向かえたわけだ。普通、龍の姿を見て、蓮田に入る強者はいない。

 継母は、やはり何かを企んでいる。

 それはこの家の乗っ取り以外に考えられない。

 そして、蓮子は一人でそれを阻止しなければならない。なぜなら、頼りになる兄はそばにいないし、また兄は家のことに無頓着で、将来この家がどうなろうとあまり関心がないのだ。というのも、兄は仕事がバリバリできるので、実家がなくても困らないからだ。蓮子はまだ高校生で、賃貸アパートの収入があるとしても、大学を出るまではこの家に固執しなければならない。

 つまり蓮子がいなくなれば、継母は自由勝手にこの家を使うことができるのだ。


 蓮田は、蓮子にとって子供の頃から見慣れた景色であるが、今は、夜はおろか昼間でさえ、四阿へ行くのが躊躇われた。

──蓮の花に囲まれた王女のような気分は、もう味わうことができないのか。

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