第6話
おまけにおかっぱ頭である。
ただ、もしも継母にばれたとしても、差し当たって蓮子が困ることはないのだ。継母から何か聞かれれば、蓮子はこう答えればいい。たまたまワンダーサークルという看板が目に入り、興味が湧いて入っただけだと。否定する必要はない。むしろ、そんな質問をすれば、継母の方が怪しまれることになる。
父がいた頃は、蓮子は継母にまったく関心がなかった。だが、最近になって父と継母の馴れ初め、及び結婚に至る経緯などが知りたくて仕方なかった。
生前、父が蓮子に話したのは、継母とは詩の同人誌で知り合った、ということだけである。
ならば、その同人誌に会員名簿が載っている可能性がある。と、蓮子は父の書棚に置いてある同人誌を調べた。
父が参加していた同人誌のメンバーは、ほとんどが地元県民で、詩誌の発行は年に三回、その前に会合を開き、持ち寄った詩の選考を行うシステムであった。
父は本名で詩を発表していた。それは父の詩が、自分の日常生活を題材にしているので、本名でなければ意味がないという考えからであった。
継母の方はペンネームか本名か分からないが、父はいつもリョウコさんと言っていたので、リョウコを探すと岡野村良子という名前があった。三十代と書いてあったから、たぶんこれだろう。
この詩人が、こんな詩を書いていた。
──瞑想──
瞑想の先に何があるのか
いいことがあるのか
私の兄は年がら年中瞑想に耽っている
それが兄の仕事であった
兄は人に瞑想の仕方を教えるインストラクター
兄は若い頃、インドの行者に憧れ、インドを放浪した
日本に帰ったときはすっかり行者の風貌になっていた
髪もひげも伸び放題、日焼けして、異様に眼が輝いていた
そうして兄は、とある田舎の街で瞑想道場をつくった
インドで習ったヨガを、そこで教えた
しかし、入門者はめったにいない
私は心配している
兄はこれから先、どうなるのかと
瞑想の先に幸せがあるのかと
蓮子は、この詩を読んだとき、これはあのワンダーサークルのことであると直観した。男の風貌といい、瞑想ヨガを教えるという点で一致している。もしもそれが本当なら、良子の兄は、かつては入門者がめったにいないということで、金に困っていたのだ。しかし、今は会費も献金も強要していない。そのことから、蓮子は父の保険金を連想した。数千万円の保険金を継母は懐にしている。それを兄に差し出したのではないか。
父は、自分が先に死んだ場合のことを考えて、保険金の受取人を継母にした可能性もあるが、それは実子にこの家及びその他の不動産を与えるためである。が、残念ながら父は遺言というものを残す前に他界した。
蓮子は、ワンダーサークルの男が継母の兄かどうかを調べる必要を感じた。
岡野村という姓ならまず間違いない。インターネットで検索するとワンダーサークルのホームページが見つかった。そこの代表者が岡野村。顔写真を見て、あの男と同一であった。これで継母は、生活に困っていた兄に保険金を渡した可能性が濃厚となった。
そうなると、継母が父を山に誘ったのは、継母一人の案ではなく、ワンダーサークルの兄と結託した結果ではないか、という疑念が発生するのだ。つまりあの男も山に同行したと。
たしかに継母一人の腕力で、子供の頃から百姓で鍛えた父を崖から突き落とすことは困難である。しかし、大の男が不意を突いてやるならば、容易いことではある。
父が山で転落死したのは、三年前の十一月の第三木曜日であるが、日曜日なら、父は蓮子も一緒に山に連れていった可能性がある。なぜなら父は蓮子をこよなく愛していたから。しかし、なぜか平日で、まだ農作業も残っていたのだ。今、蓮子は、そのことを不可解に思う。ワンダーサークルは、休みがあるのか。あるとすれば、何曜日なのか。ワンダーサークルのホームページを再び見た。やはり木曜日が定休日であった。
蓮子は、ワンダーサークルへ確認のために行くことにした。男が、山登りが好きかどうかを。
なぜなら、父が転落死した山は、一般人が行かないマニアックな山であり、間違っても出不精の継母が登る山ではないからだ。
ワンダーサークルの男は意外な表情で蓮子を見たが、それは再びやって来るとは思わなかったからだろう。
蓮子は、開口一番、休みは何曜日かをたずねた。
男はびくっとして、「毎週木曜日だが、君は入会する気になったのかね?」
「興味はありますが、まだ何となく胡散臭いところがあります。で、詳しく知りたいのですが、あなたの名前は何というのでしょう?」
「私の名前は、岡野村という、この辺ではちょっと知られた家柄だ。昔は庄屋をしていた」
庄屋と聞いて蓮子は遇蓮寺の天井絵をすぐに思い浮かべた。
「昔は干ばつで飢饉になったそうですね」
「よく知っているね。あのとき、私の家は雨乞いの儀式をするために長女が人身御供の生贄にされたのだよ」
「ええっ!」蓮子は驚いた。「それは人形ではなかったのですか」
「人形なんかであるもんか。君は遇蓮寺の和尚からその話を聞いたんだね」
「はい」
「あれはあの和尚の創作だ。女子供には、いつもそういう風に柔らかく言う。──まあ昔の和尚が関与していたから、真実を言いたくなかったのだろう。しかし実際は、我がご先祖様が、無理やり人身御供にされた。庄屋という身分であるが、直轄の代官から嫌われて、飢饉の責任を取らされたのだ」
「代官が嫌うには理由があったのですか?」
「あった。ある村人の告げ口があったのだ。──そいつは、こう言ったのだ。庄屋は陰で、横領をしていると。まあ昔のことはよく分からないが、一般の農夫よりいい暮らしをしていたことはたしかだ。家に伝わる古文書の中に、そのときのことが詳しく書かれている。どこの誰それが代官を唆した、とな──」
「で、誰ですか?」
「ははは、君は変わった女子高生だね。そんなことを聞く者は君が初めてだ。だがよろしい。教えよう。じつは当時の農民には苗字はなかったのだが、そいつの子孫は今も生きている。子供が二人、いや一人は成人して都会にいるがね。名前は上沢という、農家だ。その家も私の先祖と張り合っていたほどの大地主だよ」
蓮子は、もう心臓が破裂しそうなくらいドキドキした。この界隈で上沢という苗字の農家は蓮子の家だけである。幸いにもまだ自分の名前はばれていないのだろうが、ばれるのは時間の問題であった。なぜなら、これだけ強い印象を男に残したのだ。男はきっと継母、つまり自分の妹にこの話をするだろうから。
こうしてみると、継母が父と結婚をして、家にやってきたのも、何かの因縁があったのだ。というか、陰謀ではないのか。上沢家の崩壊を彼らは企図しているのではないのか。
「ところであなたは登山が趣味ですか?」
蓮子は一番知りたいことを聞いた。
男は一瞬ポカンとなった。無理もない。何の脈略もなく、いきなり登山が趣味ですか? と聞かれれば、誰でもポカンとなるだろう。
男は言った。
「なぜ君は、私の趣味を知っているのだ。たしかに私は山が好きで休みの日は近くの山に登ることが多い。これも行の一つだ。君は修験道というのを知っているかね。山伏の。私は子供の頃からそれに憧れた。インドの行者にも憧れて、インドを旅したこともある。要するに神秘的なことが好きなのだ」
ここまで揃うと疑いようがない。
この日も蓮子は、早々に退散した。
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