第5話

「あんたが人身御供というから、おらたちは怒ったけど、人形が代わりになってくれるというのなら、やらない手はないな」

 和尚はほっとして、「その雨乞いの儀式なら、このわしも喜んで協力しますぞ。雨乞いの呪文は、わしにはできんが、山伏を一人知っている。山伏は、いろんな呪文ができるものだ。その山伏は老齢で、今は山を下りているが、この近くに住んでいるから、わしが行って頼んでみよう」

 男は自分の話が、意外と早くみんなを納得させて、和尚の窮地を救ったことを喜んだ。

 急を要することだから、すぐにひび割れた蓮田に四阿が建ち、その中に若い女性をかたどった人形を立たせた。人形の周りには藁を敷き、薪を積んだ。

 和尚から依頼を受けた山伏は確かに老齢だったが、矍鑠とした山伏姿で四阿のそばに立つと、何やら長い呪文を唱えた。そうして、ほら貝を高らかに吹いた。それが合図であった。村人が藁に火をつけると、乾燥しきった薪は、すぐにバチバチ音をたてて、灰白色の煙を立ち昇らせ、煙は、やはり黒い龍の姿となって、天高く昇って行った。そうして、龍の姿が見えなくなった頃、天がピカリと光り、雷がとどろき、真っ青だった空が、数秒で夜のように暗くなり、雨が滝のように降ってきた。豪雨はやはり二日間降り続き、一帯が湖のような光景となった。──以上

 

 蓮子は、天井絵の美少女が人形であったことにちょっとがっかりしたものの、悲惨な伝説とならなかったことをむしろ喜んだ。

 そして、蓮子が裏の蓮田に四阿を建てようと思った動機が、これである。要するに、天井絵の美少女に憧れたわけだ。


 蓮田の蓮はかなり成長した。七月の満月の頃には花盛りとなるだろう。

 台風でも来れば、川の水があふれ、鯉やナマズ・雷魚などが蓮田の中を泳ぎ回ることになるが、そのときは、蓮子は四阿の欄干からパンなどをちぎって投げ与えるつもりである。

 蓮子は人間が苦手な反面、生き物に対しては人一倍愛情が深かった。


 継母からの監視は執拗に続いていた。継母はキッチンの窓を少し開けて、蓮子のいる四阿の方をじっと見ている。悪意的な視線であることは、いつもの通りだ。

 蓮子は最近になって、継母のことを詳しく知りたいと思うようになった。同じ屋根の下で何年も寝起きしているのだから、知る必要があるだろう。

 とくに継母が通っている(おそらく)施設に興味があった。で、今度街に出たときは、その施設を訪ねてみようと、兄に電話でその場所をたずねた。

兄はすぐに教えてくれた。しかし外から眺めるだけで、中には絶対入るな、と忠告した。蓮子も胡散臭いところに入る気はなかった。

 まず蓮子が思ったのは、実子のいない継母が、その施設を心の拠り所としているのなら、献金などということもしている可能性がある。もしそうなら、上沢家の家屋敷を寄付するように唆す者がいてもおかしくはない、ということだ。

 考えてみれば、蓮子の実母は病気で蓮子が小学生のときに死んだが、父の死には謎があった。

 父は、登山中、崖から転落して死んだ、ということになっている。三年前の晩秋である。父はそれまで登山の趣味があったわけではなく、継母が山の紅葉が見たいといって、無理やり父を連れ出したのだ。紅葉なら近くの低い山でも見られるものを、わざわざ遠い険しい山に二人は登った。険しいといっても、危険な個所はそう多くはなく、ただ、父が転落した場所は、片側がピンポイントの切り立った崖であった。それ以外は難易度の低い登山道で、百姓で鍛えた足腰の丈夫な父が、なぜか転落死した。

 疑いが発生したのは継母が自分を受取人にして、父に多額の生命保険を掛けていたことだ。それがなければ、蓮子は単に父の死は事故として継母を疑うことはなかったかもしれない。

 また父と継母の年の差が二十歳近くあることも、疑いの度を増した。本当に父が好きで結婚したのか、と。


 日曜日、蓮子はバスに乗って終点の駅前で降りた。兄から教わった道順を、てくてく歩いて、商店街の外れの二階建ての古い建物の前まで来ると、たしかにワンダーサークルと書いた看板がかかっていた。ドアに見学歓迎と張り紙がしてあって、まるで大学のサークルのような雰囲気があり、蓮子は危険な感じがしなかった。それで、蓮子は兄の忠告を無視して、中に入ることにした。

 曇りガラスのドアをノックした。

「どうぞ、自由に入って──」と、中から男の声があった。

 蓮子はドアを開け、中に入った。

 半畳の靴脱ぎ場があり、四十畳ほどの広さの部屋の中央に、インドの行者のような恰好をした四、五十代の男が立っていた。他には誰もいなかった。

「やあ、これは珍しいお客さんだね」と男は、蓮子に近づいた。

 蓮子は、ちょっと身構えた。

「あのー私、看板を見て、ドアをノックしたのですが、ここは何をしているところですか?」と単刀直入に聞いた。

 男は目をギロリとさせて、

「心のケアだよ」と言った。

「心のケアですか──」

「そう。体のケアは、クリニックがするだろう。心のケアは、ここでする」

「宗教ですか?」

「いや、その質問はよく受けるが、宗教のような教えはない。ここでは、ヨガや瞑想を取り入れたストレッチ体操をしている。体をリラックスさせることが基本だ。体がリラックスすれば、心もリラックスする。温泉がその例だ。今日は、あいにく誰もいないが、いつもはたいてい一人か二人、このスペースで寝転がっているよ」

「誰でも参加できるのですか?」

「ああ、できるとも。拒む理由がない。他人の邪魔をしないかぎり誰でも参加できる」

「それで会費は、いくらですか?」

「驚くなよ。ここは会費も料金も設定していない。無料だ。ただ、寄付あるいは献金という形で受け取ることはあるが、それも強制ではない」

「そうですか」

 と言ったあと、蓮子は何を聞けばいいか分からなくなった。当初、建物の外観だけを確認するつもりで来たからだ。

 で蓮子は、すぐに外に出ることにした。

 男はしょんぼりとした。しかし、無理に蓮子を引き留めようとはしなかった。

「いつでも来なさい」とだけ言った。

 蓮子は、この男に対して、そう悪い印象は持たなかった。見た目は髭面で、ちょっと胡散臭いところはあったが、しかし学校の教師のような雰囲気もあった。たぶんインストラクターをしているからだろう。ただ、ときどき目をギロリとさせる癖があり、蓮子は気味が悪かった。

 継母がここを常連にしているのなら、家からあまり外に出ない継母にとって、格好の息抜きの場となっているのだろう。また運動不足を補うにも最適である。

 気になったのは神棚である。ヨガをするのなら、インドの神様を祀るものだ。水盤に花びらを浮かべたりして。しかし、ここの神棚には龍の図が掛かっていた。

 もう一つ気になったのは、床に記された白い大きな円である。五芒星がこの円の中にあれば、天使及び悪魔の召喚ということになるのだが、それはなかった。しかし結界のように、外の世界と内の世界を分けている印象はあった。ワンダーサークルという名前は、ここからきているのだろう。

 いずれにしても、寄付、献金が強制ではないことだけでも、一般の宗教よりマシなように蓮子は感じた。


 蓮子はワンダーサークルへ行ったことが継母にばれるのではないかと不安だった。

 ワンダーサークルの男は、蓮子を見て珍しいお客さんだと言ったのだ。十代の女性はめったに来ないのだろう。だからこそ、何かの折に男はそのことを継母に話すおそれがあった。もっともそれは、継母が、ワンダーサークルの常連であれば、の話で。そして常連ならば、継母は興味を持って女の子の特徴を質問するだろう。蓮子はごく平凡な女子高生である。しかし、ジーンズをはいている。いまどきジーンズをはく女子高生が、そう多くいるとは思えない。

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