第3話
蓮田の四阿は、壁がない分、さくさくと作れ、また壁がない分、強風によって倒されることもない。ただ横殴りの雨の場合は、ずぶ濡れになるおそれがあったが、そういうときは、四阿にいないのでまったく問題はなかった。
通路の高さは六十センチ。これは雨によって川が氾濫しても沈没しない高さである。
蓮は順調に成長し、六月になってつぼみを付け始めた。この頃になると、これまで浮いていた四阿がなんとかサマになってきた。周りの風景に馴染んできた。
休日の午後、蓮子は念願の四阿のベンチに腰かけて読書をした。目が疲れると、寝そべって昼寝をした。
テーブルの上には手作りのサンドイッチとジュースの入った水筒。まるでピクニック気分である。
蓮子は、継母がキッチンの窓から、こっちを見ていることに気づいた。無関心な継母も蓮子のこの奇矯な行動を無視するわけにはいかなくなったようだ。
蓮子は継母の視線が疎ましい。その視線は、母の愛情とはまるっきり別のものである。
最近になって、蓮子は継母に対して良からぬことを考えるようになった。それは、継母はこの家を乗っ取るつもりでいるのではないのか、ということだ。
その理由は、継母は父が死んだというのに、依然としてこの家に留まっているからだ。もちろん出ていかなければならない法律などないのだが、継母はまだ四十代である。その気になれば、次なる結婚もありえるだろう。遺産分けもしたのだ。
また継母には、不思議な点があって、それは前に触れたように継母は週に何度か買い物に出かけるのだが、すぐには戻らないことだ。四、五時間、あるいは、それ以上かかることもある。夕飯の支度があるので、それまでには帰宅するのだが、街のスーパーまで車で三十分、往復で一時間。普通に行けば、二時間もあれば買い物をして帰れるはずなのだ。残りの数時間はどこで何をしているのか。もちろんデパートなどで、ぶらぶらすることはあるだろうが、毎回なのだ。
一度、蓮子は継母が電話で誰かと会話をしているのを、偶然耳にしたことがある。珍しいこともあるものだなあと、蓮子は聞き耳を立てた。ほんのちょっと聞いただけだが、お布施とか、奉仕とか、どうも宗教関係の話をしているようだった。継母が宗教にはまり込んでいるのなら、部屋で一日中過ごしているのも理解できる。瞑想かお祈りか、宗教の勉強をしているのだろう。
謎の多い継母だが、兄は、ひょっとするとこの継母のことをよく知っているかもしれない。というのは、兄は蓮子より六つ年上で、家にいたころは継母とも多少話をしていたからだ。継母も兄に対しては、比較的打ち解けていた。
で、蓮子は、いつものように兄に電話して聞いた。継母がこれまで何か宗教にかかわっていたかどうかを。また、最近継母が、自分の行動を監視しているきらいがあるということも付け足した。
すると兄は、いつもの笑いをして、「そりゃー、蓮田に四阿を建てれば、誰だって不思議に思って注目するだろう。それはお前の考えすぎだ。で、宗教のことだが、俺は前に、あの人が街の外れにある何かの建物に一人で入っていくのを偶然見かけたことがある。そこが宗教施設かどうか俺には分からないが、看板の名前はたしかワンダーサークルだった。古い二階建ての建物で、人から聞いた話だと、ヨガや瞑想をやっているそうだ」
瞑想の場なら無口な継母には相応しい。近所に話し相手を持たない継母にとって、そこが心の拠り所となっている可能性もある。
因みに蓮子の四阿も、心の拠り所と言っていいが、蓮子が蓮田に四阿を建てようと思った切っ掛けは、遇蓮寺の和尚の話からである。
遇蓮寺は、蓮子の家から二キロほど離れた家の菩提寺で、蓮子は子供のときからよく墓参りをかねてこの寺を訪れた。
本堂は広く常に開けっ放しで、また境内に杉や銀杏の大木があり、その陰によって夏でも涼しかった。
ある夏、蓮子が一人本堂にいると、和尚が冷えたサイダーを持ってきてくれた。こういうことは稀有であったが、昔話なら和尚はよく蓮子に語って聞かせた。実話か虚構か、蓮子には判然としなかったが、その話の一つが、本堂の天井絵である。
天井に見事な龍が描かれていた。
話によると、この天井絵は江戸の後期に、地方を放浪していた浮世絵師が、約二か月かけて制作したという。この地の伝説がモチーフとなっていた。依頼したのは当時の和尚である。
放浪の浮世絵師は、色紙かなんかに絵を描き、それを宿賃替わりにして、寺を辞すつもりだったらしいが、その絵があまりにも見事だったので、和尚は天井絵を依頼したという。そのことから、あるいは有名な浮世絵師であった可能性もあるが、しかし有名であれば、その名前が寺に残らないはずがないので、やはりあまり有名ではなかったのだろう。いずれにしても、かの葛飾北斎が描いたかのような、力強いタッチの絵である。
龍は、角の生えた髭の長いおなじみの姿形で、それが天井一杯に円を描くように描かれていた。背景は、蓮が描かれていたことから、この地方ゆかりの蓮田であろう。
蓮子が最も関心を抱いたのは、中央に描かれている四阿とその中にいる浴衣のようなものを着た一人の美少女であった。
天井絵のモチーフとなった伝説は次の通り。
昔からこの地域一帯は、レンコン栽培が盛んなところで、寺の周りも夏になると蓮の匂いでむせ返るほどの蓮田だった。
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