第5話 「守るべき者」

湯藤:久賀さんは「争いの絶えない世界」のこと、どう思いますか?

久賀:急だな。(少し悩んで)そういうお前はどう思っているんだ、湯藤。

湯藤:僕ですか? そりゃあ、許せないでしょ? いつも一番に犠牲になるのは

   僕らなんですから。僕たちの意志はそこに反映されない。国の命運を全部

   僕らに委ねるなんて、間違ってますよ。

久賀:許せない、間違っている、か。そうだな。──だが、その感想ももうすぐ

   覆る。我々はもう「死を恐れなくていい」段階まで来ているんだからな。

湯藤:(溜め息)また、例の話ですか? 

久賀:ああ。

古住:失礼します。久賀さん、「彼」の試験が一時終了しました。一度、研究室

   に来て頂くことは可能ですか?

久賀:お、古住くん、待っていたよ。首を長くしてね。分かった、行こう。今回

   は、がっかりさせないでくれよ?

古住:はい。こちらです。

久賀:それじゃあ、後のことは任せたぞ、湯藤。計画通りに、な。

湯藤:はいはい、任せてくださいよ、久賀さん。(溜め息)(小声)まーた、籠

   るのか。懲りないねぇ。

雪村:つまり、そろそろ始め時、ってことだよね?

湯藤:あ、いたんですか、雪村さん。今日は公欠だって聞いてましたけど?

雪村:君が気になってね。

湯藤:へえ。

雪村:それじゃあ、明日──。(身振り手振りで)

湯藤:あー、はいはい。分かってますって。



久賀:第五話「守るべき者」



古住:研究報告です。

久賀:うむ。聞こう。

古住:釘沼奏大。現在「四肢切断による行動範囲実験」、「真空による窒息等肺

   機能実験」、「無限腹部貫通における内臓破裂、及び骨折の連続修復実

   験」など、複数の実験を終え、「睡眠による治癒能力強化、向上実験」の

   フェーズへ移っています。

久賀:それぞれ、どのような結果が出ているか聞こうか。まずは、「四肢切断に

   よる行動範囲実験」の成果からだ。

古住:はい。当実験は約十二時間前に行ったもので、四肢をそれぞれ肩部、臀部

   の根元から切断し、達磨の状態になったところからどれだけ可動するかを

   実験したものになります。切断方法はレーザーナイフによる瞬間的なもの

   で、痛覚に触れる前に切り落とすことを目的としています。

久賀:それで? 

古住:結論としては「ショック死さえ乗り越えればある程度可動する」というこ

   とが分かりました。

久賀:「ショック死」?

古住:はい。自身の身体的変化を受け付けられない場合に一時的に心停止、脳機

   能の低下が見られるというものです。初めは本人の意識も朦朧としてお

   り、ショック死と見られる状況に何度か陥りましたが、今は通常的に可動

   します。

久賀:つまり、身体的変化に適応できなければ、効果はないというわけだな。

古住:少なくとも、こちらでの人為的な修復が必要になります。

久賀:なるほど。「真空による窒息等肺機能実験」はどうだ? こちらも結論か

   ら聞こう。

古住:結論から言いますと、「酸素欠乏による死は有り得る」ということです

   ね。細胞自体は何度も修復可能ですが、そのエネルギーの源泉を絶たれれ

   ば、身体も言うことを聞かなくなるようです。

久賀:ふむ。ただ、そういった状況、「真空」なんていうのは宇宙の話だろう?

   宇宙戦争に駆り出すならまだしも、地上戦をするだけの我々には特に必要

   のない研究結果だな。

古住:いえ、「真空」とまでは行かずとも、酸素欠乏の症状を引き起こす場合が

   あります。それが「火災」です。

久賀:「火災」か。火の酸素消費による人体への供給が減るといったパターン

   か。面白い。

古住:酸素欠乏の状態では外傷に対する修復に時間がかかり、動けなくなるとい

   うことが多々ありました。つまり、彼らの付近における「銃火器」の扱い

   には細心の注意を払う必要があります。

久賀:分かった。次だ。

古住:次の「無限腹部貫通における内臓破裂、及び骨折の連続修復実験」につい

   てはゾンビ性を確かめるための実験になります。脳以外のすべての内臓機

   能を停止させた上で、どれだけ可動するか。または全身骨折などの複雑な

   外傷を受けた際の動向などを観察しました。

久賀:四肢切断との違いはなんだ?

古住:見た目上は変わらないという点です。

久賀:こちらは内臓機能、つまり内部の変化に対する耐久テストというわけだ

   な?

古住:そういったところです。

久賀:結果を聞こう。

古住:「内部も同じように修復は可能」です。ただ、「修復にも限度がある」こ

   とも同時に分かりました。

久賀:限度? 無限に再生するように開発を頼んだと思うが? また失敗したの

   か?

古住:いえ、これはどうしても越えられない「生命」としての壁で、「修復速度

   を超える損傷」があった場合にはその限りではないということになりま

   す。例えば、「圧死」のような重度なパターンです。

久賀:つまり、銃弾のような軽度な損傷であれば、問題ないと、そういうこと

   か?

古住:はい。数十秒あれば完全に修復します。結論を言いますと、「身体の八〇

   パーセント以上を同時、連続で損傷し続けると生命維持に支障が出る」と

   いうことでしょうか。

久賀:なるほど。完全無欠の生命体を創造することは人間には不可能だというこ

   とだな。

古住:そして、現状報告に移ります。「睡眠による治癒能力強化、向上実験」に

   ついてです。こちらは治癒能力の強化と向上を目指した実験になります。

   現状、これを投与されれば「睡眠」を摂る必要はなく、稼動時間に際限は

   なくなります。

久賀:だとしたら、これにはどのような意図が?

古住:「修復の加速化」が可能かどうかを調査する目的で行っています。細胞の

   稼動時間に抑揚をつけることで、修復速度にも抑揚をつけようと、そのよ

   うな意図があります。

久賀:いつ完成する?

古住:完成、ですか?

久賀:軍事利用するための開発だと言ったはずだ。この先に見据えた戦争で利用

   する。だから、完成は早ければ早いだけいい。お前の力ならできるはず

   だ。いつ完成する?

古住:今はまだ試験段階ですし、あと最大でも半年は見て頂けないと。

久賀:それだと遅い。

古住:(しばらくの沈黙)

久賀:分かった。「これ」だな?

古住:何を──。

久賀:研究費の件はこちらから秘密裏に徴収しよう。いくらか宛がある。被検者

   もあの孤児院に協力を得て高値で売買してもらうとしよう。被検者も多い

   に越したことはないだろう?

古住:必要ありません。「彼」一人で大丈夫です。これ以上、被害者を増やすわ

   けには──。

久賀:「被験者」だ! 被害者じゃない。

古住:申し訳ありません。


久賀:古住。

古住:は、はい。

久賀:一週間以内に、これに「感染力」を付けてくれ。空気感染、接触感染、飛

   沫感染、媒介物感染。経路は君に委ねる。

古住:感染力? そんなことをすれば、全人類被が──、被験者になってしまい

   ます。そこまでして久賀さんが手に入れたいものとは、一体何ですか?

久賀:私が手に入れたいものか。失ったものが多いからか、新しく手に入れたい

   ものも数は知れている。まずは、「不死身の国」だ。軍隊のみならず、

   国民が誰一人死なないのであれば、他国が我々に戦争を仕掛ける理由もな

   い。ただただ自分の国民を投げ打ってまで戦争をする理由は、どんな国で

   あってもないだろうからな。

古住:反対に、このウイルスを巡って戦争を招くことになりそうですが。

久賀:そうならないために、秘密裏に研究を行っているんだろう? 国の命運は

   古住くん、君にかかっているというわけだよ。もし、失敗するようなこと

   があれば、この国は文字通り「ゾンビ映画にありそうな──」


 そのとき、古住の持つ端末のアラームが鳴る


古住:あ。

久賀:ん、なんだ? アラームか?

古住:彼の睡眠が浅くなるとアラームで知らせるように設定を組んでいまして。

   鎮静を兼ねてもう一度眠らせなければならないのです。

久賀:──なぜわざわざ意図的に眠らす?

古住:そういう研究です。

久賀:虚偽はないな?

古住:もちろんです。では、失礼します。後日また研究報告を兼ねて連絡します

   ので。


 古住は久賀の元を離れて、アラームの方へ


久賀:(溜め息)ここまでか。



 車輌整備室にて


雪村:あれ? 今日はもう訓練終わり? 案外早かったんだね、開放されるの。

湯藤:あ、お疲れ様で──(呆れて)なんだ、雪村さんですか。後ろから声掛け

   ないでください。誰かと思いましたよ。

雪村:ごめんね、将一くん。偶然通り掛かってさ。

湯藤:あと、僕の苗字、忘れちゃったんですか? 僕の推薦状を出したりなんな

   りと、何かと僕の名前を見る機会は多かったはずなんですけどね。

雪村:んー、どうだろう? 君こそ、私の下の名前、忘れたんでしょ? どうな

   の? 雪村、に続く名前は? はい、将一くん!

湯藤:そうですね、忘れちゃいました。あんまり、下の名前とか興味ないんです

   よ。藍、でしたっけ?

雪村:酷いなぁ、君は。女の子をあまりイジめるんじゃないよ? 後で痛い目に

   遭うんだから。

湯藤:そうですか。ところで、何か用なんですか? 僕のいる車輌整備場にまで

   「千歳さん」が足を運ぶってことは、それなりの理由があるんですよね?

   家の鍵でも失くしましたか?

雪村:私をなんだと思ってるんだい、君は。

湯藤:違いました? 絶対そうだと思ったんですがね。失くしてるなら、ヘリで

   でも送りますけど。

雪村:いいよ、墜ちたら怖いから。えっと、ほら、「湯藤くん」の上司の久賀さ

   んのことなんだけどね。ちょっと聞きたいことがあって──。

湯藤:あー、「あの人」ね。(少しの間)うん。あの人がどうかしたんですか?

   まさか、ようやっと死んだ、とかいう朗報ですか? だとしたら、ものす

   ごく嬉しいんですが。明日の訓練も飛びますし、「変なこと」聞かされる

   こともなくなるし。

雪村:いや、違うけど。というか、何? 久賀さんに聞かれたら殺されるよ、そ

   れ。久賀さんはしっかりと生きてるから大丈夫。さっき無線あったし。

湯藤:違うんですか、残念ですね。あんなの居ない方がいいんですけど。国にと

   って害悪。

雪村:いつか罰あたるよ、君? 死にたいの? 心で思ってても、口には出さな

   いの。

湯藤:で、聞きたいことって何ですか? 用は早く済ませてください。車輌整備

   もまだ終わってないんですからね?

雪村:あ、そうだった。いや、最近ね、久賀さんが本部に戻ってから姿を暗ます

   んだよ。隊庁舎にもいないし、警庁舎にも、グラウンドにも、食堂にも、

   倉庫にも。そして、ここにも。

湯藤:姿を暗ます? 本部から? だとしたら、確かに妙ですね。

雪村:そう。それで、将一くんなら久賀さんの居場所、知ってるんじゃないかな

   あ、って思ってさ。寄ってみたってわけなんだよね?

湯藤:僕なら久賀さんの居場所が分かる、ですか。どうして、そう思ったんです

   か? まさか、僕が久賀さんの直属の部下だからですか? それとも僕が

   駐屯地切っての情報通だから、ですか?

雪村:うん、両方、だね。


 お互いに顔を合わせながら怪訝な顔をする


雪村:いや、ほら。何でも知ってるじゃん! ね? 食堂の裏メニューとか、軍

   事の裏情報網を作ったのも君だって聞いたよ?

湯藤:ほんと、雪村さんって、僕より飄々としてますよね。憧れます。

雪村:それはありがと。

湯藤:生まれつきですか?

雪村:それは悪口だね?

湯藤:後天性ですか。

雪村:その納得も失礼。

湯藤:久賀さんの居場所に関しては「知らない」が妥当ですね。あの人は夢遊病

   のようにウロウロといなくなりますから。というか、さっき無線あった

   んですよね? 居場所の見当くらい──。

雪村:「妥当」というのは?

湯藤:おや、引っかかりましたか? 引き伸ばしたつもりだったんですが。

雪村:ごめんね、引っかかるつもりはなかったんだけど、つい。

湯藤:でも、引っかったのなら、仕方ないですね。

雪村:引き上げてくれるんだね? この疑問を。

湯藤:針のついた魚を泳がせておくなんて、呪わしいですからね。それに、雪村

   さんも僕の上官。あまり無理に隠す必要も、多分ないですから。

雪村:まったく、よくできた部下を持ったものだよ。

湯藤:こんな僕が「よくできた部下」ですか。自分で言うのも何ですが、それは

   目が腐ってると思いますよ。(小声)いや、腐ってるのはもともとか。

雪村:で、久賀さんの居場所は?


湯藤:「生命化学研究所」だと思いますけどね。真偽は定かではないです。五分

   五分です。

雪村:それは、どういうこと?

湯藤:いや、先日、僕の同期である「古住」という研究員がそれらしいことを口

   走っていたんですよ。それを耳にした、というだけです。実際に、そこに

   久賀さんが向かったかどうかは確認してませんけど。いると思いますよ?

   どうですか、安全運転、指差し確認の雪村さんはこの話、信じますか?

雪村:古住っちの話かあ。なるほどねぇ。

湯藤:古住っち? もしかして、彼女を知っているんですか?

雪村:知ってるよ! 寡黙な子でしょ? 最近、よく話すようになったんだ。カ

   ルボナーラが好きらしいよ? (笑いながら)この話は信じる?

湯藤:信じませんよ。カルボナーラを好きな料理に挙げる大人なんていませんか

   ら。カルボナーラは子どもの料理ですよ、雪村さん。

雪村:すごい偏見だね、相変わらず。美味しいけどね、カルボナーラ。

湯藤:カルボナーラ、ねぇ。

雪村:よし、決めた。私は信じるよ、将一くんの話。

湯藤:へぇ。奇遇ですね、雪村さん。僕も信じたんですよ、この話。(少しの

   間)どうですか、雪村さん? 一緒に研究室に乗り込んで、サプライズ、

   ってのは。


雪村:ふーん。ということは、君も「久賀さんが何を企んでいるか」見当がつい

   てる、ってことなんだね。

湯藤:当たり前です。直属の部下ですよ? いろいろと直接聞かされてはいます

   から。「変な話」を嫌というほどね。

雪村:久賀さんは何て?

湯藤:それは言いません。あくまでも僕の情報です。雪村さんも情報は自分で集

   めてください。基本ですよ? 開示しろと言うなら、僕を久賀さんより

   も上の立場にするよう推薦状を書いてください。

雪村:んー、ケチだよね、将一くんは。

湯藤:もしくは、雪村さんの好きな人、教えてくれるでもいいですよ? 誰です

   か?

雪村:言うわけないでしょ? バーカ。

湯藤:言わない、ってことは、いるんですね。

雪村:どうでしょうねぇ?

湯藤:で、一緒に乗り込んでくれるんですか?

雪村:いいや、それはないかな。

湯藤:どうしてですか?

雪村:どうしてって、「奴」の暴走を止めるのは私の役目だから。将一くんを巻

   き込むわけにはいかないよ。そうだ! ほら、将一くんは古住っちを守っ

   てよ。彼女は必ず捨て駒にされる。久賀さんの目的が完遂されれば、口封

   じで殺される。だから──。

湯藤:あなたの「父」のように、ですか?


 雪村の表情が曇る


雪村:な、なんで。

湯藤:雪村甲三(こうぞう)。彼はあなたの父で、久賀さんに殺された同駐屯地

   の軍人。ですよね? 

雪村:(少しの間)どこでそれを? 私以外その話は──。

湯藤:やっぱり、そうですか。苗字で気付きますよ。あんな珍しい苗字で気付か

   ない方が無理がありますって。殺されたかどうかは推測でしたけど。

雪村:意地悪だよね、将一くんって。

湯藤:雪村さんはいつ乗り込むつもりなんですか?

雪村:さぁね。自分でいいかなぁと思ったら、乗り込むよ。父さんみたいに

   ね。

湯藤:まだ決めてないんですね。

雪村:というと、将一くんも何か作戦があるんだね?

湯藤:相変わらず鋭いですね。まぁ、部下という立場を利用した作戦が一つあり

   ます。

雪村:へぇ、面白そうだね。後でこっそり教えてよ。

湯藤:嫌ですよ。何で教えないといけないんですか。

雪村:えー。何で? 久賀さんには言わないよ?

湯藤:だとしてもです。あなたには絶対に教えませんので。

雪村:ケチくさいね。

湯藤:お互い様ですから。

雪村:それどういう意味?

湯藤:文字通りです。


 一方、研究室の最奥で



古住:(溜め息)奏大(かなた)。どうして君は久賀さんの言うことを信じた

   の? どうして、なの? 私があんなこと言ったから?


 釘沼は液体の中で眠っている

 古住の回想


古住:「研究」、ですか?

久賀:あぁ、そうだ。世界を救う研究なんだが、どうだ? 加わってみないか、

   古住くん。

古住:え、まぁ、研究ということであれば、手伝うことはできると思いますが。

   私は製薬しか──。

久賀:本当か、古住くん! いやー、君がいれば心強いな。薬学に精通した君

   ならこの研究も成功へ導いてくれる。これで何人もの人間が救われる。こ

   れから、少しうちの研究室に来て貰えるか?

古住:は、はい、大丈夫ですが。「多くの人が救われる」とは、一体どのような

   研究を? 

久賀:あぁ、それなんだが、詳しくは研究室に来てくれ。その時に話そう。

古住:はぁ、分かりました。それではそのように。


 場面転換


古住:久賀さん! 「人体実験」って、どういうことですか?! 薬の開発だと

   言うから協力を名乗り出たのです! これを研究とは言いません! 今す

   ぐこの実験は中止してください!! お願いします!!

久賀:(少し笑って)まぁまぁ、そんなに大声を出すな、古住くん。君も研究は

   大好きだろう? これは人の役に立つ研究だ。それをどうして中止しろと

   言うんだね、君は?

古住:将来的に人の役に立つ実験だとしても、人の身体を使って実験をするのは

   倫理的に問題ですし、軍の信頼にも関わります! 早急に取り下げるべき

   です! 「彼」は私が責任持って家へ送り届けますので!

久賀:古住くん。君は何も分かっていないよ。

古住:はい?

久賀:人の役に立つことには、人での実験が少なからず必要なんだ。薬の開発も

   同じだったろう? 実験体がいなけりゃあ。(少しの間)これが何か分か

   るか?

古住:それは、私の家族の──。

久賀:君が協力すると言うなら、見逃してやろう。だが、もし、協力しないと言

   えば、分かるな?

古住:──どういう、何をするつもりですか?


久賀:何故だ!! お前が一流の薬学者だと聞いたから、軍事費用を割いてまで

   君に金を回していると言うのに?! 何故、私の要望に何一つ答えられな

   い! 「再生」の研究だ! 君にとっては難しいことでもなんでもないだ

   ろう?!

古住:申し訳ありません。私の力不足で──。

久賀:謝れば済むとでも思っているのか?! 

古住:申し訳ありません。しかし、私一人では──。

久賀:黙れ!! 私に口答えをするのか? 早く「やる」んだよ、お前は。私の

   夢を叶える「人形」なんだよ。分かったら、早くしろ。「K00124-β」。

   こんな不完全なウイルスで私の夢が叶うと思っているのか?!

古住:申し訳ありません! 必ず──!

久賀:アイツらが殺されてもいいのか? お前のせいで、実験体を増やしたって

   いいんだぞ?

古住:それは──! 


 古住の回想おわり



古住:「感染力」だなんて。それはもう、生物兵器の開発に変わりない。生物兵

   器を作り出すことが私の「夢」だった? 私は今、本当に正しいことがで

   きているんだろうか、奏大。

湯藤:(少しの間)どうだろうね。正しいのかは分からないと思うよ。

古住:そうだよね。奏大もそう思っ──。

湯藤:うんうん。僕は将一だけど。

古住:湯藤くん?! なんで──!

湯藤:うるさいよ、古住。なんでそんなにキンキンとした声なの君は。

古住:湯藤くん、どうしてここに? ここは関係者以外立ち入り禁止なんだけ

   ど? 

湯藤:まぁ、僕ら同期なんだし、関係者って言っても過言じゃあないよね?

古住:過言です。実験体にされたい?

湯藤:あー、嘘、嘘。君のことが心配になってね。最近、食堂とかでも見かけな

   くなったし。で、近くを通ったから寄ってみただけだよ。誰かさんみたい

   にね。

古住:へー。近くね。ここの近くに湯藤くんの好きそうなものないけど。

湯藤:うーん、信じてもらえないかー。そりゃあそうだよね。

古住:まさか、「奏大」に用があって来たの? なら帰って。今は眠ってるの。

湯藤:そうだねー。うん。あー、それじゃあ、単刀直入に言うよ。分かりやす

   く、端的にね。

古住:何?

湯藤:(少しためて)僕とデートをしよう。

古住:はい?

湯藤:ほら、最近、古住、研究に精を出し過ぎてて休んでる様子がないから。気

   晴らしに、デートをしよう、って言いに来たんだよ。ね? 悪くない提案

   でしょう? ほら、何処に行きたい?

古住:な、何言ってるの、湯藤くん。湯藤くんこそ訓練のし過ぎで休めてないん

   じゃない? ネジ拾って来ようか?

湯藤:失礼だなぁ。

古住:そ、それに、私はまだ「やらなきゃいけないこと」があるから、ここを出

   ることはできないの。で、デートの誘いだって、どうせ嘘なんでしょ?

   この前もプレゼントがあるって言って嘘だったし。

湯藤:あー、プレゼントって言って仕事押し付けたことあったね。(少しの間)

   いやでも、デートは本気なんだよね。僕が本気で誘ってもダメかな?

古住:ど、どちらにしても、今は無理! 忙しいから。──ごめん。

湯藤:あー、でも、もう、予約しちゃってるんだよねぇ? やめとく?

古住:は、はあ?! 何で──!

湯藤:いや、絶対この誘いには乗ってくれると踏んでたし、なら早めに予約して

   おこうと思って。

古住:どこに勝算を見出したの? というか、私と湯藤くんって「ここ」に入っ

   たタイミングが同じだったってだけの関係じゃなかった? 深い思い入れ

   なんて、私にはないんだけど。

湯藤:酷いねー。僕は仲良い同期と思ってたんだけどなあ。僕だけだったのはシ

   ョックだなあ、うん。

古住:で、どこを予約したの?

湯藤:どこって? 来ないんでしょ?

古住:いいから!

湯藤:市内の高級フランス料理店。有名人御用達。『ボー・ボワ』のフルコー

   ス。

古住:す、すごいところ。いつ?

湯藤:明日の夕方。

古住:明日あ?

湯藤:そりゃあ。早い方がいいと思ったし?

古住:自分勝手だねー。うーん。

湯藤:でも、場所も日程も聞くってことは、デートには付き合ってくれるってこ

   とでいいの? まさか、時間まで聞いて「いや、いいです」はないよね?

   思わせぶりな罪な女、なんてことないよね?

古住:ぐ。

湯藤:まあ、僕に深い思い入れもないんだし、たかが高級フランス料理店でなび

   く女でもないよね。残念だなー、僕が料金全部負担する予定だったんだけ

   ど、仕事があるなら仕方ない。

古住:でも、ま、まぁ、折角の、『ボー・ボワ』のフルコースなんて、キャンセ

   ルするのも申し訳ないでしょ? キャンセル料もかかるだろうし。

湯藤:そうだね。フルコース料金の半額は払わないとダメだろうね。まぁ、来て

   くれるっていうなら話は別なんだけどね?

古住:ででで、でも、今日は少し籠るから。本当にやらなきゃいけないことがあ

   って、手を離せないから。

湯藤:さっきから大分、手は浮いてるけどね。僕との会話も悪くない? 魅力的

   な容姿に目を奪われて──。

古住:うるさい。

湯藤:あーあー、すみませんね。

古住:で、来た理由ってそれだけ?

湯藤:うん、それだけだよ?

古住:え、本当に言ってるの?

湯藤:本当だよ。言ったでしょ? 本気だって。じゃあね。明日、可愛くしてき

   てね? 待ってるから。

古住:え?! (小声)可愛く? (普通のトーン)いや、やっぱりダメだよ。

   あんなことした私が幸せを享受しようだなんて。よくないよ。(少しの

   間)ごめん、湯藤くん。



古住:ゾンビ映画にありそうなシーン



湯藤:(溜め息)これで、古住は安全、っと。で、次は。あ、「あれ」聞くの忘

   れたなぁ。まぁ、また後で古住に会う口実ができたと思えば──。

雪村:あのー、将一くん?

湯藤:あれ、いたんですか? 気付きませんでした。

雪村:君さ、私は「古住っちを守ってほしい」とは言ったけど、「古住っちを個

   人的なデートに誘っていい」とは言ってないよね? どういうつもり? 

湯藤:いいじゃないですか。確実に研究所から離れさせるためには、それなりの

   理由があった方がいいんですから。それにちゃんと「オッケー」もらいま

   したから、明日、研究所は誰もいませんよ。

雪村:「オッケー」もらったの?

湯藤:はい。当然ですよ。古住が僕の誘いを断るわけないじゃないですか。

雪村:何たる自信。「オッケー」は古住っちから? 将一くんが強制したのでは

   なく?

湯藤:はい。

雪村:許されない。


湯藤:大丈夫ですよ。古住の目当ては僕と言うより、フランス料理店の方ですか

   ら、きっと。

雪村:カルボナーラ、参考にしたんだ?

湯藤:どうでしょうね?

雪村:(溜め息)なんで、私には奢ってくれないんだろう? 世話になっている

   先輩だろうに。神様あ、不公平です。

湯藤:先輩に奢るわけないじゃないですか。寧ろ、僕に奢ってくださいよ、先輩

   として。

雪村:とにかく! 古住っちに指一本でも触れようものなら承知しないからね!

   そのとき用の訓練メニューでも用意しておこうかな。

湯藤:他人の恋路に口出しするなんて、なんて先輩でしょうか。惨めですね。

雪村:何とでも言いなさい。「女の子を守れるのは女の子だけ」なんだから。

湯藤:どの辺が女の子なんですか、あなたの。

雪村:こら、それはご時世的によくないよ?


湯藤:ところで、研究所を空にするのにはどういった意図があるんですか?

雪村:「作戦の一つ」、かな。

湯藤:あー、流石にそこまでは教えてくれないんですね。

雪村:だって、君も教えてくれなかったからね。

湯藤:「千歳さん」って呼んでもダメですか?

雪村:今更、色仕掛け? それは古住っちにしてあげな? 下の名前なんて言っ

   たかな。忘れちゃったけど。

湯藤:そんな変な呼び方してるからですよ。

雪村:ま、明日ですべて終わらせるから、ちゃんと見ててね、将一くん。私の有

   志。

湯藤:生憎、明日は古住の顔を見ないといけないんで、雪村さんの方までは。

雪村:あーそうですか。幸せそうでいいですね!

湯藤:でも、これ以上、悪化しないことを祈っているのは本当ですよ。心の底か

   ら──。

雪村:はいはい。任せてよ。なるべく、「君たち」には苦労かけないようにする

   からさ。それこそ、先輩としてね。


 翌日


久賀:古住くんはいるか? どうした、こんな時間に呼び出したりして。何か問

   題でも起きたか?

古住:あー、久賀さん、少々、そこで、お待ちください。

久賀:分かった。早くしてくれ。

古住:今、そちらに、向かいますので。

久賀:そう言えば、君はいつも私を呼び出しては問題を増やすな。また、どうせ

   今日も問題を増やすんだろう? それとも、何か? 感染力については断

   念しろと、そう言いたいのか?

古住:あー、久賀さん、少々、そこで、お待ちください。今、そちらに、向かい

   ますので。

久賀:ん? 何だ?

古住:あー、久賀さん、少々、そこで、お待ちください。今、そちらに、向かい

   ますので。

久賀:お、お前。どうしてここにいるんだ。

古住:あー、久賀さ──。


 雪村がレコーダーテープを止める


雪村:ここに古住という研究員はいませんよ。

久賀:雪村。


雪村:おや? 私のことを知っているんですね。だとしたら、話が早いです。自

   己紹介も省けますし、ねぇ、久賀さん。

久賀:古住はどうした? さっきの声は録音か?

雪村:古住という研究員の方なら、研究に嫌気が差したようで、先ほどそこで首

   を吊っていました。ご冥福をお祈りします。

久賀:何だと。

雪村:さっきの声はその遺体の傍にあった「遺言の録音テープ」と「研究報告の

   ビデオ」の部分部分を、継ぎ接いで作ったレコーダーテープで、それをこ

   れで流しただけです。

久賀:く、釘沼は。釘沼はどこに──。

雪村:(笑い声)そんなに慌てなくてもいいじゃないですか。彼ならまだ研究途

   中ですよ、「まだ」ね。幸せな夢を見ていることでしょう。

久賀:雪村、お前、何をする気だ?

雪村:それはこっちのセリフだよ、クソジジイ。何を企んでいやがる。

久賀:お、お前。

雪村:私の「父親を殺して」まで、成し遂げようとしたことだ。さぞ立派なんだ

   ろうなぁ?


久賀:ああ、そうだ。そうだとも! 生物兵器の試験運用だよ。それも「軍隊と

   して」統制するという国を挙げた一大プロジェクトだ!!

雪村:生物兵器? 国を挙げた?

久賀:そうだ! 殺されても立ち上がる、まるでゾンビのような最強の軍隊の試

   験運用だとも!! 正確にはすぐに傷が塞がるようなサイクルを生む細胞に

   よって人体強化を図る。不死身の軍隊というわけだ。

雪村:やっぱり、お前は「クソ」だ。こんな馬鹿げたことの為に、古住という研

   究員を「拉致」し、同僚である私の父を殺害。一般人である「釘沼」とい

   う青年を被検体として試用し、さらには、国民さえ危険に晒そうとしてい

   るのか!!


久賀:「馬鹿げたこと」だと?

雪村:ん? 何か違うか? 馬鹿げたことだろ! なんで、軍隊は戦争におい

   て「どのようにして相手を殺すか」ばかり追及するんだ?! 逆だろ?! 追

   及すべきは「どうすれば相手を殺さないで済むか」なんじゃないのか?!

   和平の道だろ! お前がしてるのは「研究」じゃない。紛れもない「戦

   争」だ! 自己満足だ! そんな奴が軍人だ? しかも、司令官だ? 笑

   わせるな!

久賀:(大きな声で笑って)自己満足か。そうだとも。それがどうした、雪村。

   私の同僚はもう誰一人いない。寝食を共にした掛け替えのない大切な仲間

   は、敵の砲弾に骨ごと砕かれたものだ。運良く私だけが生き残った。生き

   残った末がこのザマだ。それだけじゃないぞ!? 私の最愛の妻も戦争で死

   んだ! 娘が生まれるはずだった。戦禍の火の粉が家族に飛ばないよう

   に、私たちは全力を尽くした。だが、人間の命は呆気ない。私の家は街ご

   と消えていたよ。ほら、私の大切なものはいつもすぐに「死ぬ」んだよ。

   泡のように生まれては消えていく。そんな彼らをもう死なせない。死なせ

   てなるものか。この人間としての想いのどこが「馬鹿げている」と言うん

   だ!! 私がしているのは敵国を殺す研究じゃない!! 守るべき者を守る研

   究だ!! その何が「馬鹿げている」んだ!! お前ら他人に分かられてたま

   るか。理解されるものか。失わないために人間性ですら失ってでも──。

雪村:なら、何で、お前は「守る」ことができなかったんだ!! 言っていること

   が矛盾してるんだよ、さっきからさあ!! 

久賀:どこがだ!! 守るための研究だと言ってるだろ!! もう誰一人として欠け

   させない、そのために私は精を尽くして──!

雪村:それなら、どうして?! どうして、あなたの同僚だった「私の父」は守れ

   なかったんですか!! 親友だったんですよね?! 大切な人、守るべき人だ

   ったんじゃないんですか?!

久賀:(我に返って)!


雪村:私の父は、あなたの暴走を止めようとしませんでしたか? あなたのこと

   を守ろうと、しませんでしたか? きっと、あなたの研究を否定、しまし

   たよね? 

久賀:どうして、それを。そのことは、誰にも。

雪村:やっぱり。私の父は昔っから曲がったことが嫌いでしたから。それくらい

   見当が付きます。私が軍人になることを断固と反対していたのも父です

   し。だから、何となくそう思っただけです。

 

 沈黙していた久賀が話し出す


久賀:甲三は私が初めて作った「K00001-α」という試験品を見るなり、床に叩

   き落とした。「戦争はこんなもので終わらせることはできない。必要なの

   は和解だ」と言ってな。私は床に染み込んだ試験品の跡をただ眺めるしか

   なかった。

雪村:父の言いそうなことです。そうまでして、あなたを守ろうとしたんです

   よ。そんな父をあなたは手にかけた。親友だったんですよね? 少なくと

   も、私の父はあなたのことを──。


久賀:いや、違う!! 甲三は仲間や家族を失ったことがないから、簡単にあんな

   ことが言えた。私の未来はあの「戦争」を境に真っ暗になったが、甲三の

   未来はまだ明るかった。私とは比べ物にならなかった。その中で、大切な

   ものを守ろうと奔走する私のことを蔑視していたんだ!

雪村:父がそんなこと──!

久賀:いいや、お前の父親は蔑視していた。笑ったんだ。私が「守るための研究

   だ」と言った時にな。「これがか?」と言って床に撒き散らした。そした

   ら、私の中で何かがプチンと切れたんだ。気付いたら、甲三は血を流して

   死んでいたよ。試験品と同じように床に染みを作りながらな。

雪村:え。

久賀:唯一最後の「親友」を! いや、親友だと思っていた! 私も「親友」だ

   と思っていたさ! ああ、私は戦争に「同僚」も「家族」も「親友」も、

   「自分自身」でさえ破壊されてしまったんだよ!! そうだろ、悪いのはい

   つも「戦争」なんだ。戦争は死を纏った大敵だ! だが、そこに「死」さ

   えなければ、目ではない! 君もそう思うだろう、雪村?! その「死」を

   戦争から失くすための研究なんだ!! 「死」がなければ、戦争をする理由

   もなくなる!! ほら、やっぱりそうだ!! 「K00742-β」! それが未来

   永劫、この世界から戦争を無くす! そうだろう? なぁ、釘沼ぁぁぁ!!


 と言って、久賀が釘沼に走り寄る


雪村:待て、久賀! それに触れるな! それはまだ!!


久賀:(大きな声で笑って) ほーら、解放だ、釘沼ぁぁあ!! 暴れて来い、盛

   大にな!! そして、全人類から「死」を奪ってやるんだ! もう、怖くな

   いぞ、ってな! それが私たち人間の一番の「幸福」だと知らしめてやる

   んだ!!

雪村:やめろ、久賀! お前、自分で何をしているか分かっているのか?! そん

   なことをすれば──!


 釘沼が薄目を開ける


釘沼:ん、んん。

久賀:起きたか、釘沼! 逃げろ、早く!、

釘沼:え。久賀、さん? ここは?

久賀:ここは研究室だ!! お前はずっと長い間、囚われていたんだよ!! だか

   ら、俺はお前を逃がすためにここへ来た! 逃げろ、釘沼!! 後は俺に任

   せるんだ!

釘沼:研究室? 囚われ、僕が? 

雪村:騙されるな、釘沼!! お前はコイツに利用されているんだ!! お前の身体

   には今──!

久賀:早くしろ、釘沼!! 古住が帰ってくる前に!

釘沼:あ、あれ? 「どうしてあなたがここに」

雪村:え。私のことを知っているのか。

久賀:早く!

釘沼:え、あ、はい!

雪村:え、おい、釘沼! 待て、釘沼!!

久賀:(怪しく笑って)「悪夢を見ている」ような顔をしているな、雪村。まぁ

   大丈夫だ。これで人間は救われる。もう誰にも屈しない、最強の軍隊がで

   きるわけだからな。

雪村:誰かを守るために、誰かを犠牲にしていいわけがない。大切なものを守る

   時に犠牲にしていいのは、自分だけだ、久賀!

久賀:お前の父親も、似たような顔をしたもんだよ。親子二代、苦虫を噛み潰し

   たようような酷い顔をしているなぁ、雪村。どんな気分だ?

雪村:お前だけは、絶対に殺す。生かしてはおかない。だが、まずは釘沼が先

   だ。

久賀:釘沼をどうにかしても同じことだ。感染は広まるさ。それが

   「K00742-β」の力。次から次へと宿主を移動する。「感染する」んだ

   よ。そうやって、「死」は消されていくよ。人間のプログラムからね。

雪村:そうかい。上手く行けばいいな。

久賀:何だと?

雪村:いいえ、別に何も。私にも「守るべきもの」がある。それだけです。


 数時間前


古住:感染力をできるだけ下げてほしい?

雪村:あぁ、できないか? うーん、やっぱり上は久賀さんだけ、みたいな感

   じ? 私のお願いは聞いてくれない? あ、でも今から書き換えるなんて

   できないよね、やっぱり。

古住:あ、いえ。そ、その前に、どうして、あなたは「感染力」のことを知って

   いるんですか?

雪村:そりゃあ、湯藤という私の部下が君と久賀さんの話を盗み聴きしていたか

   らだけど。だから、話の内容は私に筒抜けだったってわけ。もちろん、私

   にだけだけどね。

古住:湯藤くんが盗み聴きを?

雪村:最低だよね。

古住:最低ですね。

雪村:嫌い?

古住:え。

雪村:そこは即答しないんだ。

古住:いえ、その。

雪村:まぁ、そういうことだから、お願いできる?

古住:まぁ、可能ですが、その結果どうなるかについては保証できませんよ?

   万が一にでも悪くなるという可能性がありますから。期待はしないでくだ

   さい。

雪村:分かってる。でも、上手くいけば多くの人間が助かるんでしょ? 未知の

   ウイルスに身体を蝕まれて死んでいくなんて、人間の本来あるべき「死」

   ではないからね。守れるものは守らないとさ。

古住:本来の死、ですか。なんとも奇妙な響きですね。

 

 作業をする古住を側で見ながら


雪村:あのね。一つ聞いておきたいことがあるんだけど、いいかな? 

古住:はい?

雪村:どうして、君は久賀さんの手下みたいなことしてるの? 優等生だったん

   でしょ?

古住:え。

雪村:気があるの?

古住:まさか。

雪村:じゃあ、人質を取られているとか?

古住:え。

雪村:即答しないってことは、当たりだね。

古住:違います! 断じて。悪いのは私で──!

雪村:古住っち! 私は君の味方でもありたい。君が守ろうとしている人は私が

   守ろうとしている人でもあるんだ! (少しの間)何があったの? 私に

   教えて。


 少し躊躇してから、徐に口を開く


古住:今から約一年前、私の研究室に久賀さんが来ました。その時、久賀さんは

   今進めている研究があるから、その研究の手伝いをしてほしいと、私に迫

   りました。当時の私は単純に研究が好きだったので、もちろん快諾しまし

   た。でも、蓋を開けてみれば、研究ではなくて「実験」の繰り返しでし

   た。しかも、人体実験です。釘沼奏大にウイルスを移植し、身体の反応や

   変化を見るというようなもの。私はすぐに実験の中止を求めました。見て

   いられませんでしたから。でも、久賀さんはただ笑って、私に私の「家族

   の写真」を見せたんです。そこには「釘沼」もいました。そしたら、私は

   逆らえなくなって、今もこうして。奏大に無理ばっかりさせて。おまけ

   に、記憶を消そうだなんて都合のいいことを──。

雪村:君は悪くないよ。

古住:いえ、私が弱いのがいけないんです。だから、自分の家族ですら守れなく

   て。釘沼にもこんな。

雪村:釘沼は君のことを恨んではいないと思うよ? そりゃあ、他人事だけど、

   家族なんでしょ? 大丈夫だって。どこかで理解してくれているよ。じゃ

   なかったら、私が説得させてあげるから。

古住:こうなってしまつと、私の「姉」としての威厳は、もうありませんね。

雪村:(少しの間)彼が苦しまないように、一部、嘘の実験データを作って守っ

   ていたというのは本当?

古住:まぁ、多少は。で、でも、久賀さんに報告したことに大きな違いはありま

   せん!! ですので、これを久賀さんには──!

雪村:大丈夫、言わないよ。言わない! 言ったでしょ? 君の味方だって。

古住:よろしくお願いします。これ以上、奏大を。

雪村:大丈夫。私がお願いしたいのは感染力を下げること、それだけだから!

   それさえあれば、たとえ、この子が外に出たって、私一人で対応でき

   る。

古住:はい。なるべく彼の持つ感染力を最低値にしておきます。

雪村:よし。ま、私からは以上だよ。じゃあ、またね。もうしばらく、君はここ

   にいてもいいよ。でも、もう少しで久賀さんが来るから、あと一時間以内

   には帰ってね。

古住:え、ちょ、それだけですか?!

雪村:ん? そうだよ? だって、私の「任務」は釘沼奏大の感染力を下げ、駐

   屯地から離脱すること、だから。まぁ、その前に一つ演技をしなきゃなら

   ないんだけどね。

古住:演技?

雪村:あ、そうそう。古住っちにもう一つお願いしたいことがある。聞いてくれ

   る?

古住:その芝居をしろ、ってことですか?

雪村:勘が鋭いね。

古住:(少し笑って)人が考えそうなことは概ね理解できます。ところで、その

   芝居というのは?

雪村:「遺言」をこのテープに読み上げてほしいんだよね。

古住:遺言ですか。

雪村:大丈夫、古住っちを殺そうとか、そういうことじゃないから、安心して遺

   言してくれていいよ。

古住:分かってますよ。で、その遺言はどこに? 今読み上げますから。

雪村:え?

古住:え?

雪村:何言ってるの、私が書くわけないでしょ? 自分で考えるの。自分の遺言

   でしょ? 私が書いたら感情も乗らないし、情報も食い違うかもしれな

   い。ね?

古住:いやでも、遺言なんて──。

雪村:いいから、いいから。

古住:わ、分かりましたよ。で、どうして遺言が必要なんですか? まさか、偽

   装工作でもするんですか?

雪村:いいや? その遺言を継ぎ接ぎして一つのテープを作る。そして、それを

   使って──。

古住:久賀さんを追い込むと、そういうわけですか?

雪村:まぁそういうわけ。

古住:継ぎ接ぎするなら、遺言である理由あります? そもそも、初めから誘い

   文句でいいのでは?

雪村:じゃあ、また明日ここに来るから、今日帰る前には録音して机の上に置い

   といてね。

古住:あ、ちょっと待ってください!!

雪村:ん?

古住:ずっと聞きたかったんですが、あなたは何者ですか?

雪村:私? 私ねー。そうだなぁ、私はただの軍人、かなー。お節介な軍人、み

   たいな。

古住:本当ですか?

雪村:うーん、やっぱり内緒かな。不思議や軍人でもいたいし。

古住:ということは、「軍人ではない」んですね?

雪村:あ、そうそう。そう言えば。

古住:何ですか?

雪村:明日、湯藤くんとのデートなんだよね? 楽しんでね? 古住っち!

古住:え?! ちょ、それも聞いてたんですか?!

雪村:盗み聴いてた! んじゃあね!

古住:ちょ、ちょっと! まだ行くかなんてハッキリと決めたわけじゃないんで

   すからね!!

雪村:大丈夫。君はきっと行くから。

古住:ん、もう!!



 しばらく後、釘沼の寝顔を見ながら



古住:奏大。私、奏大とここで会った時、ほんと、嘘だと思った。人一倍、家族

   に憧れていたんだもん、そうだよね。あんなこと言われたら。でも、こん

   なところで会いたくなかったよ。

湯藤:おーい。聞こえてるー? おーい。

古住:──っ?! 湯藤くん!? なんでここに?!

湯藤:(真剣な声で)さっき、雪村さんに何か言われたよね? 何言われたの?

古住:え、え?

湯藤:教えて。

古住:いや、「感染力」を下げて欲しいって。

湯藤:できるの? 君に。

古住:分からない。今から感染力のパラメータを動かせば、エラーが生じるかも

   しれない。もしそうなれば、明日までにその原因を見つけて修正するなん

   てことできない。

湯藤:なら──!

古住:でも、もしエラーが起きなかったら、「感染力」の低いウイルスにできる

   かもしれない。

湯藤:確率は?

古住:二割。

湯藤:どっちが?

古住:成功が。

湯藤:(少しの間)現状、どれくらいの「感染力」なの?

古住:創傷感染でのみ媒介されるようになっているはずだから、「感染力」は元

   々低いはず。傷口や粘膜から侵入が主要な感染経路。これを防げるのな

   ら。でも、奏大の様子を見るにかなり攻撃的だから心配。

湯藤:分かった。


 湯藤は釘沼のケースの操作パネルに触れる


古住:ちょっと、何して──! そのパネルは!

湯藤:僕が押した。

古住:え。

湯藤:僕が押したんだからな。

古住:いや、それは──。

湯藤:古住はこれ以上、罪を作るな。お前は今まで頑張りすぎだ。コイツもお前

   の身内。そうなんだろう?

古住:──。

湯藤:ここからは僕がお前の罪を背負うから。もうこんなところに籠って後悔に

   泣き暮れるなんてやめろ。

古住:なんでそれを──!

湯藤:赤い目で奥から出て来れば、誰だって気付くっての。僕はそういうの苦手

   なんだ。だから、これは僕の罪。いいよね?

古住:(笑いながら)ありがとう、湯藤くん。

湯藤:うん。それがいいよ。古住は威勢のいい研究者って方が似合ってる。

古住:それ、褒めてるの?

湯藤:褒めてるよ。

古住:そうなんだ。(少しの間)で? 湯藤くんの用事は?

湯藤:いや、実は「欲しいもの」があってね。お願いできるかなー、って思っ

   て。

古住:何? 私から欲しいもの?

湯藤:そう、君からの愛のキス、とかさ。君のことだろうから、どうせファース

   トキスだろうし、僕がもらってあげるよ。

古住:はい?

湯藤:なんてね。

古住:そういうの今の雰囲気に合ってないからやめた方がいいよ? 全部ぶち壊

   し。ほら、欲しいものって、「これ」でしょ? はい、どうぞ、投げる

   よ。


 カプセルを投げる


湯藤:おおっと。ふーん。なるほど、もう君もこっち側になったんだ。

古住:させたのは湯藤くんでしょ? それに、こんな違法行為、私も見逃すわけ

   ないでしょ? その薬、今投与するわけにはいかないから、湯藤くんに預

   けておくわね。「奏大のため」にもお願い。

湯藤:任せて。なるべく釘沼が苦しまないように頑張るよ。

古住:ありがとう。それが無事成功して、私の前にもう一度姿を現してくれた

   ら、ファーストキスでも何でもあげる。だから、頑張ってね、将一くん。

湯藤:へー。それは本気なの? 誘われると頑張れちゃうタイプなんだけど、

   僕。

古住:さあ。どうでしょーね?

湯藤:(軽く笑って)よし、それじゃあ、僕も準備しなくちゃいけないから、行

   くよ。君はもうここから離れて。もちろん釘沼は置いたままね。どうせ死

   なないんだから、ケーブルが何本か離れてようと大丈夫でしょ? 

古住:準備? 何の準備をするの?

湯藤:そんなの決まってるじゃん。初デートのだよ。レンタカーを借りて、予約

   を取って。

古住:湯藤君?

湯藤:冗談、冗談。久賀さんを貶める、図画工作を少し。

古住:図画工作?

湯藤:人を殺した人間を排除する。世界のルールにもあるでしょ? 目に目を、

   歯には歯を。罪には同等の罰を。

古住:ねぇ、湯藤くん? 

湯藤:何?

古住:いつも思うんだけど、「それ」に何の意味があるの?

湯藤:意味?

古住:「人を殺した人」を殺すことに何の意味があるの? ほら、その人を殺し

   たって、死んだ人は帰って来ないでしょ? それに、殺された人がそれを

   嬉しく思うのかも分からない。生者のエゴで殺すなんて、「人を殺す」動

   機は前者も後者も同じでしょ?

湯藤:僕らが人を殺す理由なんていつもエゴだよ。そこに深い理由はない。で

   も、ただ一つ共通する気持ちがあるとすれば、「嫌い」だから、かな、

古住:え。

湯藤:「嫌い」なんだ、久賀さん。上官としてね。

古住:何それ。そんな安易な理由で──。

湯藤:君はこの研究をした。

古住:──!

湯藤:それは「好き」な家族を守るためでしょ? 僕も「好きな人」を守る、そ

   のために「嫌いな人」を切る。僕はそんな人間でいい。

古住:そうかもね。だとしたら、私も久賀さんのことは嫌い、ということになる

   ね。好きな人は、うん、そうだね。

湯藤:じゃ、僕は行くよ。

古住:うん。気を付けて。

湯藤:大丈夫。釘沼奏大、君の「弟」は雪村さんにも委ねるし、まぁ、僕はずっ

   と空中にいるだろうし。

古住:また「明日」。

湯藤:うん。


 数日後


湯藤:久賀さん。ちょっと、いいですか。

久賀:どうした?

湯藤:先程、ショッピングモールの方面から救難信号を受信しました。ここから

   少し郊外へ進んだところですね。

久賀:救難信号? また何か別の電波を拾ったんじゃないのか? 古いヘリだし

   な。

湯藤:いえ、これは間違いなく救難信号です。私のヘリで向かおうと思うのです

   が、同乗してもらうことは可能ですか? 救助にあたっても上官の指示を

   仰ぎたいので。

久賀:あぁ、分かった。そしたら、渥美も──。

湯藤:いえ、久賀さんだけでお願いします。渥美のような新米が来ても役に立ち

   ませんよ。久賀さん一人の方が僕も仕事しやすいですし。

久賀:そうか? なら、そうしよう。

湯藤:ありがとうございます。「助かります」。


 一方


釘沼:(荒い息)随分走ったのに、全く見慣れた景色が見えて来ない。何処

   なんだろう、一体ここは。大きなビルばっかりだ。何処かで誰かに正

   確な場所を訊いた方がいいな。(少しの間)とにかくだ、「アイツ

   ら」を僕と同じ目に遭わすわけにはいかない。「忌々しい人間」か

   ら、この僕が守らないと。クソッ! いつもそうだ。僕らは不必要

   な者。何処にいるんだよ、藍姉さん!! クソぉぉぉぉ!!


 少しの間


釘沼:(荒い息)ん、これはショッピングモール? ば、馬鹿デカいな。やっぱ

   り「都会」なんだな、ここは。ここまで大型だと人も多いだろうし、何か

   分かるかもしれない。は、入ってみるか。



湯藤:第五話 「守るべき者」完

雪村:次回 第六話 「見捨てない」



釘沼:お、お前は。

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