第5話 「守るべき者」
湯藤:久賀さんは「争いの絶えない世界」のこと、どう思いますか?
久賀:急だな。(少し悩んで)そういうお前はどう思っているんだ、湯藤。
湯藤:僕ですか? そりゃあ、許せないでしょ? いつも一番に犠牲になるのは
僕らなんですから。僕たちの意志はそこに反映されない。国の命運を全部
僕らに委ねるなんて、間違ってますよ。
久賀:許せない、間違っている、か。そうだな。──だが、その感想ももうすぐ
覆る。我々はもう「死を恐れなくていい」段階まで来ているんだからな。
湯藤:(溜め息)また、例の話ですか?
久賀:ああ。
古住:失礼します。久賀さん、「彼」の試験が一時終了しました。一度、研究室
に来て頂くことは可能ですか?
久賀:お、古住くん、待っていたよ。首を長くしてね。分かった、行こう。今回
は、がっかりさせないでくれよ?
古住:はい。こちらです。
久賀:それじゃあ、後のことは任せたぞ、湯藤。計画通りに、な。
湯藤:はいはい、任せてくださいよ、久賀さん。(溜め息)(小声)まーた、籠
るのか。懲りないねぇ。
雪村:つまり、そろそろ始め時、ってことだよね?
湯藤:あ、いたんですか、雪村さん。今日は公欠だって聞いてましたけど?
雪村:君が気になってね。
湯藤:へえ。
雪村:それじゃあ、明日──。(身振り手振りで)
湯藤:あー、はいはい。分かってますって。
久賀:第五話「守るべき者」
古住:研究報告です。
久賀:うむ。聞こう。
古住:釘沼奏大。現在「四肢切断による行動範囲実験」、「真空による窒息等肺
機能実験」、「無限腹部貫通における内臓破裂、及び骨折の連続修復実
験」など、複数の実験を終え、「睡眠による治癒能力強化、向上実験」の
フェーズへ移っています。
久賀:それぞれ、どのような結果が出ているか聞こうか。まずは、「四肢切断に
よる行動範囲実験」の成果からだ。
古住:はい。当実験は約十二時間前に行ったもので、四肢をそれぞれ肩部、臀部
の根元から切断し、達磨の状態になったところからどれだけ可動するかを
実験したものになります。切断方法はレーザーナイフによる瞬間的なもの
で、痛覚に触れる前に切り落とすことを目的としています。
久賀:それで?
古住:結論としては「ショック死さえ乗り越えればある程度可動する」というこ
とが分かりました。
久賀:「ショック死」?
古住:はい。自身の身体的変化を受け付けられない場合に一時的に心停止、脳機
能の低下が見られるというものです。初めは本人の意識も朦朧としてお
り、ショック死と見られる状況に何度か陥りましたが、今は通常的に可動
します。
久賀:つまり、身体的変化に適応できなければ、効果はないというわけだな。
古住:少なくとも、こちらでの人為的な修復が必要になります。
久賀:なるほど。「真空による窒息等肺機能実験」はどうだ? こちらも結論か
ら聞こう。
古住:結論から言いますと、「酸素欠乏による死は有り得る」ということです
ね。細胞自体は何度も修復可能ですが、そのエネルギーの源泉を絶たれれ
ば、身体も言うことを聞かなくなるようです。
久賀:ふむ。ただ、そういった状況、「真空」なんていうのは宇宙の話だろう?
宇宙戦争に駆り出すならまだしも、地上戦をするだけの我々には特に必要
のない研究結果だな。
古住:いえ、「真空」とまでは行かずとも、酸素欠乏の症状を引き起こす場合が
あります。それが「火災」です。
久賀:「火災」か。火の酸素消費による人体への供給が減るといったパターン
か。面白い。
古住:酸素欠乏の状態では外傷に対する修復に時間がかかり、動けなくなるとい
うことが多々ありました。つまり、彼らの付近における「銃火器」の扱い
には細心の注意を払う必要があります。
久賀:分かった。次だ。
古住:次の「無限腹部貫通における内臓破裂、及び骨折の連続修復実験」につい
てはゾンビ性を確かめるための実験になります。脳以外のすべての内臓機
能を停止させた上で、どれだけ可動するか。または全身骨折などの複雑な
外傷を受けた際の動向などを観察しました。
久賀:四肢切断との違いはなんだ?
古住:見た目上は変わらないという点です。
久賀:こちらは内臓機能、つまり内部の変化に対する耐久テストというわけだ
な?
古住:そういったところです。
久賀:結果を聞こう。
古住:「内部も同じように修復は可能」です。ただ、「修復にも限度がある」こ
とも同時に分かりました。
久賀:限度? 無限に再生するように開発を頼んだと思うが? また失敗したの
か?
古住:いえ、これはどうしても越えられない「生命」としての壁で、「修復速度
を超える損傷」があった場合にはその限りではないということになりま
す。例えば、「圧死」のような重度なパターンです。
久賀:つまり、銃弾のような軽度な損傷であれば、問題ないと、そういうこと
か?
古住:はい。数十秒あれば完全に修復します。結論を言いますと、「身体の八〇
パーセント以上を同時、連続で損傷し続けると生命維持に支障が出る」と
いうことでしょうか。
久賀:なるほど。完全無欠の生命体を創造することは人間には不可能だというこ
とだな。
古住:そして、現状報告に移ります。「睡眠による治癒能力強化、向上実験」に
ついてです。こちらは治癒能力の強化と向上を目指した実験になります。
現状、これを投与されれば「睡眠」を摂る必要はなく、稼動時間に際限は
なくなります。
久賀:だとしたら、これにはどのような意図が?
古住:「修復の加速化」が可能かどうかを調査する目的で行っています。細胞の
稼動時間に抑揚をつけることで、修復速度にも抑揚をつけようと、そのよ
うな意図があります。
久賀:いつ完成する?
古住:完成、ですか?
久賀:軍事利用するための開発だと言ったはずだ。この先に見据えた戦争で利用
する。だから、完成は早ければ早いだけいい。お前の力ならできるはず
だ。いつ完成する?
古住:今はまだ試験段階ですし、あと最大でも半年は見て頂けないと。
久賀:それだと遅い。
古住:(しばらくの沈黙)
久賀:分かった。「これ」だな?
古住:何を──。
久賀:研究費の件はこちらから秘密裏に徴収しよう。いくらか宛がある。被検者
もあの孤児院に協力を得て高値で売買してもらうとしよう。被検者も多い
に越したことはないだろう?
古住:必要ありません。「彼」一人で大丈夫です。これ以上、被害者を増やすわ
けには──。
久賀:「被験者」だ! 被害者じゃない。
古住:申し訳ありません。
久賀:古住。
古住:は、はい。
久賀:一週間以内に、これに「感染力」を付けてくれ。空気感染、接触感染、飛
沫感染、媒介物感染。経路は君に委ねる。
古住:感染力? そんなことをすれば、全人類被が──、被験者になってしまい
ます。そこまでして久賀さんが手に入れたいものとは、一体何ですか?
久賀:私が手に入れたいものか。失ったものが多いからか、新しく手に入れたい
ものも数は知れている。まずは、「不死身の国」だ。軍隊のみならず、
国民が誰一人死なないのであれば、他国が我々に戦争を仕掛ける理由もな
い。ただただ自分の国民を投げ打ってまで戦争をする理由は、どんな国で
あってもないだろうからな。
古住:反対に、このウイルスを巡って戦争を招くことになりそうですが。
久賀:そうならないために、秘密裏に研究を行っているんだろう? 国の命運は
古住くん、君にかかっているというわけだよ。もし、失敗するようなこと
があれば、この国は文字通り「ゾンビ映画にありそうな──」
そのとき、古住の持つ端末のアラームが鳴る
古住:あ。
久賀:ん、なんだ? アラームか?
古住:彼の睡眠が浅くなるとアラームで知らせるように設定を組んでいまして。
鎮静を兼ねてもう一度眠らせなければならないのです。
久賀:──なぜわざわざ意図的に眠らす?
古住:そういう研究です。
久賀:虚偽はないな?
古住:もちろんです。では、失礼します。後日また研究報告を兼ねて連絡します
ので。
古住は久賀の元を離れて、アラームの方へ
久賀:(溜め息)ここまでか。
車輌整備室にて
雪村:あれ? 今日はもう訓練終わり? 案外早かったんだね、開放されるの。
湯藤:あ、お疲れ様で──(呆れて)なんだ、雪村さんですか。後ろから声掛け
ないでください。誰かと思いましたよ。
雪村:ごめんね、将一くん。偶然通り掛かってさ。
湯藤:あと、僕の苗字、忘れちゃったんですか? 僕の推薦状を出したりなんな
りと、何かと僕の名前を見る機会は多かったはずなんですけどね。
雪村:んー、どうだろう? 君こそ、私の下の名前、忘れたんでしょ? どうな
の? 雪村、に続く名前は? はい、将一くん!
湯藤:そうですね、忘れちゃいました。あんまり、下の名前とか興味ないんです
よ。藍、でしたっけ?
雪村:酷いなぁ、君は。女の子をあまりイジめるんじゃないよ? 後で痛い目に
遭うんだから。
湯藤:そうですか。ところで、何か用なんですか? 僕のいる車輌整備場にまで
「千歳さん」が足を運ぶってことは、それなりの理由があるんですよね?
家の鍵でも失くしましたか?
雪村:私をなんだと思ってるんだい、君は。
湯藤:違いました? 絶対そうだと思ったんですがね。失くしてるなら、ヘリで
でも送りますけど。
雪村:いいよ、墜ちたら怖いから。えっと、ほら、「湯藤くん」の上司の久賀さ
んのことなんだけどね。ちょっと聞きたいことがあって──。
湯藤:あー、「あの人」ね。(少しの間)うん。あの人がどうかしたんですか?
まさか、ようやっと死んだ、とかいう朗報ですか? だとしたら、ものす
ごく嬉しいんですが。明日の訓練も飛びますし、「変なこと」聞かされる
こともなくなるし。
雪村:いや、違うけど。というか、何? 久賀さんに聞かれたら殺されるよ、そ
れ。久賀さんはしっかりと生きてるから大丈夫。さっき無線あったし。
湯藤:違うんですか、残念ですね。あんなの居ない方がいいんですけど。国にと
って害悪。
雪村:いつか罰あたるよ、君? 死にたいの? 心で思ってても、口には出さな
いの。
湯藤:で、聞きたいことって何ですか? 用は早く済ませてください。車輌整備
もまだ終わってないんですからね?
雪村:あ、そうだった。いや、最近ね、久賀さんが本部に戻ってから姿を暗ます
んだよ。隊庁舎にもいないし、警庁舎にも、グラウンドにも、食堂にも、
倉庫にも。そして、ここにも。
湯藤:姿を暗ます? 本部から? だとしたら、確かに妙ですね。
雪村:そう。それで、将一くんなら久賀さんの居場所、知ってるんじゃないかな
あ、って思ってさ。寄ってみたってわけなんだよね?
湯藤:僕なら久賀さんの居場所が分かる、ですか。どうして、そう思ったんです
か? まさか、僕が久賀さんの直属の部下だからですか? それとも僕が
駐屯地切っての情報通だから、ですか?
雪村:うん、両方、だね。
お互いに顔を合わせながら怪訝な顔をする
雪村:いや、ほら。何でも知ってるじゃん! ね? 食堂の裏メニューとか、軍
事の裏情報網を作ったのも君だって聞いたよ?
湯藤:ほんと、雪村さんって、僕より飄々としてますよね。憧れます。
雪村:それはありがと。
湯藤:生まれつきですか?
雪村:それは悪口だね?
湯藤:後天性ですか。
雪村:その納得も失礼。
湯藤:久賀さんの居場所に関しては「知らない」が妥当ですね。あの人は夢遊病
のようにウロウロといなくなりますから。というか、さっき無線あった
んですよね? 居場所の見当くらい──。
雪村:「妥当」というのは?
湯藤:おや、引っかかりましたか? 引き伸ばしたつもりだったんですが。
雪村:ごめんね、引っかかるつもりはなかったんだけど、つい。
湯藤:でも、引っかったのなら、仕方ないですね。
雪村:引き上げてくれるんだね? この疑問を。
湯藤:針のついた魚を泳がせておくなんて、呪わしいですからね。それに、雪村
さんも僕の上官。あまり無理に隠す必要も、多分ないですから。
雪村:まったく、よくできた部下を持ったものだよ。
湯藤:こんな僕が「よくできた部下」ですか。自分で言うのも何ですが、それは
目が腐ってると思いますよ。(小声)いや、腐ってるのはもともとか。
雪村:で、久賀さんの居場所は?
湯藤:「生命化学研究所」だと思いますけどね。真偽は定かではないです。五分
五分です。
雪村:それは、どういうこと?
湯藤:いや、先日、僕の同期である「古住」という研究員がそれらしいことを口
走っていたんですよ。それを耳にした、というだけです。実際に、そこに
久賀さんが向かったかどうかは確認してませんけど。いると思いますよ?
どうですか、安全運転、指差し確認の雪村さんはこの話、信じますか?
雪村:古住っちの話かあ。なるほどねぇ。
湯藤:古住っち? もしかして、彼女を知っているんですか?
雪村:知ってるよ! 寡黙な子でしょ? 最近、よく話すようになったんだ。カ
ルボナーラが好きらしいよ? (笑いながら)この話は信じる?
湯藤:信じませんよ。カルボナーラを好きな料理に挙げる大人なんていませんか
ら。カルボナーラは子どもの料理ですよ、雪村さん。
雪村:すごい偏見だね、相変わらず。美味しいけどね、カルボナーラ。
湯藤:カルボナーラ、ねぇ。
雪村:よし、決めた。私は信じるよ、将一くんの話。
湯藤:へぇ。奇遇ですね、雪村さん。僕も信じたんですよ、この話。(少しの
間)どうですか、雪村さん? 一緒に研究室に乗り込んで、サプライズ、
ってのは。
雪村:ふーん。ということは、君も「久賀さんが何を企んでいるか」見当がつい
てる、ってことなんだね。
湯藤:当たり前です。直属の部下ですよ? いろいろと直接聞かされてはいます
から。「変な話」を嫌というほどね。
雪村:久賀さんは何て?
湯藤:それは言いません。あくまでも僕の情報です。雪村さんも情報は自分で集
めてください。基本ですよ? 開示しろと言うなら、僕を久賀さんより
も上の立場にするよう推薦状を書いてください。
雪村:んー、ケチだよね、将一くんは。
湯藤:もしくは、雪村さんの好きな人、教えてくれるでもいいですよ? 誰です
か?
雪村:言うわけないでしょ? バーカ。
湯藤:言わない、ってことは、いるんですね。
雪村:どうでしょうねぇ?
湯藤:で、一緒に乗り込んでくれるんですか?
雪村:いいや、それはないかな。
湯藤:どうしてですか?
雪村:どうしてって、「奴」の暴走を止めるのは私の役目だから。将一くんを巻
き込むわけにはいかないよ。そうだ! ほら、将一くんは古住っちを守っ
てよ。彼女は必ず捨て駒にされる。久賀さんの目的が完遂されれば、口封
じで殺される。だから──。
湯藤:あなたの「父」のように、ですか?
雪村の表情が曇る
雪村:な、なんで。
湯藤:雪村甲三(こうぞう)。彼はあなたの父で、久賀さんに殺された同駐屯地
の軍人。ですよね?
雪村:(少しの間)どこでそれを? 私以外その話は──。
湯藤:やっぱり、そうですか。苗字で気付きますよ。あんな珍しい苗字で気付か
ない方が無理がありますって。殺されたかどうかは推測でしたけど。
雪村:意地悪だよね、将一くんって。
湯藤:雪村さんはいつ乗り込むつもりなんですか?
雪村:さぁね。自分でいいかなぁと思ったら、乗り込むよ。父さんみたいに
ね。
湯藤:まだ決めてないんですね。
雪村:というと、将一くんも何か作戦があるんだね?
湯藤:相変わらず鋭いですね。まぁ、部下という立場を利用した作戦が一つあり
ます。
雪村:へぇ、面白そうだね。後でこっそり教えてよ。
湯藤:嫌ですよ。何で教えないといけないんですか。
雪村:えー。何で? 久賀さんには言わないよ?
湯藤:だとしてもです。あなたには絶対に教えませんので。
雪村:ケチくさいね。
湯藤:お互い様ですから。
雪村:それどういう意味?
湯藤:文字通りです。
一方、研究室の最奥で
古住:(溜め息)奏大(かなた)。どうして君は久賀さんの言うことを信じた
の? どうして、なの? 私があんなこと言ったから?
釘沼は液体の中で眠っている
古住の回想
古住:「研究」、ですか?
久賀:あぁ、そうだ。世界を救う研究なんだが、どうだ? 加わってみないか、
古住くん。
古住:え、まぁ、研究ということであれば、手伝うことはできると思いますが。
私は製薬しか──。
久賀:本当か、古住くん! いやー、君がいれば心強いな。薬学に精通した君
ならこの研究も成功へ導いてくれる。これで何人もの人間が救われる。こ
れから、少しうちの研究室に来て貰えるか?
古住:は、はい、大丈夫ですが。「多くの人が救われる」とは、一体どのような
研究を?
久賀:あぁ、それなんだが、詳しくは研究室に来てくれ。その時に話そう。
古住:はぁ、分かりました。それではそのように。
場面転換
古住:久賀さん! 「人体実験」って、どういうことですか?! 薬の開発だと
言うから協力を名乗り出たのです! これを研究とは言いません! 今す
ぐこの実験は中止してください!! お願いします!!
久賀:(少し笑って)まぁまぁ、そんなに大声を出すな、古住くん。君も研究は
大好きだろう? これは人の役に立つ研究だ。それをどうして中止しろと
言うんだね、君は?
古住:将来的に人の役に立つ実験だとしても、人の身体を使って実験をするのは
倫理的に問題ですし、軍の信頼にも関わります! 早急に取り下げるべき
です! 「彼」は私が責任持って家へ送り届けますので!
久賀:古住くん。君は何も分かっていないよ。
古住:はい?
久賀:人の役に立つことには、人での実験が少なからず必要なんだ。薬の開発も
同じだったろう? 実験体がいなけりゃあ。(少しの間)これが何か分か
るか?
古住:それは、私の家族の──。
久賀:君が協力すると言うなら、見逃してやろう。だが、もし、協力しないと言
えば、分かるな?
古住:──どういう、何をするつもりですか?
久賀:何故だ!! お前が一流の薬学者だと聞いたから、軍事費用を割いてまで
君に金を回していると言うのに?! 何故、私の要望に何一つ答えられな
い! 「再生」の研究だ! 君にとっては難しいことでもなんでもないだ
ろう?!
古住:申し訳ありません。私の力不足で──。
久賀:謝れば済むとでも思っているのか?!
古住:申し訳ありません。しかし、私一人では──。
久賀:黙れ!! 私に口答えをするのか? 早く「やる」んだよ、お前は。私の
夢を叶える「人形」なんだよ。分かったら、早くしろ。「K00124-β」。
こんな不完全なウイルスで私の夢が叶うと思っているのか?!
古住:申し訳ありません! 必ず──!
久賀:アイツらが殺されてもいいのか? お前のせいで、実験体を増やしたって
いいんだぞ?
古住:それは──!
古住の回想おわり
古住:「感染力」だなんて。それはもう、生物兵器の開発に変わりない。生物兵
器を作り出すことが私の「夢」だった? 私は今、本当に正しいことがで
きているんだろうか、奏大。
湯藤:(少しの間)どうだろうね。正しいのかは分からないと思うよ。
古住:そうだよね。奏大もそう思っ──。
湯藤:うんうん。僕は将一だけど。
古住:湯藤くん?! なんで──!
湯藤:うるさいよ、古住。なんでそんなにキンキンとした声なの君は。
古住:湯藤くん、どうしてここに? ここは関係者以外立ち入り禁止なんだけ
ど?
湯藤:まぁ、僕ら同期なんだし、関係者って言っても過言じゃあないよね?
古住:過言です。実験体にされたい?
湯藤:あー、嘘、嘘。君のことが心配になってね。最近、食堂とかでも見かけな
くなったし。で、近くを通ったから寄ってみただけだよ。誰かさんみたい
にね。
古住:へー。近くね。ここの近くに湯藤くんの好きそうなものないけど。
湯藤:うーん、信じてもらえないかー。そりゃあそうだよね。
古住:まさか、「奏大」に用があって来たの? なら帰って。今は眠ってるの。
湯藤:そうだねー。うん。あー、それじゃあ、単刀直入に言うよ。分かりやす
く、端的にね。
古住:何?
湯藤:(少しためて)僕とデートをしよう。
古住:はい?
湯藤:ほら、最近、古住、研究に精を出し過ぎてて休んでる様子がないから。気
晴らしに、デートをしよう、って言いに来たんだよ。ね? 悪くない提案
でしょう? ほら、何処に行きたい?
古住:な、何言ってるの、湯藤くん。湯藤くんこそ訓練のし過ぎで休めてないん
じゃない? ネジ拾って来ようか?
湯藤:失礼だなぁ。
古住:そ、それに、私はまだ「やらなきゃいけないこと」があるから、ここを出
ることはできないの。で、デートの誘いだって、どうせ嘘なんでしょ?
この前もプレゼントがあるって言って嘘だったし。
湯藤:あー、プレゼントって言って仕事押し付けたことあったね。(少しの間)
いやでも、デートは本気なんだよね。僕が本気で誘ってもダメかな?
古住:ど、どちらにしても、今は無理! 忙しいから。──ごめん。
湯藤:あー、でも、もう、予約しちゃってるんだよねぇ? やめとく?
古住:は、はあ?! 何で──!
湯藤:いや、絶対この誘いには乗ってくれると踏んでたし、なら早めに予約して
おこうと思って。
古住:どこに勝算を見出したの? というか、私と湯藤くんって「ここ」に入っ
たタイミングが同じだったってだけの関係じゃなかった? 深い思い入れ
なんて、私にはないんだけど。
湯藤:酷いねー。僕は仲良い同期と思ってたんだけどなあ。僕だけだったのはシ
ョックだなあ、うん。
古住:で、どこを予約したの?
湯藤:どこって? 来ないんでしょ?
古住:いいから!
湯藤:市内の高級フランス料理店。有名人御用達。『ボー・ボワ』のフルコー
ス。
古住:す、すごいところ。いつ?
湯藤:明日の夕方。
古住:明日あ?
湯藤:そりゃあ。早い方がいいと思ったし?
古住:自分勝手だねー。うーん。
湯藤:でも、場所も日程も聞くってことは、デートには付き合ってくれるってこ
とでいいの? まさか、時間まで聞いて「いや、いいです」はないよね?
思わせぶりな罪な女、なんてことないよね?
古住:ぐ。
湯藤:まあ、僕に深い思い入れもないんだし、たかが高級フランス料理店でなび
く女でもないよね。残念だなー、僕が料金全部負担する予定だったんだけ
ど、仕事があるなら仕方ない。
古住:でも、ま、まぁ、折角の、『ボー・ボワ』のフルコースなんて、キャンセ
ルするのも申し訳ないでしょ? キャンセル料もかかるだろうし。
湯藤:そうだね。フルコース料金の半額は払わないとダメだろうね。まぁ、来て
くれるっていうなら話は別なんだけどね?
古住:ででで、でも、今日は少し籠るから。本当にやらなきゃいけないことがあ
って、手を離せないから。
湯藤:さっきから大分、手は浮いてるけどね。僕との会話も悪くない? 魅力的
な容姿に目を奪われて──。
古住:うるさい。
湯藤:あーあー、すみませんね。
古住:で、来た理由ってそれだけ?
湯藤:うん、それだけだよ?
古住:え、本当に言ってるの?
湯藤:本当だよ。言ったでしょ? 本気だって。じゃあね。明日、可愛くしてき
てね? 待ってるから。
古住:え?! (小声)可愛く? (普通のトーン)いや、やっぱりダメだよ。
あんなことした私が幸せを享受しようだなんて。よくないよ。(少しの
間)ごめん、湯藤くん。
古住:ゾンビ映画にありそうなシーン
湯藤:(溜め息)これで、古住は安全、っと。で、次は。あ、「あれ」聞くの忘
れたなぁ。まぁ、また後で古住に会う口実ができたと思えば──。
雪村:あのー、将一くん?
湯藤:あれ、いたんですか? 気付きませんでした。
雪村:君さ、私は「古住っちを守ってほしい」とは言ったけど、「古住っちを個
人的なデートに誘っていい」とは言ってないよね? どういうつもり?
湯藤:いいじゃないですか。確実に研究所から離れさせるためには、それなりの
理由があった方がいいんですから。それにちゃんと「オッケー」もらいま
したから、明日、研究所は誰もいませんよ。
雪村:「オッケー」もらったの?
湯藤:はい。当然ですよ。古住が僕の誘いを断るわけないじゃないですか。
雪村:何たる自信。「オッケー」は古住っちから? 将一くんが強制したのでは
なく?
湯藤:はい。
雪村:許されない。
湯藤:大丈夫ですよ。古住の目当ては僕と言うより、フランス料理店の方ですか
ら、きっと。
雪村:カルボナーラ、参考にしたんだ?
湯藤:どうでしょうね?
雪村:(溜め息)なんで、私には奢ってくれないんだろう? 世話になっている
先輩だろうに。神様あ、不公平です。
湯藤:先輩に奢るわけないじゃないですか。寧ろ、僕に奢ってくださいよ、先輩
として。
雪村:とにかく! 古住っちに指一本でも触れようものなら承知しないからね!
そのとき用の訓練メニューでも用意しておこうかな。
湯藤:他人の恋路に口出しするなんて、なんて先輩でしょうか。惨めですね。
雪村:何とでも言いなさい。「女の子を守れるのは女の子だけ」なんだから。
湯藤:どの辺が女の子なんですか、あなたの。
雪村:こら、それはご時世的によくないよ?
湯藤:ところで、研究所を空にするのにはどういった意図があるんですか?
雪村:「作戦の一つ」、かな。
湯藤:あー、流石にそこまでは教えてくれないんですね。
雪村:だって、君も教えてくれなかったからね。
湯藤:「千歳さん」って呼んでもダメですか?
雪村:今更、色仕掛け? それは古住っちにしてあげな? 下の名前なんて言っ
たかな。忘れちゃったけど。
湯藤:そんな変な呼び方してるからですよ。
雪村:ま、明日ですべて終わらせるから、ちゃんと見ててね、将一くん。私の有
志。
湯藤:生憎、明日は古住の顔を見ないといけないんで、雪村さんの方までは。
雪村:あーそうですか。幸せそうでいいですね!
湯藤:でも、これ以上、悪化しないことを祈っているのは本当ですよ。心の底か
ら──。
雪村:はいはい。任せてよ。なるべく、「君たち」には苦労かけないようにする
からさ。それこそ、先輩としてね。
翌日
久賀:古住くんはいるか? どうした、こんな時間に呼び出したりして。何か問
題でも起きたか?
古住:あー、久賀さん、少々、そこで、お待ちください。
久賀:分かった。早くしてくれ。
古住:今、そちらに、向かいますので。
久賀:そう言えば、君はいつも私を呼び出しては問題を増やすな。また、どうせ
今日も問題を増やすんだろう? それとも、何か? 感染力については断
念しろと、そう言いたいのか?
古住:あー、久賀さん、少々、そこで、お待ちください。今、そちらに、向かい
ますので。
久賀:ん? 何だ?
古住:あー、久賀さん、少々、そこで、お待ちください。今、そちらに、向かい
ますので。
久賀:お、お前。どうしてここにいるんだ。
古住:あー、久賀さ──。
雪村がレコーダーテープを止める
雪村:ここに古住という研究員はいませんよ。
久賀:雪村。
雪村:おや? 私のことを知っているんですね。だとしたら、話が早いです。自
己紹介も省けますし、ねぇ、久賀さん。
久賀:古住はどうした? さっきの声は録音か?
雪村:古住という研究員の方なら、研究に嫌気が差したようで、先ほどそこで首
を吊っていました。ご冥福をお祈りします。
久賀:何だと。
雪村:さっきの声はその遺体の傍にあった「遺言の録音テープ」と「研究報告の
ビデオ」の部分部分を、継ぎ接いで作ったレコーダーテープで、それをこ
れで流しただけです。
久賀:く、釘沼は。釘沼はどこに──。
雪村:(笑い声)そんなに慌てなくてもいいじゃないですか。彼ならまだ研究途
中ですよ、「まだ」ね。幸せな夢を見ていることでしょう。
久賀:雪村、お前、何をする気だ?
雪村:それはこっちのセリフだよ、クソジジイ。何を企んでいやがる。
久賀:お、お前。
雪村:私の「父親を殺して」まで、成し遂げようとしたことだ。さぞ立派なんだ
ろうなぁ?
久賀:ああ、そうだ。そうだとも! 生物兵器の試験運用だよ。それも「軍隊と
して」統制するという国を挙げた一大プロジェクトだ!!
雪村:生物兵器? 国を挙げた?
久賀:そうだ! 殺されても立ち上がる、まるでゾンビのような最強の軍隊の試
験運用だとも!! 正確にはすぐに傷が塞がるようなサイクルを生む細胞に
よって人体強化を図る。不死身の軍隊というわけだ。
雪村:やっぱり、お前は「クソ」だ。こんな馬鹿げたことの為に、古住という研
究員を「拉致」し、同僚である私の父を殺害。一般人である「釘沼」とい
う青年を被検体として試用し、さらには、国民さえ危険に晒そうとしてい
るのか!!
久賀:「馬鹿げたこと」だと?
雪村:ん? 何か違うか? 馬鹿げたことだろ! なんで、軍隊は戦争におい
て「どのようにして相手を殺すか」ばかり追及するんだ?! 逆だろ?! 追
及すべきは「どうすれば相手を殺さないで済むか」なんじゃないのか?!
和平の道だろ! お前がしてるのは「研究」じゃない。紛れもない「戦
争」だ! 自己満足だ! そんな奴が軍人だ? しかも、司令官だ? 笑
わせるな!
久賀:(大きな声で笑って)自己満足か。そうだとも。それがどうした、雪村。
私の同僚はもう誰一人いない。寝食を共にした掛け替えのない大切な仲間
は、敵の砲弾に骨ごと砕かれたものだ。運良く私だけが生き残った。生き
残った末がこのザマだ。それだけじゃないぞ!? 私の最愛の妻も戦争で死
んだ! 娘が生まれるはずだった。戦禍の火の粉が家族に飛ばないよう
に、私たちは全力を尽くした。だが、人間の命は呆気ない。私の家は街ご
と消えていたよ。ほら、私の大切なものはいつもすぐに「死ぬ」んだよ。
泡のように生まれては消えていく。そんな彼らをもう死なせない。死なせ
てなるものか。この人間としての想いのどこが「馬鹿げている」と言うん
だ!! 私がしているのは敵国を殺す研究じゃない!! 守るべき者を守る研
究だ!! その何が「馬鹿げている」んだ!! お前ら他人に分かられてたま
るか。理解されるものか。失わないために人間性ですら失ってでも──。
雪村:なら、何で、お前は「守る」ことができなかったんだ!! 言っていること
が矛盾してるんだよ、さっきからさあ!!
久賀:どこがだ!! 守るための研究だと言ってるだろ!! もう誰一人として欠け
させない、そのために私は精を尽くして──!
雪村:それなら、どうして?! どうして、あなたの同僚だった「私の父」は守れ
なかったんですか!! 親友だったんですよね?! 大切な人、守るべき人だ
ったんじゃないんですか?!
久賀:(我に返って)!
雪村:私の父は、あなたの暴走を止めようとしませんでしたか? あなたのこと
を守ろうと、しませんでしたか? きっと、あなたの研究を否定、しまし
たよね?
久賀:どうして、それを。そのことは、誰にも。
雪村:やっぱり。私の父は昔っから曲がったことが嫌いでしたから。それくらい
見当が付きます。私が軍人になることを断固と反対していたのも父です
し。だから、何となくそう思っただけです。
沈黙していた久賀が話し出す
久賀:甲三は私が初めて作った「K00001-α」という試験品を見るなり、床に叩
き落とした。「戦争はこんなもので終わらせることはできない。必要なの
は和解だ」と言ってな。私は床に染み込んだ試験品の跡をただ眺めるしか
なかった。
雪村:父の言いそうなことです。そうまでして、あなたを守ろうとしたんです
よ。そんな父をあなたは手にかけた。親友だったんですよね? 少なくと
も、私の父はあなたのことを──。
久賀:いや、違う!! 甲三は仲間や家族を失ったことがないから、簡単にあんな
ことが言えた。私の未来はあの「戦争」を境に真っ暗になったが、甲三の
未来はまだ明るかった。私とは比べ物にならなかった。その中で、大切な
ものを守ろうと奔走する私のことを蔑視していたんだ!
雪村:父がそんなこと──!
久賀:いいや、お前の父親は蔑視していた。笑ったんだ。私が「守るための研究
だ」と言った時にな。「これがか?」と言って床に撒き散らした。そした
ら、私の中で何かがプチンと切れたんだ。気付いたら、甲三は血を流して
死んでいたよ。試験品と同じように床に染みを作りながらな。
雪村:え。
久賀:唯一最後の「親友」を! いや、親友だと思っていた! 私も「親友」だ
と思っていたさ! ああ、私は戦争に「同僚」も「家族」も「親友」も、
「自分自身」でさえ破壊されてしまったんだよ!! そうだろ、悪いのはい
つも「戦争」なんだ。戦争は死を纏った大敵だ! だが、そこに「死」さ
えなければ、目ではない! 君もそう思うだろう、雪村?! その「死」を
戦争から失くすための研究なんだ!! 「死」がなければ、戦争をする理由
もなくなる!! ほら、やっぱりそうだ!! 「K00742-β」! それが未来
永劫、この世界から戦争を無くす! そうだろう? なぁ、釘沼ぁぁぁ!!
と言って、久賀が釘沼に走り寄る
雪村:待て、久賀! それに触れるな! それはまだ!!
久賀:(大きな声で笑って) ほーら、解放だ、釘沼ぁぁあ!! 暴れて来い、盛
大にな!! そして、全人類から「死」を奪ってやるんだ! もう、怖くな
いぞ、ってな! それが私たち人間の一番の「幸福」だと知らしめてやる
んだ!!
雪村:やめろ、久賀! お前、自分で何をしているか分かっているのか?! そん
なことをすれば──!
釘沼が薄目を開ける
釘沼:ん、んん。
久賀:起きたか、釘沼! 逃げろ、早く!、
釘沼:え。久賀、さん? ここは?
久賀:ここは研究室だ!! お前はずっと長い間、囚われていたんだよ!! だか
ら、俺はお前を逃がすためにここへ来た! 逃げろ、釘沼!! 後は俺に任
せるんだ!
釘沼:研究室? 囚われ、僕が?
雪村:騙されるな、釘沼!! お前はコイツに利用されているんだ!! お前の身体
には今──!
久賀:早くしろ、釘沼!! 古住が帰ってくる前に!
釘沼:あ、あれ? 「どうしてあなたがここに」
雪村:え。私のことを知っているのか。
久賀:早く!
釘沼:え、あ、はい!
雪村:え、おい、釘沼! 待て、釘沼!!
久賀:(怪しく笑って)「悪夢を見ている」ような顔をしているな、雪村。まぁ
大丈夫だ。これで人間は救われる。もう誰にも屈しない、最強の軍隊がで
きるわけだからな。
雪村:誰かを守るために、誰かを犠牲にしていいわけがない。大切なものを守る
時に犠牲にしていいのは、自分だけだ、久賀!
久賀:お前の父親も、似たような顔をしたもんだよ。親子二代、苦虫を噛み潰し
たようような酷い顔をしているなぁ、雪村。どんな気分だ?
雪村:お前だけは、絶対に殺す。生かしてはおかない。だが、まずは釘沼が先
だ。
久賀:釘沼をどうにかしても同じことだ。感染は広まるさ。それが
「K00742-β」の力。次から次へと宿主を移動する。「感染する」んだ
よ。そうやって、「死」は消されていくよ。人間のプログラムからね。
雪村:そうかい。上手く行けばいいな。
久賀:何だと?
雪村:いいえ、別に何も。私にも「守るべきもの」がある。それだけです。
数時間前
古住:感染力をできるだけ下げてほしい?
雪村:あぁ、できないか? うーん、やっぱり上は久賀さんだけ、みたいな感
じ? 私のお願いは聞いてくれない? あ、でも今から書き換えるなんて
できないよね、やっぱり。
古住:あ、いえ。そ、その前に、どうして、あなたは「感染力」のことを知って
いるんですか?
雪村:そりゃあ、湯藤という私の部下が君と久賀さんの話を盗み聴きしていたか
らだけど。だから、話の内容は私に筒抜けだったってわけ。もちろん、私
にだけだけどね。
古住:湯藤くんが盗み聴きを?
雪村:最低だよね。
古住:最低ですね。
雪村:嫌い?
古住:え。
雪村:そこは即答しないんだ。
古住:いえ、その。
雪村:まぁ、そういうことだから、お願いできる?
古住:まぁ、可能ですが、その結果どうなるかについては保証できませんよ?
万が一にでも悪くなるという可能性がありますから。期待はしないでくだ
さい。
雪村:分かってる。でも、上手くいけば多くの人間が助かるんでしょ? 未知の
ウイルスに身体を蝕まれて死んでいくなんて、人間の本来あるべき「死」
ではないからね。守れるものは守らないとさ。
古住:本来の死、ですか。なんとも奇妙な響きですね。
作業をする古住を側で見ながら
雪村:あのね。一つ聞いておきたいことがあるんだけど、いいかな?
古住:はい?
雪村:どうして、君は久賀さんの手下みたいなことしてるの? 優等生だったん
でしょ?
古住:え。
雪村:気があるの?
古住:まさか。
雪村:じゃあ、人質を取られているとか?
古住:え。
雪村:即答しないってことは、当たりだね。
古住:違います! 断じて。悪いのは私で──!
雪村:古住っち! 私は君の味方でもありたい。君が守ろうとしている人は私が
守ろうとしている人でもあるんだ! (少しの間)何があったの? 私に
教えて。
少し躊躇してから、徐に口を開く
古住:今から約一年前、私の研究室に久賀さんが来ました。その時、久賀さんは
今進めている研究があるから、その研究の手伝いをしてほしいと、私に迫
りました。当時の私は単純に研究が好きだったので、もちろん快諾しまし
た。でも、蓋を開けてみれば、研究ではなくて「実験」の繰り返しでし
た。しかも、人体実験です。釘沼奏大にウイルスを移植し、身体の反応や
変化を見るというようなもの。私はすぐに実験の中止を求めました。見て
いられませんでしたから。でも、久賀さんはただ笑って、私に私の「家族
の写真」を見せたんです。そこには「釘沼」もいました。そしたら、私は
逆らえなくなって、今もこうして。奏大に無理ばっかりさせて。おまけ
に、記憶を消そうだなんて都合のいいことを──。
雪村:君は悪くないよ。
古住:いえ、私が弱いのがいけないんです。だから、自分の家族ですら守れなく
て。釘沼にもこんな。
雪村:釘沼は君のことを恨んではいないと思うよ? そりゃあ、他人事だけど、
家族なんでしょ? 大丈夫だって。どこかで理解してくれているよ。じゃ
なかったら、私が説得させてあげるから。
古住:こうなってしまつと、私の「姉」としての威厳は、もうありませんね。
雪村:(少しの間)彼が苦しまないように、一部、嘘の実験データを作って守っ
ていたというのは本当?
古住:まぁ、多少は。で、でも、久賀さんに報告したことに大きな違いはありま
せん!! ですので、これを久賀さんには──!
雪村:大丈夫、言わないよ。言わない! 言ったでしょ? 君の味方だって。
古住:よろしくお願いします。これ以上、奏大を。
雪村:大丈夫。私がお願いしたいのは感染力を下げること、それだけだから!
それさえあれば、たとえ、この子が外に出たって、私一人で対応でき
る。
古住:はい。なるべく彼の持つ感染力を最低値にしておきます。
雪村:よし。ま、私からは以上だよ。じゃあ、またね。もうしばらく、君はここ
にいてもいいよ。でも、もう少しで久賀さんが来るから、あと一時間以内
には帰ってね。
古住:え、ちょ、それだけですか?!
雪村:ん? そうだよ? だって、私の「任務」は釘沼奏大の感染力を下げ、駐
屯地から離脱すること、だから。まぁ、その前に一つ演技をしなきゃなら
ないんだけどね。
古住:演技?
雪村:あ、そうそう。古住っちにもう一つお願いしたいことがある。聞いてくれ
る?
古住:その芝居をしろ、ってことですか?
雪村:勘が鋭いね。
古住:(少し笑って)人が考えそうなことは概ね理解できます。ところで、その
芝居というのは?
雪村:「遺言」をこのテープに読み上げてほしいんだよね。
古住:遺言ですか。
雪村:大丈夫、古住っちを殺そうとか、そういうことじゃないから、安心して遺
言してくれていいよ。
古住:分かってますよ。で、その遺言はどこに? 今読み上げますから。
雪村:え?
古住:え?
雪村:何言ってるの、私が書くわけないでしょ? 自分で考えるの。自分の遺言
でしょ? 私が書いたら感情も乗らないし、情報も食い違うかもしれな
い。ね?
古住:いやでも、遺言なんて──。
雪村:いいから、いいから。
古住:わ、分かりましたよ。で、どうして遺言が必要なんですか? まさか、偽
装工作でもするんですか?
雪村:いいや? その遺言を継ぎ接ぎして一つのテープを作る。そして、それを
使って──。
古住:久賀さんを追い込むと、そういうわけですか?
雪村:まぁそういうわけ。
古住:継ぎ接ぎするなら、遺言である理由あります? そもそも、初めから誘い
文句でいいのでは?
雪村:じゃあ、また明日ここに来るから、今日帰る前には録音して机の上に置い
といてね。
古住:あ、ちょっと待ってください!!
雪村:ん?
古住:ずっと聞きたかったんですが、あなたは何者ですか?
雪村:私? 私ねー。そうだなぁ、私はただの軍人、かなー。お節介な軍人、み
たいな。
古住:本当ですか?
雪村:うーん、やっぱり内緒かな。不思議や軍人でもいたいし。
古住:ということは、「軍人ではない」んですね?
雪村:あ、そうそう。そう言えば。
古住:何ですか?
雪村:明日、湯藤くんとのデートなんだよね? 楽しんでね? 古住っち!
古住:え?! ちょ、それも聞いてたんですか?!
雪村:盗み聴いてた! んじゃあね!
古住:ちょ、ちょっと! まだ行くかなんてハッキリと決めたわけじゃないんで
すからね!!
雪村:大丈夫。君はきっと行くから。
古住:ん、もう!!
しばらく後、釘沼の寝顔を見ながら
古住:奏大。私、奏大とここで会った時、ほんと、嘘だと思った。人一倍、家族
に憧れていたんだもん、そうだよね。あんなこと言われたら。でも、こん
なところで会いたくなかったよ。
湯藤:おーい。聞こえてるー? おーい。
古住:──っ?! 湯藤くん!? なんでここに?!
湯藤:(真剣な声で)さっき、雪村さんに何か言われたよね? 何言われたの?
古住:え、え?
湯藤:教えて。
古住:いや、「感染力」を下げて欲しいって。
湯藤:できるの? 君に。
古住:分からない。今から感染力のパラメータを動かせば、エラーが生じるかも
しれない。もしそうなれば、明日までにその原因を見つけて修正するなん
てことできない。
湯藤:なら──!
古住:でも、もしエラーが起きなかったら、「感染力」の低いウイルスにできる
かもしれない。
湯藤:確率は?
古住:二割。
湯藤:どっちが?
古住:成功が。
湯藤:(少しの間)現状、どれくらいの「感染力」なの?
古住:創傷感染でのみ媒介されるようになっているはずだから、「感染力」は元
々低いはず。傷口や粘膜から侵入が主要な感染経路。これを防げるのな
ら。でも、奏大の様子を見るにかなり攻撃的だから心配。
湯藤:分かった。
湯藤は釘沼のケースの操作パネルに触れる
古住:ちょっと、何して──! そのパネルは!
湯藤:僕が押した。
古住:え。
湯藤:僕が押したんだからな。
古住:いや、それは──。
湯藤:古住はこれ以上、罪を作るな。お前は今まで頑張りすぎだ。コイツもお前
の身内。そうなんだろう?
古住:──。
湯藤:ここからは僕がお前の罪を背負うから。もうこんなところに籠って後悔に
泣き暮れるなんてやめろ。
古住:なんでそれを──!
湯藤:赤い目で奥から出て来れば、誰だって気付くっての。僕はそういうの苦手
なんだ。だから、これは僕の罪。いいよね?
古住:(笑いながら)ありがとう、湯藤くん。
湯藤:うん。それがいいよ。古住は威勢のいい研究者って方が似合ってる。
古住:それ、褒めてるの?
湯藤:褒めてるよ。
古住:そうなんだ。(少しの間)で? 湯藤くんの用事は?
湯藤:いや、実は「欲しいもの」があってね。お願いできるかなー、って思っ
て。
古住:何? 私から欲しいもの?
湯藤:そう、君からの愛のキス、とかさ。君のことだろうから、どうせファース
トキスだろうし、僕がもらってあげるよ。
古住:はい?
湯藤:なんてね。
古住:そういうの今の雰囲気に合ってないからやめた方がいいよ? 全部ぶち壊
し。ほら、欲しいものって、「これ」でしょ? はい、どうぞ、投げる
よ。
カプセルを投げる
湯藤:おおっと。ふーん。なるほど、もう君もこっち側になったんだ。
古住:させたのは湯藤くんでしょ? それに、こんな違法行為、私も見逃すわけ
ないでしょ? その薬、今投与するわけにはいかないから、湯藤くんに預
けておくわね。「奏大のため」にもお願い。
湯藤:任せて。なるべく釘沼が苦しまないように頑張るよ。
古住:ありがとう。それが無事成功して、私の前にもう一度姿を現してくれた
ら、ファーストキスでも何でもあげる。だから、頑張ってね、将一くん。
湯藤:へー。それは本気なの? 誘われると頑張れちゃうタイプなんだけど、
僕。
古住:さあ。どうでしょーね?
湯藤:(軽く笑って)よし、それじゃあ、僕も準備しなくちゃいけないから、行
くよ。君はもうここから離れて。もちろん釘沼は置いたままね。どうせ死
なないんだから、ケーブルが何本か離れてようと大丈夫でしょ?
古住:準備? 何の準備をするの?
湯藤:そんなの決まってるじゃん。初デートのだよ。レンタカーを借りて、予約
を取って。
古住:湯藤君?
湯藤:冗談、冗談。久賀さんを貶める、図画工作を少し。
古住:図画工作?
湯藤:人を殺した人間を排除する。世界のルールにもあるでしょ? 目に目を、
歯には歯を。罪には同等の罰を。
古住:ねぇ、湯藤くん?
湯藤:何?
古住:いつも思うんだけど、「それ」に何の意味があるの?
湯藤:意味?
古住:「人を殺した人」を殺すことに何の意味があるの? ほら、その人を殺し
たって、死んだ人は帰って来ないでしょ? それに、殺された人がそれを
嬉しく思うのかも分からない。生者のエゴで殺すなんて、「人を殺す」動
機は前者も後者も同じでしょ?
湯藤:僕らが人を殺す理由なんていつもエゴだよ。そこに深い理由はない。で
も、ただ一つ共通する気持ちがあるとすれば、「嫌い」だから、かな、
古住:え。
湯藤:「嫌い」なんだ、久賀さん。上官としてね。
古住:何それ。そんな安易な理由で──。
湯藤:君はこの研究をした。
古住:──!
湯藤:それは「好き」な家族を守るためでしょ? 僕も「好きな人」を守る、そ
のために「嫌いな人」を切る。僕はそんな人間でいい。
古住:そうかもね。だとしたら、私も久賀さんのことは嫌い、ということになる
ね。好きな人は、うん、そうだね。
湯藤:じゃ、僕は行くよ。
古住:うん。気を付けて。
湯藤:大丈夫。釘沼奏大、君の「弟」は雪村さんにも委ねるし、まぁ、僕はずっ
と空中にいるだろうし。
古住:また「明日」。
湯藤:うん。
数日後
湯藤:久賀さん。ちょっと、いいですか。
久賀:どうした?
湯藤:先程、ショッピングモールの方面から救難信号を受信しました。ここから
少し郊外へ進んだところですね。
久賀:救難信号? また何か別の電波を拾ったんじゃないのか? 古いヘリだし
な。
湯藤:いえ、これは間違いなく救難信号です。私のヘリで向かおうと思うのです
が、同乗してもらうことは可能ですか? 救助にあたっても上官の指示を
仰ぎたいので。
久賀:あぁ、分かった。そしたら、渥美も──。
湯藤:いえ、久賀さんだけでお願いします。渥美のような新米が来ても役に立ち
ませんよ。久賀さん一人の方が僕も仕事しやすいですし。
久賀:そうか? なら、そうしよう。
湯藤:ありがとうございます。「助かります」。
一方
釘沼:(荒い息)随分走ったのに、全く見慣れた景色が見えて来ない。何処
なんだろう、一体ここは。大きなビルばっかりだ。何処かで誰かに正
確な場所を訊いた方がいいな。(少しの間)とにかくだ、「アイツ
ら」を僕と同じ目に遭わすわけにはいかない。「忌々しい人間」か
ら、この僕が守らないと。クソッ! いつもそうだ。僕らは不必要
な者。何処にいるんだよ、藍姉さん!! クソぉぉぉぉ!!
少しの間
釘沼:(荒い息)ん、これはショッピングモール? ば、馬鹿デカいな。やっぱ
り「都会」なんだな、ここは。ここまで大型だと人も多いだろうし、何か
分かるかもしれない。は、入ってみるか。
湯藤:第五話 「守るべき者」完
雪村:次回 第六話 「見捨てない」
釘沼:お、お前は。
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