かなどめ堂で逢いましょう
はるかす
第1章 行きはわんわん
第1話 嵐の夜
春の嵐はひと夜で
海岸の砂つぶ、桜並木の花びらや折れた梢、商店街の色褪せたはりがみ、角のところの割れた看板やら路上のすみに放置された自転車やら、小さな町じゅう余すところなくかきまわされて、朝にはどろどろとした灰色のミックスジュースができあがりそうだった。
閉じきられていないカーテンの隙間からは、ほの白い明かりが三角に差しこむ。
こんなにも雨風が荒ぶっているのに、どうやら空には月が出ているらしかった。
風がぐるぐると低い唸り音を立てるたび、桜の花が乱暴にもぎとられていくさまが、生中継のようにまぶたの裏に浮かんだ。
(始業式は明後日……ということは、明日が入学式のはず。せっかくの特別な日に、校庭の桜がまるはだかなんてことになったら……)
哀れなのは後輩たちばかりではない。
白希第四高校は、今年度を最後に閉校することになっている。幸子たち三年生が卒業すると同時に、校庭の桜どころか、校舎まるごと跡形もなく取り壊されてしまうのだった。
たった一つのクラスなので、クラス替えなんて概念もなく、面々は変わり映えしない。
去年と同じような新学期でいて、しかし二度とは見られない景色である。そこに桜がないだなんて、あんまりなことだと思った。
ふとんの隙間から冷たい空気がはいりこまないよう、少女は慎重に背を窓に向けて、腿のあいだにそっと冷えた手を挟みこんだ。
月のまぶしさから逃れただけで、まぶたは蜂蜜を落とされたようにとろりと重くなる。
(ぜんぶ、わたしのせいだったらどうしよう……こんなひどい嵐も、桜が散ってしまうのも、学校が取り壊されちゃうのも——)
夢うつつを窓ガラスの鈍い悲鳴が遮った。
とっさにかばりと身を起こした幸子は、カーテンに切り取られたガラスを、真っ黒な翼がすべり落ちていくところを目にした。
くっきりとした血と脂のあとが残される。
声も出せず、幸子はベッドのふちまで後ずさった。いまのはカラスだろうか。窓を開けて真下をたしかめてみる勇気は出なかった。
もしもどこかにひっかかったままの死骸と目が合ってしまえば——いまも漠然と身体にのしかかっている、静電気をおびた雨雲のようなこの気配は、きっといっそうかさを増す。
そのままずぶずぶと全身をのみこまれてしまう想像をして、あわてて首を横にふった。
「——寝ちゃおう! おやすみなさい!」
こういうときはことさら明るい声を出して、むりやりにでも頭のなかを楽しいことで埋めてしまうのだと決めていた。
転びかけた気持ちをひきずれば、ひっぱられるように次から次へと新しい不幸が重なることは、いやというほど身にしみていた。
(それでもカラスがぶつかってくるなんてはじめてだったけど……)
気を抜くとまた沈みそうになる意識を、おっと、とすんでのところで引き止める。
(だめだめ、楽しいことを考えなくちゃ。新学期にすごくかっこいい先生がやってくる夢をみよう。まず髪は黒くてさらさらで、目もとはキリッと凛々しくて、それから鼻のあたりは……)
枕もとの本棚に詰めこまれた少女漫画のヒーローたちから、好きな要素を一つずつもらって、理想のヒーローをつくりあげていく。
物心ついたころから幾度となくくり返している妄想は、不安も恐怖も瞬く間に忘れさせてくれる特効薬だった。
整えられていくヒーローのかたちは、いつもふしぎと似たようなものに落ち着く。違いといったら幸子が年齢を重ねるごとに彼の見た目も成長するくらいで、まったく同じひとを夢みていると言ってもまちがいではない。
まつ毛が上向きになって震えるほどきつく閉じられていたまぶたは、眉のあいだのしわでいつものヒーローが組み立てられていくうちに、いつしか穏やかにゆるんでいた。
鉄のような風が飽きず壁を殴りつけるのも、しだいに遠ざかっていく。枕に散らばる髪のなか、ぽつりと白い、ふちだけが冷えて赤くなった耳にはじめて彼の声が届く。
少女はほとんどまどろみに溶けかけていて、妄想か夢か、さだかではなかった。
しかし軒先から落ちる雨だれのようなささやきが、たしかに幸子を呼んだのだった。
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