ムービー01: あざらしの英雄

 ―――私の名前は、錫宮ましろ。学園都市『ラディアス』にあるごく普通の公立高校に通う16歳。

 ある日、変な『あざらし』たちが夢の中に現れて、私を異世界に召喚したいと言ってきた。君は『勇者』に選ばれた、僕たちの敵を倒すために協力して欲しい、と。


 怪しいにも程があったけど……私は、断らなかった。

 ここではない、どこか遠くに行きたい。そんな心の奥底に秘めていた願いを叶えてもらうために。




――――――――――――――――――――――――――――――




 辿り着いた『異世界』は、想像していたものとは少し違って、けれど驚異的な出会いの連続だった。

 初めての景色。初めての生き物。初めての食べ物。そして―――初めての同僚と、初めての武器と、初めての戦争。


 敵の襲撃があった。聞けば現状、私たち以外に戦える『勇者』は居ないらしい。

 防弾仕様だという制服と、ヘッドセット型の通信機、特撮番組の玩具みたいな剣に、予備のレーザー銃を支給される。

 私と同時期に召喚されたらしい男子の勇者――同年代か少し年上くらい――にも、似たような装備が手渡されていた。


 私たちをこの世界に召喚したあざらし・ストルガに連れられて、戦場に出た。青黒い夜空にオーロラめいた星の光が満ち、イチゴ色の砂で覆われた、砂丘らしき場所だった。

 地平線の向こうから、何かの群れが迫ってくる―――モジャモジャした灰色の毛、というより触手が生えた球体。私たち勇者の敵である『未明獣クリプティッド』の一種、ケサランパサラン。

 性格は凶暴で数こそ多いが、大して強くない。慣れない剣を振って斬りつけてみれば、簡単に倒すことが出来た。


 ……もう一種。赤毛のゴリラみたいなクリプティッド、ビッグフット。

 怪物とはいえ、人型の生き物を相手にするのは存外精神に来るものがあった。私たちは後衛でほとんど何もしないまま、ストルガが敵をライフルで倒すのを待っていた。


 初めての戦闘は、こうして無事に終わった。

 とても疲れたけど、達成感みたいなものはあった。何より、死なずに生き延びられたのが本当に嬉しい。

 やがて状況を終了し、戦艦『モビー・ディック』に帰ろうとした……その時だった。




――――――――――――――――――――――――――――――




 空間それ自体が赤熱し、一帯の風景に歪みが生じる。

 直後、地震。何か途方もない質量の物体が落下した時の衝撃。大量の砂塵が舞い上がり、半ば爆風となって周囲をする。


〈この反応は、まさか〉


 ―――――そして、絶望が現れた。


〈え……S級クリプティッド、『ジャガーノート』ですッ!!〉


 恐らくは100メートルを優に超える、玉虫色の甲殻でよろわれた巨体。上半身は概ね人型に見えるが、都合4対8本の腕を有する異形だ。下半身の造作は昆虫の腹部に近く、莫大な自重を分散するためか、脚は何千何万という数の触手に枝分かれしている。

 生物らしい表情の窺えない、仮面めいた頭部。一本一本が鉄骨のように太く、日本刀のように鋭利な8つの腕。背中には、七色に輝く半透明の皮膜が、まるで神仏の後光が如く花開いている。


「……は?」


 刹那、鼓膜が砕けるかと思うほどの大音声だいおんじょうが響き渡る。金属同士が擦れ合う雑音を何百倍にも増幅したような、奇怪な咆哮。

 と同時に、『ジャガーノート』の背部花弁状皮膜が、眩いばかりの閃光を発した。それらは空間中に拡散し、やがて収束し、膨大無数の"光の槍"となって地上へと叩きつけられる。

 戦場に散らばるあざらしとエイリアンたちが、降り注ぐ光の雨によって次々と消し飛んでいくのが見えた。辺り一面が火の海と化し―――私の居る小隊もまた、その攻撃から逃れられなかった。


 私は死ぬんだ、と素直に思う。

 考えが甘かった。ここは文字通りの『異世界』で、血風吹き荒ぶ戦場だ。私にとって都合の良い現実逃避のための舞台なんかじゃない。

 ここには私の知らない現実があり、私の知らない脅威があり、一歩間違えば当たり前に命を落とす。


 ……報い、なのだろうか。

 安易な奇跡に縋り、現実と向き合おうとしなかった私への。


「…………ぁ……。う、ぅっ……」


 痛い。

 苦しい。


「―――……、……! ……、―――。……! ―――……」


 誰かが私に、必死で話しかけている。……誰かが、私を担いで逃げようとしている、らしい。

 もう何もかもよくわからない。感覚はとうの昔に飽和していて、ただ曖昧な息苦しさと、底冷えするような恐怖だけがある。刻一刻と迫り来る、死神の影だけが。


 薄れゆく意識の片隅、ブラックアウト直前の視界の端に。

 ―――ひとすじの流星が、瞬いたような気がした。




――――――――――――――――――――――――――――――




「亜空間戦闘部隊との通信途絶!」


「『ジャガーノート』の転移完了と同時に、次元断層の形成を確認! ……こちらのワープ航法を、封じられました……!」


「重力子モニターと多次元レーダーの走査範囲を広げろ! どんな可能世界ブランチ跳躍ジャンプする羽目になっても構わん、『モビー・ディック』を墜とされるよりはマシだ!」


「敵大型クリプティッドから高熱源反応!! 宇宙嵐砲撃が来ます!」


「カオス・エンジン、3番から8番まで臨界! バリアシールド出力、75%から低下中……このままでは耐え切れませんッ!!」


「っ……、―――!? 多次元レーダーに感あり!! これは……」


「ポータルの形成を確認……違う、空間そのものを強引に引き裂いて? ち、超極大エネルギー体、出現します―――!」




――――――――――――――――――――――――――――――




 8本の大剣めいた腕を振るい、触手状の脚部で地上をならしながら、S級クリプティッド『ジャガーノート』が進撃する。

 一見して目も耳も鼻も無い、仮面じみた甲殻に覆われる無機質な頭部。怪物は、そもそも本当に感覚器が収まっているのかもわからないそれを、しかし確かに前方―――対未明獣クリプティッド用時空巡航要塞『モビー・ディック』へと向けている。


 ジャガーノートの背部、花弁状皮膜に光が灯った。高いエネルギーを有する電磁波と粒子、すなわち宇宙放射線の爆発的増大バーストを伴う超プラズマ砲撃の前兆。

 モビー・ディックは次元超越型英雄因子抽出システム『KETER』の運用を前提としたであり、『勇者』専用の揚陸艦と言い換えてもいい。

 要塞とは銘打っているものの直接戦闘力は低く、万が一の時は空間転移ワープ航法を用いた戦線離脱を行うはずだが―――それも敵の能力によって封じられ、絶体絶命の窮地にあった。


〈―――――、―――■■■〉


 S級未明獣クリプティッド

 けもの暦20XX年時点で数体しか確認されていない、クリプティッドの中でも最大最悪の脅威度を誇る真性の怪物たち。


〈―――■■■。■■、―――〉


 誰もが絶望し、己が不運を呪い、来たる死を受け入れた時。




 ―――――空が、割れた。




 暗黒の宇宙に紅蓮の軌跡を刻みながら、赫灼なる流星が飛翔する。

 眼下に群がるあざらしとその他種族の連合軍には目もくれず、旗艦であるモビー・ディックへの攻撃にのみ集中していたジャガーノートが、明白にを認識した。


〈―――■■■■■■■―――――!!〉


 発射の直前で、砲撃の軌道が変わる。破滅的な光の奔流が炸裂し、大気中のあらゆる物質を原子崩壊させた。

 当然、この一射を受けたものは、素粒子ひとつとて残らない―――――。


「―――GOMA」


 否。


「GOOOOOOOO…………」


 まだ、終わっていない。

 核弾頭の何千、何万倍という破壊力の渦に直撃されて尚、それはまだ原形を保っている。


「MAAAAAAAAAAAAA―――――!!」


 それは、一匹のあざらしだった。

 卵状の白い胴体から、申し訳程度に生えた前後2対4枚のひれ。つぶらな瞳、灰色の鼻、ピンクの頬。デフォルメされたアザラシのぬいぐるみのような姿。

 何の変哲も無い、ごく普通のあざらしだ。それが、全『あざらし』中でもであるという一点を除いては。


 宇宙嵐の砲撃に速度を殺された上で、それはさらにはやかった。

 ただまっすぐに、頭から突っ込む。一切の小細工を弄さぬ正面衝突。体高だけでもおよそ120メートル、推定重量30万トンを超えるジャガーノートの巨体が―――わずかに浮き上がった。

 見上げるほどの大怪獣と、ぬいぐるみめいたアザラシ。互いの質量差は計算するのも愚かしかったが、現実はこうだ。


〈■■■■■■■■■―――――!!〉


 金属音にも似た異様な咆哮を発し、ジャガーノートはついに完全な戦闘態勢へ移行した。

 花弁状皮膜が激しく振動する。たった1匹のあざらし目掛けて、撃ち出された宇宙線プラズマの弾幕が天地を薙ぎ払う。


 そうして降り注ぐ光熱の豪雨の中を、あざらしが突き抜ける。

 うねる蛇の如き、滑らかで曲線的な軌道。タックルの激突による停止から0.02秒で再び音速を突破し、甚大な衝撃波ソニックブームを撒き散らしつつ、さらに加速していく。


「GOOOOO……MAAAAAAAAAA!」


 あざらしの反撃が始まった。

 その両ヒレの内で物理法則が崩壊し、極小の暗黒天体ブラックホールを形成する。

 総質量5グラムのマイクロ・ブラックホール。水素原子よりも小さい半径10のマイナス30乗メートルの重力特異点は、ホーキング放射のために一瞬で質量を失い崩壊するが、しかし消滅と同時に450テラジュールの莫大なエネルギーを生む。


 文字通り異世界の存在であるクリプティッドは、"半分この世現実に存在しない"という特性のため、総じて物理攻撃に高い耐性を持つ。

 無論、ジャガーノートも例外ではない。S級クリプティッドが有する『次元障壁』の防御性は、他の下級クリプティッドのそれとは比較にならないほど堅牢だ。


 その次元障壁による攻撃の遮断と、ジャガーノート自身の頑強な甲殻という2重の護りをして―――次々と放たれるあざらしの魔弾を、防ぎ切れない。

 着弾の度に次元障壁が――単純な物理的威力だけで――消し飛ばされ、甲殻がひび割れ、裂創が刻まれ体液が噴き出る。

 すかさず自己修復能力が働き損傷した部位を再生させるも、あざらしの攻撃がジャガーノートの生命を削っていく方が速い。


〈―――、……■■■■■■■!!〉


「GOMA!?」


 ジャガーノートが再び背部皮膜を震わせ、宇宙の摂理に干渉する。

 途端に、戦場を埋め尽くす獣、獣、獣―――空間を超越してび出された、下級クリプティッドの軍勢である。

 薄灰色の奇怪な毛玉、ケサランパサラン。捻じれた生白い布のような軟体動物、スカイフィッシュ。たてがみと異様に長い爪牙を備える四足歩行獣、ジェヴォーディ。首の長いワニめいた水妖、モケーレ・ムベンベ。冷蔵庫ほどの巨躯を持つ蜘蛛らしき節足動物、チバ・フー・フィー。

 他にも未知の新型種を含む大小様々なクリプティッドが現れ、そのどれもが一斉に、あざらしへと襲いかかった。


「GOOOMAAAA……!! GOMAAAAA! AA、AAAAAA――――」


 数の暴力。無慈悲なる戦場の力学が、銀河最強のあざらしに牙を剥く。

 流砂の如く殺到するクリプティッドの群れの中心で、蹂躪が行われる。牙、爪、棘、毒、酸、熱、呪詛―――連鎖する致命の刃が、たった一匹の小動物に向けて突き立てられる。

 一方、軍勢の主たるジャガーノートは既に態勢を整え、あざらしが怒涛の猛攻にて負わせた傷も快癒しつつあった。


〈■■■■■■■■■■〉


 ジャガーノートの腕部、巨大な日本刀じみた8つの鎌が持ち上がる。この一閃にて、配下の軍勢ごとあざらしを叩き切ろうというのだ。

 死神の処刑斧が、動けぬあざらしを目掛けて落ち、


「―――GOOOOOOOMAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」


 拳を突き上げると同時に、生じた鼬風が空間を裂いた。

 あざらしは自身に群がっていた下級クリプティッドの群れを纏めて吹き飛ばし、さらには遥か上空に位置するジャガーノートの腕をも斬断する。


〈……■■■■、■■■―――■■■■■!?〉


 未明獣クリプティッドに既知の言語は通じない。

 仮に言葉が通じたとして、既知の知性体と同様の感情や思考形態、共存可能な価値観を持ち合わせているとは限らない。

 それでも―――その瞬間、ジャガーノートのかお無き頭部に浮かんだのは、恐怖の表情以外には有り得なかった。


「GOMAAAAAAAAAAAA!!」


 黒紫の稲光が瞬き、いくつものマイクロ・ブラックホールの弾丸が投射される。

 想像を絶する熱量の嵐が吹き荒れ、ジャガーノートの巨体を粉微塵に圧砕しようと炸裂する。


〈……■■■■。■■■■、■■■■■〉


 三度、ジャガーノートの背部花弁状皮膜が輝きを増した。

 その物理法則を超えた現象を起こす光の翼は、ジャガーノートにとって単なる器官ではない。


〈■■■■―――■■■■■―――!〉


 それはさながら、さなぎの中での休眠と再生を終えた蝶の如く。

 ついに稼働限界を迎えたを放棄して、ジャガーノートのが飛び立つ。

 虹色の夢見鳥───輝ける絶望のはね。あざらしが放つ暗黒天体の雨に勝るとも劣らぬ、超々極大規模の潜在エネルギーが完全解放され、顕現するのは終末の光景。

 宇宙線プラズマの渦が万物を呑み込み、重力は狂乱し、時空を侵食する虹が現宇宙の法則を塗り替えていく。


 ジャガーノートは、未明獣クリプティッドが住まう異界へと帰還しようとしていた。

 ただし、『自分がその場を離れる』のではなく、『周囲の世界そのものを自分たちの領域に引きずり込む』という形で。


「GOMA……」


 そして。


「GOMAAAAAAAA」


 そのような暴挙を許すあざらしではない。

 おのれを前にして立ち去るという怯懦きょうだを許す、"英雄"ではない。


 物質とエネルギーはシームレスな関係にあり、故に物質は空間上に固定化されたエネルギーである。

 1グラムの物質をまったくの虚空に出現させることは、90兆ジュールのエネルギーを生じさせることに等しい。


 総質量5グラムの極小のブラックホールが、それだけでも絶大な破壊力を有しているならば―――――。


 広大無辺の多元宇宙マルチバースのどこかに、『太陽The Sun』という恒星がある。

 直径139万2700キロメートル、質量1.989×10の30乗キログラムを誇るこの『太陽』を基準として、100を有する恒星を『超巨星』と呼ぶ。


「GOOOOOOO、MAAAAAAAAAAA───」


 あざらしの英雄が生み出したのは、まさしく"それ"だった。

 『太陽』に比して300倍以上の質量を持つ一方、───チャンドラセカール限界を突破してなお重力崩壊を許されず、無際限に凝集と高密度化が進行する異常なフェルミ縮退核。

 超巨星の寿命が尽きる瞬間を再現した、あるいはそれ以上のエネルギーが秘められた、星の爆弾である。


〈───、─────!!〉


 ジャガーノートはもはやなりふり構わず、自身が擁するすべての権能を、ありったけの火力に変換してなげうった。

 比喩も誇張も抜きに、銀河を滅ぼして余り有る光と熱と宇宙放射線の乱舞が、あざらしへと注ぎ込まれ─────。


「いいや」


 英雄は、怪物に向かって一言告げた。


「死ぬのはお前だ」


 炎のしずくが、弾け飛ぶ。

 闇を祓い、命を殲滅する鏖殺の浄火が、何十、何百光年先まで広がっていく。

 S級クリプティッドが持つ次元障壁も高速再生能力も、何ら役に立たない。計算不能の天文学的破壊力の前には、ありとあらゆる防御と治癒が意味を成さない。


 燃える。燃える。

 未明獣・ジャガーノートは───まだ、諦めていない。

 燃え上がる躯体を全速力で修復し、時間流と因果律を歪めて損傷そのものをにし、ことで自らを蘇らせ続けた。

 愚直なまでに死を否定し、否定し、否定し、否定し、否定し。生き足掻き、ただ抗うだけの機構と化して。

 なおも───殺され続けている。


 あざらしは超新星爆発スーパノヴァの発動と同時に、ジャガーノートを隔離された亜空間に放逐していた。

 故に、投じられた天文学的破壊力は、銀河の果てへと拡散してしまうことも無く───1


 よっぽど悪夢の具現の如く君臨していた怪物は、ついに細胞の一片に至るまで完全に焼き尽くされた。

 復活の兆候は、今や一切確認されない。


〈……、―――。―――……。―――〉


 ───最後に、爆炎の中から逃げ去ろうとしていた1体の下級クリプティッド・スカイフィッシュを、あざらしのひれがむんずと掴み上げる。


「もふ」


 閃光が迸り、今度こそ戦いは終わった。

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