第218話 神獣と神々に愛された娘

 カリストはビビが騎士団総長の居室にこのままいることを希望し、ビビは旅人らしくベティー・ロードの宿に滞在すべきと主張した。


 「宿って、お前先立つものもないくせに、何言ってるの」

 「しばらく日銭稼ぎます。マリアさんのところで、仕事紹介してくれるって・・・」

 大体、未だ独身のカリストは30歳とはいえ、狙う女性は多数いる、とマリアから聞いている。そんな人間に、どこの馬の骨かわからない小娘が、いきなり同居なんて始めた、なんて知られたら。

 女性の嫉妬心ほど怖いものはない、と身を持って知っているビビは、どうしても首を縦に振れなかった。

 

 イヴァーノは、全くお互い譲らぬ会話に苦笑していた。

 「だよなぁ~妬まれて、またカイザルック皇帝橋から落とされたら洒落にならん」

 そんな物騒な事件、あったよな?とクツクツ笑いながら、イヴァーノはワインを飲む。

 「議長は黙っていてください。あなたが話すとややこしくなる」

 カリストは不機嫌そうに、かつての上司を睨んだ。

 「そもそも、なんであなたがここにいるんです?」

 「つれないな~ヘタレな元部下のケツを叩きに来てやったんだぜ?」

 「誰がヘタレですか」

 イヴァーノは笑ってワインを注ぐ。

 「カリスト、いい加減腹をくくれ。そんなの所帯もっちまえば解決だろ?」


 ピシッと空気が固まる。

 イヴァーノはワインを飲み干し、ビビに目をやる。

 「ビビ、お前もだ。なんのために戻ってきた?たかが外野の雌どもの目を気にして、まだこいつを待たせる気か?」

 「イヴァーノ議長」

 「どちらにしろ、いつかは公になることだ。お前も本気でこいつと生きるなら・・・覚悟を決めろ」

 ったく、面倒くせぇやつらだ、とイヴァーノは文句言いながらも楽しそうだ。

 カリストはじとっと元上司が遠慮なくワインを空けるのを眺め・・・ビビに目を向ける。

 ビビはその目を見返し、ぎゅっと自身の腕を掴む指先に力を籠めた。


 カリストは立ち上がると、テーブル横に立てかけてある剣を手に取った。

 「・・・イヴァーノ議長、見届けを」

 声をかけられ、イヴァーノはニヤリとする。グラスをテーブル中央に寄せ、立ち上がった。

 「任された」

 えっ?と顔をあげるビビに、カリストは手を差しのべる。

 「ビビ、おいで」

 差し出した手を取ると、カリストはそのまま手を引き、壁に掛かった団旗の前に向かい合わせで立たせる。イヴァーノはその2人の間に立った。


 カリストは腰に下げた剣を抜くと、目元に掲げ、その刀身に額をつける。

 ふ、と小さく息を落とした。

 ふわり、と足元に展開される魔法陣。

 カリストの薄い唇から放たれるのは、誓約魔法の言霊ルーンと呼ばれるもの。


 「我、カリスト サルティーヌは汝、ビビ・ランドバルドを我が半身とし、誠実、親愛、真摯。我のすべては貴女のためにあらんとし、この身朽ちるまで共に生きることを、この剣を持ちて誓わん」

 

 足元に広がる魔法陣がその言霊の声音に合わせ、光り輝くのにビビは目を見開いた。

 カリストは剣を鞘におさめると、ビビの手を取り、膝まづく。

 「我の剣を貴女に捧げる名誉を許し、与えたまえ」

 空いた片手を後ろ手にして腰にあて、カリストはビビを見上げると、そっとその手の甲に唇を落とす。


 騎士の・・・誓い。


 過去、何度か見たことがある。

 騎士団の人間が結婚する時、ジュノー神殿の祭壇で、騎士は伴侶となる相手に騎士の誓いをする。

 まるで映画のワンシーンのような。

 だが、カリストのそれは単なる声音による誓いではなく、魔術で縛る契約魔法。これが成就されるとその誓約により、カリストは永遠にビビ以外の女性を愛することは許されず、破られた場合はその命を代償として捧げなければならない。

 でも、仮にも王宮騎士団トップである総長が、本来忠誠をささげるべき王族以外の人間に、このような誓約魔法を結ぶことは許されるのだろうか?

 「あ・・・あの、」

 混乱してビビはイヴァーノを見る。

 イヴァーノはニヤッと笑って頷いた。

 「これがカリストのお前に対する"覚悟"であり、"けじめ"でもある。お前はただ、許す、と。額に誓いのキスを」

 言われて、ビビはカリストを見下ろす。カリストはビビと目が合うと、ふ、と目元を和ませた。

 ビビは頷き

 「ゆ、許します」

 震える声で返し、身を屈めるとその額にキスをする。

 ピリッと弱い電流のようなものが、身体の中を走り抜ける。

 「・・・え?」


 パアッ、とテーブルの上に緑の光が弾く。

 あわてて視線を向けると、テーブルに乗せられたガジュマルから、溢れんばかりの光が漏れ出している。


 "ビビ・・・"


 部屋に響く、穏やかな声音。

 幼い少年を思わせる声と、温かな気配にビビは目を見開き、テーブルに歩み寄るとガジュマルの鉢をそっと手に取った。

 生い茂る葉の中にキラキラ光るものを見つけて目を凝らす。葉をかき分けて指先で捕らえたそれは・・・金の細い鎖で。


「え・・・これって、」


 ビビは思わず声をあげた。


「これは、ユグドの魔石の」


 間違いない、ジャンルカ師匠の旧友が錬成してくれた、ユグドラシルの魔石を繋いでいた金の鎖だ。ビビの器を失くした時、神獣ユグドラシルに乞われて渡した、と時の賢者には言われていたが。


 "待ッテイタ"


 幼く、片言に紡がれる声音にカリストも立ち上がり、イヴァーノもまた驚きに息を飲み、ビビとガジュマルの鉢を包み込む光を見比べる。

 ビビは光の漏れる、艶やかなガジュマルの葉を見つめ、はっとした。

 ソルティア陛下は言っていた。ビビをこの世界に転移させたのは、自分だけの力ではないと。


 「ユグドが・・・わたしをここへ呼ぶのに力を貸してくれたの?」


 ふわり、とやわらかな風がビビの頬を撫で、温かいやさしい光がビビを包み込む。それは・・・かつてオリエの器であったビビが、神獣ユグドラシルの加護に護られ、包まれていた感触に似ていた。

 ああそうか、とビビは思う。

 この箱庭に転移する少し前。偶然姉から譲り受けた、ガジュマルの鉢。

 その外見と雰囲気が神獣ユグドラシルを思わせて、捨てられ枯れる運命だったその命を、そのまま放置することができなかったのだ。

 元の世界に戻り、ここの箱庭の記憶を遮断すべく、GAMEから離れ仕事に没頭した。仕事はどんどん過酷にハードになっていく中、毎晩自宅に深夜帰宅しては、ビールを飲みながらガジュマルの鉢に話しかけていた。

 その綺麗な緑の葉や、すべすべした丸みのある木の幹に触れて、癒されていた。

 ・・・今ならわかる。ガジュマルは・・・自分の負の気を吸い上げ、護ってくれていたのだろう。


 「やだ、元の世界に戻ってからも、ずっと・・・一緒にいてくれていたんだね」

 ふふふ、と思わず泣き笑いになり、ビビはそのままガジュマルの鉢を抱きしめる。

 「もう、わたしったら何も知らないで、仕事の愚痴や同僚の悪口ばかり散々言っちゃって・・・恥ずかしいなぁ」

 最後の最後でビビが守護龍に望んだことにより、世界樹に封印される神獣ユグドラシルと【オリエ】を切り離してしまった。なのにやさしい神獣は、解放する際ガドル王国全土に祝福を与えてくれたのだ。それが創造神ジュピターの定めた因果率に反することになっても。

 胸が熱くなって、ビビは言葉を詰まらせる。


 "ビビ、"

 「・・・うん、」

 "イツマデモ、ソバニイルヨ"

 「ユグド・・・、」


 ゆらり、と光が揺れて、舞い上がる“ルミエ”が次々とビビの身体に降り注ぎ、消えていく。


 "幸セニ"


 「ありがとう。ユグド・・・大好きだよ」


 光がさらに溢れ。手元に残った金の鎖の先には"ルミエ"の残した白い花がキラキラと輝いている。ガジュマルの姿は素焼きの鉢からゆっくり消えていった。


 「お前の嫁になる娘は、すごいな」

 まるで、奇跡を見ているようだ、とカリストの隣でイヴァーノが呟く。

 「信じられるか?あの娘は人間でありながら、神獣や神々より無条件に祝福を与えられている」

 例え、オリエの力や加護を受けるための器を無くしても。その身体に魔力の欠片すらなくても。"ビビ"として存在しているだけで神獣や神々はビビを愛し、祝福し。これからも寄り添っていくのだろう。

 「・・・そうですね」

 カリストもまた、まぶしげに光に包まれているビビを見つめ、そして自分の左手がほんのりと熱くなるのに気づき、手を目元に掲げた。

 ふんわりと指先にまとわりついた"ルミエ"の光。


 「・・・まさか」


 10年前、ビビから贈られた、神獣ユグドラシルの加護を宿した指輪。

 その加護の力が解放され、ビビが姿を消したと当時に、その指輪に埋め込まれた"ルミエ"の魔石は効力を失い、ただの半透明な石となっていた。

 ビビを繋ぎ止めるものを少しでも残したくて、指にはめたままにしていたが・・・"ルミエ"の光が消えると、その石はビビの瞳の色と同じ綺麗なアクアマリンの魔石に変わっていた。


 ふわり、と優しい風がカリストの頬を撫でるように行き過ぎる。

 ぎゅ、と左手を胸元で握りしめ、カリストは騎士の礼を取った。



 やがて光が緩やかにおさまり、部屋に静寂が戻ると、土だけになった鉢をテーブルに置き、ビビはカリストとイヴァーノの方へ向き直り笑顔を見せた。


 「カリスト、イヴァーノ議長。わたし、決めました。帰化したら・・・ヴェスタ農業管理会に入りたいです」

 「ビビ・・・」

 歩み寄ったビビに、カリストの手が伸び、そっとその頬を撫でた。

 その指にはめられた輝く指輪に気づき、ビビは驚いたように手を取るとカリストを見上げた。

 「・・・カリスト、これ・・・?」

 「うん」

 お前の瞳と同じだな、とカリストは微笑む。

 ビビは泣きそうな表情を浮かべ、カリストの手に自分の手を重ね、指をそっと絡めて頬にあてるようにした。


 「わたし、全部なくなっちゃったんだって思っていた。加護も魔力もスキルも。でも・・・」

 カリストを見上げ、そして続けてイヴァーノを見る。その澄んだ瞳には涙が浮かんでいた。

 「失ったものなんて、なにもなかったんですね?いえ、これからわたしとして、ビビ・ランドバルドとして新たに生きていけばいいだけのこと」

 ぽろぽろ涙をこぼしながらはにかんだ笑みを浮かべるビビに、カリストもまた微笑み、その華奢な手を握り返すと跪いた。本当は騎士の誓いの後に、告げようとしていた言葉。


 「ビビ、俺と共にこの国で生きてほしい。・・・結婚しよう」


 「あ、カリスト?」

 突然のプロポーズに、ビビの動きが固まる。

 カリストは薬指の指輪に、そっとキスをし、ビビをまっすぐに見つめた。

 その真剣な青い瞳に射抜かれて、瞬きも忘れ、ビビはただただその瞳を見返す。


 「愛している。ビビ、返事を」


 ビビはこくりと息を飲みこむと、ゆっくり頷いた。


 「はい。・・・よろしくお願い、します」


 カリストは破願し、立ち上がるとそのままビビを腕に閉じ込める。

 ビビは腕の中ではっと我に返り、あたふたしながら、でも、そういえばわたしまだ帰化していないけど??と戸惑っているのを聞き、二人を見守っていたイヴァーノは思わず噴き出した。

 「お前ら、俺いるの忘れてね?」

 「忘れていました」

 しれっ、とカリストはビビを抱きしめたまま、イヴァーノに不敵に笑い返す。

 お前も言うようになったなぁ、と肩をすくめるイヴァーノ。

 「まさかプロポーズの立ち合いまで、させられることになるとはな」

 「ノリと勢いは大事ですから。・・・でも、議長がいてくれて、本当に感謝しています」

 カリストの言葉に、イヴァーノもまた破願する。

 ビビがようやく顔をあげて、視線を向けると。

 イヴァーノはワイングラスを掲げてみせ、おめでとう、と一番最初に祝福の言葉を告げたのだった。


 ※※※※※

 次にて完結

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