第217話 誓い

 いつカリストに連れられ、騎士団総長の居室に戻ったのか覚えていない。


 「・・・ビビ」

 ベットに座って茫然としているビビの前に膝を折り、カリストはそっと震える手を取る。

 ビビははっと我にもどり、カリストを見返した。

 変わらない、吸い込まれそうな青い瞳に、自分が映っている。

 なんて生気のない顔をしているんだろう。

 「カリスト・・・」

 「明日早朝に・・・陛下の葬儀がある。今日はもう休め」

 反応を返したビビに、少しほっとした表情で、カリストは軽く握った手をたたく。

 「・・・」

 「ここのベット使っていいから」

 立ち上がろうとしたカリストの袖を、無意識にビビの手が掴む。


 「あの・・・」

 「どうした?」

 「一人に・・・しないで・・・」

 ビビは声を絞り出す。

 「こわい・・・んです」

 言って、ビビの目に再び浮かぶ涙。

 なに子供じみた我が儘を言っているのだろう。以前の自分には考えられない行動に、ビビは戸惑う。

 「お願い・・・傍に、いて」

 ただ・・・カリストのそばにいると、ホッとする。離れると不安になる。

 まるで置いていかれる子供のように。


 表情に出ていたのだろう。カリストは小さく笑って、ビビの頭を撫でる。

 「いいよ」

 立ち上がると、身につけていた団服を脱ぎ、椅子の背にかけた。

 シャツのボタンを二つほど外して首もとをゆるめると、ビビの横に腰をおろした。

 「はい、おいで」

 両手を軽く広げて声をかけられ、ビビは無言のままその胸に身を寄せた。

 ぎゅっ、と抱きしめられ、そのまま膝の上に引き上げられ、横抱きされる。

 頬を押し付けた胸元から、衣服を通して感じる体温と、聞こえる鼓動にひどく安心して、ビビはようやく小さく息をはく。背中を撫でられて、身体の強ばりが解けていくのがわかった。

 「・・・すみません」

 「変わらないな、そうやってすぐ謝って自分を恥じるとこ」

 くすっ、とカリストは笑う。

 「・・・呆れましたか?」

 ビビに問われ、カリストはいや、と首を振る。

 「やっとお前に頼ってもらえるくらい、俺も成長できたのかと感慨に浸っているとこ」

 えっ?とビビが顔をあげるのと同時、カリストはビビを抱いたままベットにコロンと横たわる。

 抱きあったまま、しばらくじっとしていた。


 「俺さ・・・」

 ビビの髪を撫でながらカリストは口を開く。

 「今になって・・・ほんと、10年前の俺ってガキだったなって思う。まぁ、実際年齢的にそうだったんだけど」

 「・・・カリスト?」

 「自分に余裕がなくて、思い通りにいかなくていつもイライラしていて。お前に対しては、コントロールできなくて、身勝手にぶつけて戸惑わせて、泣かしてばかりいたな」

 天井を見ながら、自嘲気味にカリストの表情が歪む。

 「お前を抱いたら抱いたで、自分を制御できなくて。ほんと何をやっていたんだか」

 言って自分で可笑しかったのか、カリストは小さく笑う。

 「でも嬉しいんだ。不謹慎だけど・・・お前にこうして頼られて」

 だから謝るな、とカリストは囁く。

 ドキッと胸が高鳴る。

 「カリスト・・・」

 「ん?」

 「わたしを覚えていてくれて・・・ありがとう」

 ビビは呟く。

 大切な人たちは皆会えずに逝ってしまったけれど。

 残された大切な人たちは、自分を忘れてしまっているけれど。

 カリストが覚えていてくれたから・・・変わらずビビを見てくれるから。こうして逃げずに立っていられる。現実と向き合える。


 「・・・忘れるはずないだろ」

 カリストは僅かに腕に力をこめる。

 「あんなふうに・・・誓いの言葉を言っておきながらその気にさせて、最後の最後に言い逃げられて。あの後、どれだけ俺が、いや・・・」

 カリストは身を起こし、ベットの傍のテーブルの引き出しから、小さな小箱を取り出す。

 ビビの左手を取り、その箱の中のものを取り出すと、そっとその薬指にはめた。

 「・・・あ、」

 ビビは息を飲む。

 きらきらと、薬指に輝く指輪の青い宝石。

 「忘れ物」

 言って、カリストはその指先に唇を落とす。

 「・・・カリスト、」


 あの日。

 長期遠征の壮行会の当日の朝。

 そっと指から外して、小箱に入れてテーブルに置いてきたことを思い出した。

 言葉の続かないビビを見つめ、ほほ笑んだ。

 「悪いけど。返品不可、だから。お前以外の女にこの指輪を贈るなんて、ありえない。突っ返したくらいで俺がお前を諦めると思う?」

 身を起こしたビビの顔を、覗き込むようにして、そっと髪を撫でた。


 「たとえ忘れていても。お前に会ったら必ず思い出す自信はあるよ。次に会ったらもう、離さないと・・・この魂に誓いとして刻んでいるから」

 「カリスト、」

 ビビは目を見開く。

 「おかえり・・・」

 ビビの額にキスを落とす。

 「待っていた。お前が必ず戻るって、信じていた。俺こそ、戻ってくれて・・・ありがとう」

 「・・・っ」

 「俺のお前に対する執着って、ほんとすごいと思わない?ここまできたら、呪いのレベル、だよな?」

 ビビの髪を指に絡め、カリストは笑う。

 その笑みに胸が甘く締めつけられるようで。

 酷な現実を突きつけられ、さっきまで絶望の縁にいたというのに・・・不謹慎だと思いながらも。

 10年も変わらぬ思いで、この男は待っていてくれたんだ、と。溢れる喜びと愛しさを止める術がなかった。

 「カリスト・・・」

 ビビはこくり、と息を飲む。そっと手を伸ばして、精悍な引き締まった頬を包むと・・・少し引き寄せるようにして、自らその頬に唇を寄せた。

 「わたし・・・カリストが好き」

 囁くように、ビビは告げた。

 「わたしには、もうそれしかないの。加護もスキルも魔力もみんな、失くしてしまった。もう、あなたが好きって気持ちしかない。それしか、返せるものがない・・・それでも、傍にいさせてくれる?」

 震える声で告げるビビを、カリストはじっと見つめる。


 なんとなく感じていた。

 港でビビを抱きしめた時、以前感じていた溢れんばかりの魔力がなくなっていると。


 でも、だから?


 「なに・・・言ってるの、今さら。俺が欲しいのは・・・お前なのに」

 カリストは呟き、額を撫でる。

 「・・・やるよ」

 ちゅ、と額にキスを落とし、カリストは笑みを浮かべた。

 「俺の全てをお前にやる。全てをかけてお前を守るから・・・お前も俺に全部くれ。身も、心も全部」

 抱きしめ、懇願する声はかすかに震えている。

 「俺から離れるな」

 「カリスト」

 ビビもまた背にまわした手に力をこめる。

 「・・・誓う。ずっと傍にいる」

 ビビの目に涙が浮かぶ。

 「もう・・・離れない・・・」


 離さないで


 呟いた言葉は、深い口づけに飲み込まれた。


 ※


 リーン・・・ゴーン・・・


 ジュノー神殿から響く、死者を見送る鐘の音。

 ソルティア陛下の死を偲ぶように、国全土が静けさに包まれる。

 神官長が地下礼拝堂の墓標の前に立ち、死者を弔う言葉を紡いでいる声が響く。


 「・・・ビビは?」

 イヴァーノに問われ、カリストは視線を前に向けたまま、ふ、と息を落とす。

 「マリアに喪服を準備させたんですが・・・式には参列していないみたいですね」

 マリアはカリストの父でもあるプラットの後を継いで、ヴェスタ農業管理会の婦人部長に就任していて、三児の母親になっていた。

 相変わらずお節介やきで、未だ独身を貫き世帯を持とうとしない兄に、やきもきしているようだった。

 それが、久々連絡がきて、いきなり女性の喪服を届けろ、と。何事かと思えば・・・

 朝、城の騎士団総長の居室を訪れ、仰天する。

 なんと、ベットに寄り添うように寝ている、兄と・・・見知らぬの少女。

 両者着衣して、見たところ夜の営みいたした形跡はなかったが。久々見る、兄の穏やかな寝顔はもちろん、・・・その腕に守られるように抱かれて寝息をたてている、少女の面影に胸がざわつく。


 叩き起こされ、そのまま部屋を追い出されて、カリストはマリアにビビを託して、ジュノー神殿に向かっていた。

 「・・・そりゃ、後の申し開きに苦労するな」

 イヴァーノは肩をすくめる。

 「ビビは・・・大丈夫そうか?」

 「はい。おかげさまで。議長に申し訳ないことをしたと。今度またゆっくり話がしたいそうです。俺が同伴するのを条件に許可しました」

 カリストの言葉に、イヴァーノは小さく噴き

 「・・・議長?」

 「いや、すまん」

 咳払いしてイヴァーノは、視線を正面に戻す。

 「前に・・・初めてビビに会った時を思い出してな」

 「初めて・・・ですか?」

 「ああ。無理矢理拉致して、城に連れていって尋問しているところに、迎えに来たのがジャンルカだった」

 イヴァーノは目を細める。

 「驚いたぜ?あの人嫌いの男が、自ら弟子を引き取りに来たと。あいつの懐きようもびっくりだが。ジャンルカの・・・過保護っぷりがな」

 「俺は、ビビの保護者になったつもりは・・・」

 「そんなんじゃない、逆だ」

 イヴァーノは笑う。

 「お前を見て、今さらながら気づいただけだ。あいつは・・・ジャンルカは、最初からビビを女として見ていたんだな。亡き妻に操を捧げていたんだろうが・・・」

「・・・」

 カリストはちらりとイヴァーノに視線を向ける。

 「馬鹿なことを」

 カリストは語気を強めた。


 そんなことは知っていた。

 あの日、呼び出されて話をしたことを思い出す。

 あの時も、ビビはワインに酔って、ジャンルカの膝枕で無防備に寝ていた。

 お前がビビを護れ、とジャンルカは言った。

 なによりも誰よりも、ビビを欲していたことを見抜かれていた。

 彼自身が同じようにビビを愛していたからこそ・・・ジャンルカはカリストに託したのだと。


 「あいつは・・・ビビは誰にも渡しません」


 それが、今は亡き師匠であっても。


 「いいね」

 イヴァーノは不敵に笑う。

 「こりゃ意外に早く子供を期待できるんじゃねえの?」


 ※


 ジュノー神殿を見下ろす、小高い丘に立ち、ビビは鳴り響く神殿の鐘の音を聞いていた。


 あの時も・・・こうして、オリエを見送っていたことを思い出す。


 「ランドバルドさん、ここにいたのね?」

 後ろから声がかかって振り返ると、喪服姿のマリアが立っていた。

 「マリアさん、葬儀は・・・」

 「あなたの姿が見えないから、副代表に任せて抜けてきたわ。兄が情けないくらいあなたのこと心配していて、見ていられなくて」

 クスクス笑いながらマリアは言う。

 「全く、ガドル王国武術組織のトップが、表面上冷静に見えて、あなたが居ないってだけて挙動不審なんだもの。笑っちゃう」

 「・・・わたし、そんなに信用されていないのかな」

 ビビが呟くと、マリアはさらに笑った。

 「マリアさんは・・・」

 ビビはマリアを見る。

 「わたしを・・・不審に思わないんですか?」

 「あら、何故?」

 「ぽっと入国した、見知らぬ旅人の娘の分際で、いきなり騎士団総長に保護されているなんて」

 「そうねぇ・・・」

 浅く腕を組み、マリアは首を傾げる。


 ビビの左手の薬指には、母親の形見である指輪がはめられている。

 兄が誕生する時に父親であるプラットが、その瞳の色に合わせて異国の商人から買い求めた宝石で作られたそれは、母親の願いにより、カリストが生涯かけて愛する女性と出会えたら贈ってほしい、と託されたと聞いていた。


 「あなたと兄の馴れ初め?が気になるところだけど。関係ないかな・・・あなたには、不思議な縁、みたいのを感じるの」

 ビビは目をまたたく。

 あまりにも、自分をみるマリアの目が・・・10年前のそれと変わらなくて。自分に関する記憶がないなんて、思えないくらいに。

 「知らないなら、知ればいいわ。わからないなら、触れればいいのよ。・・・私の直感って当たるのよ?」

 言って、マリアは手を差しのべる。

 「行きましょう?ここは眺めが良いけど・・・身体が冷えちゃう。温かいお茶入れるわ。お話、しない?」

 そのやさしい笑みに、ビビは泣きそうになる。

 うなずいて、差し出された手を取った。

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