第212話 再びガドル王国へ

 ザーン、

 ザーン・・・


 潮風と波の音に、意識が浮上する。

 何度か目を瞬くと、広がる青い海。


 「あと少しで着岸ですよ、旅の方」


 かけられた声に振り返ると、白とブルーの清掃員のような恰好をした男が、バケツとモップ片手に立っていた。

 「春先は冷え込んで、朝方は霧も出ますけどね。昼には晴れてくるでしょう。ほら、見えてきた」

 背後を指差され、再度振り返れば、船が向かっている海の向こう。うっすらと見えてくる地続きの島の影。


 「ガドル王国ですよ」


 「・・・」


 茫然と島を見つめ、潮風に揺れてふいに視界に入ってくる金の髪。

 指を軽く絡め、目元にかかげてみる。少しくせのある、柔らかな金の髪。

 吸い込まれるように船のデッキに立つ、磨かれた柱に近づき覗き込めば、アクアマリンを思わせる空色の大きな瞳が自分を見返していた。

 形の良い眉に、赤い柔らかそうな唇と、小さなホクロ。

 フードつきの上着と黒い厚手のスパッツと厚底のブーツ。着なれた旅人の服。


 「オリエ・・・だ」


 つぶやき、ふと両手を広げる。

 最初に感じた、違和感。


 何かが、足りない・・・?

 いや、足りないんじゃない。

 広げた両手を目元にかかげ、息を飲む。


 ・・・全くないんだ。身体を巡っていた、魔力も、神獣ユグドラシルの加護の気配も。

 あの時、自分の世界に戻ってきた時のように、何も感じられない。まっさらな、生身の人間、のような。


 デッキから広がる空を見上げる。


 ああ、まるでGAMEのスタート時、みたいだ・・・。


 ※


 ふらふらと船内に戻り、自分の名前の書かれた船室へ入る。


 "ビビ・ランドバルド"


 かろうじて、名前は以前のままであることに安堵する。

 船室はベットと小さめの机と椅子。

 ふいに、なにかキラキラ光る気配に目を向けると、

 「・・・あれ?」

 机には、どこかで見た鉢植えが。思わず手に取り、それが元の世界で世話していたガジュマルの鉢植であることに気づく。

 「お前まで、ついてきちゃったの?」

 ふふふっ、と笑いを漏らし、緑の葉をなでる。心なしか部屋のアパートで育てていた時より枝ぶりが大きくなっているように感じた。先ほど部屋に入った時、葉から光が漏れているように感じたが・・・、気のせいだった?

 鉢を机に戻し、見慣れた旅人のリュックを開いて、荷物をチェックする。

 出てきた身分証を、船窓の明かりで確認すると、


 ビビ・ランドバルド

 18歳

 出身:オーデヘイム諸国


 「オリエの初期設定と同じ、なのか」

 部屋を見渡し、壁にかかった航路図に刻まれた日付に息を飲んだ。


 王国歴224

 以前、ビビとして滞在していた時より、10年の歳月が経っていた。


 ※


 今回、ガドル王国に入国するのはビビ一人だけのようで、船員に船を降りたらまず城下町のベティー・ロードの酒場に行くように指示を受けた。

 リュックを背負い、両手にガジュマルの鉢を抱え、彼らを振り返るともう一度お辞儀をする。

 「お世話になりました」

 「こちらこそ。お嬢さんみたいな別嬪さんが乗ってくれて、うちの若い連中も張り切って仕事して助かったよ」

 恰幅の良い船長らしき男が笑いながら、ビビの頭を撫でる。

 ・・・やたらと頭を撫でられる。ここら辺はやはり以前と変わらないらしい。そして、どうやらオリエと同様に"女神ジュノー"の祝福ギフト持ちのようで、とにかく周囲の若い男たちはビビの世話をやきたがった。


 「連中、しつこかっただろう?すまなかったな」

 「いえ、よくしていただいて、助かりました」

 記憶はないんだけど、と心で謝罪しながらビビは微笑んで見せる。どうやら祝福ギフトの力全開で、部屋も日の当たる綺麗な個室をあてがわれ、ガジュマルの鉢を入れる木箱も用意されたらしい。なんだ、この好待遇・・・女神ジュノー、おそるべし。


 「ガドル王国には、婚約者が待っているんだってな。幸せになりなよ?」

 「・・・え、あ、はい。ありがとうございます」

 10年前の、だけどまだ有効なんだろうか、と自問自答しながら苦笑い。

 そもそも、10年前と外見が変わっている。しかも・・・存在を抹消されたと聞いてはいるが、オリエの外見でもあり、あのお騒がせキャラだったフジヤーノ嬢の外見でもあるのだ。船を降りていきなり入国拒否されたらどうしようか。


 「でも・・・わたしの外見が変わったように、わたしのいたガドル王国とは違うかもしれないし・・・」

 悶々と着岸した船に、船員が橋をわたしているのを眺めるビビ。

 荷物が次々に運び出され、船員に声をかけられようやく下船することになった。


 元気でな~と手をふる船員たちに、船が小さくなるまで手をふって見送り、さて、とガジュマルの鉢を抱える手に力をこめた。


 「とりあえず、ゲームスタートのルールに則り、ベティー・ロードの酒場に行くか!」

 悩んでいても仕方ない。戻ってきたんだから、しのごの言わず動かなければ。まずは状況を把握するために情報収集だ!

 そう勇んで振っていた手を握りしめ、身体の向きを変えようとした時。


 「・・・ビビ?」


 自分を呼ぶ、震える声。


 「・・・え?」

 次の瞬間、後ろから腕が伸び、ガジュマルの鉢ごと抱きしめられる。

 「・・・?!」

 「ビビだ」

 その声に、ドクリ、と心臓が大きくうねったような衝撃が走る。

 「あ・・・」

 次の瞬間全身が震えて力が抜けそうになるのを、必死でこらえ、ガジュマルの鉢を抱える腕に力を込めた。


 忘れるわけがない、この感触。

 何度も、何度も、抱きしめられ、護られた腕を。

 「さ、サルティーヌ・・・様?」

 声が震えてうまく出せない。ビビを抱く腕がその声にピクリと反応した。

 「もう、・・・名前で呼んでくれないの?」

 少し、拗ねたような声色。


 ああ、

 「・・・っ、」

 懐かしすぎて、胸が熱くなり、ゆらりと視界が涙で揺れる。

 ぽろぽろと溢れた涙が、身体の前で組まれた大きな手のひらに滴り落ちた。


 「カリスト・・・、」


 呟いた声に、ゆっくりと腕を解かれ、身体の向きを変えさせられる。手のひらがそっとビビの頬を撫でるように、顔を持ち上げられた。

 背後から昇った朝陽が、向き合った二人の顔を明るく照らす。

 変わらない、青い瞳に映る自分は・・・

 自分が一番最初に作って、大事に育てあげた理想のキャラクターのオリエで。でも、その娘のビビだった自分が、以前どんな容姿だったのか、不思議に思い出せない。赤い髪と深緑の瞳だったことは、かろうじて記憶にあるのだけど。

 でも、そんな自分をじっと見つめる男は、以前にも増した精悍な顔立ちに、大人の落ち着いた雰囲気を纏って。10年という月日の流れを感じた。


 「・・・カリスト、さん」

 ビビはくしゃりと泣き顔のまま、ほほ笑む。

 「随分・・・大人っぽくなりましたね・・・?」

 カリストの目が優し気に和らぐ。流れ落ちる涙を、伸ばされた指先がそっと拭った。

 「お前は・・・変ったな。でもすぐにわかった」

 言って、こつりと額を重ね合わせる。

 額を重ねて、鼻にキスをする仕草も以前のまま。

 「おかえり」

 「・・・っ、た、ただいま・・・です」


 そっと重ねられた唇は、涙の味がした。

 

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