第208話 最後の願いを
大地の守護龍アナンタ・ドライグ
そう、巨大な守護龍は名乗った。
9年に一度のアルコイリス杯。
9つある大陸から選ばれ頂点に君臨したのは、ガドル王国の代表ハーキュレーズ王宮騎士団総長、カリスト・サルティーヌだった。
守護龍アナンタ・ドライグは知っていた。
2代前、龍騎士を襲名した女が男の最愛の妻、今や【龍騎士の始祖】と呼ばれているオリエ・ランドバルドであり。そしてその前世が聖女オリエ・ルナ・ランドバルドで、守護龍の盟友である元太陽神ソル・ティアが自身の名と太陽神の地位を棄ててまで欲した女、であるということ。
だから、カリスト・サルティーヌは願うと守護龍は思ったのだ。
聖女であった記憶が戻り、妻の心は魂の半身であるソル・ティアを求めていた。記憶が戻る前の彼らの仲睦まじい様を知っていたからこそ、孤独に力を追い求め戦うカリスト・サルティーヌの願いは・・・必然的に、愛する妻の心を望むのであろうと。
だが、試練を終えた後、満身創痍の男は剣を腰に差し、騎士の礼を取る。
こちらをまっすぐ見上げる青い瞳は、波ひとつたたぬ湖の水面のように静かだった。
(大地の守護龍アナンタ・ドライグに申し上げます)
そして、カリスト・サルティーヌは語る。
命より大切に思っている、幼い末娘のことを。
妻の龍騎士オリエ・ランドバルドの力を引き継ぐための器として、妻の胎内に生を受けた血の繋がりのない、前世である聖女の姿を宿した娘。妻のオリエの心が自分にない今、何よりも愛おしく、誰よりも幸せになってほしいと願っていることを。
(俺はそう長くは生きられません。娘の幸せを見届けることは、ないでしょう)
アルコイリス大陸全土の頂点に立つために。ただひとつの願いを叶えるために、カリスト・サルティーヌは一滴の魔力も無駄にすることなく、己の剣にこめて戦い、そして遠くない先に訪れる自分の終焉を既に見据えていたのだ。
そこまでして、望む願いとは?
問うた守護龍に、カリスト・サルティーヌは微笑んだ。
――――――――ビビ、忘れないで
「・・・あ、」
ふいに、蘇る記憶。ビビは目を見開いた。
(もしいつか・・・どこかの時代で、娘と・・・ビビと会うことがあるのなら)
――――――――父さんは、ビビの幸せを願っている。
幼い頃連れていってくれた、最北にある水源の滝。父親の腕に抱かれ、勢いよく流れ落ちる水が水面に突き出た岩を弾き、髪に降り落ちる水飛沫が射し込む陽の光でキラキラするのを見るのが大好きだった。
「父・・・さん」
(どうか・・・彼女の願いを叶えてあげてほしい)
夢で見た、母親と神殿で寄り添う父親が。ふいにこちらに視線を向け微笑んだ。
――――――――父さんは、ビビの幸せのために、未来に贈り物を残したんだ・・・
※
「お父・・・さん」
ぶわり、と涙があふれ頬を流れる。
願えば叶うのに。愛する
カリスト・サルティーヌは、父親は最後までビビの幸せを願っていてくれたのだ。
その優しさと、自分に残された溢れる愛情と、隠れた孤独と苦悩にビビは胸が詰まり嗚咽を漏らす。
(お前の父親は・・・最後まで見事な生きざまだった。今世、お前を選んだカリスト・サルティーヌもまた、その魂に劣らぬ強さを持ち合わせている。良い男となろう)
「はい」
ビビはしゃくりあげながら、守護龍を見上げ笑顔を見せる。
「わたしの・・・自慢の父親、そしてこの身を捧げた恋人、ですから」
ビビの笑顔に満足そうにうなずき、守護龍は再度ぐるりと周囲を見渡す。ステージと守護龍の周りは見えない結界が張られ、姿は確認できても、結界内でどのような会話が交わされているかは、結界外の人間は知るよしもない。
固唾を飲んで不安げに此方を見ている面々をながめ、守護龍は再度視線をビビに向ける。
(娘よ。我が人間の願いを叶えるのは・・・これが最後、となろう)
「えっ・・・?」
この言葉には、ソルティア陛下も驚いたように視線を守護龍に向ける。守護龍はちらり、と視線を結界外の、ステージに程なく離れた主賓エリアへ。
(そこの龍騎士が・・・願ったからな)
ビビが視線を向けると、主賓エリアの客席で心配そうにこちらを見つめるリュディガーの姿があった。
「リュディガー師団長・・・」
――――――――――――
前回9年前に誕生したガドル王国三代目龍騎士、リュディガー・ブラウン。
問われた望みに、彼は迷うことなく答えた。
自国の平和、繁栄を願うことは容易い。だが、ただ与えられただけのそれらは、砂の城よりも脆いのだということを、過去の戦禍の時代が物語っていると。
平和は与えられるものではなく、我々がつくり積み上げていくもの。
願いは乞うものではなく、我々が日々精進し掴み取るもの。
守護龍アナンタ・ドライグよ。我らの願いは、あなたの試練に打ち勝つこと。あなたに我らの存在価値を認め、護る意義があるのだと誇ってもらえること。
それ以上あなたに望むことはないのです。
――――――――――――
(我に語る龍騎士の望みは、彼らの本心である。そこには義理も見栄も、神々ですら干渉することはできぬ。龍騎士リュディガー・ブラウンはまさに騎士道を極めた武人であるのだな。友よ、誇るがいい。お前の導いた国だ)
穏やかにそう言われ、ソルティア陛下も小さく頷いてみせた。
(さあ、娘よ。神獣ユグドラシルの加護を受けし、愛し子よ。望みを言うがいい)
ビビはぎゅ、と両手を握りしめる。
(冥界ハーデスの
「・・・」
自由。
解放。
ずっと、自分が願っていたことだった。
GAMEに・・・箱庭に聖女オリエ・ルナ・ランドバルドを引き寄せてしまったばかりに、望まぬ《鍵》としてこの箱庭に転移されて。自分が育てた龍騎士オリエ・ランドバルドのスキルと龍騎士の銃を引き継いで、無理やり戦わされた。生きる為に学んだ。来る選択の時のために、その力と向き合った。ただひたすらに無我夢中でもがいて、足掻いて・・・。
何度、恨んだことだろう。
何故、自分だったのか。
何故、他の《アドミニア》じゃなかったのか。
何度、後悔しただろう。
聖女オリエ・ルナ・ランドバルドと龍騎士オリエ・ランドバルドと夢を共有し、その孤独と苦悩を知るたび《アドミニア》として犯した自分の罪の呵責に、心が張り裂けそうになって。
――――――――ビビ、
愛した男が、違う
その腕に抱かれるたびに、いつか手離さなければならない運命を呪った。
―――――――――ビビ、愛しているよ。
ああ、わたしもあなたが好き。
もし、
もし、すべて解放され、魂の半身としてあなたの手を取ることが、できるなら。
視線は自然と正面のステージ下に整列した派遣団の最前列に立つ、カリストへ。
湖の底を思わせる深い青の瞳が、じっとビビを見つめていた。
ふわり、と指先に柔らかな感触が。
目を落とすと、金色の鬣から“ルミエ”の光が舞い上がる。
すり、と手の甲にすり寄る頭をそっと撫で、ビビは知らず笑みを漏らした。
そっと膝をついて、そのシルクを思わせるサラサラした毛並みを抱きしめる。
「・・・大好きだよ、ユグド」
そうだね、もう、終わらせなきゃ――――
「解放を」
ビビは告げる。
凛と響くその声に、身を寄せ合うソルティア陛下とオリエがわずかに身動ぎをした。抱き合ったままお互い見つめ合った。
会えて、よかった。
心の中で呟いた声に、ソルティア陛下もまた笑顔で返す。
ああ。ビビちゃんに感謝を――――――――
だが、次の瞬間、
「わたくし、ビビ・ランドバルドは。残る聖女オリエ・ルナ・ランドバルドの魂と、その半身である黒い鳥、ソル・ティアの魂の自由を求めます」
「・・・?!」
オリエとソルティア陛下は息を飲んだ。
(よかろう)
大地の守護龍アナンタ・ドライグは背中の翼を大きく広げ、声高々に宣言する。
(ビビ・ランドバルドよ。大地の守護龍アナンタ・ドライグの名において、その願いを叶えよう」
「・・・!駄目だ、ビビちゃん、君は何を・・・!」
ソルティア陛下は慌てたようにビビに声をかける。
ビビは二人に向き直り、笑顔を見せた。
「わたしが選んでいいって。わたしの選択を尊重するって言ったの陛下じゃないですか」
「だけど、いや、しかし・・・」
カリストはどうするのか、と問いかけかけ・・・そこでビビが笑みを浮かべながらも、小刻みに震えているのに気がついた。
「ビビ・・・」
涙を浮かべたオリエに歩みより、そっと指先で目尻をなぞるようにしてビビは微笑んだ。
「約束、したよね。オリエ、わたしが解放してあげるって」
「でも・・・!」
首をふるオリエをそっとビビは抱きしめる。
「大事なの、オリエ。母親と同じくらい。あなたが大事」
ボロボロと涙をこぼし、言葉に詰まるオリエに明るく笑いかけ、頷いた。
「後悔しません。わたしは、戻ります。だから、あとは陛下にお任せしますね!大変でしょうけど頑張ってください」
「ビビちゃん・・・」
気づけば、ソルティア陛下の姿は・・・黒衣を身にまとった青年に変わっていた。
「陛下、姿が」
「えっ・・・?」
目を見開くビビに、ソルティア陛下もまた驚いたように自分の姿を見やる。
(お前達を縛るものは、全て無に帰した。黒い鳥ソル・ティア。我が友よ。今をもって太陽神ソルへ戻るがいい)
「・・・!」
「・・・?!」
(そして・・・)
ゆっくりと守護龍の金色の目は、ビビへ向けられる。
(ビビ・ランドバルドよ。・・・礼をいう)
ビビはびっくりしたように何度か瞬きをし、そして笑った。
※
きらきらと傍らに寄り添う神獣の身体から光が溢れ、ビビをやさしく包み込んだ。
はっとして見上げれば、暗い城内に光が差し込み、明るく神獣とビビを照らしている。
(お前の魂と寄り添った日々は、楽しかった、と。願わくば・・・【時の加護】と共にお前の魂とあり続けたいと願ってしまうほどに。そう、伝えてほしいと)
守護龍アナンタ・ドライグの声が告げる。
「ユグド・・・」
(お前の魂はまさに月光のごとく輝き、眩しく・・・明るく、闇夜を照らしていた)
(ビビ、我の加護を受けし愛し子。お前の愛し護ろうとしたものは、我にとっても同じもの・・・)
ゆっくりと溢れる光とともに、神獣ユグドラシルの身体が薄くなっていく。
(来る戦禍の前に・・・この
パァン!
軽やかな音とともに、ビビの胸元の緑の魔石が弾ける。
溢れた光の粒子が一斉に空へ舞い上がり、流星のようにあたり一面に降り注ぐ。
闘技場内はもちろん、あちらこちらで歓声が沸きあがり、時が動き出したように、皆が天に向かって皆手をつきあげた。
「光の・・・洪水」
「これは、神獣ユグドラシルの祝福・・・?」
「なんて、綺麗・・・」
(さらばだ、ビビ・ランドバルド)
大きく翼をはためかせ、一瞬に守護龍アナンタ・ドライグの姿が消える。
同じように傍らで消えゆく身体に、そっと腕をまわす。
「ありがとう・・・ユグド。今まで護ってくれて、一緒にいれくれて」
忘れない。そのやさしさを、温かさを。
声を持たぬはずの神獣が、細く鳴く音がビビの心に響く。
やわらかな風が巻き上がり、ビビの頬をやわらかく撫で。
そして、緑の神獣は消えていった。
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