第206話 召還
最後の代表者に帯を授与し、ビビは整列した武術団の面々へと向き直る。
そのままステージを降りて、退出すると思われたビビが留まるのに、ソルティア陛下はわずかに眉を寄せた。
「ビビちゃん?」
ビビは続けて、ステージ横にいる、武術団スリートップである、イヴァーノ、リュディガー、オスカーへ視線を向ける。
その横にいるヴェスタ農業管理会の組合長、プラットへと視線を移し、怪訝そうに見返してくる彼らに笑いかけ、腹の上で手を重ねると優雅にお辞儀をしてみせた。そう、司書室のアランチャのように。
「ビビ・・・」
らしからぬ大人びた所作に胸騒ぎがさらに強くなり、リュディガーが呟く。
ビビはもう一度ソルティア陛下へ向き直り、ほほ笑んだ。
「陛下に、心から感謝を」
ソルティア陛下の紅い目が僅かに見開かれる。
「ビビちゃん・・・」
「わたし・・・決めました。わたしの意思で・・・"けじめ"をつけようと思います」
ビビの言葉にしばしソルティア陛下は黙り込む。少し間をおいて、やがて小さなため息を落とした。
「そうか」
軽く頷いてみせるとビビもまた頷き、一歩下がると、パンと両手を重ね合わせる。
唇が動き、不思議な声音が紡がれる。
パアッ!
金色の巨大な魔法陣がステージの床に浮かび上がる。
溢れ出る魔力の洪水。光は柱となり天に向かって突きあがり、ビビの身にまとう深緑のドレスの裾が生き物のようにはためいた。
どよめきとともに強風が噴きあがり、周囲は一瞬にして混乱し、声をあげながら顔を覆う。
「ビビ・・・?」
「、まさか」
リュディガーははっとした表情でステージへ駆け寄ろうとし、強風に阻まれて後ずさる。
ビビの胸元にさげられた、"神獣ユグドラシル"の魔石のペンダント。
神獣の加護が宿るそれは、ビビと神獣ユグドラシルを繋ぐものであるとジャンルカから聞いていた。
ビビの唱えた言霊と浮き上がる魔法陣は、単にその神獣の加護の力を引き出すだけのものではなく、召喚魔術だった。
ならば、ビビが召喚しようとしているものは・・・
リーン、
リーン・・・
響き渡る鈴の音。
光の洪水と巻き上がる強風が治まり、あまりの眩しさに目を覆っていた手を恐る恐る外し。そして一同は目に映るものに一斉に息を飲み、動きを止める。
ステージの祭壇に立つ、ビビとソルティア国王陛下。
そしてその前に姿を現し対峙する、金色の光を放つ緑の神獣。
誰もが知り、見間違えることはない。
その姿は、国民に愛され、街角広場の巨大な噴水には、女神ノルンと共にその姿を模した石像が佇んでいるのだから。
「神獣ユグドラシル・・・」
誰かの呟きとともに、水面に幾重にも広がる余韻のように、困惑とどよめきが闘技場内に湧きあがる。
ビビは目の前の神秘を讃えた緑の生命体に、一歩近づき、そっと両手を差し伸べた。
ふわり、と光る“ルミエ”が金の鬣から舞い上がった。神獣ユグドラシルはゆっくりと頭をビビの腕の中へ、身を委ねるようにすりよせた。
ぎゅ、と不思議な手触りのその身体を抱きしめ、頬を寄せる。
今まで、首に下げられた魔石の気配でしか感じることのなかった、神獣。
この世界で目覚めた時から、ずっと傍に寄り添い護ってくれた、温かで優しい存在。
――――――――――やっと、会えた。抱きしめられた。
「ありがとう。わたしの声に応えてくれて・・・」
最後に会えて、こうして抱きしめられて、嬉しい。
「流石だね。ユグドを銀月祭以外で召還するなんて・・・」
ソルティア陛下は息を落とす。前世オリエ・ルナ・ランドバルドでさえ成し得なかったことを、加護を受けてから一年も待たずに遂げてみせた娘。
神獣を召還するなど、伴う魔力がなければ不可能であることは、勿論。この高貴な神獣を呼べるのも、自ら媒体として呼ばれるのも。彼の知る限りでは、1人しかいない。時の狭間で飽きもせず時空を監視し続けている、仮面で顔半分を覆った旧知の友の姿を思い浮かべた。それだけビビは神獣ユグドラシルの寵愛を深く受けているのだろう。迷いもなく自らその腕に抱かれた神獣を見ていればわかる。
「ソルティア陛下、わたし、元いた世界に戻る前に聞きたいことがあるんです」
神獣ユグドラシルを腕に抱いたまま、ビビはソルティア陛下を見上げるようにする。それが出会った時の、幼い聖女オリエ・ルナ・ランドバルドと重なった。
ソルティア陛下は一瞬切なげに眉をさげ、そして軽く首を傾げてみせる。
「僕に答えられることであれば」
「新年4日。何故、今日が壮行会だったのか、って。ジャンルカ師匠が残した記録の中で偶然見つけた、まさに過去、聖女オリエ・ルナ・ランドバルドが最果ての地にわたり、神獣ユグドラシルを封印した日。今日が一年の中で最も神獣ユグドラシルの加護が大地を覆い、最果ての地と、わたしが《アドミニア》として存在していた異世界が接近するのだと」
「・・・!!」
ビビの声に、ステージ脇に控えていたリュディガーが何かを叫んでいる。
だが、何か見えぬ力に遮られ、その言葉はビビには届かない。駆け寄ろうにも、見えぬ壁がステージの周囲を囲み、近づくことさえできなかった。
「ビビちゃん・・・君、」
神獣ユグドラシルを抱く腕が、鬣を撫でる指先が何かに耐えているように震えていたが、意を決したように顔をあげ、視線をソルティア陛下に向けると微笑んだ。
「陛下・・・わたし、戻ります。《アドミニア》であった世界に。今なら戻るべき道が見える」
「ビビちゃん・・・」
「・・・?!」
「・・・!!!!」
背中に痛いほどの視線を受け、ビビは歯を食いしばる。
泣くな、・・・泣いちゃ、駄目だ!
カリストは、共に戦おうと言ってくれた。
自分を信じ、仲間を信じ、最後までもがき、生きようと。
でも、最初から、ビビの選択はひとつしかなかった。
ビビが残れば、確実に歴史は繰り返し、"神獣ユグドラシルの加護"の力を求め、数百年前のオーデヘイム王国で起きた戦禍が、今度はガドル王国で起こるだろう。その力に引き寄せられ・・・遠くない先に冥界ハーデスの門の封印は解かれ、やがて定められたら因果率により、神獣ユグドラシルの名の元、大地の浄化が訪れる。次の歴史を刻むために。
この国は、自分を受け入れてくれた。
たくさんの人が、手を差しのべて、背中を押して助けてくれた。
進むべき道を示してくれた。
そんな人たちが、過去オーデヘイム王国の人間のように、"神獣ユグドラシルの加護"を持つビビを利用するとは、思えなかったけど。
「今なら・・・この国の人たちに感謝したまま、帰れる。笑顔でさようならが言える。でも、わたしが元の世界に戻った後・・・
パァアアアッ!
ビビの言葉に反応して、胸元の魔石が再びひときわ強い光を放つ。
光が溢れ、流れ落ち、そしてひとつの形を形成していく。
目の前で起こる現象に、皆身動きすらできず、息を飲み見守っていた。
光は徐々に治まり、そして現れたのは。
「ビビ・・・?」
リュディガーの声が漏れる。
「ビビが・・・ふたり?」
ビビと対峙して佇む、赤い髪の女性。
見たことのない白い衣装を身に着け、鮮血を思わせる鮮やかな赤い髪はゆるやかに波打って、膝裏まで流れている。
深い森を思わせる瞳も、赤い艶やかな唇も、まるで映したかのようにビビと同じで。
「【ルナ】・・・」
ソルティア陛下が呟く。
赤い髪の女性は視線をソルティア陛下へ向け、やわらかな笑みを浮かべた。
「・・・【ソル】」
「【ルナ】、いや、オリエ・・・何故」
茫然としているソルティア陛下の元へ歩み寄る。動けないソルティア陛下に、そっと手を差し伸べ、笑いかけた。
「ビビが、呼んでくれたの。【ソル】に会わせてくれるって」
「ビビちゃん、君は・・・」
目が合い、ビビはにこっと笑う。
「母である龍騎士オリエ・ランドバルドの存在が消えて、【ルナ】であるオリエの存在がはっきりわかるようになったんです。呼びかけたら、応えてくれたからひょっとして既に別の魂として存在しているんじゃないかって思って・・・」
言って、ビビは傍に佇む、緑の神獣の鬣を撫でる。
「ユグドラシルにお願いして、残るオリエの魂を具現化してもらっちゃいました」
神獣ユグドラシルもまた、その手にすり寄り、舞った“ルミエ”の光が舞い上がり、白い花に姿を変えて彼らの足元に舞い落ちた。
「ソルティア陛下、教えてほしいんです。わたしが元の世界に戻ったら、
「それは・・・」
(ビビ、神獣ユグドラシルの加護を受けし、愛し子・・・それは叶わない)
突如声が響く。
「・・・?!」
ざわり、と闘技場内から声が上がる。
「えっ・・・!」
「なにか・・・、空から・・・??」
ドン!
天井のない上空から突如ふりかかる圧の衝撃に、客席から悲鳴があがる。
ドン!
ドカーン!!
ステージ横に巻き上がる竜巻。
ぐらぐらと地面が大きく揺れ、立っていられず足を取られた観客が次々と倒れ込む。
(役者は・・・揃ったようだな)
その声にビビは息を飲む。
「大地の守護龍アナンタ・ドライグ・・・!」
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