第203話 墓標への報告
夢を見た。
花の咲き乱れるジュノー神殿で、肩を寄せ合いデートをしている若い頃の両親の後ろ姿。
母親のやわらかな金の髪を指に絡め、唇を落とすのは父親の癖。
くすぐったそうに笑う母親を抱きしめ、愛の言葉を囁いて。
幸せが溢れるって、こういうことなんだろうな、って見ているこちらまで知らず心が温かくなる。
お母さん、
良かった。幸せそうに、笑っている。
ふいに父親は顔をあげ、視線をこちらに向ける。吸い込まれそうな綺麗な青い瞳と目が合った。
お父さん、
心で呼びかけた声に、男は優しげに微笑んだ。
やわらかな、それでいて甘い色香を伴う微笑みに、娘でありながらもときめいた。
(・・・、)
父親の薄い唇が何かを告げる。
え?なんて・・・?
(忘れないで)
父親は再度告げる。
(父さんは・・・ビビの幸せを願っている)
(・・・・・・、)
※
年が明けた。
新年四日後に、いよいよ隣国のグロッサ王国との連携で、大規模の遠征が行われることが正式に発表になり。
ガドル王国内も、年明けでありながら浮かれた雰囲気はなく、イレーネ市場もどこか喧騒の中、緊張感に包まれていた。
ビビは相変わらず魔術師会館に籠りっぱなしだったが、夕方にはカリストが迎えに現れ、周囲に冷やかされながらそのままカリストの自宅へ行く、という日々が続き。ベティーからも、そろそろ宿の部屋を引き払って、そのままカリストと住んでしまえば?と提案される始末。
誰もが、春の討伐が終わった時点で、ビビが帰化するものだと信じて疑わなかった。
その日、ビビは花束を抱えてラヴィーと共にジュノー神殿を訪れていた。
「悪い、待たせたか?」
「お久しぶり、ビビさん」
後ろから声がかかり、振り返ると、ヴィンター夫妻が花束を持ってジュノー神殿に入ってくるのが見えた。
「ヴィンター、キアラさんも」
今きたところだから、と笑顔を見せると、キアラは安心したように笑みを返した。
ラヴィーも嬉しそうに跳ねながらキアラにじゃれつき、それを横からヴィンターが笑いながら手を伸ばし抱き上げる。
「良かった、元気そう」
「すみません、その節はいろいろご迷惑を・・・」
彼らと会うのも、ジャンルカの葬儀以来、だ。
先日なんとか残されたジャンルカの研究をまとめあげ、気づけば年は明けてしまっていた。
ずっと魔術師会館に籠っていたので、考えてみたらお世話になっていながら、会えていない人は両手合わせても足りない。随分不義理なことをしてしまっているな、と反省してしまう。
ラヴィーをあやしながら、悶々としているビビを見、ヴィンターはわずかに眉を寄せる。
「ヴィンター・・・?」
「ん?何でもない。久しぶりだな」
そのまま三人でジュノー神殿の庭園の先にある霊園へと向かう。
"ジャンルカ・ブライトマン"
"ベアトリス・ブライトマン"
刻まれた墓標の前に、抱えていた花束をそれぞれ供える。
ビビは跪き、手を合わせた。
その後ろ姿を眺め、ヴィンターはさらに違和感を感じていた。
「ヴィンターとキアラさんににお願いしたいことがあって」
ビビは立ち上がり、膝を払いながら振り返る。訝し気な視線を向けるヴィンターと目が合うと苦笑した。
「どうしたの?改まって?」
「実は、ラヴィーとの主従契約を解除しようと思ってるの」
「・・・え?」
キアラは息を飲んで、あわててヴィンターに視線を送る。
ビビはヘム・ホルツと契約し、意思の疎通がはかれる唯一の人間だと聞いている。そのビビが何故・・・?
ヴィンターは厳しい表情でビビを見るが、ビビは困ったように軽く肩をすくめるだけで、ヴィンターの腕の中のラヴィーを撫でる。
ラヴィーは嬉しそうに低く鳴きながらビビの手のひらにすり寄った。その、ラヴィーのビビに許しきっている様子を見やり、キアラは驚き戸惑い、どう返したらよいのか混乱していた。
「契約を解除って・・・ど、どうして?」
「うん、ちょっと今後ラヴィーのそばにいてあげられなくなるから・・・ヴィンター達にこの子、懐いているし・・・わたしの代わりに主従契約結んでもらえたらな、って・・・」
もちろん、契約の上書きはするから、問題ないし!と付け加える。
「どういうこと?」
咎めるような口調でヴィンターはビビを見返す。
先ほどから感じた違和感はこれだったのか、と思う。なにか決意した表情のビビ。だが・・・それに反して見え隠れするのは。
「ごめん・・・」
ラヴィーを撫でる手を止めずに、ビビは目を伏せる。
「うまく説明できない。ただ・・・もうすぐ、終わる」
「終わる・・・?」
「うん。なかったことになる。全部・・・わたしがこの国にいたことも、皆と関わってきたことも」
「・・・あんたが、この国からいなくなるってこと?」
「・・・ヴィンター、お願い。なにも聞かないで。あなたたちだからラヴィーを任せられるの」
言って、ビビは目線をジャンルカの墓標へと向ける。ヴィンターは目を細め、その横顔を見つめる。
しばしの沈黙が流れた。
黙ったまま動かないビビに、ヴィンターは小さく息を落とした。
「決めたんだ」
「ん」
うなずくビビ。
「そっか、わかった」
「あなた!そんな」
キアラが声をあげる。ヴィンターの腕の中で、ラヴィーは驚いたように耳と手を動かし、心配そうにビビとヴィンターを見比べていた。
ヴィンターはラヴィーをキアラに渡すと、大丈夫だよ、と安心させるようにラヴィーを撫で、ため息をつく。
「・・・父の墓標を前にして打ち明けたんだ。もう、覚悟は決まっているんだろ?なら、何も聞かない」
「ヴィンター」
ビビはほっとしたような、でも泣きそうな顔でヴィンターを見る。
ヴィンターは苦笑して、ビビの頭に手を置き、くしゃりと撫でた。
「・・・悪いけど、そんな理由。俺自身は納得できていないから。でも」
言って、目を細める。そのまなざしが、亡き師匠と重なってビビは目頭が熱くなるのを感じた。
「どうせ、あんたのことだから誰にも打ち明けずに行くんだろ?なら俺一人くらい、笑顔であんたを送り出してやらなきゃな」
ビビの口元が何か堪えるように、歪む。でも、かろうじて涙を見せずにビビはほほ笑んで見せた。
「ありがとう・・・感謝している。ラヴィーをよろしく」
*
「剣帯と銃帯はこれで全部ですね」
ヴィスタ農業管理会の婦人部の倉庫で、検品済みの積み上げられた木箱の最後の蓋をしめると、周囲の婦人部のメンバーから歓声があがった。
二日後に迫った長期遠征に支給される、武器を装着する帯に加護を重ね付けする数は、前回の遠征の倍以上の数量で。それでも準備期間はその半分しかなかった。カイザルック魔術師団では24時間交代制で、糸と生地に加護の重ね付けをし、何人も魔力切れ一歩手前で倒れ、研究室は屍累々状態。その努力と熱意を引き継ぎ、婦人部のメンバーは年末年始は不休で総出で帯を仕上げたのだった。
「良かった!ギリギリ間に合ったわ!」
「ほんと、最悪また遠征先まで届けなきゃいけないところだったわね」
とはいえ、加護の重ね付けはまだ評議会にすら報告をあげていない極秘事案なだけに、隣国も混じる遠征先に届けることは、できるだけ回避したいところだった。
「あ、あとヴァルカン山岳兵団の分は、先ほど届きましたから・・・」
気づけば、ヴェスタ農業管理会の婦人部以外にも、話を聞いた山岳兵団や一般国民まで、"戦いに赴く家族や恋人の安全と武運を祈願する"と刺繍や縫製に自ら参加して、まさに国の総力あげての事業となっていた。
倉庫で手分けして、婦人部に代わり、農場や牧場で働く男たちが次々と各部隊ごとに仕分けをする。
積みあがった箱が、どんどん運ばれていくのを見送り、ほっと一息ついていると
「お疲れ様です」
プラットから声をかけられて、ビビは振り返り笑顔を見せた。
「いえいえ、婦人会の皆さんの頑張りですよ!ほんとこの短期間ですごいです」
「ご謙遜を。ビビさんの一声と采配あってこそ、ですよ」
言って、プラットは目を細める。
「顔色があまりよろしくないようですが・・・カリストが困らせて無理させていませんか?」
噂で、ビビがベティーの宿には戻らず、カリストの家から魔術師会館に通っている、ということを聞いているのだろう。ビビがそのままカリストと一緒になってくれるのは、プラットとしては大歓迎ではあったが・・・。
「いえ、困らせるなんて、その・・・」
言いながらビビは赤くなる。
「今回の長期遠征で、第三騎士団の隊長として指揮を任されるんですから、緊張されているみたいで。わたしとしてはリラックスできる空間を提供することくらいしか、できないので・・・」
お陰で毎晩抱かれて寝不足だ、なんて仮にも父親を前に言えるわけがない。
結局は流されて、身を委ねてしまう自分にも責任があるのだから。
逆にビビ自身カリストの腕に抱かれてないと熟睡できなくなっていて、今更一人寝の宿に戻れない、なんて。・・・慣れは怖い。
おやおや、とプラットは何か思い出したように小さく吹き出した。
「・・・プラットさん?」
「ああ、すみません。ちょっと亡くなった妻のことを思い出しましてね」
プラットの妻、というと、カリストの母親でもある、エレクトラ・サルティーヌ、のことだろう。
左薬指の指輪に目を落とし、ビビは首を傾げる。
「妻は、独身時代はハーキュレーズ王宮騎士団で女騎士だったんですよ」
「え??」
「結婚して、カリストが産まれてからは退団して、ヴィスタ農業管理会の婦人部に在籍していましたけどね」
そういえば、そのようないきさつを以前婦人部のマダムから聞いた記憶がある。
「妻が・・・エレクトラが、長期遠征に行く数日前に、同じような理由で私のところに転がり込んできたんですよ」
当時を思い出しているように、プラットは懐かし気に目を細める。
「同じように、って?」
「彼女にとっては初の長期遠征でしたからね。若い女性が仮にも一人暮らしの独身の男の家に押しかけてきて、何を言うのかと思えば・・・不安で夜一人で眠れないから、せめて出発まで傍にいさせてほしいと、これまた殺し文句をですね・・・」
「わぁ・・・」
知らず顔が熱くなり、ビビは両頬を手で押さえる。
「エレクトラはハーキュレーズ王宮騎士団では、マドンナと言われて人気がありましたからねぇ。彼女とは幼馴染でしたが、兄妹のように育ってきましたから、そう言われてベットに押し倒された時は驚きました」
「べ、ベットにって、それって・・・」
ビビはあんぐり口を開いたまま、プラットを見る。プラットはふふふ、と珍しく不敵な笑みを浮かべた。
「やはり、母息子の血は争えない、ということです」
情熱的な女、でしたよ?と茶目っ気たっぷりに言われて、ビビも思わず笑いを漏らした。
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