第201話 心のある場所

 ガドル王城でビビに叩かれ逃げられて。

 そのままイヴァーノに拉致されて、書類仕事を手伝わされ、解放された頃はすでに日も暮れていた。

 デリック達に、トーナメント準優勝と、来年の第三騎士団隊長の就任のお祝い兼ねて飲みに誘われたが、なんとなく気が乗らなくて断り自宅へ向かう。ベティー・ロードの酒場へ行けばひょっとしてビビに会えるかも?と思ったが、ここ最近はほとんどカイザルック魔術師団に籠って寝にしか帰らないと聞いていた。


 「やっぱり、謝るべきだよな」

 悶々としながら城下町の市街地の通りを歩き、足を止める。

 前方に見える我が家に、灯りが灯っているのが見えたからだ。


 「あ、おかえりなさい」

 勢いよくドアを開けると、エプロン姿のビビが鍋を手にしたまま振り返る。

 「・・・え??」

 思わず声が裏返るカリストに、ビビはコンロに鍋を置くと、エプロンを後ろ手で外しながらカリストの元へ歩み寄る。

 茫然としている顔を見上げ、苦笑した。

 「・・・まだ、赤いあとが残っていますね。ごめんなさい」

 「あ、いや・・・」

 伸ばされた手が、そっとまだわずかに熱を持つ頬に触れる。

 「ビビ・・・?」

 「えっと、」

 ビビは眉を下げ、一歩下がると頭をさげた。

 「勝手に入って、ごめんなさい。叩いたお詫びに夕飯作ったんです」

 「あ・・・うん、」

 思わず後ろ手で頭をかき、カリストは息を落とす。

 「いいよ。いつでも来ていいって鍵渡したの、俺だし・・・」

 顔をあげたビビをそっと抱きしめた。


 「えっ、あ、あの・・・?」

 「俺こそ、ごめん。久々会えたから、調子に乗った」

 「いえ、すみません。わたしもそんな、煽っているつもりはなかったんですけど・・・」

 戸惑うビビにカリストは小さく笑い、そっとビビを離すと両手で頬を包み込む。

 「良かった。警戒されて、しばらく会ってもらえないかと思ってた」


 ※


 すぐ用意できますから!とパタパタとキッチンに戻るその後ろ姿を眺め、カリストは自然に頬が緩むのを押さえられなかった。

 エプロン姿にお玉を持つ姿が可愛くて、なんか・・・新婚さんみたいだ、なんて。

 だが、"プラットさんから、発泡ワインいただいたんです!"とビビが籠からワインの瓶を出してテーブルに置いた瞬間、無意識に顔が強張るのがわかった。


 「・・・父さんから?」

 「はい。イレーネ市場でお会いしたんです。サルティーヌ様の家へご飯作りに行くと言ったら、ヴェスタ農業管理会の事務所へ連れていかれて」

 屈託なく笑うビビに、カリストはさらに眉を寄せる。

 「・・・なにも入っていないだろうな」

 「?なにか言いました?」

 「いや、こっちの話」


 冷たいワインで乾杯して、テーブルに並べられた料理の数々にカリストは驚く。

 これは・・デリック達の誘いに応じなくて正解だったと思った。

 「・・・これ、みんなお前作ったの?」

 「お祝いです」

 ビビは笑う。目を見開くカリストに、再度ワイングラスを重ね合わせた。

 「来年から第三騎士団隊長就任、おめでとうございます」

 「・・・聞いていたんだ?」

 「はい。イヴァーノ総長戦は残念でしたけど・・・すごいですよね。大抜擢じゃないですか」

 それは、半分お前の加護の指輪のおかげでもあるんだけど・・・と思いながらも、ビビが自分のことのように嬉しそうにはしゃぐので、悪い気はしない。

 「ありがとう。美味そうだな、いただきます」

 しばらく近況報告を交えながら、ワインと料理を楽しんだ。


 「そういえば・・・来年四日からいよいよ遠征なんですね」

 「情報が早いな。俺も今日聞いたところ」

 あと10日か・・・とビビは呟く。武器を携帯する帯の加護付はすでに終わり、納品を待つのみとなっている。

 「前日の壮行会に、女神テーレの御子としてわたしも参加しろって、陛下に言われちゃって」

 「へぇ・・・」

 あまり大ごとにされなきゃいいんだけどな、と思わず心の声が漏れてしまったビビに、カリストは噴き出した。

 「だって!女神テーレの御子コンテストでは、してやられた!って感じで・・・」

 おまけに、表彰式では不意打ちで誰かさんにキスされるし!

 「あんなに綺麗に着飾って、触れるなってほうが無理な話だ。あの時のミラーの顔は見ていて爽快だった」

 ニヤッと笑うカリストを、ビビはジト目で見返す。

 「サルティーヌ様って・・・案外性格悪いんですね」

 「言ったろ?売られた喧嘩は買うんだよ。俺は」

 「え?」

 「渡す気も、諦める気もなかった。例え、お前の気持ちがミラーにあったとしても」

 「・・・」

 「俺の"執着"って、なかなかすごいと思わない?」

 「・・・自慢するものですか?それ」

 「そこは、自分が特別だと、喜ぶところだろ?」

 「もう・・・」

 くすくす笑うビビに、カリストは僅かに眉をひそめる。


 「・・・なんか、あった?」

カリストの言葉にビビの手が止まる。顔をあげると、こちらをまっすぐ見つめているカリストの青い目と視線が合う。どきり、とした。

 「あの、・・・サルティーヌ様」

 「ビビ」

 ビビは目をそらし、立ち上がる。

 「お茶・・・入れますね」

 そそくさとキッチンに立ち、コンロにケトルを置き、火を灯そうとした手を、後ろから伸びたカリストの手が止める。


 「ビビ」

 びくっ、と肩が大きく跳ねた。

 動けないビビに、頭上からカリストが小さく息を落とす気配がした。大きな手が肩に触れ、そのままくるりと向きを変えられカリストと対峙する。うつむく頬にそっとあれがわれる手のひら。


 「バレバレ、なんだよ。お前・・・」

 カリストは言う。

 「バレバレって、わたしは別に・・・」

 「震えてるくせに」

 「・・・っ、」

 「話して、ビビ」

 告げられた言葉に、ビビは目を見開く。顔をあげると、真剣なまなざしとぶつかる。

 「お前が心に思っていること。何でもいい。吐きだせ。受け止めるから・・・」

 言って、伸ばされた指先がそっとビビの頬を撫でる。

 ビビはカリストを見上げ、泣きそうな顔でほほ笑むと、そのままその広い胸に顔を埋めた。


 ※


 カリストは、ジャンルカにビビの加護のこと、転移する前の時代でカリストとは父娘であったことを聞いていたことを話した。

 ビビはしばし絶句していたが、以前カリストに打ち明けようと、ジャンルカに場を設けてもらったにもかかわらず、緊張のあまり酔いつぶれてしまったことを思い出し、あの時か!と頭を抱えてしまった。


 「サルティーヌ様はオリエ・・・いえ、【ルナ】にもお会いしていたんですね」

 「ああ。カイザルック皇帝橋から落ちて流されたお前を探していた時に。彼女がお前の神獣ユグドラシルの魔石のネックレスを拾い、お前のいる場所へ導いてくれたんだ」

 だが、その【ルナ】が龍騎士オリエ・ランドバルドの前世であり、探していた【ソル】が、ソルティア陛下だったとは。


 「元々、普通の国王が持つ魔力じゃなかったからな。ただ者じゃないとは思っていたけど・・・」

 カリストはため息をつく。

 「お前のその姿は・・・元々は聖女オリエ・ルナ・ランドバルドのもの、だったんだな」

 「サルティーヌ様・・・」

 ビビは顔をあげる。なにか決心したようなそのまなざしを受け止め、カリストはわずかに眉を寄せる。

 「ビビ、お前・・・」


 「わたしの持つ、"神獣ユグドラシル"の加護の力が、この禍を呼び寄せているんです。連日ダンジョンのゲートが開き、魔物があふれているのも、その力に引き寄せられた影響なんです。このままじゃ、冥界ハーデスの門の封印も破られる可能性だって・・・」


 ガドル王立学園で学んだ、数百年前に起きた“神獣ユグドラシル”による大地の浄化。その中心に存在した聖女オリエ・ルナ・ランドバルド。

 カリストは当たり前だが、その時代を生きていない。

 だが、大地の守護龍アナンタ・ドライグとの契約を反故した旧オーデヘイム王国の滅亡後、アルコイリス大陸全土を巻き込んだ戦禍によって、それまで積みあげられた歴史と文明は、すべて無に帰したのだ。


 ビビはうつむき、膝の上で組まれた指先を白くなるまで握りしめる。

 「・・・わたし、行かなきゃ。最果ての地へ。行って、終わらせなきゃいけないんです。・・・だから、」

 【オリエ】とともに"神獣ユグドラシル"を封印し、《アドミニア自分》とビビの器と切り離し・・・なかったことにするのが一番の方法なんだと。


 「あなたと共に生きることが、できない」


 そっと手を開き、目を落とす。

 体内をめぐる、膨大な魔力。母親であった、龍騎士オリエ・ランドバルドの気配はすっかり抜け落ちてしまったけれど、不思議に虚無感はなかった。ソルティア陛下の言う通り、融合されたのだろう。その分、今まで感じられなかった【オリエ】の、聖女オリエ・ルナ・ランドバルドの記憶が色濃く表面ににじみ出ているようで。


 「【時の加護】を受けた人間は・・・その瞬間から、自身の終焉を求めて時を旅するんだそうです。わたしも、魂の記憶と加護を引き継いだ者として、"けじめ"をつけなくてはいけないんです」


 「それが・・・最果ての地で、神獣ユグドラシルと共に封印されること、だと?」

 カリストはため息をつき、そっと腕の中のビビの髪を撫でる。

 「・・・封印されるのは【オリエ】、です。わたしは、」


 わたしは、元いた《アドミニア》の世界に戻る・・・。

 なんて、


 「お前の心は、どうなる?」

 問われてくしゃり、とビビの顔が泣くのを堪えるように歪んだ。それでも、抑えきれず目にみるみる涙があふれてくる。


 皆の記憶から、自分がなくなる、なんて。嫌だ・・・


「わたしの心なんて・・・そこにあっては、いけないんです」

 なかったことにされる、わたしの心なんて・・・ 


 言えない、そんなこと。


 「・・・ビビ」

 ぽろぽろと零れ落ちる涙を、カリストの指先がぬぐう。

 泣き虫で、いつも何かに耐えていて。

 やっと頼られるようになったと感じていたのに、こうしてまた、ビビは自分の手をすり抜けていく。


 でも、責めることはできなかった。

 誓約魔法で、より近くビビと寄り添うようになって、ビビの思いを感じ取れるようになっていたから。

 ビビがたった一人でどれだけ悩み、苦しんでいるか。

 自分たちを護ろうとする、その意思が痛いほど伝わってきて、それを否定することなど、できるはずがなかった。

 それでも、


 「行かせたくない。お前を犠牲にして成り立つ世界なんて、平和なんて、俺には意味がない」

 「サルティーヌ様・・・」

 ビビは声を絞り出す。

 「でもわたし、行かなきゃ・・・」

 「行かせない」

 カリストの声は力強く。


 行きたくないくせに。

 我が儘だとわかっている。

 こんなこと言えば、困らせることも。

 「俺は、お前の師匠の墓標に誓った。お前を支え、護ると」

 「・・・っく、」

 「離さない。言っただろ?俺を生かすのも、殺すのも、お前次第だって」

 でも、これが俺の愛しかた、だから。


 泣くな、とカリストはビビを抱きしめる。

 「俺はお前から離れない。どうしても最果ての地へ行くというなら、俺も行く」

 「・・・そんな、」

 「本気だから」

 激しく首を振るビビ。だが、カリストはビビをさらに抱きしめた。


 「なら俺を信じろよ、ビビ。俺だけじゃない、お前を護りたいと思っている皆の力を信じろ。もっと、頼れ。お前ひとり犠牲にしなきゃ生きていけないほど、俺たちは弱くない」

 「だって・・・」

 「生きよう。俺たちには生きる権利がある。国のため、世界のため、縛られる必要なんてないんだ。生きている限り戦える。最後まで足掻いて、もがいて。俺たちとともに生きよう」

 「サルティーヌ、様」

 「俺を信じろ、ビビ。お前が俺を求めてくれるなら・・・俺は怖いものなどない」


 力強い意志をこめた青い目に射抜かれ、ビビは胸が詰まる。

 ああ、どんな時でも揺るがない、この強さに惹かれたのだ。信じてついていけば、怖いものなどなにもない、不可能なことなどないのだ、と思わせてくれる強い瞳。

 やはり、この男は将来イヴァーノ総長すら越えて行く。



 「俺が、護る。お前の背負っているもの、すべて」

 言って、カリストはビビの顔をあげさせる。

 「愛している、ビビ」

 告げてそっと重ねられる唇。


 「俺を、選べ」

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