第199話 黒い鳥の告白⑤ 再会

 「久しぶり、ビビちゃん」


 最後に残る記憶の彼女はやせ細り、命の灯火が消える間際で儚いまなざしで自分を見ていた。

 でも、今目の前で微笑む彼女は、自分が夢中になって育てていた、あの美しく強いオリエのままで。

 ビビは目を見開いたまま、よろよろとオリエに近づく。

 笑って手を広げたその胸に飛び込んだ。


 「か、母さん・・・!」

 涙が溢れる。

 「母さん、お母さん・・・っ」

 うわああああ、と声をあげるビビをオリエはぎゅっと抱き締めた。

 「会いたかった・・・っ」

 「うん」

 「ずっと、ずっと会いたかった・・・」

 「わたしも。会いたかった。ビビ・・・大事な、大事なわたしの娘」


 「ごめんなさい、お母さん・・・ごめんなさい・・・っ」

 すがりつき、子供のようにわんわん泣くビビの背を、宥めるようにポンポンと叩くオリエ。

 「泣かないで?顔・・・見せて」

 微笑みながら、オリエはビビの両頬を包む。涙でぐしゃぐしゃになった顔をのぞきこんだ。

 「ああ、ビビちゃんだわ。こうして自分の意思で、あなたを抱き締めるのが夢だった」

 言って、髪を優しく鋤く指先は温かい。

 「もっとたくさん話をして、笑ったり泣いたり、母親として時を過ごしたかった。恋の相談に乗ったり、一緒に料理したり」

 「うん」

 「あなたには・・・騎士団の総長として導くことはしても。親として導くことはしてあげられなかった」

 「違う!」

 首を振り、ビビは叫ぶ。


 「わたしがっ・・・わたしが、そう母さんを育てたから。《アドミニア》として、勝手に母さんの人生を決めちゃったから・・・ごめんなさい。わたしが全部悪いの!」

 オリエは首を振って笑った。ビビの好きな・・・おだやかな暖かい微笑み。


 「あなたの言う、《アドミニア》という存在は知っている。神とも精霊や聖獣とも違い、別の次元で超越したものであると。私達を作り、育て、管理するものであると」

 ビビはうつむく。

 「最果ての地で、自害したわたしを箱庭へ導き【時の加護】を与え、龍騎士として育てたのは、《アドミニア》としての、あなただったことも」

 

 「ごめんなさい・・・」

 ビビは両手を握りしめる。

 「・・・何故、謝るの?」

 「だって・・・わたしのせいで、母さんは戦って戦って、一生を終えてしまった。望まない力を与えられて、全然幸せじゃなかった、って・・・」

 「うん。確かに・・・そうね」

 オリエはそっとビビの頭を撫でる。

 「でも逆に・・・わたしはあなたに謝らなければいけないわ。わたしのために、あなたはフィオン君と一緒になれなかったのに」

 「・・・っ、お母さん」

 ビビは目頭が熱くなり、うつむく。

 「いいのよ。ビビちゃん。私の力を引き継いで、神獣ユグドラシルの加護を与えられ・・・《アドミニア》と、聖女と龍騎士2人の【オリエ】の記憶を持って・・・あなたも辛い思いをしたのね。あなたの目を通して、全部見ていたわ」

 オリエはビビを抱きしめる。


 「ジャンルカさんの弟子になった時は、驚いたわ。わたしが何回アタックしても撃沈していたのに・・・いきなり膝枕までしてもらって」

 クスクスとオリエは笑う。

 「わたしの時と違って・・・祝福ギフトの力とは関係なく、皆に囲まれて愛されて。母親として鼻が高かったわ。フィオンとの別れはわたしも辛かった。わたしがあなたに引き継がなければ・・・前世であのまま一緒になっていたはずなのに」

 言って、オリエは顔をあげ、自分たちを見守っているソルティア陛下に視線を送る。


 「でも、それを良く思わず茶々入れた人もいるけど」

ソルティア陛下は気まずげに、ふいっと顔を背ける。首をかしげたビビにソルティア陛下はごまかすように苦笑した。

 「人聞き悪いなぁ、邪魔したわけじゃないよ。ただ、カリストの方の執着が勝っていたってだけでしょ?」

 「ええ?」

 何故、そこでカリストの名前が??とビビは声をあげた。

 「あ、あの、母さん。その・・・父さんのこと、なんだけど・・・」

 ビビはオリエのアクアマリンの瞳を見つめる。


 「わたしは・・・父さんと血の繋がりはなかったの?」


 ビビの問いに、オリエとその背後に佇むソルティア陛下の表情がわずかに沈む。


 「ビビちゃん、あなたは・・・」

 困ったようにオリエはほほ笑む。

 「わたしの力を、いえ。龍騎士オリエ・ランドバルドの力を引き継ぐ器として、わたしのお腹に宿った生命」

 いわば・・・前世聖女オリエ・エナ・ランドバルドの分身のようなものだ、とオリエは言った。

 それでも父親は、カリストは、ビビを我が娘のように愛して慈しんでくれた。

 その大きな温かな愛情と、秘められた悲しみと苦しみに・・・ビビは胸が詰まる思いだった。本当なら、オリエとカリストは変わらぬ愛を育み、ビビを授かるはずだったのだ。


 「カリスト君は」

 オリエはビビを見つめる。

 「ビビちゃんもわかっていると思うんだけど・・・わたしの夫であり、あなたの父親でもあるカリスト君と。今のあなたを半身に選んだカリストは・・・違うレールで同じ魂ではあるけど、別の人格なの。わたしとあなたが、母娘でありながら、同じ魂を引き継いでいるのと同じように。・・・本来であれば、このふたつの人格は同時に存在してはならないもの」


 ここは時代と時代の間を繋ぐ、異次元の空間。ここならば、それも可能ではあるけれど互いが存在する時間も限られているのだ、とオリエは説明する。


 「そしてわたしが龍騎士オリエ・ランドバルドとして生きたレールに、あなたが転生されたレールが、徐々に上書きされている。辻褄を合わせながら・・・」


 オリエは微笑んだ。


 「夫であるカリスト君は・・・カリストの魂に上書きされたわ。わたしではなく、あなたを選んだカリストとして」


 ビビは目を見開いた。


 「えっ・・・」


 「そして、わたしがあなたの魂に上書きされたら・・・もう間もなく、わたしの存在"龍騎士の始祖"オリエ・ランドバルドはなくなり、大地の守護龍アナンタ・ドライグとの誓約は完遂される」


 「そんなの、駄目!」

 ビビは叫び、オリエにすがりついた。


 「母さんが消えるのは駄目っ!なら、わたしが上書きされれば、いいじゃない!」


 「ビビちゃん・・・」


 「わたしに力を引き継いで・・・存在がなくなるって、どういうこと?何故お母さんばかり?お母さんは誰よりも幸せになる資格があるのに!」

 「ビビちゃん」

 そっとビビの両頬を包み、オリエは泣きそうな顔をする。

 「カリストが・・・あなたに誓約魔法をかけたから、それはできない。これは最初から決められてたこと」


 そのためにジャンルカ・ブライトマンによって再現された太古の誓約魔法。守護龍アナンタ・ドライグとの誓約を違わぬよう、万が一娘のビビがオリエの魂に上書きされぬよう。 


 (我、カリスト・サルティーヌは誓う。汝、ビビ・ランドバルドを我が半身とし。その魂朽ちるまで共に生きることを)


 ビビは目を見開く。

 「そ、そんな。あれは・・・」

 違う、とビビは首を振る。知らなかった、多分展開したカリストや、カリストに付与した師匠ですら、それが守護龍アナンタ・ドライグと龍騎士オリエ・ランドバルドとの誓約に結びついていたなんて、想像すらしていなかったにちがいない。

 「いいのよ、ビビちゃん」

 茫然とするビビに、オリエは笑いかけた。

 「逆に、わたしはあなたとカリストに感謝している」

 「えっ・・・?」


 「わたしはオーデヘイム王国最後の聖女、オリエ・ルナ・ランドバルドの転生者。記憶が戻っていくにつれ、心はどうしても黒い鳥、【ソル】を求めていた。彼も・・・それをわかっていたわ。だから、あなたが転移した時代のカリストが、わたしを通してではなく、あなたを見つけてあなた自身を求めてくれて・・・安心したの。良かった、って。わたしのカリスト君の魂が孤独なまま終わらなくて。彼もきっと喜んでいるわ。あなたのこと、娘として本当に愛していたから」

 ポロリ、とオリエの瞳から涙が溢れる。

 「お母さん・・・」

 「《アドミニア》の意思でも影響でもない、カリストは・・・本能で貴女を求めて愛した。誓約魔法で、あなたを魂の半身だと刻んだ。そして、あなたも・・・それに応えたはずよ」


 「・・・!」


 「ありがとう。彼の孤独な魂を救ってくれて」

 オリエはほほ笑んだ。

 「龍騎士オリエ・ランドバルドとして、思い残すことはないわ。これで、やっと解放される」


 「お母さん・・・っ」


 ビビはゆるゆると首を振る。

 駄目、そんなの、

 オリエを育てたのは、わたしなのだから。

 オリエをそう歩ませたのは、《アドミニア》であるわたしなのだから。

 その元凶たるわたしが、オリエを上書きするなど、存在を消してしまうなど、あってはならない・・・ああ、どうすれば、

 でも、オリエが本当に幸せそうに微笑んで、うなずくから。その瞳には、悲しみも苦しみもなく、あまりにも穏やかだったから。

 それ以上なにも言えなくなってしまった。


 オリエはもう一度ビビを抱きしめると、ソルティア陛下へと向き直る。

 「ありがとう。娘に・・・ビビに会わせてくれて」

 「もう、時間?」

 ソルティア陛下に問われ、オリエは頷く。軽く両腕を広げてみせたソルティア陛下にそっと身をゆだねる。


 「僕を、恨んでいる?」

 ぎゅっとその華奢な身体を抱きしめ、ソルティア陛下は金色の柔らかな髪に顔を埋める。


 その儚げな姿が、ずいぶん前に夢で見た光景と重なる。

 あの時も、死者を弔う鐘の鳴り響くジュノー神殿を、丘の上で見下ろしていた。

 泣いていたオリエを、後ろから抱きしめていた男・・・あの"黒い鳥"は、ソルティア陛下だったのだ。


 「あの時、生きろと言った僕を・・・君をレールから外してしまった僕を」

 ふるふると金の髪が揺れる。伸ばされた腕がそっと背中にまわされた。

 「恨むわけないでしょう?愛しいあなた。ありがとう・・・約束を守ってくれて」

 顔をあげ、龍騎士オリエ・ランドバルドは告げる。


 「あの時・・・あなたの手をとれなかったことを、許して。そして、またあなたを置いていくことを」

 「置いていかれるのも・・・待つのも、探すのも、慣れているよ。この魂はいつでも君を求めているのだから」

 ソルティア陛下はそっとオリエを離すと、キスをしてほほ笑んだ。


 「やっぱり君は・・・残酷だ。でも・・・愛しているよ」

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