第192話 聖女オリエ・ルナ・ランドバルド

 「・・・」


 石畳の冷たく固い感触に、ビビは目を覚ます。

 ゆっくり起き上がり、周囲を見渡した。

 見たことのない場所だった。

 白い大理石の柱がならび、異国の神殿のような造りをしている。

 柱の間から差し込む月の光が、床を反射して光っているのが幻想的だった。

 ふと、手のひらに触れた石畳に目を落とし、鑑定してみるも。ビビの見たことのない合成記号が並び・・・ただの石材ではないことがわかる。


 「ここは・・・?」


 「お姉ちゃん、誰?」


 後ろから声がかかって、振り返ると、少女が一人不思議そうな顔をしてビビを見上げていた。


 「え・・・?」


 鮮やかな赤い髪の、吸いこまれそうな深緑の大きな瞳。

 白い純白のレースをあしらったワンピースを着ている。


 「え・・・?わたし?」


 その幼いまなざしは、紛れもなく子供の頃の自分、そのもので。


 「あ、お姉ちゃん、無事にお兄ちゃんに逢えたんだね?」

 少女はビビの胸元にさがった、神獣ユグドラシルの魔石のペンダントに目を留め、嬉しそうに笑った。

 「お兄ちゃん・・・?」

 「うん。お兄ちゃん。深い森でお姉ちゃんを探していたんだよ?わたし、一緒に探してあげたの」

 それは、カリストの事をいっているのだろうか?

 ビビは少女の前で膝をつくと、視線の高さを合わせる。

 「そうなんだ?ありがとう」

 ほほ笑むと、少女はニコッと笑ってビビの長い髪をひと房手に取る。

 

 「お姉ちゃん、わたしとおそろいだね?わたしの髪と目の色は、世界に一人しか選ばれないこうきな色なんだって」

 「そうなんだ?」

 「うん、だからお姉ちゃんはわたしと一緒だね?嬉しい!わたし、ずっと一人だったの」

 「一人?この神殿で?」

 「お世話する人はいるけど・・・みんな目を合わせてお話してくれないの」

 少女はビビの手をそっと取る。

 「ねえ、お姉ちゃん、お名前は?」

 「ビビよ?あなたは?」

 「ルナ!」

 目を見開くビビに、少女は笑顔を見せる。

 「お姉ちゃん、こっち来て!わたしのひみつの場所、教えてあげる!」


 少女はビビの手を引き、神殿を出ると庭園の中を歩いて行く。

 色とりどりの花が咲き乱れた庭園は、ふんわりと甘い花の香りが漂い、月の光を浴びて花弁がキラキラ輝いている。

 変わった形の花ばかりだ。ガドル王城の王家の温室でも見たことがない。

 

 「ルナはずっと神殿にいるの?お父さんとお母さんは?」

 ビビが尋ねると、少女は首を振った。

 「わかんない。わたし、ずっとここにいるの。産まれた時に、緑のこうきなどうぶつ・・・ユグドがね、わたしにかごを与えたんだって・・・だから外の世界のことは、何も知らないの」

 ビビは目を瞬く。加護を与える緑の高貴な動物、ユグド・・・呼ばれる神獣といえば。思い当たるのはひとつしかない。

 「神獣・・・ユグドラシル?」

 「うん、そう言っていた。お姉ちゃんも、そうなんでしょう?」

 「え?」

 「お姉ちゃんのそのペンダントから、ユグドと同じかごを感じたんだ」


 庭園を抜け、二人は小さな泉に辿りつく。

 波風ひとつたたない、鏡のように澄み渡る水面に、明るい月が映えた幻想的な風景にビビは息を飲んだ。

 「・・・綺麗」

 「ここで、お姉ちゃんのペンダント拾ったの」

 水面をのぞき込み、少女は言う。

 後ろから覗きこむと、水面に映る少女と目が合う。まるで姉妹のようで自然に二人で声を出して笑った。

 

 「サルティーヌ様にペンダント渡してくれたのは、ルナだったのね?」

 腰をおろすと、少女もビビの隣にちょこんと座る。少しワンピースの裾をあげて、小さな足を泉に浸した。

 カイザルック皇帝橋に投げすてられたペンダントを、どうやって回収したのか?尋ねても曖昧な返事をしていたカリストに漸く納得して、ビビは笑みを漏らす。なるほど、これは説明しようがないな、と。

 

 「カリストお兄ちゃんのこと?うん、そうだよ。お姉ちゃんのこと、大事な人だって。半身だって言っていた」

 少女は隣のビビを振り仰ぐ。

 「いいな。わたしも待っているの。【黒い鳥さん】が・・・、ソルが迎えに来てくれるのを」

 「・・・え?」

 ビビは少女を見返す。

 「ソル・・・?」

 「うん。ソルはわたしの半身なんだって。真っ黒な綺麗な翼を持っているの。ソルはね、いつかわたしをここから連れ出してくれるって約束して“きしのちかい”をしてくれたの。ユグドと一緒で年に一度の銀の月のお祭りの夜にしか、会えないけど・・・」

 「・・・」


 ふいに記憶がよみがえる。

 銀月夜の前日、ビビを"ルナ"と呼び、抱き着いてきた、神獣のお面をかぶった少年。

 人違いだとわかると、気の毒なくらい落胆していた。

 

 ルナにソルと呼ばれる・・・黒い翼の、【黒い鳥】

 黒い不思議な光沢を放つ、黒い羽。

 

 なにかひとつの重要なパーツがビビの記憶に収まりかけている、感覚。


 「・・・わたし、会ったよ?【黒い鳥】に。あれ・・・多分、ソルだと思う」

 呟くビビに、少女はパアッと表情を明るくする。

 「ほんと?」

 「うん。黒い翼はなかったけど・・・ルナくらいの年ごろの男の子だった。神獣のお面をかぶっていて・・・ルナを探していた」

 「わぁ!きっと、ソルだね!同じ赤い髪だったから間違えちゃったのかな?」

 泉に足を浸し、ぱしゃぱしゃいわせながら、少女ははしゃぐ。

 「あのね、わたしも最初カリストお兄ちゃん見た時、ソルと勘違いしちゃったんだ。ソルも、なんだね!」

 「ルナも?」

 ルナを見た時、カリストはさぞかし驚いたことだろう。想像して思わずビビは笑いを漏らす。

 ふわふわと目の前を緑の光が舞っているのに気づき、目を向けると、いつかカリストを導いたという"導蝶アンバー"だった。

 手を差し伸べると、くるくるビビの手のひらを舞う。

 通常の蝶より、ひとまわり小さなそれは、気づけばたくさん現れ、二人のまわりをひらひらと飛んでいる。

 

 「綺麗だね~」

 「うん。この蝶、ここではよく見るの?」

 「ううん?前にお兄ちゃんと森の中で見たけど。この蝶、お姉ちゃんが好きなんだねぇ」

 ビビの周りを楽しそうにひらひら舞ったり、頭や肩に止まって金色の光を放つ蝶に、少女は笑う。

 手のひらにとまった蝶を眺め、ビビはこの蝶が微量に神獣ユグドラシルの魔石と同じ魔力を纏っているのを感じた。

 ほんのりと、身に着けた神獣ユグドラシルの魔石が温かな光を放つ。


 「あのね、お姉ちゃん」

 少女はビビを見上げ、屈託なく笑う。その髪には蝶が止まって、髪飾りのようにきらきら光を放っている。

 「わたし、本当の名前があるの」

 「本当の名前?」

 「ルナ、はね?女神テーレ様からつけてもらった神名、なんだって。テーレ様に仕える聖女は、皆ルナって呼ばれているの。わたしの本当の名前はオリエ。ソルだけが呼んでくれるの」


 オリエ・ルナ・ランドバルド


 「・・・えっ?オリエ・・・って、」

 ビビは目を見開く。

 「だから、ビビお姉ちゃんにも"オリエ"って呼んで欲しいの。・・・駄目?」

 少女は立ち上がり、座ったビビの顔をのぞき込む。

 ふわっ、と一斉に蝶が空中に舞い上がる。

 自分にそそがれる、苔むした深い森を思わせる緑の瞳。水面に反射した月の光が弾いて、金色に輝いているのが綺麗だった。

 自分の瞳は・・・他人から見たら、こんな風に見えるんだ、とビビはふと思った。

 

 「うん、いいよ。オリエ」

 頷くと、少女は嬉しそうに、はにかんだ笑みを見せる。

 そしてそっとビビの頬に両手を添え、その小さな額をビビの額と重ねあわせた。


 「オリエ・ルナ・ランドバルドの御名において、汝、ビビに女神ノルンと神獣ユグドラシルの祝福を」


 ビビの胸元にさげられた、神獣ユグドラシルの魔石がひときわ強い金色の光を放つ。

 キラキラと溢れた光の渦が、二人をやわらかく包み込んだ。

 額から流れ込んでくる、温かな魔力は、少女のもつ純粋でやわらかな心そのもので。その心地よさにビビは目を閉じる。


 「真実が、ビビとともにありますように」


 なのに、この少女は・・・オリエは。

 この先、ただひたすら国の為に祈りを捧げ、その力を利用され、戦禍に巻き込まれていくのだ。

 なにも知らされず、真っ白な無垢な心は、正義をうたった人間のどす黒い欲に汚され、染められ、壊されて。

 同時に流れ込んでくる、前世のオリエ・ルナ・ランドバルドの記憶に胸が締めつけられ、ビビはそのままそっとその小さな身体を抱きしめる。


 「お姉ちゃん?」

 「・・・オリエは、幸せ?」

 ビビの問いに少女は首をかしげる。子供特有のあどけない幼い仕草に、泣きそうになる。

 「わたし・・・幸せって、わからない」

 少し困った表情を浮かべ、少女は答えた。

 「わたし、ずっとここにいるから。この世界の人の幸せの為に、祈って生きるんだって。それがわたしの幸せなんだって。でも、わからない」

 パシャリ、と水音とともに、水しぶきが小さな足を濡らす。

 「だって、嬉しくないもの。楽しくないもの。わたしが祈ると、願うと、皆が喜ぶの。でも、誰もわたしを見ていない・・・ソル、だけなの。わたしをオリエ、って呼んで抱きしめてくれるの・・・」

 会いたいな・・・と呟く横顔は悲し気で。

 「オリエ・・・」

 ビビは少女の赤い髪を撫でる。少女はくすぐったそうに目を細め、笑う。


 「でもね、待っているの。きっとソルが、わたしをここから連れ出してくれる。外の世界を見せてくれる」

 「・・・そうだね?きっと、叶うよ。だって、オリエの半身だもの」

 えへへ、と無邪気に笑う少女に、ビビもまた泣くのを堪えて笑いかける。


 「オリエ、わたしがオリエを解放するから」


 この少女の行く末を、運命を変えることができないのであれば。

 そうビビが告げると、少女はきょとんとした顔をして、腕の中でビビを見上げた。

 未来の、龍騎士オリエ・ランドバルドの願いとともに、必ず自分が・・・《鍵》として、彼女たちの魂を【時の加護】から解放しよう。

 

 「約束する。だから、辛いことがあっても・・・生きてね?【ソル】が迎えに来るその時まで」

 「うん!」

 嬉しそうに頷き、そして少女は後ろを振り返る。


 「あ、時間だ。もう帰らなきゃ・・・神殿の人が来ちゃう」

 「オリエ、」

 「ありがとう、お姉ちゃん。また会える?会いにきてくれる?」

 するり、とビビの腕から抜け出て、少女は振り返る。ビビは苦笑した。

 「わからない。・・・でも、また会えるよ、きっと」

 少女は笑顔を見せ手を振る。そのまま迷いのない足取りで庭園の中へ消えて行った。


 *


 夢のような少女、だった。

 自分の幼少期だった頃を思い出しても、外見こそ同じであれ、纏っている雰囲気は全く違う。

 穢れの知らぬ、真っ白な雪のような。


 以前フジヤーノ嬢に無理やり神獣ユグドラシルの魔石のネックレスを引きちぎられた時の衝撃を思い出し、ビビは思わず身震いをした。

 あの時の絶望と虚無感を思い出すだけで、胸が張り裂けそうに痛むのに。あの少女が将来、追い詰められ、最果ての地で魂の一部でもある"神獣ユグドラシルの加護"を封印し、自害することになるなんて。


 過去はなかったことにできないけれど、オーデヘイム王国の人間は、神殿の人間は、なんて罪深いことをしたのかと怒りを覚えた。


 しばらく森を彷徨い、やがて抜けると広がる荒涼とした大地。

 驚いて振り返るが、そこには森はもうなく。

 あれほど明るく森の中を照らしていた月は姿を消し、暗い大空には幾重にも重なりうねるように幻想的な光を放つオーロラが広がっていた。


 ・・・どこかで見た景色、のような。


 ふと、前方に立つ人影に、ビビは足を止めた。


 闇に溶けこむような、全身黒づくめの後ろ姿。

 見たことのない、異国の衣装だった。がっしりとした体躯に、男であることがわかる。

 「・・・あ、」

 ビビは思わず声をあげた。


 ビビの声に、その後ろ姿がわずかに反応を返す。

 ゆっくりと振り返り、立ち尽くすビビに視線を向けた。


 「やぁ、来たね?」

 戦神のセトの加護を宿した赤い瞳が細められる。ビビは目を見開いた。


 「ソルティア・・・陛下」

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