第190話 キスがしたい①

 ガチャ、とイヴァーノは城の一角にある部屋のドアを開ける。

 そのままビビをポイッと部屋の中に投げ入れた。

 「ぎゃっ」

 ころん、と床に転がり、ビビは身を起こす。

 「もう!何するんですか!」

 腰を擦りながらイヴァーノを見上げると。


 「ビビ・・・?」


 聞き覚えのある声に、飛び上がる。

 振り返ると、部屋の奥の椅子に座ったカリストが珍しくびっくりした顔をして、こちらを見ていた。


 「さ、サルティーヌ様??」

 「血は止まったか?」

 背後でイヴァーノが声をかける。

 慌ててカリストを見ると、左の手甲が外され、インナーがめくりあげられ、左腕が露になっている。

 手首からすこし離れた部位は血止めの紐で固く縛られ、傷口は布があてられていたが、血が滲んでいるのが見えた。


 「大丈夫です。血は止まりましたから、後で城の医療班に見てもらいます」

 「すまなかったな」

 イヴァーノは腕を組み、苦笑する。

 「つい、本気になっちまった」

 えっ?とビビはイヴァーノを見る。この傷はイヴァーノがつけたのだろうか?

 「この通り、動かせますから問題ありません。一瞬でも総長が俺に対して本気出してくれたことの方が嬉しいです。こんな傷、どうってこと・・・」

 言って、カリストは頬を僅かに赤らめる。


 え・・・?


 ビビはカリストとイヴァーノを見比べ、複雑な気分になった。

 イヴァーノはビビの視線を感じ、慌てたようだ。

 「やめろ。俺に切られて喜ぶのは、お前くらいだ」

 なんか、すごく動揺しているように見えるのは、気のせいだろうか?

 「詫びに、こいつ連れてきたから。手当てしてもらえ。んで、今日はそのまま帰っていい」

 「・・・は?」

 ビビの声が裏返る。何故に詫びが自分なのか??イヴァーノはぽん、とビビの頭に手を乗せ、

 「医療班を呼びに行ったんだがな。お前の方が確実だ。悪いが、診てやってくれ」

 「・・・えーと・・・」

 「魔術師団には伝えておく」

 言うだけ言って、イヴァーノは一方的に部屋から出ていってしまった。


 「・・・」

 「・・・」


 しばしの沈黙が流れ。

 ビビはぎこちなく振り返り、カリストの元へ歩み寄る。

 「・・・あの」

 「なに、拉致られてんのお前」

 相変わらずのカリストの口調に、ビビは憮然とする。そうだ、従来こういう性格だったな、この人は・・・。


 「イヴァーノ総長から逃げるなんて、できるわけないし・・・」

 「それも、そうだな」

 カリストは息をつく。

 「どちらにしろ、無理矢理連れてこられたんだろ?悪かったな。後で医療室に行くから、大丈夫」

 「えっ?」

 ビビは慌てて首を振った。

 「ち、違うんです。別に用事があるわけじゃなくて・・・無理矢理っていうか、総長ってすぐ人を荷物扱いするから」

 カリストは笑う。

 「確かに、その装いで担がれたら、目のやり場に困る」

 タイツ履いていて良かったな、と言われビビは赤くなった。

 「もう!」

 だから嫌だったのに・・・いくらスパッツを履いていても、ミニスカートなんてガラじゃない。

 

 「明日からまた元に戻します。だいたい年頃の娘の装いしろって、喜ぶのはエロ親父だけだし!無駄ですよ」

 「なんで?せっかく似合ってるのに」

 「うっ・・・」

 伸びた手が、ビビの髪に触れる。

 「フードない方が、顔も良く見えるし。その服も髪の色が映えて、いいと思う。選んだ人間のセンス最高だな」

 ビビは更に赤くなる。選んだのは、ヴェスタ農業管理会の婦人部のマダムたち、だ。

 プラットに頼まれて、自分の娘のおさがりで申し訳ないけど・・・と山のように衣類を抱えた彼女たちに拉致られ、散々着せ替え人形にされていたのだ。


 しかし、どこまで天然なの?このイケメンは・・・さらりと褒めてタチが悪い。舞い上がってしまう自分も現金だ、と思うけど。

 「か、からかわないでください」

 カリストは笑うばかり。もう、こんなにくだけた笑顔見せるタイプじゃないと、思っていたのに。

 「もう、いいです。腕・・・見せてください」

 「ん・・・」

 差し出された腕を、そっと取り、乗せられた血止めの布を取り除く。

 意外にも傷口は深い。

 こんなにスッパリ切られて喜んで・・・確かに男色家と思われても仕方ないか。なんて、先ほど漂った怪しい雰囲気を思い出し、ビビは密かに笑いを漏らす。

 

 「・・・どうします?傷痕、残せますけど」

 ビビに問われ、カリストは驚いたようにビビを見返した。

 「・・・なんで・・・?」

 「綺麗に消せますけど・・・なんか、この傷を誇らしげに思っているなって、感じたから、このまま治すの、勿体ないなって」

 「まいったな」

 カリストは苦笑する。

 「できたら、残したい。総長が俺にはじめて本気出して、つけてくれた傷だから」

 「わかりました」

 ビビは微笑む。

 「呆れないの?」

 「どうして呆れるんですか?尊敬する人が与えてくれたものを、残したいと思うのは・・・当たり前の感情でしょう?」

 「・・・」

 「わかります」

 

 「・・・ジャンルカさんは・・・」

 カリストの言葉に、ビビは傷口から目を離し、少し驚いたような顔でカリストを見上げた。

 「お前に色々残したんだろうな」

 カリストの言葉に、ビビは眉を下げる。

 「はい」

 言って、笑った。

 「残され過ぎて、ここのところは魔術師会館の研究室に缶詰ですよ」

 それに・・・と、ビビはそっとカリストの腕に触れる。

 

 「あの人には色々なこと、学びました。弟子と呼んでもらえて・・・誇りに思っています」

 言って、ビビは目を閉じ、カリストの腕に手をかかげる。

 パアッ、と金色の光が漏れ、カリストの腕を明るく照らす。

 ゆるゆると傷口はふさがり、乾燥していく。やがて、薄い傷痕を残して、光は徐々に消えていった。

 「・・・どうですか?」

 ビビはふぅ、と息を吐き、顔をあげる。

 カリストは手を握ったり開いたり何度か繰り返し、頷く。

 「大丈夫」

 流石だな、と感心したようにビビを見た。心なしか、身体も軽くなっている。

 ビビの展開する魔法陣は・・・他のカイザルック魔術師団の魔術師が使うどんなものより、美しく神々しい。

 そう伝えると、ビビははにかんだような笑みを見せた。

 その、柔らかな笑みに、目を奪われる。

 気づけば、腕を伸ばして胸に閉じ込めていた。

 ああ、再会して舞い上がってしまって忘れていた。

 自分がかなりビビ不足で限界に近かった、ってこと。


 ビビは目を見開く。

 「あっ・・・あの・・・」

 「・・・感謝しているけど」

 カリストはため息をつく。

 「あまり俺の前で、無防備に笑わないでくれない?」

 「無防備って・・・」

 「抑え、きかなくなるから」

 「・・・っ、」

 「因みに、俺以外の男に見せるのも禁止」


 まったく、イヴァーノ総長も人が悪い、とカリストは思う。

 ジャンルカが身罷って・・・ビビがその後処理に追われて、魔術師会館に籠っている、という噂は聞いていた。

 顔を見たいと思っていたが・・・あの弱りきってすがるビビを思い出すたび、その弱さにつけこんで、抑えがきかなくなる自分が予想できるだけに、距離を置いていたというのに。

 いきなり目の前に現れて、そんな笑顔を見せられて。一体自分にどうしろと言うのか。


 いつもなら、腕で突っぱねるか、身動ぎして抵抗を見せるビビが、何故か抱擁されたまま、じっとしているのに違和感を感じ、カリストは腕の中のビビに目を落とした。

 「ビビ・・・?」

 カリストに声をかけられ、

 「・・・わたし、ほんとは・・・サルティーヌ様に会いたくて、ガドル王城に来たんです」

 腕の中で、ポツリ、とビビは言う。

 「・・・え?」

 そっと腕の力を緩めると、ビビは顔を上げた。深緑の瞳がひた、とカリストを見つめる。

 夕暮れの薄い光が射し込んで、金色に弾くその不思議な目に魅入る。

 思えば、真正面からこんな風に視線を合わせたのは、はじめてかもしれない。

 こんな・・・綺麗な女だっただろうか?

 

 「会って・・・お礼ちゃんと言いたかった」

 ビビはふ、と柔らかな笑みを浮かべる。薄い傷痕に手をあて、労るようにそっと撫でる指先が温かい。

 「師匠の葬儀の時、そばにいてくれて・・・ありがとうございました。サルティーヌ様が胸をかしてくれたから・・・わたし、本気で泣けました。多分、あなた以外じゃ駄目だったと思います」

 言って、ビビは頭をさげた。


 「・・・」

 「・・・」


 あまりにも沈黙が続き、ビビはあれっ?と顔を上げ、カリストを見る。

 「サルティーヌ様?」

 カリストは呆然としていたが、ビビに声をかけられ、我に戻ったようだった。

 「あ・・・、うん」

 珍しく歯切れが悪い。口を手で覆ったまま、目を泳がし・・・そしてビビを漸く見返す。

 「・・・それって」

 心なしか、カリストの顔が赤い。

 「俺が特別・・・って聞こえるんだけど?」

 「あ、」

 ビビははっ、とした表情を浮かべ、みるみる赤くなる。

 あわてて顔を反らそうとしたが、カリストの手がそれを捕らえ、視線を強引に戻した。

 「ビビ」

 「あっ、あの・・・わたし」

 ビビは首を振り、カリストの手首を掴んで逃れようとした。

 「ごめんなさい、違うの、その・・・」

 「違うんだ?」

 俯いてしまった耳元に唇を寄せ、カリストは囁く。ビクッとビビの肩が跳ねる。ふわり、とやわらかな髪が揺れて、カリストの頬をくすぐる。

 我慢できず、やや強引に顔を持ち上げ、目線を合わせた。


 「やめて・・・」

 ビビは呟く。

 恥ずかしくて、どうかなってしまいそうだった。顔を赤く染めて、目を潤ませているビビを前に、カリストの理性はあっけなく砕ける。


 ああ、もう・・・。


 カリストはビビの額に自分の額を合わせ、ため息まじりに囁いた。

 「今すごく、キスしたいんだけど」

 「う・・・無理・・・っ」

 続く抗議の声は、カリストの唇によって遮られた。

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