第186話 悲しい別れ⑥
「昨夜、女神ノルンの導きにより、我らの友であるジャンルカ・ブライトマンが冥府ハーデスに旅立ちました。その亡骸は、母なる大地に抱かれ、その魂は神々の元で永遠の安らぎを得るでしょう」
「以前のように、言葉を交わすことは叶いませんが、残された私たちが彼を忘れぬ限り、その魂は記憶として我らの心に刻まれ、生き続けるでしょう・・・」
「天に埜します神々よ、我らが同胞の魂を安らぎの衣で包み給え。運命の女神ノルンよ、大地に残る者たちへ慈愛と慰めを与え給え・・・」
地下聖堂に響く、神官の声。
並みいる参列者の中、カリストは小さく息を吐く。
ジャンルカが亡くなった夜、カリスト率いる第三騎士団の討伐部隊は、丁度ダンジョンで出現した魔界へのゲートの封鎖が完了し、帰路に着く途中だった。
小休止している時に、ふいに薬指にはめた加護の指輪に目を落とし。
・・・ビビが、泣いている?
と、何故か感じた。指輪を通して、ビビの感情が流れてくるような感覚。
そこで、カリストはジャンルカの最期を知った。
王城に戻り、訃報を聞いたときも、特に取り乱すことはなく落ち着いていたカリストに、イヴァーノは怪訝そうな顔をしていたが・・・葬儀は明日の早朝であることを伝えた。
喪主のヴィンターが、花束を墓標に供える。
その後ろに、キアラに支えられるように黒い喪服姿のビビの姿が見えた。
手には花束でなく、赤い・・・ジャンルカの魔銃士の師団服なのだろう、を抱えている。
遠目から見ても顔色が悪く、目もうつろで生気がない。
「さ、ビビさん」
キアラにそっと促されて、ビビはよろよろとおぼつかない足取りで、ジャンルカの墓標の前に立つ。
その周囲は・・・ジェマでさえ、痛々しいまなざしをビビに送り見守るのみで。
抱き締めていた師団服を、そっと花束の前に置いた。
「ビビ」
ヴィンターを振り仰ぎ、にこり、と笑って見せた。
「お借りしていて・・・返していなかったので・・・」
その笑みにヴィンターは、眉を寄せる。
「ビビ?」
なんだろう、この笑みは?違和感を感じてヴィンターは思わずビビに手を差し伸べる。
無理して笑わなくてもいい、と言おうと口を開きかけたが、子供のようなあどけない笑みを浮かべるビビに、言葉が詰まる。
ビビはふふっ、と笑いをもらし自分の両手をかざす。
「馬鹿・・・みたいですね。加護なんて・・・こういう時なんの役にもたたない」
「ビビさん?」
同じく違和感を感じて、キアラがビビの肩を軽くゆする。
何故、笑っているのだろう。口元に笑みを浮かべていながら、まるで壊れた人形のように目には表情がない。
「なのに、貴重がられて、期待されて・・・その度になにもできない自分に、失望して」
「ビビ・・・?」
様子のおかしいビビに、周囲は戸惑う。
ああ、皆の視線が痛い。
ビビはくすくす笑いながら、思う。
聖女だったオリエ・ランドバルドもこんな思い、してきたのかな。
馬鹿みたいだ。こんな力持って、なんでもできるんだってうぬぼれて。でも零れ落ちる命のひとつさえ、掬い上げることができない。
なにが、森羅万象を操る聖なる力、だ。なにが世界を浄化する力、だ。
結局はその力をいいように利用されて、壊されて、自ら命を絶って・・・その繰り返し。
ああ、でも今は笑って、心配ないって言わなきゃいけないのに。笑えないよ・・・。
ジャンルカ師匠がいなくても、大丈夫だ、って安心させなきゃいけないのに。
ほら、みんなが心配そうに見ている。
頑張れ、ビビ。
あなたはそんなヘタレであっちゃいけないんだ。
「大丈夫です、わたし」
皆に振り返り、精一杯の笑顔をつくる。
ぱん!
両頬に衝撃と痛みが走り、目を見開く。
ゆがんだ視界のピントがゆっくり合って、そこでビビは目の前に立つカリストが、両手で自分の両頬を挟みこんで、じっと見下ろしているのに気づく。
「・・・あ」
「・・・ひどい顔だな」
低い声でカリストは告げる。
背後で、見知った顔がびっくりして、オロオロと咎めている姿が見える。
「・・・そんな、無理矢理つくった笑顔見せたって、なんの説得力ないんだよ、お前」
「・・・っ」
・・・え?だって、笑わなきゃ。
どんなに悲しくても、苦しくても、笑わなきゃ。
泣いたら、その感情が自然界に影響するから。
笑っていないと、皆が不幸になるから、禍が起こるから・・・って、神殿の人が、
・・・神殿?
神殿って、なんだろう?
「誰もお前の加護にもスキルにも期待してない」
カリストは淡々と言う。
「人は誰も死ぬんだ。その理を、自分の力でなんとかできるなんて、思い上がりもいいところだ。神じゃあるまいし」
おい!とデリックが声をあげる。
それを無視して、カリストは頬をはさむ両手の力を強めた。
「お前は・・・お前のままでいればいい、と言っている」
「・・・!」
ビビは目を見開く。
「お前は・・・どうしたいの?」
カリストは聞く。
「言ってみろ。本心を。ぶつけろ、つきあってやるから」
そう言ってやさしく髪を撫でる手のひらが温かくて。じんわりと目元が熱くなり、ビビは目を瞬く。
どうして、この人は・・・
ビビは思う。
自分の弱い部分を引き出すのだろう?
見せたくない自分を、彼には見せてしまうんだろう?
(まるで、この世の地獄のよう・・・)
強くなきゃ、いけないのに・・・
わたしの存在が、皆の幸せになるって、そういわれ続けて生きてきた。
本当は戦いに行ってほしくなかったのに、戦争なんてしてほしくなかったのに。
誰一人、死んでほしくなかったのに・・・
(初めて神殿から外に出て。目にする光景が地獄、とは)
当たり前のように、求められ、存在をあがめられ。
自分のこころひとつ、自由にできなかった日々が蘇ってくる。
それは、遠い遠い時代を生きた、聖女オリエ・ランドバルドの記憶だった。
(わたしが望んでいたことは・・・こんなことじゃなかったのになぁ)
「・・・っ、」
ぽろり
大粒の涙が浮かび、溢れ落ちる。
泣いて、いいの?
ぽろり
ぽろり
ぽろぽろぽろ・・・
「・・・っく、」
悲しんで、いいの?
苦しげにしゃくりあげる、ビビ。
「悲しい・・・、辛い・・・、わたし、」
ボロボロと溢れた涙は滴り落ち、カリストの手を濡らす。
「・・・泣きたい・・・」
かろうじて伝えたビビの頭を、カリストはそっと自分の胸に押し当てる。
「いいよ」
「・・・っ、」
涙腺が決壊して、ビビはカリストにしがみついた。
声をあげて泣き出したビビに、カリストはそっと腕をまわし、抱きしめるようにする。
誰にもすがらず、誰かを必要とするのを拒んでいたビビが、今はカリストの腕の中で号泣するその姿に、初めて目にした周囲の人間は息をのむ。そして・・・互いに頷きあい、一人、二人、とその場を立ち去り始める。
「ビビ・・・」
心配そうにつぶやくジェマの肩をたたき、デリックは首を振る。
「行こう、ジェマ。今はあいつに任せた方がいい」
「・・・うん」
ヴィンターが最後にカリストを振り返ると、カリストは黙って頷き返した。
*
リーンゴーン・・・
遠くで死者を弔う、鐘の音が聞こえる。
しん・・・と静まり返った地下聖堂に、ビビの泣き声だけが響く。
"お前を愛しいと思っている"
「師匠・・・大好きだった・・・」
「・・・うん」
"ベアトリスが逝って・・・俺の世界は色を無くした。すべてがモノクロで、生きる意味も死ぬ理由も見いだせず、ただ息をするしかなかった世界に・・・ある日飛び込んできたのが、お前だった"
「生きていて、欲しかった・・・」
「・・・ああ・・・」
"お前と出会って・・・世界はこんなに鮮やかで美しい色をしていたんだと・・・思い出した"
「ただ、そばにいるだけで良かった・・・」
「・・・そうだな」
"ありがとう。人生の最後に・・・お前に会えて良かった"
「本当に・・・大切だったの・・・」
「わかっている」
おいで、と両手を広げ、初めて抱きしめてくれた、胸の温かさ。
髪を撫でてくれた優しい手のひらの感触。
嫌だおいていかないで、と泣くビビに困ったように微笑んで。仕方ないな、と意識のなくなる最後まで手を繋いでくれていた。
確かに自分は彼に愛されていたのだろう。それはビビの求めた男女のそれ、ではなかったけれど。
それ、もまたジャンルカの愛し方、だったのだ。ビビを愛することによって、もし残された時間、彼の孤独な心に少しでも光を灯すことができたのなら。この出会いは決して無意味なものではなかった。
・・・わかっていても。
この張り裂けそうな痛みと、心にぽっかり空いた空洞をどうしたら良いのかわからない。
「でも、もう・・・会えない」
「・・・」
嗚咽の合間に呟く言葉に、カリストはただ短く相槌をうちながら、静かに背中を撫でる。背を流れる髪をすいて、震える肩を抱きしめて。
*
どれだけ泣いていたんだろう?
気づけば鐘の音も止んでいる。
ようやくビビはのろのろと顔をあげた。
泣きはらした目は赤く。
カリストはそっと親指の腹で、目尻に残る涙を拭った。
「・・・落ちついたか?」
こくり、と頷いて、ビビはカリストから身体を引き、目を瞬いた。
「あっ・・・ご、ごめんなさい」
夢中ですがっていたカリストの喪服が、それとわかるように涙の跡で濡れていたから。
「謝らなくていい」
カリストはビビの頭を抱き寄せ、墓標の前に座り込むと、髪を撫でる。
「人が死ぬのは・・・辛い。大事に思っている人なら、尚更・・・」
騎士団に所属していれば・・・嫌でも仲間の死に直面することが少なからずある。全うに向かい合ってしまって、正気を失いかけた経験もある。だからビビの気持ちはよくわかった。
墓標を見つめたまま、カリストは言う。
「でも、俺たちは生きているから。辛くても生きなきゃいけないだろう?・・・ジャンルカさんの分も。生かされている俺たちが引き継ぐのは、義務だから」
「義務・・・?」
呟いたビビに、そう、とカリストは頷く。
引き継ぐ。
その意思も、希望も、未来へ向かい、次に繋げるために。
ビビは顔をあげ、カリストを見上げた。
青い瞳が、涙で揺れるビビの瞳を見つめ返す。
「意思を引き継いでいく限り、ちゃんと繋がっている。お前も、ジャンルカさんも、みんな・・・」
「・・・」
「大丈夫。お前はもうひとりで頑張らなくていいんだ。俺たちがいる・・・だから、一人で泣くな」
そっとビビの頬をなで、カリストはジャンルカの墓標に目を向ける。
「お前の師匠の前で、俺は誓う」
え?と首を傾げるビビ。ビビを見返すカリストの、真剣で力強いまなざしに息を飲んだ。
「ビビ、俺はお前を離さない。なにがあっても・・・お前と共にいる。お前が俺の生きる道標だから」
「・・・サルティーヌ様」
「愛しているよ、ビビ」
そう言ってほほえんだカリストに、ビビは一瞬泣きそうに表情を歪めたが、ゆっくり頷く。自分を抱きしめるカリストの背中に、そっと腕をまわし
「・・・ありがとう」
そう、つぶやいた。
*****
号泣@カエル
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