第183話 悲しい別れ③
月の明るい夜だった。
「なんだよ・・・」
カリストは呟く。
腕の中ですやすや寝息をたてるビビの顔を、月の光が照らしていた。
*
"まもなく、冥府ハーデスから遣いが来るだろう"
"もう、だいぶ前からわかっていたのだ。銃を握ることすら困難になってきている。"
"明日にでも・・・魔術師団の脱会手続きをするつもりだ。"
"俺の後任はビビに指名してある。あれの能力なら・・・残した依頼も来年の春までには片付けられるだろう"
ち、ちょっと・・・
カリストは遮る。
"待ってください!それって・・・"
しっ、とジャンルカは人差し指を唇に当てる。
ハッ、として、その膝に目を落とした。
うん・・・、と僅かに身動ぎするビビ。安心しきったその穏やかな寝顔に・・・カリストは息を詰まらせる。嫌な冷たい汗が背中をつたった。
"誰にでも訪れるものだ"
ジャンルカは自嘲めいた笑みを、口元に浮かべる。カリストは口を開きかけたが・・・拳を握りしめ、うつむく。
ジャンルカが居なくなった後のビビが、どうなるのか、なんて口に出せるわけもなく。
そんなの、本人が一番理解しているのだから。
"あなたのかわりなんて、誰もできるわけが・・・"
かろうじて、カリストは声を絞り出す。
"当たり前だ"
ジャンルカは言う。
"だから、俺の代わり、ではなく。お前がビビを支えてくれ"
"・・・っ、"
"お前でなくては、駄目だ。カリスト・サルティーヌ。俺に誓え"
有無を言わせない、強い金色のまなざしから、目を反らすことができない。
"何故・・・俺、なんですか?俺は・・・"
"愚問だな"
ジャンルカは笑った。
"他に誰がいるという?ビビを手離すくらいなら、共に死ぬことも躊躇わないほど、この娘を欲しているんだろう?"
その"執着"は、血の繋がりでさえ越えていく。
言って、ゆっくりとビビを抱き上げ、立ち上がる。動揺して動けないカリストに、目線で促す。
躊躇いながら・・・そっとジャンルカからビビを受けとる。
"かって・・・俺が妻に、ベアトリスに抱いた感情も同じだった"
"・・・あ"
"ベアトリスは・・・最後の最後で、拒んだがな。俺の魂は自由だ、と"
そっとビビの頬をなでる。
"奥の部屋にガドル王城への転移ゲートがある。それで帰るがいい"
*
ビビを起こさないよう、カリストは自分の家にビビを連れて帰った。
ベットに寝かせ・・・そこで、ジャケットがビビにかけたままなのに気づく。
ビビはジャケットの袖を握りしめたまま、穏やかな寝息をたてている。ここまで起きないのは・・・ジャンルカに何かしらスキルを施されていたのかもしれない。
「・・・まったく・・・呑気に寝やがって」
そっと、髪をすく。くるくる波うつ柔らかい感触。相変わらず花の良い香りがする。
「う・・・ん」
「危機感・・・なさすぎだろ」
"俺の代わりではなく、お前がビビを支えてくれ"
・・・言われなくても。
「・・・離さないから。覚悟しろよ」
呟き、そっと唇にキスを落とした。
*
「・・・ん」
ビビはぼんやり目を覚ます。
窓ガラスから射し込む、柔らかな日差し。
「・・・?」
なんとなく、いつもと違う雰囲気に気づき、目を瞬く。
ぼんやりとした視界がだんだんとクリアになってきて。ビビは誰かに抱きしめられているのに気づく。
目の前の白い喉仏を見つめ、ビビははっとする。
「・・・え?」
ゆるゆると顔をあげ、自分を抱きしめているのがカリストと気づくと、ビビは小さく息を飲んだ。悲鳴をあげなかった自分を誉めたい、いやそれよりも。
「・・・うわ」
初めて間近で見るカリストの寝顔に、悲鳴すら喉の奥に引っ込んでしまう。それくらい
「・・・綺麗」
しみひとつない、滑らかな肌が、朝陽を浴びてさらに白く見える。綺麗な弧をかいた眉、濃い睫毛。すっと通った鼻筋と・・・うすい唇と。
無表情か・・・もしくは眉間にシワをよせて、すごい美形だけど決して愛想が良いとは言えない顔が、寝ている時は無防備で、幼く見えるのが不思議だ。
ぴくっ、と睫毛が震え。
ゆっくりと瞼が持ち上がった。
吸い込まれそうな深い蒼い瞳が、ビビの深緑の瞳とぶつかる。
「・・・」
背中に回された手が解かれ、動けないビビの頬にその指先が触れる。
ゆるり、と指の背がビビの頬をなぞる感触に、ゾクリとした。
「おはよう・・・ございま・・・す」
振り絞るように告げると、眠そうなカリストの目がふっ、と和らぐ。
「おはよ」
かぁっと顔に熱が集まるも、金縛りにあったように動くことができない。
頬をなぞっていた指先が、滑るように首の後ろに回され、ゆっくりと引き寄せられた。
抵抗する間もなく、キスをされた。
「・・・っ、」
むくり、と上半身を起こしたカリストは、両腕でビビを囲うようにして、さらに深く口づける。
「・・・サ・・・んっ、」
苦しげにビビは身動ぎをし、キスの合間に息を漏らした。
「・・・っ、は・・・」
「・・・お前さ・・・」
ビビの首筋に唇をよせ、カリストは呟くように言う。温かな息を感じ、ビビの肩が反応した。
「花のいい匂いがする。いつも・・・なんか、つけているの?」
「・・・えっ?」
「俺、眠りは浅い方なんだけど・・・」
お前抱いていると、すごい寝られる。
言って、首筋をついばむようになぞる唇の感触が。ビビは目をつぶり、顔を背けた。
「ちょ・・・朝から、なに盛っているんですか!」
震える腕で胸を押すが、びくともしない。
カリストはクックッと笑い、ようやく身を起こした。
*
カリストがシャワーを浴びている間に、ビビは台所で簡単な朝食を作る。
定期的にマリアが掃除と共に、食材を置いていくのだろう。カリストはまったく料理をしないと聞いていたが、朝からイレーネ市場へパンを買いに行く手間が省けてホッとした。
コーヒーを淹れて、向かい合い、朝のお祈りをしてから朝食を食べる。
カリストは、昨日ジャンルカに呼ばれてビビを託されたことを説明した。ビビはジャンルカからカリストが来ることを聞いていたらしく・・・緊張のあまり?ワインが進んで酔っ払って寝てしまったことを詫びた。
「ビビがジャンルカさんに膝枕してほしくて、ワザと魔力切れ起こすまで追い込むって聞いていたけど?」
カリストに言われ、思わずコーヒーにむせるビビ。
「なっ・・・!違いますよ!そんな構ってほしい子供みたいな真似・・・っ」
真っ赤になって反論するビビに、カリストは笑う。ビビは、もうっ、と頬を膨らましつつ・・・あ、と思い出したようにカリストを見た。
「これ、神獣の魔石のペンダント、ジャンルカ師匠にやっと繋げてもらったんです。見つけてくれて、本当にありがとうございました」
言って、胸元に光る鎖を指先で持ち上げ、深緑の魔石を掲げながらビビは笑みを浮かべる。
「あ、うん。よかったな」
「はい!これ・・・わたしの一部と言ってもいいものだから。すごく嬉しいです」
でも、よく見つけられましたね?と不思議そうにこちらを伺うビビの視線に、曖昧に笑ってごまかすカリスト。
今まで散々隠し事をされていたのだ。・・・本人は知られていることは知らないだろうが。こちらも多少の秘密を持っていても責められないだろう。
第一、あの不思議な少女のことを、どう説明すればよいのかわからないし、とカリストは思う。
「どうしたんですか?」
「いや・・・」
カリストはふっ、と笑う。
「朝、目覚めたらお前がいるって、いいなと思って」
「・・・うっ、」
久々のイケメンオーラにあてられ、ビビはくらりと眩暈を覚える。
ごまかすように食器を重ね、立ち上がろうとしたビビの手を、カリストの手が握りしめた。
「ビビ」
「・・・っ、は、はい」
「一緒に、住む?」
「ええええ???」
仰け反りそうになるビビに、カリストは笑う。笑って、握りしめた手を持ち上げ、その指に光る指輪に、そっとキスを落とした。
家を出て、二人で並んで歩く。一晩泊めたお礼に、ガドル王城まで送ってほしい、と言われ、従うビビ。
カリストの家からビビが出てきたところを数人の独身の騎士団の人間に見られた。
ぎょっとした顔でこちらをガン見していたが、カリストにギロッと睨まれ、あわてて立ち去っていく。
子供と散歩に出かける婦人方にも見られた。
まぁ、とか、きゃあ、とか。嬉しそうな声をあげて手を振っているのに、愛想笑いで返すビビ。
あ~これ、また噂になるなぁ・・・と密かにビビは頭を抱える。
ガドル王城の前の木造橋で足を止め、ビビはカリストを見上げた。
「これからまだ、討伐は続くんですか?」
「うん。そうだな。昨日は何故か俺だけ急遽帰還命令出て一旦戻っただけだし。まだ現地に仲間は残っているから・・・」
「そうですか・・・お気をつけて」
言って、ビビは手元に目を落とす。しっかり繋がれた手。以前は抵抗があったが、自然にお互いに手を繋ぎあっていたことに気づく。
離し難いな、なんて思ったりして。触れ合っていることに、こんなに安心してしまうなんて。
「サルティーヌ様・・・」
ビビは顔をあげる。カリストは僅かに首を傾げた。
「昨日は・・・本当は、お話しなきゃいけないことがあったんです」
「うん」
カリストはほほ笑む。団服のポケットから取り出したものを、ビビに握らせた。
「これ」
手のひらに目を落とすと、握らされたのは鍵。
「・・・これ、」
「俺の家の鍵。持っていて?」
言って、カリストはそっとビビを抱きしめる。ビビもおずおずと背中に手をまわし、ぎゅ、と抱き返す。
「珍しいな」
その、離れがたいと甘えているようにも思える仕草に、頭上でカリストが小さく笑う声が聞こえる。
「・・・おまじないです。スペシャルで」
少しくぐもったその声に、にじみ出る不安の色。カリストは目を細め抱きしめる腕に力をこめる。
「話は今度聞く。俺がいない時でも、いつでも来て自由に使っていいから。マリアにも言っておく」
「サルティーヌ様・・・」
「行ってくる」
ちゅ、と額にキスをしてカリストはビビを離す。
唖然としているビビに後ろ手を振り、王城へと入って行った。
※※※
ここで補足☆
前回、ソルティア陛下が、ジャンルカに依頼した魂縛の誓約魔法について、
"ジャンルカは妻の死んだ魂まで縛れない、と数年前そのまま彼女の魂を解放した"
と回想していますが、実際はその逆でベアトリスが拒否しています。
多分、ジャンルカの性格で・・・事実をソルティア陛下には伝えず、伏せておきたかったのかな?と思います。
ベアトリスとジャンルカの馴れ初めネタも、いつか書いてみたいですね~^^
お読みいただきありがとうございました。
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